閑話 その名は田中タロウ 3

 

 女神の国レグルスの王都シュバンでの日々は、僕の常識を覆す出来事に満ち溢れていたんだ。

『成人の儀』を迎えるまでの数日間、一人で街の観光をしつつ冒険者ギルドへの登録を済ませようと動いていた矢先、ーーとある事件に巻き込まれた。


「おい、そこの坊主。お前人族だよな?」

「えっ? はい……そうですけど……」

 人混みが凄過ぎて弾かれるように迷い込んだ路地裏で、突然真っ黒なローブを羽織った男に話し掛けられる。

 覗いた掌と声からして、僕よりふた回り以上歳をとった人物だと推測出来た。

 明らかに纏う雰囲気が友好的では無かったので警戒心を露わにすると、直ぐ様背後に回り込まれて腕の関節を極められる。


「ぎゃあああああっ!」

「うるせぇ! これ以上痛い目に遭いたくなけりゃさっさと金を寄越せ!」

 身のこなしから見て、アルガスさんが警戒しろと言っていた『闇ギルドの冒険者崩れ』に間違いない。

 僕は激痛に呻きつつ懐から残された銀貨の詰まった袋を取り出すと、勢い良く空中へと放り投げた。

(このまま渡しても、口封じに殺されるかもしれない……それなら!)


「何しやがる! このクソ餓鬼!」

「誰か……助けてくださああああああああああああああいっ!」

 男が金に目が眩んで拘束が解かれた瞬間、僕は全力で叫んだ。情けなくてもいい、絶対にこんな所で死ぬ訳にはいかないんだ。


「良く頑張ったすね少年! 『断罪者チビリー』参上!」

「えっ⁉︎」

 声の先にいたのは、ーー両手と右脚を上げてダサいポーズをした変態だった。瞼を一回擦ってもう一度見つめ直すと、何故か桃色のテカテカと光った衣装コスチュームを身に纏った『断罪者』が、内股で悶えている。


「あぁ……やっぱり何度格好良く登場してもあの視線で見られるっすよ〜! ご主人は絶対こうなるのが分かっててやらせてるっすね! でも、そこがいい!」

「…………うん。変態だ」

 抱いていた憧れを返せ。そして、その格好良い二つ名ネーミングに謝れ。僕が遠い眼をしていると、銀貨を拾った暴漢は必死に逃走を始めた。


「畜生! またてめぇか!」

「あらら……見た覚えのある阿保を発見っすよ〜! 牢屋で一ヶ月、鍛えられて反省しても懲りなかったっすかぁ〜? 職まで紹介されておきながら馬鹿っすねぇ?」

「うるせぇ! あんな拷問みたいな訓練で、反省なんかする訳ねぇだろうが!」

「じゃあ、また戻るっすよ!」

 そのピンクの変態の言葉の直後、黒いローブを揺らせながら男は絶叫する。


「い、い、い、いや、嫌だアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああ!!!!!!」

 全身から脂汗を流し、見る見ると青褪める表情を見て何故か僕まで身震いした。一体どんな訓練を受けたんだろうか。ちょっと気になります。


「だ〜〜めっす!」

「ひいぃぃぃぃぃっ!」

 腰を抜かして慌てふためいた男の背後には、いつの間にかもう一人の『断罪者』がいた。僕が驚きに眼を見開いて視線を上下させると、ーー変態が二人に増えている。


「ファ⁉︎」

 思わず変な声を上げてしまって途端に恥ずかしくなった。その間、屈強な男はいつの間にか拘束されて地面に寝そべっている。

 観念したのか喚き声一つ上げずに、「もう綱引きは嫌だ」とブツブツ呟き続けていた。


「もう無事っすよ少年! では、さらばっす!」

「えっ、ちょっ!」

 聞きたかった様々な疑問を問う前に、ピンクのテカテカした衣装の変態は、男の首根っこを掴んで消えてしまう。

 お礼くらいはと思ったけど、何故か言ったら負けな気がした。

 いつの間にか掌には、さっき放り投げた銀貨の詰まった小袋が握られている。感謝すべきなんだろうけど、変態に夢を壊された事実から目を背ける訳にはいかない。


「忘れよう……」

 一言呟いた後、僕は何事もなくカナリアの宿へと向かう。女将さんのご飯は美味しいけど、折角だからこの前食べたサンドイッチを夜食にしようと閃いた。


「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」」

「こ、今度は何だ⁉︎」

 歓声が轟く先へ駆け出した。街の通りには、とてもこの世のモノとは思えない光景が広がっていたんだ。


 伝説の魔獣。銀狼フェンリルの背中に乗りながら手を振る天使。その腕の中では、獣人の幼女が嬉しそうに、屋台の『アメリカンドッグ』と呼ばれていた料理を口いっぱいに頬張っていた。


 __________


「美味ですの〜! はいよ〜シルバーですの〜!」

「こらこら、ちゃんと民衆に手を振るのを忘れては駄目よ? 女神レイアの娘として、恥ずかしく無い行動を心がけなきゃ料理は没収ですからね。分かったイザヨイ?」

「はーい、アリアママ! 跪け愚民どもですの〜!」

 右手を掲げて悪の幹部の様な態度をとる幼女を見て、天使は深い溜息を吐いた。この頃、イザヨイに真面な教育をしても、それを塗り替える阿呆が家庭内に存在しているからだ。

 ーーしかも、心当たりが多過ぎた。


「……これは親の躾の問題になるのかしら? その台詞を教えたのはだぁれ?」

「チビリーですの〜! 選ばれし者は民を見下すケンリ? を得られるから、早く大人になってねって言われたんですの!」

「そう……帰ったら調教が必要ね」

「イザヨイもやる〜!」

 キャッキャと喜ぶ義理娘の喜ぶ顔を見て、何処と無く愛しい夫レイアの面影を思い起こしてアリアは微笑む。獣人の幼女の額を人差し指で突くと、約束を交わした。


「子供にはまだ早いわ? もう少し大人になったら私が教えてあげるわね」

「む〜! 約束ですの?」

「えぇ、その時はレイアも誘いましょうね」

「パパも一緒なら、きっと楽しいですの!」

 この時、将来的にロストスフィアで身を焼かれる未来が約束されたペットが、ピンクの衣装に身を包みながら一人、屋根裏で悶えていた事実は誰も知らない。


 __________


「あれが『紅姫』か……天使なんて初めて見たなぁ」

 美しかった。神々しかった。そして、ーー憧れた。銀色の羽根に心を奪われたと言っても過言じゃない程に、僕は『特別スペシャル』になりたいからだ。

 ずっと子供の頃から自分には何か眠っている力があって、それは『成人の儀』で職業を得てから目覚めるものだと『夢』を抱いていたんだ。


「明日、全てが決まるんだ。僕の『英雄譚』はそこから始まる!」

 正直にいって、高望みはしてない。軍人としての教育を受けてきた僕からすれば、『勇者』はまず無理だろう。

 何世代も前の直系の血筋に『騎士』がいる事は確認済みだ。でも、狙うべきは稀少レアな職業がいい。


 ーー『賢者』

 ーー『聖騎士』

 ーー『星詠み』


「村人は嫌だ。村人は嫌だ。村人は嫌だ。村人は嫌だ〜〜!」

 宿の部屋に戻った僕は、手を合わせて女神セイナに願い続けた。いよいよ明日、ーー運命が決まる。


 __________


『王都シュバン、フルイ神殿にて』


 次々と同年代の子供の職業に神託が降される中、僕はガチガチと震える身体を必死に抑え込む。普通は前に並んでいる女の子みたいに、親や肉親が緊張しない様に手を握ってくれるんだ。


 ーーでも、家を飛び出した僕には誰もいない。


「一人は……やっぱり怖いな」

「大丈夫。君は一人なんかじゃ無いさ」

「えっ⁉︎」

 そっと握られた手が温かかった。いきなり話しかけられて驚いたけど、俯いた顔を上げた視線の先には、銀髪の美しい女性が柔和に微笑んでいたんだ。

 何でだろう。初めて見るのに僕の事を何でも知ってくれているかの様な、慈愛に満ちた表情を浮かべていた。

 ーー不思議と安心する。

 ーー自然と、震えが収まるのが分かる。


「あの……誰かは存じませんが、このまま手を握っていてくれますか?」

「うん。君の神託と命名式が終わるまで俺は側にいるよ。タロウ」

「ありがとう御座います」

 今思えば、この時に気付けば良かったんだ。『どうして僕の名前を知っているのか』、と。

 この時の僕は緊張し過ぎていて、只々安心感に包まれていた。


「次! タロウよ。前へ!」

「はいっ!」

 一歩前に進み出ると、偉大なる神官様から額に刻印を塗られ、いよいよ『神託』が降りる。


「ふむ。お主の職業は『暗殺者アサシン』じゃ!」

「ファッ⁉︎」

「ほうほう。そう来たか……狙いとは少し違うが、『あり』だな」

 僕は眉を顰めながら、抱いた疑問を神官様へと向けた。お姉さんは何故か顎を抑えながら、『うんうん』と頷いている。

 職業『暗殺者アサシン』なんて聞いた事が無い。

 そりゃあ稀少レアな存在になりたいと願ってはいたが、『闇ギルド直行です!』みたいな職業は真っ平御免だ。


 暗殺ギルドや闇ギルドのメンバーは殆どが冒険者崩れなだけで、職業は別にあると聞いた事がある。『暗殺者』なんて、そっちの界隈で有名になりそうで嫌すぎる。


「えっと、やり直しは……」

「出来んな。それより世界初の職業かもしれんぞ? どんなスキルが発現するかも分からぬし、これからお主は有名になるかも知れぬ。あるいは神の恩恵ギフトである、『リミットスキル』を得られる可能性もあるのだ!」

 神官様は興奮しながら両肩を掴んで熱弁し始めた。気付いて欲しい。その当の本人である僕の冷めた表情に、是非気付いて欲しい。


「まったく嬉しく無いんですけど……」

「タロウ君。決まってしまった職業はしょうが無いから、次は名字を決めようね?」

「は、はい……」

 お姉さんに微笑まれて、漸く我を取り戻せた。そうだ。せめて名字だけでも僕は『特別スペシャル』な選択をするんだ。

 やっぱり格好良いのは『灰羽ハイバネ』だな。カナリアの宿の女将さんから読み方を教わった時、全身がブルってしたんだ。僕のセンスは間違いない。


「それでは、このレグルスで『成人の儀』を受けた者の義務として、これから名乗る『名字』をこのリストの中から決めよ!」

「はいっ! 神官様、既に決めている名字が御座います!」

 リストは事前に入手したんだ。選ぶ迄も無いさ。

 これから僕が名乗る名前は『灰羽タロウ』。職業は『暗殺者』。目立たなそうで少し不満はあるけど、『村人』よりは良い。ーー断然ましだ。


「ならぬ! 女神レイアの定めた規律に従い、このリストの中から決めよ!」

「ファッ⁉︎」

 この神官は何を言ってるんだ。女神のリストが更新されたなんて情報は無い。今年から新しい名字が増えたのか。

 だが、それならそれで構わない。既に『灰羽』を選んでいる人はいる筈だ。新しい名字も気になるけど、僕は直感に従って生きるんだ。


「問題ありません。僕の決めている名字は、このリストの中にもう存在してい、るは、ず、で、す、、か、ら……?」

 あれ、僕の眼はおかしくなったのかなぁ。それとも、このリストが間違っているのかな。いやいや、まさかそんな訳は無いよね。


 ーーだって、分厚いリストのページをどれだけ捲っても『田中タナカ』が並んでるだけだもん。


「田中、田中、田中、田中、田中、田中、田中田中田中、田中田中田中田中田中田中田中田中タナカタナカタナカタナカタナ田中田中田中中田中田中田中田中田……」

 おかしい。間違いないなくおかしい。これはリストじゃ無い。だって、ーー選択肢が存在してないもの。


「あの……これ、田中タナカしか無いんですけど?」

 僕が一言呟いた瞬間、神官は閉じていた瞼を『カッ!』と見開いて答えた。


「おめでとう! 今日からお主の名字は『田中』じゃ! 今ここに、『田中タロウ』の成人の儀を終える!」

「えっ! ちょ、ちょっと待ってください! 僕まだ質問しただけで決めた訳じゃーー」

「ーー田中タロウ君。おめでとう!」

 僕の言葉を遮って祝福される。何故か神官様と綺麗なお姉さんは、親指をサムズアップしながら、アイコンタクトを交わしていた。


「最早意味が分から無いんですけど……」

「大丈夫だよ。君にはこれから『選ばれし者』としての使命が待っているからね!」

「お姉さんは一体、ーー何者なんですか?」

 この時の僕は、もう告げられる答えを分かっていたのかもしれない。それでも聞かずにはいられなかったんだ。


「俺は女神レイア! 君がこれから暮らすこのレグルスの女王であり、女神であり、GSランク冒険者だ! ちなみに職業『暗殺者アサシン』は俺が考えた三つのレア職業の一つだぞ。嬉しいか? 俺的には『忍者』か『殺し屋スナイパー』でも良かったんだけどな!」

「あぁ……やっぱり……貴女が女神レイア……」

 こうして、僕の『英雄譚』は女神の『こんなキャラが欲しい』という意味不明な言葉から、不自然に捻じ曲げられたのだ。


 でも、この時の僕はどこか高揚感を覚えていた。


(女神レイアに選ばれた。つまり特別な存在じゃ無いか!)

 胸をときめかせながら、眠れぬ夜を過ごしたのだ。


 過去に遡り、この時の自分に会えたら是非こう言いたい。


 ーー今直ぐ逃げろ。この先に待つのは地獄だぞ、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る