第238話 たとえ、君が俺を忘れても 4
あぁ……忘れたくない。
私の今までの人生を全て犠牲にしても構いません。どうか……愛しい人の事だけは忘れさせないで下さい。
「れ、いあ、さ、ま……」
何度となく、幾度となく震える唇を噛み締めて唱え続けた。
今の私にはなんの力も無い。ゼン様は捕らわれ、ステータスも神力も封じられ、ザッハールグ改も奪われた。
残されたのは、信じる想いだけだ。
ーーあの人と食べたご飯が美味しかった。
ーーあの人と触れた身体はびっくりするくらい熱かった。
ーーあの人と笑い合った瞬間に、生まれて良かったと幸せを感じられた。
「あ、のひと?」
差異であった記憶の綻びが徐々に広がり、何かが崩壊する様な弾ける音が鳴り響いた。
「れい、あさ、ま……?」
そうだ。絶対に愛する人を忘れる訳にはいかない。
ーーパリンッ!
「…………ッ⁉︎」
決意を固めた直後、唐突に私の意識は閉ざされたのだ。
__________
「おかえり、コヒナタ」
「えっ? ただいま、ワーグル?」
「悪い夢は覚めたんだな。ネイスットの言っていた事に、やっぱり間違いはないんだな!」
「何の事か分からないけれど、やたらと身体が重いですね」
「水と食事を用意してあるんだな。ゆっくりと食べるといいんだな」
コヒナタは手脚を拘束していた枷を外され、ワーグルの言われるがまま食事を摂る。
「何か頭の中がもやもやするのですが……ラーナス様はどうなったのですか? 王位選定戦は?」
「心配する事はないんだな。兄上は病から別国で静養しているし、無事に僕が王になってゼンガを治めているんだな」
「そう、でしたか……」
コヒナタは、大切な何かを失ってしまったかの様な消失感に胸を締め付けられる。だが、どれだけ考えても『理由』が分からなかった。そこへーー
「眼を覚ましたのでありますか、お姉様!」
ーー勢い良く部屋の扉を開け、薄っすらと涙を浮かべた
「あら? そんなに急いでどうしたのかしら?」
「いえいえ、お姉様が眼を覚ましたと聞きましたので、走って来たのでありますよ」
「うふふっ! それじゃあ一緒にお茶にしましょうか?」
「はい! すぐに菓子折りを用意するのであります!」
小さなドワーフの兄弟は手を繋ぎ、貴賓室へと向かう。去る瞬間にネイスットは漆黒の
『ザッハールグ』の兄弟機とも呼べる『レーゼンセルン』を装着した
ーー敵対勢力の殲滅へと。
__________
地下牢を抜けて直ぐに皆が違和感を感じた。本来いるべきである執事、メイド、見張りの兵、文官達、何処を見渡しても人っ子一人いやしないからだ。
「まるで滅びた城みたいだな……」
レイアの呟きを聞いて、ドルビーは眉を顰める。本来の打ち合わせでは城に潜り込ませていた仲間と合流し、効率的に事を運ぶ筈だったからだ。
(あいつらは一体どうしたんだ……)
古参のドワーフ同士、その安否が思いやられる。
「ドルビー、気持ちを切り替えろ。ここはもう戦場だぞ」
「あぁ……すまねぇ」
ガジーはコツコツと両拳を鳴らしながら、静かに瞼を閉じて集中力を高めていた。いつもの斧やハンマーを振り回す戦闘スタイルから、拳闘士の如く『ミスリルのグローブ』を装備して近接戦に特化した形へと移行している。
一方ソフィアはレイアの側で、付かず離れずの距離を保っていた。以前の不意打ちを受けた己の未熟さを糧として、裂帛の気合いを見せる。
「二人共、気負い過ぎだよ。闘気が漏れると逆に危険だから落ち着きなさい」
ガジーとソフィアは女神に窘められ、背中を軽く叩かれると互いに見つめ合い微笑んだ。
「申し訳御座いません。少々焦ってしまっていた様です……」
「面目無いっす軍曹……」
「大丈夫だよ、二人の気持ちは伝わってるからさ」
レイアは誰よりも暴れ出したい衝動を押さえ込んでいる。平静を装っていても、唇から滴る血は隠せずにいた。
その表情を見たからこそ、場にいた全員は冷静さを取り戻せたのだ。
(コヒナタ……今行くからな)
暫く人気の無い城内を進むと、突然バッカーデンが『神剣ゼフォーリス』を抜き去り構えた。
「来るぞ! 俺の背後に隠れろ! リッキー結界を!」
「邪なる者の牙を阻め! ワールシールド!」
ーーズガガガガガガガガガガガガ、ガガガガガッ!
扉を破壊し、城内の壁を破壊しながらレイア達に迫ったのは、レーゼンセルンから放たれた『一式』の巨大鉄球だった。
「ぐおおおおおおおお〜〜!」
バッカーデンは神剣の腹で鉄球の勢いを削ごうとするが、予想外の圧力に膝を折る。リッキーの張った結界を滑り、『一式』は床を貫通すると止まった。
ーーただの一撃、たったの一撃。だが、力を示すには十分な一撃だ。
「とんでもねぇな……」
「ザッハールグじゃない……これは一体なんだ?」
レイアは冷や汗を流すタイタンズナックルのリーダーの肩口から、覗き込む様に武器の形状を観察した。
「コヒナタが作った訳じゃ無い。なら何で、心霊石に神気を込める必要のある武器を、お前が使えるんだよ?」
女神の視線の先にいたのは、口元を三日月に歪めたドワーフの王、ーーワーグルだった。
「それを僕が答える必要は無いんだな〜。ネイスットから貰った力とだけ言っておくんだな」
「なるほどね。さては爺の奴……やらかしたな?」
「ーー⁉︎」
レイアの推論を聞いて、ピクリとワーグルの眉が動く。その反応を見逃す筈が無かった。
「俺と騙し合いをしたいんなら、もう少し知恵を磨いてからにしろよ馬鹿王」
「くふふっ! やっぱり何処までも嫌悪すべき存在なんだな。大人しくしていれば、痛くしないであの世に送ってあげるんだな!」
「だなだなうっせーよ! キレてんのはこっちも一緒だっつーの!」
ワーグルは徐々に神気を解放し、ゼンから遠慮なく搾取する。だが強烈な輝きを前にしても、女神が動じる事は無かった。
「よしっ! 行きなさい! 助さん、格さん頼んだぞ!」
「「いやいやいや! ーー誰っすか⁉︎」」
マッスルインパクトの二人は、おそらくノリから自分達の事だろうと察しながらもツッコミは欠かさない。
「コホンッ! 失礼、間違えた! とりあえず、あんな鉄球を食らったら今の俺じゃ即死だ!」
「さっきまでの
ガジーは一気に脱力して、薄目でレイアを睨む。
「馬鹿王もイラつくが、ネイスットの為に力は温存しておきたい。時間稼ぎを任せていいか?」
「はい! 倒してしまっても構わないのでしょう?」
「うん……でもソフィア、その台詞はフラグ……いや、何でもない」
「レイアよ、コヒナタ様を頼んだぞ! 俺は後ろから二人をサポートする!」
現実から眼を背ける女神に一歩歩み寄ると、ドルビーは自らの決意を述べた。
「無理するなよ、爺さん?」
「なぁに、自国の王の目くらい覚まさせてやらぁな!」
ガジー、ソフィア、ドルビーが前に進み出て陣形を組むと、レイアは勢い良く走り出してバッカーデンの背中に飛び乗った。
「な、何だいきなり⁉︎」
「良いから黙って俺の馬になれ! こんな絶世の美女の感触が味わえて幸せだろ?」
「…………確かに役得だな」
「ふふっ! どさくさに紛れて尻を触ったらその瞬間首チョンパだからな?」
「何じゃいその生殺しは!」
文句を言いながらもレイアをおぶったバッカーデンと横に並ぶリッキーは、ワーグルの脇を抜けて走り去る。邪魔されるかと危惧していたが、左手のレーゼンセルンがピクリと動いた直後に、ガジーは一瞬で懐に飛び込み超近距離から拳打を放った。
「軍曹に任されちまったからな。暫くの間付き合ってくれよ!」
「雑魚の分際で生意気なんだな……」
「ーーーーシッ!」
苛立ちを隠せずにいる王の真横から、左腕を負傷させて攻撃力を落とそうと図ったソフィアの斬閃が疾る。
ーーキインッ!
金切り音が響くと、鎖が自動で捻りながら攻撃を防ぎ、剣を弾いた。
「やべぇな……二式まであんのかよ」
ガジーはこの場にいた誰よりもワーグルの武器について詳しかった。初めてザッハールグが作り出された時の女神と鍛治神の神話の如き戦いと、コヒナタの修練の過程を見ていたからだ。
変貌する王の様子を見て、焦燥感から額にジワリと汗が滲む。女神の命令は思っていた以上に酷な内容であると三人は理解した。
「それでもやるしか無いのよ!」
「あぁ、マッスル魂だ!」
「…………敵は……殺す」
無表情のまま歪な雰囲気を晒す王は、最早傀儡と化している。壮絶な死合いが始まった……
__________
「コヒナタ⁉︎ 良かった無事だったんだね!」
バッカーデンに案内された部屋には、薄っすらと微笑むコヒナタが『一人』で立っていた。レイアは背中から飛び降りると瞳に涙を浮かべながら愛しき嫁を抱き締める。
タイタンズナックルの二人は、神官の邪魔が入らないか警戒していた。
「心配したんだ……本当に心配して、俺……不安で……」
「…………」
「どうしたの? もしかしてそのアイテムの所為で口が聞けないとか?」
反応のないコヒナタの様子から、レイアはもしやと思い『失忘の円環』に触れる。だがその直後ーー
ーードスッ!
「えっ? な、何で……」
「さようなら。弟の敵は、私の敵なのです」
コヒナタは腹部に刺した刃渡り20㎝程のナイフを捻って傷口を広げる。レイアは完全に油断から『
生暖かい血液の温度を感じながら、意識を閉ざす寸前に目にしたモノはーー
ーー哀しげに涙を零す
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