第174話 女神の誤算

 

『十柱封印の間』


「出せーー! 此処から出しやがれ! 俺を騙したのか女神⁉︎ 許さん、ーー許さんぞ貴様らぁぁぁっ!」

 男は黒い靄に包まれ、牙を生やし蠢く黒手で己を縛り付ける封印の鎖を、既に二本引き千切っていた。


 ーそれは『闇夜一世』の更なる解放へと繋がる。


「ダメ! それ以上はレイアに影響を与えちゃうわ! 大人しく力を抑えて頂戴!」

 女神は神気を流し、十柱の封印を外側から包む様に強固にしつつ支えていた。


 神々の焦燥が場を支配する。かつて治めていた世界を男に喰らい尽くされた神は、その時に感じた恐怖が思い起こされ、身慄いしていた。


「ちくしょう! 絶対殺してやるぞ! ーークソ神共!」


 男は散々暴れ、女神が無事に収める方法を考えつつ逡巡したその瞬間、ーーレイアの機転で己とナナを封印した事で、男の力も同じく抑え込まれ、再封印に成功する。


「くそがあぁぁっ! レイアの奴自分の時間毎身体を凍結したのか⁉︎ 余計な真似しやがって」


 鎖に吊るされ力無く項垂れた男は、先程までの怒号が嘘の様に、弱々しく悲哀の涙を流し続けた。


「……何で黙ってたんだ」

「違うの。本当に知らなかったのよ……信じて」


「信じる事なんか、出来る訳ねぇだろが」

「じゃあ、私じゃなくてレイアとナナを信じて。周りには頼りになる仲間が沢山いる。きっと今回の件も、あの子を助けてくれる筈よ」


「……分かった。俺は暫く眠る。レイアの視線で事態を眺めていたいからな」

「それは、記憶を保った核として辛くは無いのかしら?」


「うるせぇ。そんな事言われなくても分かってる。最悪の事態になったら、俺は力を解放するからな」

「では、そんな事にならない様に私は祈りましょう」


 ーー女神と真剣な眼差しを交差させる。


 次の瞬間、男はまるで気絶した様に脱力し、物言わぬ人形の様に鎖に吊られていた。

 女神は胸元で祈る様に両手を組むと、その頬に一筋の涙が伝う。


「お願いレイア。イザヨイを助けてあげてね」


 __________



『東の国シルミル』


「ハイヨー! ヘルデリック号出発ですのーー!」

「ヒ、ヒヒイィィンッ!」


「おぉっ! なかなか速いぞ! 偉いですの〜!」

 ヘルデリックは口に手綱を咥え、馬になりきって庭を駆けている。

 背中に乗ったイザヨイが、嬉しそうに無邪気な笑い声を上げると、調子に乗って更に速度を増し続けた。


「あっ!」

 突如、背中の幼女が手綱を掴み損ねて、宙に放り出される。


 ヘルデリックは急停止して飜るが、距離的に間に合わないと目を伏せた瞬間ーー

「シュタッ! うん、今のも中々楽しかったですの!」

 ーー両手を広げ、見事な着地を決めた姿にに驚愕の視線を向ける。


「イザヨイよ……あ、足とか痛く無いのか?」

「えっ? 今の見事な着地を見てませんでしたの? しょうがない、もう一回見せてあげますの!」

「い、いやいい! 危ない遊びは禁止だ、私の心臓が保たない」

「みんなはもっと速いのに、ヘルデリックは臆病ですの〜!」


「ははっ! イザヨイは強い子だなぁ」

「しょうがないから、いざって時は守ってあげますの」

「どうしてそんな力があるのに、逃げたりしなかったのか教えてくれないか?」

 イザヨイの頭を優しく撫でながら、ヘルデリックは疑問に思っていた事を問うた。


 騎士団長である自分から見て、獣人である事も関係しているのだろうが、高いステータスを有していると本能が理解している。


 奴隷商人の雇った盗賊や、下位の冒険者など蹴散らせるだろうとーー

「……血の匂いが嫌いですの。それに、ずっと森でしか生きて来なかったから、正直知らない匂いだらけで、恐くて勇気が出ませんでしたの」

 ーー俯いた幼女を両手で抱っこして、語り掛ける。


「この城にいる間は、カムイ様や私の仲間達が、きっと守ってみせるからな」

 その決意は本物だ。幾ら同い年の子供と育った環境が違うとはいえ、大人である自分達が守ってやらねばどうすると、優しい瞳の奥に確固たる決意の炎を灯した。


「あ、ありがとうですの……」

 そのまま城に戻り食事を食べていると、一つ思い出した事をヘルデリックに告げた。


「そういえば、みんなが言ってましたの。イザヨイはこの森から外に出ちゃいけないって。怖い『アレ』に知られたら拙いって」

「ん? アレとは何の事か分かるか?」

「それ以上は、教えてくれませんでしたの」

「そうか、一応カムイ様にこの後報告しておこう。心配せずに沢山食べなさい」


「うん! 一杯食べますの〜!」

 ヘルデリックは優しい微笑みを向けながら、懸念にかられていた。

(あのカルーダはきっと、イザヨイと森で暮らしていた仲間だろう。だとすれば、他にこの子を狙う存在がいるという事になるのでは無いか? あのSランク魔獣が、恐怖する程の存在が……)


 急いで相談せねばと、騎士団長は嫌な予感を抱いていた。


 __________


『同時刻、獣人の国アミテア南部の無人島上空にて』


「ヒャハハハ! 爺さん〜また来たのかよ! 懲りねえ奴だなぁ〜!」

「煩い! お主だけはディーナの為にも、この世から消し去ってくれるわ!」


「無理だっつーの白竜王! その台詞も何度目だぁ〜? 正直聞き飽きたぜ」

「黙れ邪堕竜よ! いい加減に滅せよ」


 上空へ昇りながら漆黒の竜と、白く輝きを放つ竜が攻防を繰り広げる。白竜が放った極大のブレスは天空を裂き、雲を霧散させながら漆黒竜へと向かうが、突如爪が変形して真っ二つに裂かれた。


 白竜はその隙を突いて牙で首元へ噛み付くが、硬い鱗に阻まれる。


「爺さんの牙じゃ、俺の鱗を傷付ける事は出来ねぇって何回やりゃあ分かるんだ? ブレスの破壊力だけは認めてやるけどな」

「じゃあ、抵抗せずに焼かれよ! 避けるでないわ!」


「痛いって解ってて食らう馬鹿がいるかよ! ……ここ最近ある波動を感じてなぁ。そろそろ爺さんとのお遊びも、終わらせようと思うんだわ」

「大陸に戻るつもりか⁉︎ 行かせんぞ! 我を倒さぬ限り、この島の周囲からは離れられまいて」


 邪堕竜と呼ばれた竜は、無人島の大地から伸びる鎖に繋ぎ止められていた。それは定められた範囲から出られない様にする白竜王のリミットスキル『聖鎖』による封印だ。


「解ってるって。だからもう本気でいかせて貰うわ。じゃあな、爺さん」


 体長二十メートルを超える巨大な二竜の戦いは、意外な程にあっさりと決着がついた。

「何だ⁉︎ その身体は……」

「俺はなぁ。戦えば戦う程に強くなっちまうんだよ。爺さんとの戦いは良い訓練になったぜ〜?」


 見る見る隆起していく肉体から、無数の刃が生えてその形態を変貌させる。全身が武器だとでも言わんばかりのフォルムに、白竜王ゼハードは圧倒的な実力差と恐怖を抱いた。


 かつての竜王をもってしても止められぬ暴力、残虐性が牙を剥く。

「があああああああああああああああああああああぁぁぁぁーーーーっ⁉︎」

「ほらほら、もう少し抗ってみせろよ。白竜王!」


 漆黒の竜は身体を回転させ尻尾を巻き付けると、力を込めて抱き締めた。それだけで鱗を貫き、肉へ無数の刃が突き刺さる。


 ーーそのまま肉体を捻り、ゼハードを斬り裂いた。


 白竜王が怯んだ隙に口を大きく開き、漆黒の炎を全身に浴びせかける。

「ぎゃあああああああああぁぁーーっ!」

「お〜! 良い声で鳴いてくれるじゃねぇか〜! トドメだ爺!」


「こ、ここまでか……」

 白竜王は瞬時に人化し、次のブレスが吐かれる前に転移魔石を発動させて逃走した。


「チッ! まぁいい。これで俺は自由だ」

 弱まった鎖を千切り、邪堕竜デスレアは巨大な翼を舞わせ飛び立つ。


 その脅威が向かう先に、最早安寧の時は訪れない……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る