第183話 『絶氷と遠雷』 3

 

 テセレナと暮らし始めて一週間が経った。相変わらず肉とデザートのみの生活だが、ちょっとした変化もある。


「お姉ちゃん。今日は何をするの?」

「ちょっとした実験よ。ビナスのリミットスキルを知って、私なりに考えていた事があるの」

「魔術関係の事?」


「そうよ。貴女は多分魔術に関してなら、見ればその構成を理解出来るんじゃないかしら?」

「そうだね。ずっと、研究所で他の人の詠唱を見たり、魔術書を読んで覚えていたから」


「そして、覚えた魔術の理を紐解いて、オリジナルの魔術として再構成出来るのよね」

「うん。禁術もそうやって作った。時間はかかったけど」


「それなら、きっと足りないのは魔力とMPね。魔術の威力の高さに、レベルが釣り合っていないんだわ……」

「どうしたの? 大丈夫?」

「えぇ。私はなんとしても、ビナスを守ってみせるからね」


 この時に気付けば良かった。私は自分のリミットスキルをテセレナに教えてしまった事を、後に後悔する事になる。

 暫く手を引かれて山奥に入ると、拓けた場所に出た。私は見ているように言われ、丁度良い高さの木の根に座らされる。


「これから、貴女に禁術を見せます。最上級のメルを超えた、私の最大最強の魔術です。でも、約束して欲しいの。今はまだ絶対に使わないと。多分、魔力枯渇じゃ済まなくて、命の危険に晒されるわ」

「う、うん……約束するよ」


「良い子ね。じゃあ、しっかり見ててね」


 テセレナの身体が光り輝き出した。いつもは無詠唱なのに珍しく詠唱を唱えている。紅い宝玉をつけたロッドの先へ燐光が収束して、素直にその光景を綺麗だと思った。でもーー

「あ、頭が痛い……」

 ーー突如、頭痛に襲われる。流れ込んでくる知識量が多過ぎるんだ。それでも『理を外れる者』は、勝手に魔術を覚えてしまう。

「耐えなさいビナス! 貴女なら出来る筈よ。最後まで、しっかり見てて!」

「わ、分かった! 頑張る」


「雷の神トールよ。我が名はテセレナ。その大いなる御力の一端を、どうか貸し与え給え。殲滅の光、全てを焼き尽くす稲妻よ。降り注げ! 『ノアライトニングバースト』!」


 空へ黒雲が現れ、一瞬視界が真っ暗になった。私が驚きに包まれた直後、闇を切り裂く極大の閃雷が、山の頂に降り注いだ。


 ーーズガアアアアアアアアアアアアアアアアンッ‼︎


「キャアァァァァァァァァッ!」

 あまりの破壊音に耳を塞ぐ。本当は目も瞑りたかったけど、テセレナの言いつけを守って、しっかりと最後まで見続けた。


 視界が眩んで、流れ続けていた禁術の知識に耐え切れず、私はそのまま意識を閉ざしたんだ。


 __________


「我はそろそろ、我慢の限界であるぞ」

「はっ! 先日の禁術の無断発動といい、テセレナの行動は目に余りますな」

「しかも、勝手に魔王軍を抜けるなどとほざいておるらしいな」

「私の部下が確認した故、間違いは無いでしょうな。執務も放置しておりますし」


 謁見の間で玉座に座っている魔王ギリナントは、テセレナに対する報告を受け苛立っていた。

 隣に控える男は、第四暗部部隊隊長のベッテンだ。嫌悪している対象が勝手に自滅していく姿に、内心では腹を抱えて笑いたい程に、喜びを隠せない。


「それでは、各部隊隊長に命令下さいませ。魔王ギリナント様」

「うむ。テセレナを反逆の罪で拘束せよ。あの女には特殊なリミットスキルがある。それを我に使わせるまで殺してはならん」

「例の研究所を破壊して脱走した娘は、如何するのですか?」

「No.92は最高傑作だ。そして、禁術も覚えていると予測しておる。我が覚えるまで生け捕りにせよ」


「どちらも、魔王様を更に高みへ登らせる生き餌の様ですな」

「かははっ! どちらも極上の餌になってくれるであろうよ」


 謁見の間に、醜悪な笑い声が響き渡る。穏やかに暮らす二人の元へ、魔の手が伸びようとしていた。


 __________


「ビナス、貴女に私の全てをあげる。だから、絶対に生き延びるのよ。私の可愛い妹。大好き!」

 温かいなぁ。私はテセレナと一緒に寝るのが好きだ。牢獄の中で薄い布に包まって、寒さに震えていた頃が懐かしい。

 こんな時間がずっと続けば良い。テセレナと肉を食べながら暮らすんだ。私こそ、もっと強くなって守ってみせる。


 ぼんやりとした意識を覚醒させると、ベッドには私しか居なかった。まだ温もりが残ってる。どうしたんだろう?

「お姉ちゃーん! トイレ? それともまた夜中にお腹が減って、お肉を食べてるの〜?」

 返事は無かった。家の中を静寂が支配する。猛烈に嫌な予感に苛まれて、駆け出した。


 ーーいない。

 ーーお姉ちゃんがいない。


 入り口のドアを開けて外に飛び出すが、深夜の暗闇が映っただけだ。

「そうだ! サーチ!」

 探索の魔術を放つが、何故か魔力枯渇の状態に陥っていた。

「何で⁉︎ 私は魔術を使ってないのに!」

 焦燥感から汗が吹き出る。テセレナが私を一人残して、何処かに行く筈が無い。きっと、何かが起こったんだ。


 どうしよう。下手に動くのは危険だ。

「そうだ! MP回復薬があれば!」

 部屋の中を漁る。確か箪笥にしまっているのを見た事があった。急げ、急げ。


「一本も無い⁉︎ まさか、お姉ちゃんが持っていったの⁉︎」

 何で回復薬を全部持っていく必要があるのかーー

 ーー考えなくても解る。答えは唯一つ。『戦う』からだ。


 場所が分からない……魔力が無い……私は無力だ……


「お願い神様! テセレナお姉ちゃんが、無事に帰って来ます様に!」

 ベッドの上で膝をつき、私は只管祈り続けた。


 ーーお願いです。私の幸せを壊さないで。


 __________


「はぁ、はぁ、フレイムランス!」

「おっと、危ない危ない。どうしたんですか、テセレナ? 自ら魔王城に乗り込んで来た割には、随分と苦しそうですね」

「ベッテンの性格からして、今日辺り家を襲うと予測していたのよ。どう? 図星なんじゃ無いの?」

「くっ! その通りですよ。折角の準備が台無しです」

「マーレンとベルズは、何で見学してる訳?」


 第一騎士部隊隊長のマーレンと、第三召喚部隊隊長のベルズは訓練場で戦う二人を、壁際に凭れ掛かって眺めているだけだった。

「あたいは見極めてるだけさ」

「僕は、多人数で戦うのが嫌いなんですよ」


「巫山戯るな! 魔王様の命令だぞ? まさか、貴様らもテセレナの様に、反逆罪に問われたい訳ではあるまいな」

「反逆も何も、テセレナがそんな馬鹿な真似をする訳がねーだろ」

「ただ、軍を抜けるってだけで反逆の罪に問われると言うなら、他人事で済む話では無いですしね」


「うふふっ! 二人のそんな所好きよ。じゃあ、私がこの嘘つき野郎を倒せば、話は済むって事ね」

 テセレナはベッテンに向け、雷槍を連続して放つ。しかし、その威力は明らかに減衰していた。禁術を放った時の猛々しい勢いは皆無だ。


「遅いんですよ。その程度で私に勝てるなんて、自惚れるな!」

 瞬時にその場から姿を消すと、テセレナの背後の影から飛び出て、小太刀で背中を斬り裂いた。


「ヒール!」

「させません!」

 足払いして倒れたテセレナの太腿へ、小太刀を突き刺す。近接戦闘において、ベッテンは天と地程の差があるのだ。

 苦痛に呻く魔術師を見て、勝ち目は無いと見物している二人の隊長が目を伏せた瞬間、切り札を発動した。


「近付けば余裕だと、普通なら思うわよね? これを待っていたのよ!」

 突如、テセレナの身体から放電現象が起こり、掴んでいたベッテンの身体を感電させ、麻痺に陥らせる。

「なっ⁉︎ 自分の身体ごと雷魔術を発動させるだと⁉︎」

 痺れて動けないまま両者は地に伏せる。しかし、先に立ち上がったのはテセレナだった。


「ディヒール」

 回復薬を一気飲みして、倒れたベッテンを見下す。その冷酷な瞳に震え上がったその時、訓練場は炎に包まれた。四人が驚きに目を見開いた最中、魔王ギリナントが降臨する。


「メルフレイムストーム……手間をかけさせよるわ。ベッテンも油断しよって」

「「「魔王様⁉︎」」」

「魔王ギリナント……」


 ジリジリと肌を焼く炎の中で、テセレナはギリナントを睨み付けた。反逆、確かにその通りだろう。己の可愛い妹を、今も尚苦しめ続けている元凶が目の前にいるのだ。


 深夜、眠る度にビナスは涙を流して魘されている。本人は気づいていないのだ。いつも、その呻き声が収まるまで頭を撫で続けられている事に。そしてーー


 ーーその時のテセレナの瞳に、激情に駆られた憎しみの炎が灯っている事に。


「私は、貴方を王と認めない!」

「ほうほう。ならばどうすると言うのだ? お前のリミットスキル『譲渡』を使わせる為に、待つのは地獄の拷問だぞ」


 にやけた面で厭らしく笑うギリナントに向けて、逆にテセレナは穏やかに微笑んでいた。


「やっぱり、そんな事だと思ったわ。魔王といい、ベッテンといいもう少し思慮深く考えて動いた方が良いわよ?」

「ふっ。その程度の惰弱な魔力で良く吠えよるわ。ーー惰弱? 惰弱だと⁉︎」

「あら? 中々気付くのが早いわね。今の私は、並の魔術師以下の魔力しか無いのよ」


 ーーまさか⁉︎


「えぇ。私の魔力もMPも全て、可愛い妹に『譲渡』したわ。予言してあげる。いつか貴方の前に、怪物が現れるわよ。その時、地面に平伏して土下座すればいい! あはははははっ!」

「貴様あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 ギリナントは激昂に駆られ、吠えた。右手に炎を収束し、同時に詠唱していた禁術を発動する。

「骨の一片まで滅びろ! メルデスフレア!」


 黒炎が迫る。最後の回復薬を飲み尽くしたテセレナに、為す術は最早無かった。しかしーー

「ビナス。出来る事なら、貴方がこの方法を使わないを祈るわ。お姉ちゃんの分まで、幸せに生きてね」

 ーー生命力を魔力に変換して、禁術を放つ。


 雷光が全てを喰らい尽くし、訓練場を破壊した。遠く離れた者達からも見える極大の遠雷。そして爆発音。しかし、その中からギリナントは立ち上がった。


「危ない所であった。まさか命を削って禁術を放つなど、予想だにし得なかったな」

 転がった死体は三つ。第一、第三、第四部隊の隊長達は、瞬時に己の主人を守ろうと飛び出し、テセレナの禁術をその身で受け切ったのだ。


 ーーそして、テセレナのいた場所には、骨すら残らぬ影が地面に焼き付けられていた。


「手間をかけさせよって。まぁいい、No.92さえいれば、これから無限に禁術を作り出せるだろう」

 己の部下が死んだ事になんの感慨も湧かず、無表情のままにギリナントはその場を去る。兵士達の喧騒と困惑が城中に伝播していた。


 __________


「あれ……いつの間にか寝ちゃってたんだ……」

 瞼を擦り、いつもご飯を食べている部屋へ、真っ先に駆け出した。帰って来てる。絶対にお姉ちゃんは帰って来てるんだ。

 肉を焼いてる筈なんだ。野菜が無くて、文句を言う私の事を叱るんだ。ほら、近付けば肉を焼く匂いがしてくる筈なんだ。


「お姉ちゃん!」

 私が勢いよく扉を開けると、其処にはミナリスが立っていた。

「ミ、ミナリス? どうしたの? 一緒にお姉ちゃんを、探してくれないかな」

「ヒグッ、ウグッ、ウグゥゥゥゥゥ〜!」

「ねぇ、何で泣いてるの? やめて、泣かないで。聞きたくない」

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。


「聞いて、下さ、い。各部隊の、隊長達、は、死に、ました……」

「テセレナは、もう辞めたもの! その中に入ってない筈よ!」

「いえ……テセレナ様も、入って、いるんで、す……」

 落涙しながら、まともに喋る事も出来ず、身悶えるミナリスを見ていた。嘘はついてない。


 ーー嘘はついてないんだ……


「お願い、嘘だって言って? お姉ちゃんは、まだ生きてるよね」

「いいえ。テセレナ様は、死にました……死んだんです!」

 涙を零しながら、私の肩を掴んで必死の形相を浮かべるミナリスの顔は、鼻水も混じってグチャグチャになっていた。


 あぁ、現実なのね。

 あぁ、お姉ちゃんはもう、いないのね。

 あぁ、私の幸せは、閉ざされたんだ。


 ーーパキィィィンッ!


 私の中で何かが弾ける音がした。そして、私は壊れたんだと思う。


 ーーそれは幸せへと繋がる筈だった、未来への切望か。

 ーーテセレナを止められなかった、過去への悔恨か。


 もう、私には分からない。


 __________



「殺してやる……」

「えっ?」

「お姉ちゃんを殺したのは、誰?」

「あっ、えっ、その、情報からすると、魔王様です」

 ミナリスは、ビナスの紅く輝いた双眸に見つめられて、思わず吃ってしまう。圧倒的な威圧と巻き起こる魔力の奔流は、嘗て見たテセレナの力を優に超えていた。


「あ、貴女は一体……」

「そうだな。我は魔王になろう。ミナリス、城へ案内せよ。馬鹿な老人には退場して貰おうではないか」

「は、はいぃ!」

「殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやるぞ! 魔王ギリナントーーーーーー‼︎」


 ビナスの咆哮は、魔力を乗せて周囲に響き渡った。

 ここに、壊れた怪物は誕生したのだ。


 その双眸から、自らも気付かぬ程に涙を溢れさせながら……


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