第239話 たとえ、君が俺を忘れても 5

 

 城の窓を突き破ると視界に飛び込んで来た光景を前にーー

 ーーガルルルルルルルルルッ!

 唸り声を上げながら、獣の本能を全開にしてコヒナタへ襲い掛かった銀狼フェンリルは、背後から迫る凶悪なプレッシャーを感じて真横に退いた。


「おや? 流石はSランク魔獣と言った所でありますか」

「うげっ! 嫌な臭いがするのです〜〜!」

 ゆっくりと姿を現したネイスットから感じたのは、『異質』の一言。

 背中にへばり付いて寝ていたイザヨイは、突然眼を覚ますと眉を顰めて鼻を摘んだ。チビリーはその様子を見て、不思議そうにシルバに合図アイコンタクトを送ると、かつてない程に警戒している師匠の緊張が伝わる。


『チビリー、絶対に気を抜くな。正体は分からないが、彼奴は私以上の化け物だと思って対応しろ!』

「了解っす! ご主人はどうするっすか⁉︎」

「イザヨイを守りながらでは余裕が無い。正直……隙を見せれば皆がヤられる」

「コヒナタお姉ちゃんがいるから平気ですの〜!」

「…………」

 どう考えても状況的に、今のコヒナタは味方と判断出来ないだろうとペット二人は視線を交わす。


『私があの敵の相手をしている間、主の傷を見てくれないか?』

「大丈夫っすよ! 自分の『分身改』なら師匠のサポートをしつつ、ご主人も見れるっすからね!」

 やんやんと鼻を摘んで掌で臭いを散らしている幼女イザヨイを背中から下ろすと、シルバは一気に殺気を解放した。輝く銀毛が逆立ち、目玉は正気を失ったかの如く真っ赤に染まる。


 チビリーは先程見る事の叶わなかった、災厄指定魔獣『フェンリル』の本気に思わず生唾を飲んだ。しかし、殺気を打ち付けてられているであろう神官ネイスットに焦る様子が一切感じられない。

 気掛かりはあったが瞬時に二体の分身を発動させ、一方をコヒナタの捕縛へ、もう一方をレイアの治療へと向ける。


「貰ったっすよ! 大人しく捕まるっすコヒナタさん!」

 ーーボキッ! ゴキンッ!

「ーーえっ⁉︎」

「……お姉様に触るんじゃ無い……」

 分身体の首が突然あり得ぬ方向に捻じ曲がり、四肢を破砕された。シルバは広い視界からその様子をハッキリと見てとれたが、何が起こったのか理解出来ぬままにいる。

 チビリーはガクガクと震える膝を無理矢理叩き、レイアへ回復薬を浴びせる事に成功したが、そのまま地面へ崩れ落ちた。


「これ、は、キッツイっす〜」

 リミットスキル『分身』の実像化による弊害、ーーそれは分身体が受けた痛みの『帰還フィードバック』にある。

 分身体の数により軽減されるが、ダメージ量が多過ぎる場合、肉体と精神へ負荷が掛かるのだ。


『休んでろ! 何をされたのか分かるか?』

「多分認識出来ない何かに潰されたっす……もう、だめ……」

 チビリーは気を抜くと一瞬で気絶しそうな激しい痛みに悶えながら、銀狼フェンリルに後を託した。


「まずは一人であります。それにしてもフェンリルでありますか……実に『美味しそう』でありますね?」

 舌舐めずりをして一歩近付いたネイスットを見て、シルバは一つだけ確信を持った。

 ーーそれは、眼前に迫る存在が自らと同じ『捕食者』であるという事実。


『私を餌と呼ぶか。良いだろう!』

 スキル『神速』を発動させ、銀色の閃光が部屋の中を縦横無尽に疾る。視界に捉えられぬ程の動きで徐々に敵の首元へ狙いを定めた直後、ロストスフィアの神撃が城の壁を貫通して天へと放たれた。


『ーーーーッ⁉︎』

「チッ! 感のいい子供でありますね」

 驚愕に眼を見開いたシルバは、一瞬だけ目視に成功する。それは第六感に優れた自らが認識出来ぬ、見えざる『触手』であった。

 イザヨイは口を広げてまんまと捕食されつつあった銀狼を救うべく、ホルダーから『二丁神銃ロストスフィア』を抜き去りネイスットを牽制したのだ。


「これ以上、みんなを虐めるのはメ〜!」

「……欲しい。そのスキルも欲しいのであります」

「臭いから絶対にイヤ〜!」

 あっかんべーをしながら、不機嫌になった幼女は一瞬で部屋の壁を掛けるとシルバの背中に飛び乗る。


「イザヨイがあのうねうねさんを撃ちますの!」

『ハハッ! 頼りになるな! 攻撃を受けるんじゃ無いぞ?』

「了解ですの〜!」

 敬礼すると、イザヨイはすかさず四方向に閃光を放った。それは紛れもなくネイスットの触手を破壊し、削り取る事に成功している。


 意識が己の背中の幼女に向いた隙を突き、シルバは前脚の爪で未知なる存在を強襲した。その鋭き爪は太腿を深く抉り、ハッキリとした手応えを感じさせる。


『まだまだ!』

「ダメ! 離れて!」

「邪魔な存在がまた増えたでありますか……これだから虫どもは……」

 イザヨイの忠告を聞いて銀狼は方向転換し壁に張り付いた。血を流しながら膝をついた敵は、突然圧倒的な邪気を身体から放つと、次第にその様相を変貌させていく。


 ーー本当に、美味しそうでありますなぁ〜〜!

『「ーーーーーーッ⁉︎」』

 ジュルジュルと涎に似た体液を、身体中に浮かび上がった口から流しながら、細やかな触手の一本一本に眼と口のついた悍ましい風貌に、首元から生えたもう一つの顔がシルバ達を睨み付ける。

 背中から生えているのは黒き天使の翼。一匹と一人は常人より優れて嗅覚に直撃した腐臭から、思わず表情を歪めた。

「は、吐きそうですの〜!」

『これは、我等にはキツイな……堪えろイザヨイ!』

「うげえぇぇぇ〜!」

 吐き気を堪えるが、もはや幼女は心を折られていた。『超感覚』の弱点とも言えるのは、視覚の代わりに優れている他感覚の一つでも欠落すると、誤差が生じる事にある。


『お前は一体何なのだ?』

 銀狼の問いに、もはや人とも呼べぬ悍ましい怪物は答えた。


「この姿を見れば大体理解出来てるんじゃ無いのでありますか? 『悪神の魂の欠片』を宿し、本来『シールフィールド』に封じられし特異魔獣、『悪癖ネイスット』。ーーそれが自分の正体でありますよ」

『その数々の肉体は、喰らったのか?』

「えぇ、スライムなどが使うスキル『捕食』に、スキルイーターの能力『複製コピー』と、どっかの冒険者が有していた『記憶保存メモリー』を組み合わせて、どんな存在にもなれる様に『調整』したのでありますよ」


 ーーさて、お遊びはこの位にするのであります。


 その一言が告げられた瞬間、シルバは全速力で回避行動に移った。イザヨイがフラつき、ダウン寸前の今、絶対に自分が喰われる訳にはいかないと悟ったからだ。

 敵が自らの正体をベラベラと喋るのは、自信と余裕の表れからだと野生の感が告げる。


『逃げろ! 逃げろ! 皆を連れて逃げろ!』

「残念……そこはもう既に自分の『範囲内テリトリー』でありますよ」

「ワオオオオオオンッ!」

 フェンリルは突然右脚を何かに掴まれ、肉を引き千切られる。ブチブチと音を立てながら途轍も無い激痛に襲われるが、残った三本の手脚を動かし、レイアとコヒナタ、チビリーの回収に専念した。

 皆を咥えると最初に壊した窓から脱出しようと必死に宙を駆けるが、そこへーー

 ーーザクッ!

「ワウッ⁉︎」

 コヒナタは先程と同じく虚ろな眼から涙を滴らせながら、短剣でシルバの脇を刺した。自身の身体が放り投げ出されるのも厭わずに、城の上層から宙を落下する。


 ダメージからその場にいた誰もが動けずにいた中、ーー銀狼の背中を蹴り、飛び出した存在があった。

「パパッ⁉︎」

 イザヨイは朧げな意識の中、肉親の匂いが離れていくのを感じ取り叫ぶ。

 コヒナタは既に意識を失っており、レイアは乱れる息を整えながら、頭を守る様に空中で引き寄せ抱き締めると、落下しつつ胸の内を曝け出した。


「コヒナタ。たとえ、君が俺を忘れても……何度でも俺は君を好きになるし、君に惚れて貰う為に助けに行くよ。どんなに離れても、異世界に飛ばされても、神様が相手でも……俺は勝つ! そして君を愛し続ける! だから……戻って来い! 女神である俺の元へ!」

 地面に落下する直前、女神と巫女の身体は金色の輝きに包まれる。

 ーーパリンッ!

「れ、いあ様?」

 コヒナタの額に装着されたら失忘の円環が真っ二つに割れ、レイアの背には『女神の翼』とは違う漆黒の翼が生えていた。

闇夜一世オワラセルセカイ』の制御で生み出した翼をはためかせ、地上に降りた途端に嫁の痛哭ツウコクが場に響き渡る。


「わ、私は何て事を……忘れないって決めたのに……自分の手でもしかしたらレイア様を……」

「気にしなくて良いさ。どうやらスキルを封じられても、ヴァンパイアの真祖の血が傷を塞いでくれたみたいでさ。いつかセンシェアルが起きたら感謝しなきゃな!」

「でも……でもぉっ!」

「いいから黙れ!」

「んむぅっ〜〜⁉︎」

 レイアは強引に涙を流すコヒナタの唇に自らの唇を重ね合わせると、激しく舌を絡めた。徐々に蕩けていく巫女の瞳に満足すると、額を重ねて提案する。


「きっとそろそろなんだ。コヒナタは最強のパーティー『紅姫』の家族であり、俺の嫁だろう? こんなに好き勝手されて腹は立たないのか?」

「……立ちますね」

「だろう? それでこそだが、ディーナに全部出番を奪われて借りを作りたいか? きっとご飯のおかずも献上する羽目になるぞ?」

「……絶対に嫌です。他の嫁には負けたくありませんし、おかずも譲りません」

「なら、やる事は決まったな」

「はい、決まりましたね」

 次第にコヒナタの瞳に力が戻り、封印されたままの絶望的な状況は変わらないが『誇り』は取り戻された。


「コヒナタはザッハールグの回収に向かってくれ。俺はその間、ーーあの化け物の相手でもするさ」

「大丈夫なのですか? 意識は乗っ取られていましたが、聞こえた内容は覚えています」

「倒すのは無理でも時間稼ぎは出来るな。何よりあいつの正体を知って俺は喜んだ位だよ。ーー相性の良さにね」

「ーー??」

 レイアは漆黒の翼を広げると、コヒナタを抱いてシルバの元へ向かう。


「無茶を言うけど、聞いてくれるか?」

『主の望みならば聞こう』

「俺があの化け物と戦ってる間に、コヒナタを乗せてザッハールグの元まで運んでくれ。シルバなら匂いでわかるだろ?」

『了解した。ただ、今の主の力では……」

「大丈夫さ。俺もね……『色々』と成長してるんだよ。イザヨイとチビリーを守りながらじゃ大変だと思うが、よろしく頼む」

 その台詞の直後、レイアの金色の両眼のうち、右眼が黒く染まる。銀髪に黒のメッシュが混ざり、能力の解放が見てとれた。


「さて、どっちがどっちを喰らうかねぇ?」

 口元を三日月に歪め、禍々しいオーラを放った女神は空へ舞い、再びネイスットと対峙する。


 __________


「おぉ、クラドよ! 見えて来たぞ〜!」

「絶対に僕の指示があるまで『火具土命カグツチ』は撃っちゃダメですからね! あっちのワクワクしてるお父さんも止めて下さい!」

「父上も久し振りに大暴れ出来ると滾っておるのう〜〜!」

「ちょっ! 僕の言う事聞いてます⁉︎」

慌てる少年をおちょくりながら、愉快そうに竜姫は応える。


「聞いてるですの〜〜!」

「やめて⁉︎ イザヨイちゃんの真似やめて⁉︎ 言っておきますが、僕の中で言う事聞かないランキング一位と二位ですからね!」

「ん? 一位は誰じゃ? おっ、そろそろか。皆の衆〜、行くぞ! 大暴れじゃあ!」

「あれ? 今大暴れって言いましたよね⁉︎ やめて、急降下はやめて! ドワーフの皆さん逃げてえええええええええええええええええ〜〜!! 駄目な竜、一位が行くよおおおおお!」

 気絶しそうな風圧に耐えながら、上空より半泣きの少年を背に乗せた白竜姫と、竜の山の頂上付近に住む『竜の里』の精鋭であるドラゴン達。

 総勢『成竜』八十匹前後による、ドワーフの国ゼンガ建国以来、最悪の襲撃が始まる。

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