第192話 Gの恐怖……

 

 嘗ての深淵の森と全く違う雰囲気を纏うダンジョンに、足が竦むのを必死で堪えていた。

 娘の前で泣き言なぞ言えない……何より、本来一番怖がっていい筈のイザヨイが一番無邪気にこの状況を楽しんでいる。


「パパ〜! 早くですの〜!」

「あははぁ〜! 待ってくれよ〜。ーー本当に待ってくれぇーー!」

 突如、右下から黒虫が飛び出してイザヨイに襲い掛かった。ギチギチと鋭い牙を生やし、何本もの脚がせわしなく蠢いている。

「危ない!」

 護神の大剣を投擲して、アズラが樹の幹に黒虫を突き刺した。そして、不思議そうに此方を向いて問い掛けてくる。


「姫よ。棒立ちでどうしたんだ? 普段なら俺が気付く前に双剣かエアショットで潰しそうなものを……」

「えっ⁉︎ う、ううん。何でも無いんだよ。次は大丈夫だから」

「心無しか旦那様の手が震えている様な……」

「き、気のせい、気のせいだからね」

「…………レイア様?」


 皆が不思議そうに見つめてくるが、認める訳にはいかないと頑なに強がった。この時、素直に話していれば、この後起きる恥辱は回避出来たのかもしれない。


 歩いているとGへの恐怖とは別に、胸に懐かしさが込み上げる光景もあった。封印の洞窟に向かうまでの間に、懐かしきフォレスウルフの群れを見かけたのだ。

 力量差があり過ぎて最早近付いてすら来ないがーー

「あの狼も食べようとしてたなぁ〜」

 ーー微笑ましく見つめている。何故か涎が溢れていた。


「マスター。そろそろ昔拠点にしていた場所に辿り着きますよ」

「やっぱりナナが進化している分、進むのが早いね」

「この面子ですからね。余程の変化が無い限り、攻略は容易でしょう」

「余程の変化があったんだけどな……もしかして、奴等の拠点ってあのオーククイーンと戦った場所?」

「封印の洞窟を強化したって事ですから、仰る通りでしょうね」


 脳内で会話を繰り広げていると、ある名案が浮かんだ。満面の笑顔でナナに向かい提案しようとするがーー

「嫌ですからね」

 ーーピシャリと先手を打たれた。己が閃いたという事は、相棒であるナビには即理解されてしまうのだ。


『インフィニットプリズンで滅殺しちゃおう!』その一言は告げる前に封殺された。嘗て夢幻の森の妖精擬きを一気に圧死させた奥義は、放たれる事は無かった。再び窮地に落とされる。


「パパ〜! この先って何かとっても大きな虫さんがいるですの〜!」

「えっ⁉︎」

「例のキメラ化した黒虫か?」

「確かに近くにつれて、正気が増していますね。神降ろしが必要でしょうか?」

「大丈夫だコヒナタ。氷魔術で凍結し尽くしてくれる」

(良かった。やっぱりこの三人なんだかんだ余裕がある……巨大化したGなんか見た日には気絶ものだ。視覚情報を切ろうとしていたけど、まだ様子を見よう)


 額からダラダラと溢れる汗を、ビナスとコヒナタがせっせと拭ってくれていた。二人は今の状態に凡その検討をつけている。

 気付かぬは肝心の騎士だけだ。こんな虫くらいで女神が怯む訳は無いのだと、寧ろ体調を気遣う勘違いをしていた。


「あっ! 入り口発見ですの〜!」

「本当にイザヨイちゃんの超感覚は凄いですねぇ。盲目なのが信じられません」

「俺も本当にそう思うよ。もしかしたら、それが今回は救いなのかも知れないけどね」

 実際にGの姿を見て、嫌悪感を抱かぬ筈が無いと決めつける。それも、洞窟入り口が近付くに連れて不愉快な擬音が響き渡っているのだ。


 ーーギチギチッ、ギチギッ、ッギィィ!

 もう分かった。入り口に入らなくても分かった。ナナからの報告も、イザヨイの超感覚も、ビナスのサーチすら無くても理解した。


「完璧に奴等の巣だぁ……」

 鳥肌が立ち、皮膚が粟立つ。背筋に走る悪寒から再度ブルブルと震え上がった。

「行きますの! 先頭はやっぱりパパですの〜!」

「ふぁ⁉︎」

 心底びっくりした。己の娘じゃ無くてアズラであったなら、股間を蹴り上げている所だ。

(拙い……先頭だけは何としても避けねばならない)


「ごめんねイザヨイ〜! パパは殿って言って、背後から迫り来る敵からみんなを守らないといけないんだ。だから最後尾なんだよ〜!」

「おぉ! パパは偉いですの。流石ですの」

「分かってくれて嬉しいよ!」

 勝った。乗り切ったと心の中でガッツポーズを取った瞬間。まさかの伏兵からコークスクリューブローを食らってリング外へ飛ばされた。ーー「姫よ。殿なら俺が務めるから気にするな!」

「おぉ! アズラも偉いですの。これでパパと先頭を歩けますの〜!」

「ははっ、あははははっ……」

 血涙を流しながら、アズラを睨み付ける。まるで親の仇を見つけた復讐者の如き憎々しさだ。


「レイア様。ご無理をなさらずに」

「コヒナタ……ありがとう。でも漢には時に退けない時があるんだ」

「旦那様! 私に任せてよ! 殲滅し尽くすからね」

「ビナス……ありがとう。出会ってからここまで君が居て良かったと思う日は無い」

「姫よ。殿は俺に任せて、思う存分戦ってくれ!」

「アズラ……貴様は絶対に城に戻ったら殺す!」


 ーー「ふぇ⁉︎」

 魔王から素っ頓狂な声が発せられ、途端にダラダラと汗を流しながら焦燥感に苛まれる。予想出来たのだ。きっと何か逆鱗に触れたのだろう。ーーしかし、心辺りが無かった。


 一致団結の成されぬまま、封印の洞窟攻略が始まる。

 __________



 視覚情報を遮断し、ナナからの暈された脳内でマップのみで内部へ侵入を開始する。イザヨイはコヒナタが直接護衛しており、すぐ背後にはビナスがいつでも魔術を放てる様に控えてくれていた。


「ギギイィィィィッ!」

 ーー瞬断。天井から落ちてきた黒虫を真っ二つに斬り裂く。次々と羽音を立てながら向かってくる黒虫を神炎の焔が焼き、魔剣の閃光が両断した。その動きは、流れる水の如き美しさと清廉さを兼ね備えている。


『紅姫』は何の心配も要らなかったと安堵した。ドワーフの巫女とメイドは胸を撫で下ろし、イザヨイは動きの速さを感知しながら、まるで模倣する様に身体を動かしている。

 徐々にズレていた感覚が重なり合った。普段なら止める筈の三人は、驚愕に目を見開いてその親子の様子を見つめている。


 次第にレイアの動きにイザヨイが追い付いていくのだ。二人で演舞を踊っている様にしか見えない。

 その美しさに生唾を飲み込む。しかし、当の本人達は一切その凄さに気付いていない。


 一方は、冷静なフリをしながらGを倒すのに夢中だ。

 一方は、全力を出してもまだ感覚からブレる親の姿に追い付きたくて興奮している。

 次第に、イザヨイは離れた場所で同じく黒虫を拳と蹴りで殲滅し始めた。

 仲間達もそれを皮切りにG排除に取り掛かるのだが……


「うおっ! 姫、危ないぞ!」

「キャッ! こっちにも斬撃が」

 連携が一切とれていない。台風の目の様に迫る黒虫を倒す姿に目を向けるとーー

「モルモが四十二匹、モルモが四十三匹、モルモが四十四匹ーーーーッ!」

 ーー瞼を閉じて、最早狂乱していらっしゃった。紫色のネバネバした体液を身体に浴びて、気持ち悪さから限界寸前だったのだ。

(目を開けた瞬間に、ーー俺はきっと死ぬ)


 断固たる決意をもってして、近付く対象を殲滅していく。仲間達はその様子を見て退避した。確実に巻き込まれると判断したのだ。


「もしかして、姫って昆虫が駄目なのか?」

「呆れてしまいますね。今更気付いたのですが? さっきからずっとサインは送っていたではありませんか」

「しかし、あの状態じゃ救ってやる事も出来ないな。イザヨイは何で平気なんだ?」

「多分、敵を狩りつつレイア様の動きにも反応しているのでしょう。恐るべき子供ですね」

「見かけはコヒナタとあまり変わらんがなぁ」

「…………」


 無言のまま進行を続けると、最奥部が見えて来た。扉の内部からは、より邪悪な気配が漂っている。ナナが制止する様に先程から何かを言っているが、最早羽虫と何かが潰れた音しか耳には聞こえない。


「ーーーーれぇっ!」

「ーーーー駄目だぁ!」

「ーーーー様!」

 仲間達の声が遠いが、大丈夫だと親指をサムズアップする。見なければ良いのだ、見なければ耐えられる。


 ーードゴオオオオオオオオオオオオオオオンッーー!

「がはあぁぁっ!」

 無防備に最奥部へ侵入したレイアを待ち受けていたのは、無数のGが合体して、二足歩行するキメラへと生まれ変わった姿。身体中から脚を生やし、不思議と頭部には表情がある様に映っている。

「ギチチチチチチチチチッ!」

「パパーーッ!」

 冷静さを欠いていたとはいえ、気配を感じさせずに女神の神体を吹き飛ばし、ダメージを与えられる程の敏捷と膂力を兼ね備えていた。


「コヒナタ! 神降ろしだ!」

「えぇ、アズラ様も麒麟様を!」

「待て二人共。私に任せて欲しい」


「いててぇ〜! 久しぶり痛かったなぁ。一体何が……あっ」

 頭を振りながら、まともなダメージを受けた事に驚いていた。直後、反射的に眼前の敵と、己の身体を直視してしまう。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 声にならない絶叫を堪え、在ろう事かイザヨイの駆け寄る最中、父親の威厳など木っ端微塵に崩れさる程のスピードで泡を吹いて気絶した。

「パパ〜!」

「レイア様⁉︎」

「ビナス、本当に俺達が力を解放しなくても平気なのか?」


「……あぁ、試して見たい魔術があるから」


 ビナスは紅玉のロッドを構えて、警戒するキメラの元へ歩き出した。


 __________


「んっ……うぅん」

「パパが起きましたの〜!」

 目を覚ますと、余りに冷えた洞窟の温度に驚いた。気絶してしまっている間に何があったのか仲間に向けて視線を送ると、其処にはーー

「…………」

「…………これが魔術の王」

 ーーコヒナタとアズラが信じられないものを見た様に、その瞳に怯えを宿している。


「ウフフッ。この程度かぁ」

 紅玉の双眸を輝かせながら、ヒラリと身を翻すメイドの姿。劇の終わりの挨拶を締めくくる様に、スカートの裾を摘んで優雅にお辞儀をする。


「一体何が……」

「ビナスお姉ちゃんが、氷で虫さんを一瞬で凍らせちゃったんですの!」

 壁際には逃げようとしたのか、必死で足掻いた姿が想像出来るキメラの氷像があった。表情は絶望に塗れている様だ。


「さぁ、旦那様。宝を片っ端からワールドポケットに詰め込んで帰ろ?」

「う、うん……」

 帰りはみんなの気遣いに甘えさせて貰い、一人『神体転移』でヴァレッサの元に戻る。アクアで身体を洗い流しながら、ナナに問い掛けた。


「ビナスはそんなに凄かったのか?」

「……あれは最早、人が持って良い力ではありません。久し振りに恐怖を覚えました」

「そっか。でも助けてくれたんだから、帰ったら沢山お礼をしなきゃな〜!」

「ノアか……」


 その後、皆でシュバンに戻る最中の出来事。

「今回のパパは格好悪かったですの〜! だからビナスお姉ちゃんと手を繋ぎますの!」


 誤魔化されず、しっかりと父親の威厳は失われていた……


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