第170話 困惑する女神……

 

 悪色マジャハンを逃したアグニスは、封印の間を抜けて水晶城を飛び出した。すると上空から襲い掛かるプレッシャーに身を翻す。


 そこには巨斧を携え、激昂したリコッタが立っていた。まるでお遊びは終わりだと言わんばかりに、燃え滾ったオーラを放っている。

「さっきは少し油断しちゃったけど、これ以上好き勝手にはさせないわよ」

「リコッタ……お前じゃ今の俺は止められないさ。退け! 今は構ってる余裕が無い」


「そんなに袖にしないでよ。今度は本気でいくわよ?」

 城の窓から飛び出したGSランク冒険者は、瞬足でデモニスの王へと迫る。魔剣ヴェルフェンを抜き去り、溜息を吐きながらも両者は再度相対した。

 何故、先程リコッタが敗れたのか。それはアグニスを倒す事よりも己のリミットスキル『精気喰い』に全神経を注いでいたからだ。


 瘴気を取り込んで強化された存在に対して、今のままでは勝てないと判断した時己の強化を優先させた。無謀とも言える作戦は、その手を読み切れなかったアグニスに対して、成功の一途を辿る。

「そういう事か! 大人しくやられていたのは、精気を喰う事に集中していたんだな⁉︎」

「美味しかったわよ? 出来る事なら肉体的接触で、もうちょっと食べさせて貰いたいわね」


 壊れかけた巨斧を軽々と振り下ろしながら、アグニスの急所へ的確に貫手を繰り出す。真紅の双眸をギラつかせた。

 ヴェルフェンを巧みに操りながら不可避の攻撃を弾き飛ばし、眼前の赤髪のエルフの脇腹へ膝を突き立てるが、接触した瞬間に勢いを殺される。


 背後に飛び退いたリコッタは、アグニスの足下を狙い銀斧を投擲した。回転しながら凄まじい速度で迫る巨斧を空中に飛び跳ね回避する。

 地面が爆散して砂埃が巻き起こる中、機先を制したのはリコッタだ。魔剣を蹴り飛ばし、胴体へ抱き着くと、そのまま眼下へ頭から叩き落とした。


 アグニスは頭部が潰れたかと勘違いする程の衝撃に視界が歪む。回復が間に合わず怯んだ瞬間に、上半身と下半身を腰から銀斧に横一文字に斬り裂かれ、両断された。


「凄まじい膂力だが、これ位なら回復するから問題は無い!」

「あらぁ〜? リコッタお姉さんの狙い通りよ!」

「えっ?」

「いただきま〜す!」

 悪魔の王の眼前に繰り広げられた光景。それはーー

『己の下半身を持って、逃走を開始した痴女の姿』

 ーーまさかの攻撃に顎が外れそうな程に口を開き、絶叫した。


「馬鹿! 返せぇ! このエロエルフ!」

「おほほほほぉ〜? その焦り様、正解だったみたいね〜」

 悪魔達は瘴気がある限り回復し、再生する。但しリコッタが行った様に両方が現存している場合、接合させねばなら無いのだ。

 下半身を斬り裂いてくれれば、直ぐにでも再生を開始する。しかし、己の下半身は今何処にある?


 ーー痴女の手の中だ。

 高笑いしながら戦場の方向へ走り出す後ろ姿を、汗を噴き出しながら、魔剣を操り上半身だけで追い掛けた。しかし、口惜しい事にリコッタの方が速い。

 その向かう先が読め無いのも不安ではあったが、それ以上に下半身をエロエルフに持っていかれたという事実に心底恐怖した。


「くそっ! 本気で悪夢だよ! あの女は!」

 再戦の軍杯は見事リコッタに降った。やり方はともかくとしてだが……


 __________


『レイセン中央広場』


 ラキスの抜刀から繰り出された剣閃を、コヒナタは『二式』の鎖で防御する。

「『風神閃華』!」

 アズラの放った奥義の中を、悪魔の剣士はまるで踊る様に剣を揺らしながら避けた。直ぐ様襲い掛かる斬り返しを大剣で受け止めた後、足払いされて顔面に掌底を打ち込まれ吹き飛んだ。


「くっそぉっ! あの悪魔剣術はともかく、体術も優れてるな!」

『二対一の状況を上手く使いなよ。さっきから、馬鹿みたいに突っ込んでる様にしか見えないんだけど』

「コヒナタが想像以上に強くなり過ぎてて、動きを合わせるだけで精一杯なんだよ。麒麟様……あとどれ位保つ?」

『そろそろ時間切れだよ。さっき『麒麟紅刃』を放っちゃってるしね』

 焦燥を露わにするアズラの元へ、コヒナタが駆け寄る。ラキスは抜刀の構えを取りながら、深追いせず静止していた。


「アズラ様。そろ互いに神気が切れると思います。私の技に合わせて残りの力で悪魔を吹き飛ばしましょう。」

『コヒナタちゃん! 煉撃槌は二周までじゃぞ!』

「分かってますよゼン様。力をお貸し下さい」

『了解じゃ!』

「行きますよ! 四式『煉撃槌』発動!」


 青い輝きを放ち、神気を纏ったザッハールグの形態が変化する。ドワーフの巫女は両手で槌を掴み上げると回転しながらラキスへ突撃した。

 幼い面持ちと小さな身体に見合わぬ程、体内に内包された気勢が溢れ出している。

「いっけええええええええええええぇぇぇっ!」

「これは、ーーーー拙い⁉︎」


 ラキスは構えを解いた直後、魔剣オーベルを攻撃では無く防御に回した。それでも襲い掛かるプレッシャーに対して、背中に悪寒が迸る。

 一周目の煉撃槌を魔剣の刀身で受け止めるが、即座に魔剣を叩き折られ、凄絶に地面へ肉体を打ち付けられた。

「きゃああああああああああああーーーーっ!!」

「これで終わりですよっ!」

 頭部を破壊しようと再度二周目の回転を始めたその時、コヒナタへ背後から衝撃波が放たれて、小さな身体を吹き飛ばされる。


 ーー壁に打ち付けられ、背中を斬られたダメージに呻いていた。


「くうぅっ! い、一体何故ですか? アズラ様‼︎」

『コヒナタちゃん……拙いぞ! この広場の何処かに悪色マジャハンが居る! アズラのあの虚ろな眼光は幻術にかかってるからじゃ。儂等が敵に見えてるのじゃ』


「いつの間に⁉︎ 私は何で無事なのですか?」

『儂の神気で理性だけは保てておるが、視界などは無理じゃ。下手すると同士討ちになる! 一時退くのじゃ』


 視線を再び戻すと、ラキスはコヒナタに粉々にされた半身の再生を始めている。しかし、先程までの纏っていた凛とした雰囲気は無く、鋭い眼光も虚空を見つめていた。


「あの悪魔まで幻術にかかっているなんて……レイア様、ーー助けて」

 コヒナタが懇願したその時、現れたのはビナスとリコッタの二人だ。


「大丈夫か? ディヒール!」

 上級治癒魔術を掛けて貰い立ち上がると、リコッタを見つめて目を丸くする。

「あ、あの……リコッタ様? それ何です?」

「戦利品よ〜? 悪魔の親玉の下半身!」

 そのあっけらかんとした台詞に鳥肌を立てながら戦慄した。此処にどうしようもない変態がいる。


「コヒナタ、それより旦那様を隔離した悪魔は倒れている彼奴か?」

「えぇ、今は幻術に掛けられているみたいですけどね」

「先程逃した魔獣か。ーー厄介だな。取り敢えず『隠り世』さえあれば私の魔術で旦那様と空間を繋げて引き戻せる!」

「ほ、本当にそんな事が出来るんですか?」


「殆どの魔力を消費しちゃうけどね。次元魔術は久しぶりだが、媒体があれば何とか……」

「あの悪魔が持っている筈です!」

「えぇい面倒臭い! インビシブルハンド!」

 無数の透明な手が伸びると、ラキスは抵抗も無いままに項垂れていた。懐を弄られ、二つのアイテムを奪われる。

 ーー幻術により意識が朦朧としていたのだ。


「何だこれは? 要らん!」

 ビナスは『打ち出の大槌』を放り捨て、『隠り世』を両手で待ちあげると、急速に魔力を流し込んだ。

 隔離空間を作り上げる内部構成を魔力で理解すると、宙に浮かばせてオリジナルの魔術を発動させる。


「開け! ゲートよ!」

 空間に亀裂が奔り、その隙間から覗いたレイアの姿に顔を綻ばせた。

 亀裂の中を通って無事に現界した女神とエルフの王は、喜ぶどころか苦い顔をしながら眉を顰めている。

「これ、一体どういう状況?」

「判らんよ……取り敢えず助けてくれ」


 みんながレイア達の復活に視線を注目させる中、背後では『打ち出の大槌』により、その体躯を十五メートル以上にまで巨大化させた悪色マジャハンが咆哮を轟かせようとしていたのだ。


 ーーグオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォーーーーンッ!!!!


「フラグか……これもある意味フラグなのか」

 姿を消して隙を伺っていたマジャハンの頭部を、ビナスが投げ捨てたアイテムが打ったのだ。

 身体を震わせる程に耳を劈く声量は、レイセン中に響き渡った。希望を抱き始めたエルフ達を再び絶望へ導いたのだ。


 女神は自らが放った言葉に責任を取る気はあるが、もう少し楽な状況でも良いだろうと溜息を吐いた。

 ーー此処から、最終戦が始まる。






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