第184話 『絶氷と遠雷』 4

 

 テセレナを失い、憎しみと激情に捉われた筈のビナスは、ミナリスが驚く程冷静に事を成していた。

 魔王になる為の第一歩として、テセレナの後継となるべく最年少で第二魔術部隊隊長の座に就く。


 残りの部隊も各自隊長を選出するが、王都中の話題はビナス一人が独占していた。

 それは魔術部隊隊長を決める際の、ある出来事が関係している。実力主義、勝ち抜き式の戦いの場へ突如現れた幼女はーー

『フレイム』

 ーー唯の初級魔術一つで、残りの魔術師達を圧倒した。


 そして、全部隊隊長の死の原因を作り、魔王に反逆したと悪評が広まったテセレナの弟子だと自ら名乗りを上げたのだ。


「私の師を侮辱する者は遠慮なく掛かって来い! 灰燼に帰すか、凍てつき四肢を破壊される覚悟を決めてからな!」


 挑発とも言えるその宣告に反して、名乗りを上げる者はいなかった。放たれた威圧に、心臓をわし掴みにされたかの如き恐怖を覚えたのだ。


 __________


「ビナス様。本当にお会いになるのですか?」

「あぁ。老人が態々招待してくれたのだろう? 我に断る理由はありはしないさ」


 ミナリスの心配する様子を気にもせず、城内を楽しげにスキップしながら応えた。

 ーー突如、魔王ギリナントに隊長として招集されたのだ。


 四人の隊長の就任式はまだ先の筈なのに、ビナスだけが呼ばれるのはおかしい。

(ギリナント様と、ビナスを会わせても平気なのだろうか?)

 ミナリスは付き添いとして、何も起こらない様に願っていたが、その淡い希望は瞬く間に消し去られる事になる。


 ーー謁見の間の扉が開かれた。


 一瞬だけ瞼を閉じて、目を見開いた先に居たのはーー顎に手を掛け、ニヤニヤと嗤う白髪の老人だ。黒を基調とした豪華なローブを見に纏い、己を見下す下卑た視線を向けている。


「想像通りね。良かった」

 ビナスは、安堵しながら胸を撫で下ろす。


「ほう。我を前にしても怯えないか小娘」

「怯える訳がないでしょ。小者相手に時間をかけるのも惜しいわ。要件を言いなよ」


 ミナリスは、ビナスの口調が元に戻っている事に気付いた。逆にそれが恐ろしい。素の自分を曝け出してしまう程に、動揺しているのでは無いかと懸念するがーー


「お前の覚えた禁術の理を我に示せ。テセレナの禁術も同様だ」

「黙れ。誰が爺如きに教えるか。大人しく引退しなよ」


 ーー違う。動揺ではない、純粋なる怒りだと感じ取った。

 徐々に謁見の間の圧力が高まっていく。互いに魔力を解放しようと、意識を切り替えたのだ。

 それは即ち、この場で戦闘が行われるという合図でもあった。


「二人共落ち着いて下さい! この場で戦ってしまっては、無関係な者に被害が出てしまいます!」

「そんな事にはならん。我に逆らう生意気な小娘に、お灸を据えてやるだけだからな」

「ミナリス、下がってて。大丈夫! 爺ごと外に出るから」


 互いに右手に紅玉と翠玉のロッドを構え、同時に叫んだ。

「「転移!」」

 謁見の間から姿を消すと、普通は互いの想定した都合のいい場所へ相手を引き込もうとするが、ビナスは抵抗する事もなく、ギリナントの指定した場所へ転移した。

 弾き出された場所は、シュバン外周から離れた見晴らしのいい草原だった。


「かははっ! ここは唯の草原では無いのだ。貴様の様な反逆者を我が直々に始末すると決めた時に、呼び込む仕掛けが為されておる」

「それがどうしたの? 小者や老人が小細工するのは仕方が無いでしょう。非力で脆弱なんだから。それ位気にしないよ」


「木兎生意気な小娘だな。では這い蹲って許しを乞うまで、可愛がってやろう」

「いいから掛かって来なよ。そろそろ私も限界なんだ」

 紅玉のロッドの先端が揺れている。爆ぜそうになる気持ちを必死で堪えているのだ。


「テセレナを葬り去った術だ! この程度で死ぬんじゃ無いぞ⁉︎ メルデスフレア!」

「……」

 ビナスに向かって黒炎が燃え盛り、螺旋を描きながら小さな身体を飲み込もうと襲い掛かる。無言のまま、紅玉のロッドを構えると、同じく紅い灼炎を放った。


 しかし、両者の魔術は規模が明らかに違う。ビナスの炎魔術は直ぐ様、黒炎に取り込まれた。

「かははっ! 何だその弱々しい炎は? 巫山戯てるのか」

「黙って見てなよ」


 ーーフッ!


 蝋燭の火を消すかの様な所作でビナスが掌へ息を吹きかけると、瞬時に黒炎は消え去った。爆発するでも無く、音を立てて弾き消された訳でも無い。


 ーー消失したのだ。


「一体、何をしたのだ小娘⁉︎」

「解らないならもう一度試して見たら? この陣の中って、爺の消費魔力が抑えられる術式が組み込まれてるんだよね?」

「な、何故解った!」

「一眼見れば余裕だよ。爺が私をそう弄る様に研究所に命じたんだろうが。老人は物覚えも悪いみたいだね」


「希望通り、先程よりも魔力を込めて焼き殺してくれるわ! メルデスフレア!」

「禁術を覚えたいから戦ってる癖に、私を殺してどうするんだよ。本当に馬鹿な爺だな」


 ーー『フレイム』


 先程と同じく、黒炎がビナスの炎を飲み込んだ瞬間、霧散した。二度見ても理解出来ない光景に、魔王は思わず後退る。


「答え合わせをしてあげるよ。爺の最上級のメルよりも、私の初級魔術の方が威力が上だって事だ」

「はっ? 何を馬鹿な事を言っているのだ小娘。魔術の理屈上、そんな事有り得る訳が無いだろうが」

「いやいやいや、単純な話さ。魔力量も、MPも私の方が桁違いなんだよ。認めろ。何度撃っても無駄だ」


 ビナスは両手を広げるとーー

『どうぞ? 好きな様に撃ってごらん?』

 ーー可愛らしく首を斜めに傾げて、挑発の視線を送りながら、嬉々として口元を歪めている。


「メルデスフレア! フレイムランス! シンフレイム!」

 大地から流れ込んで来る魔力に物を言わせ、炎系魔術を連発するが、ビナスの張ったシールドに罅すら入れる事が出来ない。

 次第に、ギリナントへ『現実』という二文字が圧迫する。

「嘘だ! こんな事が有る筈が無い!」


「あははっ! 良い顔だ! 最高の気分だよ! 私は考えた。考え抜いて決めたんだ! 爺、お前は殺さない。地位も、名誉も、プライドも、全てを私が奪い尽くしてやる。そして生き抜け! 惨めに生かされるんだ。勿論、魔王として私が命じてやろう。貴様はこの国を追放だ!」

「まだ……負けた訳では無いぞ!」

「馬鹿が。凍れ、アイスレイズ」

 ギリナントは貴重な装備の恩恵も発動させ、己の身に多重結界を張っている。どの様な高度な魔術だろうが余裕で弾き返せると、高を括っていた。


 結果として、一瞬で全身を凍結させられ、あっさりと敗北する。殺さない様に、死ねない様に、動けない様に丁寧な仕事振りを発揮されたままにーー

「さぁ! これが様々な者達を苦しめ、自由に好き勝手生きてきた馬鹿の末路だ!」

 ーーシュバンの大通りを、荷馬車に飾られた氷の彫像が、見世物にされながら闊歩する。


「あははははっ! あはははははぁ〜!!」

 ビナスは氷像の横で、腹を抱えて大笑いしていた。しかし、ミナリスは気付いている。その瞳から零れ続けている涙が、決して歓喜の涙では無い事に……


(私が支えてみせねば。ビナスがいつか本当の意味で、笑える様になるまで)


 その後、ビナスは『魔術の王』、真の意味でレグルスの魔王として君臨した。最年少で第四暗部部隊の隊長となったミナリスを参謀に置く事で、盤石の国制を整えたのだ。


 三年の歳月が経ったある日、魔獣の大群がシュバンへ向かっているとの報告を受けた魔王は、嘗てテセレナが見せてくれた雷の禁術の理を紐解き、己に合わせて変換した禁術を放った。


 ーー『ノア・アイリス』


 禁術を放たなければならない程の強大な敵でも無い。本当はメル級で充分殲滅出来たのだ。なのに、躊躇うことなく使ってしまった。


 眼前に広がるのは氷の世界。全ての生物、大地さえも時を止め、凍りついたーー死の世界。

「テセレナとの約束、破っちゃったな……」


 ビナスは、己が最後の境界線を超えてしまった事を理解した。

 一番凍り付いていたのは己の心だ。テセレナを失った日から、時間は止まったまま、絶氷の中で蹲っていた。


「もういいかな。死のう」


 神山で朱雀から賜った朱雀の神剣を喉元に当て、今まさに肉へ刃先が沈もうとした瞬間ーー

「この馬鹿! 良い加減にしなさい!」

 ーーパアンッ! 

 勢い良く音を立てて、頬を叩かれる。眼前のミナリスは顔を歪め、泣きそうになりながらビナスを睨みつけていた。

「ミナ、リス?」

「良い加減にしなさい! 私は貴女の部下であり、友達です! 勝手に死ぬなんて許しません」


「だって生きていても、何も無いんだよ」

「それなら、その身体を捨てて男になれば良いです!」

「えっ?」

 予想外の言葉に意表を突かれて、間抜けな声を発した。


「新しい人生を、男の魔王として歩めば良い! 良い暇つぶしになるでしょうよ」

「なんかミナリス、やけくそになってない?」


「えぇ、そうでしょうとも! 本当に馬鹿な友人を持つと大変ですよ」

「そっか……それも良いかもね。じゃあ教えてよ。そのスキル」

「貴女なら勝手に覚えるでしょう? それまで日替わりで性別を変えてあげますよ」

「……ありがとう。少し、女の方で、胸を貸して……」

 ミナリスは即座に性別を変えると、力強くビナスの頭を己の胸に埋めた。


「泣きなさい。テセレナ様は、きっと貴女を見守ってくれてる。貴女が苦しんでいるのを悲しんでる。だから、笑わなきゃ駄目なんです」


「うぐぅっ、うぐぅぅぅぅぅぅっ……」

「昔、聞いた事を思い出しました。ビナスは泣くのが下手で、堪えようとするから変な泣き声になるんだって、笑っていた人がいましたよ」

「う、うるさいっ!」


 ーーもう少しだけ生きよう。

 ーーテセレナとミナリスの為に。


 禁術によって齎されたビナスの『絶氷』と、テセレナの『遠雷』の物語は此処で幕を閉じる。


 そして、『三年後』運命の出逢いは訪れた。


 __________



 ーー「はっ! あ、あのだ、な! わ、わ、我の妻となるがいい!」

 ーー「報酬は我だ!」

 ーー「ねぇ、旦那様? 私の事……好き?」

 ーー「あヘぇ〜! やめて旦那さまぁぁ〜! 止まらなくなっちゃぅぅぅ!」



 ……ねぇ、旦那様。私の周囲を包み込む絶氷は、貴女に出逢えた時に粉々に砕け散ったの。

 思い出すと、我ながら馬鹿なことばかりしていたなぁって恥ずかしいけど、それだけ夢中だったんだよ。


 そして、テセレナを失ってから得られると思っていなかった温もりを、再び感じる事が出来た。

 私は……それ以上の愛を知ったんだ。


 貴女の大切な存在を守って見せましょう。もう絶望に囚われて、痛哭に身を捩らせる事が無い様に。


 __________


「離せ! このクソ餓鬼があぁぁぁぁっ!」

「黙れ。旦那様の為に邪魔なんだよ。この駄竜」

「畜生! なんでたかが氷を割れねぇんだ! ふざけるなぁ‼︎」

「当たり前だ。師匠譲りの我の最大の禁術だ。貴様如きに破れる訳があるまい」


 焦燥から邪墜竜は咆哮を周囲に轟かせる。そしてーー

「割れろ、割れろ、割れろよおぉぉぉぉぉっ! 許さないぞ! 絶対にこんな事許さないぞビナスーー‼︎」

 ーー大剣と双剣を懸命に振り回しながら、氷塊を砕こうと懸命に叫ぶレイアの姿があった。


 氷越しにビナスは額を擦り当てて、掌を翳す。


「ごめんね。許してくれなくてもいい。でも、ずっと大好きだよ。愛してる旦那様……」

「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーー‼︎」


 イザヨイを死のループ『夢幻回帰』から救う為に、レイアから奪われた代償……

 それこそが、ビナスだったのだ……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る