間話 一周年特別編 『女神と殺し屋』

 

 目の前には、銀髪を靡かせた女神が立っている。


 今日、この日をもって終わりを迎えるであろう俺の人生は、幸福だっただろうか。

 人としての尊厳を失い、怯えながらコソコソと生きてきた。


 ーーそう、初めて人を殺したのは十二歳の頃だ。


 いつもの様に『廃棄』された野菜を漁っていただけ。

 だって、問題は無いだろう? 捨てられて爛れた、色の変色した野菜をゴミ箱から拝借した所で、誰に迷惑をかける事など無い筈だ。

 それでも姿が見つかると、店主はまるでを獣を見る様な目つきで棍棒を叩きつけられた。

(痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い)


 ーーいつまで、我慢すればいい? 

 ーーいつまで、ひもじい思いに耐えれば良い?

 ーーいつまで、毎日味わう血の味に慣れれば良い?


「もう限界さ……」

 俺は懐にしまった錆びた短剣を抜くと、野菜売りのおっさんの首元へ刃を突き付け、ーー動脈を裂いた。

 暖かな血が噴き出す光景を呆然と見つめながら、脳内では必死に打開策を考えるしかない。


 この魔王の国、レグルスにおいて殺人は最も重い罪だ。俺が捕まれば廃屋で面倒を見ているガキ共が路頭に彷徨うことは容易に想像出来た。

(隠せば良い。事実を隠し通せば良い)


 ブルブルと震える手から短剣を地面に落とし、固まった指を解す様に開いていく。壁にもたれ掛かるとゆっくり深呼吸をした。


「早く、帰ろう……みんなが待ってる」

 この時の俺は理解してなかった。一度だけだと言い聞かつつも止まらなかった殺人行為が、この後にも罰せられずにいたのは、覚醒したリミットスキルのお陰だったのだ、と。


 __________


「ふむ、殺し屋イレイザーね。義賊を気取っていても、既に何人殺してるんだ?」

「およそ数十名に及んでるが、闇ギルドや盗賊に限っていて実態が暴けず、正式な数は不明だ」

「俺がレグルスで女神の加護を約束した以上、殺人は放っておけはしないな。ナナ、詳細の報告宜しくね」

 当たり前の様にレイアはナナへ情報の提示を求めた。アズラからは『不明』だと言われたが、己の相棒への信頼はその範疇を余裕で超えている。


 魔王は横で部下からの報告書を読み上げ、小さく溜息を吐いた。


「マスター。該当するスキルを持つ者が一名おります。名はギル、性はまだ未登録ですね」

「田中と同じスキルならちょっと厄介だけど、リミットスキルは?」

「いえ、タロウ程の隠匿性はありません。少々厄介なのは、『記憶』を改竄する可能性があります」

「ん? どういう事だ?」

「……いえ、マスターなら問題は無いでしょう。精神力の低い者に疑問を抱かせない程度のスキルですから」

「そっか。パネットと同じく気づいて無いんだろうな」

 精神系のスキルはステータスに左右される。一般人を惑わせても、レイア程の強者を惑わすのはおよそ不可能に近い。

 そして、高みを目指す者が多いレグルスにおいて、高い精神力を有する者の輪は広がり続けていたのだ。


 違和感を感じる力。そして、『女神の加護』という制約において一般人の死は許されてはならない。


「我ながら馬鹿らしい制約を課しちまったなぁ」

「マスターらしいのでは?」

「そんな事はないさ。こんな優しく無い世界で、誰一人死なせないなんて不可能だって分かってる。いつか『デリビヌス』と戦う時、あのクソ神は真っ先に俺の弱点としてこの国を狙うだろうよ」

「…………」

 ナビが軽く想像しただけで分かる。その時に主人が受ける精神的負荷は間違いなく『闇夜一世オワラセルセカイ』の封印を解く程に、深いダメージを与えるだろう。

 それこそ、悪神デリビヌスの狙いなのだから。


 ナナはこの時、一つの懸念を施したが口には出さなかった。


 __________


『数日後王都シュバン、スラムにて』


「悪いね、このレグルスでギル、お前の様な存在を認めるわけにはいかない」

「……分かってる。貴女様が統治する様になって、この国は確かに良くなってる。それでも俺はーー」

 ギルは短剣を抜き去ると、一瞬で銀髪の美姫の背後へ回り込み、首筋に刃を当てる。


「本当にごめんなさい。同じ様に俺は貴女を認められない」

「平行線だな……じゃあ、こうしよう。俺の首を切れたらお前の勝ちでいいさ」

「ーーーーッ⁉︎」

 愕然とする殺し屋『モドき』に、レイアはバンザイをして無抵抗の意志を示した。だが、その瞳は一切の負の感情を宿してはいない。

『お前にその覚悟があるのか?』ーーギルはそう問われている気がした。

 数分の後、殺し屋イレイザーは刃を落とす。この行為には義が無いと、元から理解していたからだ。ゆったりと空を見つめながら、女神に懺悔した。


「ただ、死にたくなかっただけです」

「知ってるよ」

「ただ、ご飯を腹一杯食べたかっただけです」

「知ってるよ」

「子供達は見逃して下さいませんか? 成長は早いもので、中には俺の行ってる事に勘付いている子もいるんですけどね」

「うん、それも大丈夫だ」

 頷く女神に対して、ギルは潔く首を垂れた。何人殺したかを思い出しながら、地面に透明な雫を落とす。


「お前さ、クズじゃないな。一度だけ死ぬ程痛い思いを味あわせてやるから、生まれ変われよ。文句を言う奴がいたら、同じ目にあってから言えって胸を張れ」

「……どう言う意味でしょうか?」

「いや、言葉通りだって。バカは一変死ね。んで、俺に尽くせ。正確には田中タロウ付きの副官だがな」

 踏ん反り返っって命令する女神を見て、自然とギルは笑った。言葉通りであればこれから自分は『死ぬ様な目に』合うのだろう。

 だが、なぜだか生きれる気がした。そしてその後、淀んでいた心と罪が浄化される気がしたのだ。自然と口から想いが漏れる。


「もっと早く、貴女様に会いたかった」

「なぁに、遅くは無かったさ。クズに落ちてるなら生き残れはしない。気力で耐えて見せろよ?」

「御意!」

 ギルは身を縮こませると最大限の防御体勢をとった。その瞳に迷いは無く、どれだけの攻撃を受けようが耐え切って見せると瞳に炎を宿す。


「ナナ、ターゲットロック。『獄炎球』発動、『天煉獄テンレンゴク』いくぞ!」

「……了解しました」

 ーーズザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!


 レイアは『獄炎球』に最大の炎を収束させ、最近出番の無かった技が撃ちたかったという理由だけで『天煉獄』を放ったのだが、灼炎はギルの身体どころかスラムの周囲を巻き込み全てを焼き尽くす。


 ナナが予想通りだと範囲を狭めたおかげで事無きを得たが、撃ったレイアですら青褪める程の深淵を覗かせる巨穴を作り出した。


「マスター。一応こうなる事を予測しており、独断で『セーブセーフ』を先程展開しておきました。魔術分のMPは神力で補いましたが、0になったのは変わりませんし、そろそろ説教が必要かと」

「ナナよ、一言だけ言わせてくれ。ありがとう……リセット!」


 ___________


『セーブセーフ二周目』

 女神は反省と共に、一瞬で意識を断ち切る程の熱いビンタをギルにお見舞いした。暫くして眼を覚ました男へ、微笑みを向ける。


「お前さ、これで一度死んだから許してやる」

「エッ?」

(許されたのだろうか。こんな事でいいのだろうか)

 だが、逡巡するギルに女神はハッキリと告げた。


「今後、田中タロウに仕えろ! 全身全霊をもってな! 貴様を暗部部隊副官とする!」

「はいっ!」

 どういう事だろう。何故だか眼前の女神様は蒼褪めている。でも、いい。


 ーー多分愚かな俺は一度死んだんだ。

 ーーここから全てを始めよう。


 会ったこともないが、田中タロウ様を支えながら、新しい人生を送るのだ。

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