第252話 イザヨイ、断罪の光を放つ。

 

『時は遡る』


 朝方、パノラの街へと辿り着いたイザヨイと『三つ星』のメンバーは、冒険者ギルドで一旦別れた。

 事情を説明した時の、ギルマスの歓待が凄まじかったのもあるが、領主へ届け物を渡す事で今回の依頼は達成となる。

 冒険者としてやり遂げる事に重きを置き、その際に一時的に離れる事を選んだ。


 ーーこの時の選択を、後に皆が後悔する。


「クエストをしっかり果たしたら、またここに戻って来るから待っててね。領主様が許してくれたら、うちらと一緒にご飯食べよ?」

「はいですの! イザヨイは良い子だから、大人しく待ってるですの!」

「台詞と態度が全然あってねぇ。分かるかタイラ? あれが強者のみに許された特権ってやつだ」

「怖いっすね。兄貴もいつかは『ああ』なるんですか?」

「いや、望まれても断る。俺はそんな大人になりたい」

「……そんな兄貴について行くっすよ」

 クリアリスとタイラが見つめた視線の先には、恐れ多くもパノラ支部のギルマスの老人を馬にして、戯れる獣人の幼女の姿があった。


 だが、どこか嬉しそうに口輪を咥える馬役の姿を見て、少年達は言葉を呑み込む。何故かセレットの視界にはギルマスは映らないようで、自然と頭を撫でながらイザヨイを愛でる姿から、逆に恐怖を覚えた。


 ーーまるで、ゴミなど視界には映らないと背中が語っている。


 この時初めてクリアリスは、パーティーメンバーの中で誰が一番怒らせてはならないかを学んだのだ。


「はいどおおおっ! 爺はしっかりみんなを見送るんですの! さっき教えた敬礼は? こんな事ヘルデリックなら手綱を動かしただけで実行するんですの! この豚野郎ですの!」

「ひ、ヒヒィィィィンッ!」

「最早、憐れだな……」

「何の事? うちには何も見えないし、聞こえないわ?」

 必死に馬のまま敬礼するギルマスを後にして、『三つ星』の三人はギルドを後にする。どこか瞳に陰を落とし、見てはならない現実を直視してしまったかの様な憂いを帯びていた。


 しっかりとギルドの受付のお姉さんから領主の館への行き先を聞いておき、迷う事なく大通りを進むと、一際豪華で堅牢な壁に守られた建物が見えて来る。


「なぁ、この街ってさ……どっか歪だな。領主の館の雰囲気と街の雰囲気が違うっていうか……」

「確かにカルバンと違って貧民街スラムが多そうに見えるけど、うちらには関係無いよ」

 ほんの少しだけ抱いた懸念を振り払い、新米冒険者は入り口の門の鐘を叩いた。内側に控えていた兵士は要件を聞くや否や、館の中へと走り去って行く。


 キョトンとその様子を見つめながら、『三つ星』の面々は首を傾げた。

 だが、暫くした後に身なりの良い執事が現れ、丁寧に賓客として扱われながら内部へと通される。


「なんか様子が変じゃね?」

「さっきからリーダーは心配し過ぎ! さっさと依頼を終わらせてイザヨイを迎えに行くよ?」

「なんか何処と無くいい匂いがするなぁ」

 客間に案内されると、真横の長いテーブルには口にした事もない様な料理の数々が並んでいた。

 ゴクリと生唾を呑み込むと、三人の目はテーブルに釘付けになる。


「ようこそ! 勇敢な冒険者の諸君!」

 声の主の元へ視線を向けると、とてもオシャレとは言い難い奇抜な服と、キラキラとした金のアクセサリーを纏った領主が部屋へ入って来た。

 飛び出た腹から、とても贅沢な暮らしを送っているのだと見受けられる。


「初めまして、Eランク冒険者パーティー『三つ星』のリーダー、クリアリスです。こちらの魔術師がセレット、そちらの剣士がタイラと言います。無事に依頼された小箱をお持ちしました」

「丁寧な挨拶をありがとう。我輩はパノラの街で領主をしているコーグストである。早速で悪いが、依頼の品を執事に渡してくれるかね? ーー中身の確認をしたい」

 自らの手で受け取らないのかとクリアリスは少し気に障ったが、立場を考えて堪えた。先程の敬語も、立場が上の依頼人と話す際に自然と身に付いたのだ。


 袋の中から頑丈な作りをした小箱を取り出すと、領主の背後に控えていた執事へ渡した。

「少々、こちらでお待ち下さい」

 そのまま執事は別部屋へと向かい、その間、領主のコーグストより手厚い歓待を受ける。


「さぁ、この料理は君達の為に用意させたものだ。我輩からのお礼の一部として存分に食してくれ」

 まさかと目を見開いて驚いた三人の中から、真っ先にタイラが飛び出した。丸鶏の足を鷲掴みにすると、思いっきり口に頬張る。


「うんめぇぇぇ〜っ! 兄ひもほいよっ!」

「こらタイラ、ちゃんと呑み込んでから喋れよなぁ。領主様の前ではしたないぞ」

「ありがとうございます。うちらこんな食事久しぶりです!」

 セレットがお礼を述べると、少年達も続いて頭を下げた。満面の笑みのままコーグストは手を振る。その様相は素晴らしい領主像そのものに映り、感激に浸りながら食事を進めた。

「よいよい。遠慮無く好きなだけ食べたまえ」


 ーーコンコンッ!

「入れ」

「失礼しますご主人様。依頼の品の鑑定が終わりました……間違いなく『聖女の嘆き』で御座います」

 執事の言葉を聞いた直後、コーグストの顔はだらし無く弛み、下卑ゲヒた笑いを浮かべた。

 余りにも先程の優しげな雰囲気から一変した事から、『三つ星』の面々に緊張が奔る。


「無事確認が取れた様で良かったです。それでは、僕達はそろそろ失礼しますね。依頼料はギルドへお願い致します。お食事、ありがとう御座いました」

「……あぁ、勇敢な冒険者諸君を大広間まで送ろう」

 取り乱さすことも無い冷静な返答を得て、クリアリスは思い過ごしだったかと胸を撫で下ろした。


 だが、執事に案内されながら、出口へと繋がる大広間が視界に映った直後、『三つ星』の面々は青褪める。

 武器を携えた、二十を優に超える私兵が整列していたからだ。


「領主様……これは一体」

 セレットが背後を歩くコーグストへゆっくり視線を泳がせると、とても愉快そうに自らの腹を撫でていた。


「なぁに、君達には関係ない事さ。我輩の完璧な計画を狂わせた間抜けな盗賊共を殺して、口を封じに行くのだけどね」

「……えっと、そ、そうだよな。俺達には関係ないっすね! みんな行くぞ」

「うん!」

 巻き込まれる事を恐れて、リーダーの号令を合図にセレットは背後へ着く。だが、その時既にタイラの様子がおかしかった。

 ーー顔は酸素欠乏チアノーゼを起こしているかの如く紫色を帯びており、呼吸は乱れ、指先がブルブルと分かりやすく震えている。


「あ、兄貴、な、んか身体がう、ご、かない」

「ふむ。丁度良いタイミングですねぇ」

 タイラ見下し、観察しながら領主は髭をなぞっていた。


「まさか……さっきの食事に何か仕込んだのか!」

「ーーーーッ⁉︎」

 少年達が一歩後退るのを見て、私兵はすぐさま屋敷の入り口を固める。逃す気は毛頭無いのだと理解したと同時に、目眩と吐き気が襲い掛かった。


「セレット……俺が時間を稼ぐ! 解毒を頼む!」

「うん!」

 食事を始めた順番と、食べた量から比較的セレットは意識をハッキリと保てている。クリアリスがフラつきながらも銅の剣を抜き去ると、背後で解毒魔術の詠唱を開始した。


 ーーズブゥッ!


 そして、抵抗は一瞬で終わる。

 耳にしたのは、肉を貫く鈍い音。

 目にしたものは、いつの間にか自分を擦り抜けた執事の男が、短剣を仲間の心臓に突き立てる光景。


 クリアリスは叫び声を上げる間も無く、腰元の騎士剣を下段から斬り上げられ、背中を裂かれた。

「ぎゃあっ!」

「あ、兄貴ぃ! セレットぉ〜〜〜〜っ!」

「君に人の心配をする余裕は無いだろう? 我輩の計画を邪魔した罰だぞぉ?」

 必死に手を伸ばしながら倒れているタイラの背中へ、無惨にも刃は振り下ろされる。辛うじて意識を保っていたのはリーダーのみ。


 その瞳は仲間を失った口惜しさから滲み、放っておいてもどうせ死ぬだろうと、私兵引き連れ館を後にした領主と執事の背をボンヤリと眺めている。


「い、ザヨイさんに、伝え、な、きゃ……」

 今更そんな事をした所で現状が変わる訳では無い。それでも、ーー少年は悔しかったのだ。


 責めるべくは、自分の不甲斐無さだと分かっている。

 今にも遠のきそうな意識を必死で繋ぎ止めつつ無理矢理立ち上がると、直ぐ真横に置かれていた高価そうな女性の彫像に、銅の剣を身体ごと叩きつけた。


 ーーギイィィィィィィィィィンッ!!


 直後、一陣の風が吹く。ドサリと音を立てて倒れた瞳に映ったのは、小さな、とても小さな足だ。

 少しだけ視線を上へずらすと、垂れ下がった獣の尻尾が細かく震えている。

(あぁ……やっぱり来てくれたのか。でも、もう声が出ない……)


 ーーバシャバシャッ!


 イザヨイは無言のまま、腰のポーチから高価な回復薬を一本取り出すして三人の身体に振りかけた。解毒はされなくとも、HPが回復する事から僅かに体力に余裕が出た事で、口を動かせる。

 タイラも不思議そうな顔をしながら意識を取り戻し、状況を把握した様だった。


「……ごめん、イザヨイさん……セレットが……」

「俺達が不甲斐無いばっかりに……」

 涙を溢れさせながら、ドンドンッと音を立てて地面を叩く少年達の声は届いている。しかし、獣人の幼女は動かない。


『超感覚』で研ぎ澄まされた五感は、事情を聞かずとも何が起こったのかその全てを理解させた。この館には血の臭いが充満している。

 それは三人のものだけでは無く、ずっと昔からこびりついた醜悪な臭いだ。


(どれだけ殺したら、こんな風になるんですの?)

 ボンヤリと天井を眺めながら、イザヨイは考えていた。

 セレットの心音は、もう聞こえない。

 この臭い空間を裂くように、香水を振り撒いた男の虚像が瞼の奥に浮かぶ。


 ーーかつて、レイアには内緒だとビナスから寝る前に聞いた事があった。


『貴女のパパはね、女神だけど時には人を殺す非情な決断もするの。圧倒的な力で敵を殲滅した事もあるのよ。イザヨイにもきっといつかそんな時が来る。だから覚えておきなさいね』

(あぁ……ビナスママは、あの時なんて言ったっけなぁ……)


「どいて! ディヒール!」

(セレットはお姉さんみたいで優しかったんですの……なのに……もう動かない)


「ごめんね、本当なら貴女を止めるべきなのは分かってる。でも、でもね……私には……無理だ。そんなに強くはなれないんだ……ごめんね……」

(強くない? なら、イザヨイもそうですの。パパ達がいなきゃ、パパ達がいればこんな事には……)


「お願い……セレットの仇を……」

 そのせせり泣くピスカの言葉が耳に届いた瞬間、幼女の中で何かが弾けた気がした。


『悲しくて、哀しくて、どうしようもなく許せない敵がいたら、その神の銃を抜きなさい。それは断罪の光。全ての罪は、私が背負ってあげるわ』


 ーープツンッ!


「絶対に殺してやるーーッ!!」


 __________


「さてさて、牙王の馬鹿どもを殺して隠し財宝を奪ったら、そのまま大国シンへ向かいますよ」

「ご主人様、亡命先はやはりアルジール様の領地でしょうか?」

「言いたい事は分かるが、心配はない。その為にこの『聖女の嘆き』を手に入れたのだ。関わった者の口さえ封じてしまえば、純金貨千枚なんて馬鹿みたいな金額も払わずに済むだろう?」

「…………」

 執事は沈黙を保ったまま、静かに主人の言葉に耳を傾けた。


「あの女狐が我輩を利用するならば、このアイテムで従順な雌犬に躾けた後に領地の実権を握ってやれば良いのだよ。そうだなぁ……子供の一人でも孕ませてやれば大人しくなるだろう」

 腹を叩きながらコーグストは嗤う。大国シンにおいて五大貴族の内が一つ、ベルル家の現当主ベルル・アルジール。

 高価な調度品に目が無く、付き合いも深い相手だが、決して気を許してはいけない間柄である事は重々承知していた。


 首都カルバンの王、ジェーミットによる王城への招集の文から、既に自分の悪行は露見していると予想し、亡命を決意した矢先に提案が成されたのだ。


『大国シンには貴殿を受け入れる準備がある』

 この甘言を深く考えずにコーグストは好機と捉えた。それでも保険は必要だ。

 そして、『聖女の嘆き』をもってすれば、どんな状況もひっくり返せると考えた。


「さぁ、我輩の幸福は永遠に続くのです!」

「ーーーーッ⁉︎」

 勘付いたのは執事のみ。一瞬で馬に乗る主人を抱き抱えると、牙王のアジトへと続く森の樹木を蹴り、空中へと跳んだ。


 ーーズザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!


 バキバキと音を立てる事もなく、金色の閃光を浴びた場所は灰燼と化す。

 それは決して美しい光景などでは無く、大地を割り、木々を喰らい、隊列を組んでいた私兵を骨すら残さぬ塵へ還した。


「ハアァァッ⁉︎」

「やはり、いましたか……」

 執事は少年達を屠る際に、一つの疑念を抱いたのだ。この程度の実力の者が牙王の首領ギザンを『万が一』にも倒せる筈が無い、と。


 ならば結論は一つ、『三つ星』に加担した第三者の存在。

 そして恐らくその者は、『怪物』か、己の理知を超えた『化け物』である、と。


「ご主人様、我々はもう終わりです。唯一の救いは、その『聖女の嘆き』を敵に使えば生き残れる可能性があるという事ですが……」

「嫌だ! これは我輩が大国シンで実権を握る為に必要なアイテムだぞ! こんな所で使ってたまるか!」

(やはり、そうなるか……)


 執事に名は無い。記憶を失い彷徨っていた所をほんの気紛れで飯を与えられた。たったそれだけの理由で一生の恩とし、生涯仕える事を決めたのだ。

 幾度も悪に手を染めた。最初の頃は指示される殺しの所業に嫌悪していたが、ある雨の日、レジスタンスの幹部の子供を殺した時に見てしまう。気付いてしまう。


 ーー水溜りに反射した自分の両頬が、つり上がっている事実に。


 執事はいつからか、殺人に快楽を覚えてしまっている事を知ってしまってから、こんな日が来る事を予見していた。


「コーグスト様。初めて貴方様に救われた時のご恩、忘れてはおりません。今までありがとうございました」

「な、何を言ってるのだ! お前にはこれからも仕事があるんだ! 我輩の元から去るなんて許さんぞ!」

 慌てふためく主人の動きを見て執事は笑った。その表情に迷いは無く、ハッキリと答えを述べる。


「いえ、地獄でも仕えさせて頂きますよ。一緒に逝きましょう」

「お、お前は何を言ってーー」


 ーー第二波。

 先程より速度と威力を増した、金色の閃光。

 女神の神気の出力をより高めた、『神銃ロストスフィア』の一撃。


 どこに逃げようが、どこに隠れようが、全てを把握する女神の娘から放たれた断罪の光が、容赦なく悪を討つ。


 悲鳴すら上がらぬ森の隅で、イザヨイは静かに空を見上げた。

 もう触れられぬ温もりセレットを想い出し、涙を零す。


 __________


 パパが何度も言ってた。この世界は優しく無いんだって。

 それでも『聖域』を出てから、幸せ過ぎて信じられなかったんですの。


 だって、みんなが優しかった。温かかった。

 何も怖い事なんて無かった。


「……箱庭ですの」

 レグルスはパパ達が作ってくれたイザヨイの為の箱庭。チビリーが隠れん坊の途中、ボソッと漏らした呟き。


「こういう事でしたの……」

 突然、全身の力が抜ける。初めて人を殺してしまった。


 もう、イザヨイはパパ達の子供ではいられないんですの。


 だって、悪い子になってしまったのだから……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る