第167話 血溜まりに沈む天使

 

「早く! 早くしてぇぇぇっ!」


 ビナスは焦燥から、エルフの祈祷師たちに向けて怒声を張り上げる。

 レイアがいなくなった。その事実に打ち拉がれると同時に、安堵していた己の浅はかさに青褪めながらーー

(旦那様がいれば安心だと……仲間がいれば私は無力なままで構わないだと⁉︎ 何時から私は腑抜けたの⁉︎)

 ーー瞳からは涙が溢れ、甘え爛れた自らの堕落に項垂れる。


 そして、その瞳から輝く紅光は再び戦争の光景を見つめながら、折れぬ闘志を宿していた。


 ___________



「あら? 思ったより良い男ね」

「ふむ。天使が俺の野望の前に立ちはだかるか……」

 アリアは神槍バラードゼルスを顕現させ、アグニスの前に立ちはだかる。


「本当は貴方なんか足元にも及ばない、私の愛しい人が此処に居る筈だったのだけれど……如何してレイアを最初に封じたの? 私達の情報は知らなかったでしょう」

「唯の感さ。取り込んだ悪神の魂の欠片が騒いでな。彼奴を一目見た時から、全身に悪寒が迸った。お前の発言から、それが間違ってなかったと今確信したよ」


「結果は変わらないわ。私は貴方に負けないもの」

「だろうな。確かに悪魔の俺ではお前に勝てないと理解出来る。」


 ーー「悪魔のままの俺なら、だがな……」


 その言葉と同時に、アグニスは己の胸元に向かい魔剣ヴェルフェンを突き刺した。


「一体何をしたの⁉︎」

「アリア、聞こえますか? 悪神の力が解放されます。マスターがいない以上……撤退を進言します」

 困惑するアリアの元へ、突如ナナの声が聞こえる。同じ天使同士パスが通じているからだ。


「ナナ……レイアはどうしたのよ?」

「『隠り世』のせいで強制的にリンクを切られました。無事なのは分かりますが、発動者を倒さねばなりません」

「悪いけど、私にそんな余裕はなさそうね」

「理解しております。その悪魔は、最早悪神の力を解放出来る能力を有している」


「バラードゼルスの呪符は、正直何枚までいけると思う?」

「今の神気では四枚が限界でしょう。それ以上は自滅に等しいです」

「戦神バッカス様に今だけは文句を言いたいわね」

「彼の方は、三柱コーネルテリア様以上に娯楽に飢えておりますからね」


「知ってるわよ。あの爺さん、その為に私にこの神槍を預けたのだから」

「話が逸れましたが、現状あの悪魔を止める術はありませんよ?」

「馬鹿ね。レイアに褒めて貰うのは常に私が一番でありたいのよ。その為なら悪神だろうが殺す」

「……御武運を」


 二人の天使が脳内で会話を繰り広げている間にも、アグニスは邪悪、極悪なオーラを巻き起こしながら、変身とも呼べる程にその様相を変えていた。


「ふうぅぅぅぅぅっ!」

 深く息を吐き出す存在を前に、アリアは理解した。ーーこのままじゃ足りない。

「ナナ! 四枚じゃ足りない! 貴方もサポートして!」

「リンクして神気を流します! それでも五枚が限界ですよ」


「分かってる! いくよ!」

 神槍バラードゼルスの呪符を五枚破り去り、銀光に包まれたその姿は圧倒的なオーラを放っていた。


「流石だな。しかし、そのままではまだ足りないぞ?」

 アグニスは解放した悪神の魂の欠片により、褐色の肌、長い黒髪。そして、身体を黒い靄に包まれて鎧の如き強固さを醸し出している。


 ーーその姿は、まるでレイアの『闇夜一世』を模した様に。


 直ぐ様、『銀閃疾駆』を発動して刺突を繰り出す。だが、魔剣に逸らされると同時に腹へ拳打を打ち込まれた。

「ぐえぇっ!」

「ほら! 隙だらけだぞ?」」

 身を下方に逸らしたアリアの頭上から、魔剣の刃が振り下ろされる。身を翻して転げ回ると、バラードゼルスを突き出した。それは不可視の一撃ーー

 ーーしかし、肩を貫いたその銀閃は、悪魔に擦り傷程のダメージしか与える事が出来ない。


「再生能力か……厄介ね」

「はははっ! 違うぞ天使よ! 『無限再生』これが俺のリミットスキルだ! 単なる再生と一緒にするな」

 アグニスは魔剣を振るい、斬撃を放ち続ける。神槍を回転させ防ぎつつも頬、太腿は刻まれて血を垂れ流した。

「……貴方の目的は何?」


 ーーその言葉に、アグニスは沈黙する。


「本当の自由を手に入れたい。ただ、それだけだ」

 飾り付けること無く、虚言を吐く訳でも無く放ったその一言はーー

(この人、悪魔だけど魂を喰われていない)

 ーー天使に一瞬の戸惑いを抱かせた。


「命までは奪わん! 沈め!」

「 レイアの為に私は勝つのよ!」

 魔剣と神槍が、金切り音を空間へ響かせる。


 ーー突く。

 ーー薙ぎ払う。

 ーー袈裟斬り。

 ーー掌底。

 ーー唐竹。

 ーー切り上げ。


 激しく斬り結んだ後に倒れたのはアリアだった。血溜まりに沈み、最早動けずにいる。アグニスは右腕が千切れ、左脚が切断されていたが瞬時に回復していた。


「強い。流石だと敬意を評した上で言わせて貰う。勝つのは俺だ」

「……い、か、せない」


 無理矢理足首を掴み、逆の手でバラードゼルスの六枚目の呪符を引きちぎったがーー

「神気が足りません。これ以上は無理です。停止状態に入ります」

 ーーナナの宣告と共に、強制的に意識を閉ざされた。


 そこへ、リコッタが水晶城の窓を突き破って現れる。

「あら〜随分といい男になったじゃない」

「……お前に俺は止められないよ」


「確かにその力は想像以上だわ? だけどね。貴方を放っておいたら今後、私が食べる筈だった男達が死んじゃうでしょう?」

「俺は興味は無いが、死霊達は確かに食らうだろうな」

「じゃあやっぱり王である貴方の責任でしょうよ」

「知らん。俺は自由が欲しいだけだ」

「その手段がこんなやり方なの? 悲しい人ね」


「お前に到底理解など出来ないさ」

「じゃあ、リコッタお姉さんが癒してあげましょうかねぇ!」

 至宝七選の一つ、巨斧ブゼルを振り下ろすと共にGSランク冒険者は絶句する。


 ーー(やばい、この子本当に強過ぎる!)


 魔剣ヴェルフェンは刃の形を変え、まるで牙を生やしたかの様に刀身を変貌させた。そして、振るわれたルーミアを施した巨斧バゼルを噛み砕く。


「やばっ! 本当に強くなり過ぎよ。リコッタお姉さんはびっくりしちゃうわ?」

「喜んで貰えて何よりだ。王を名乗る以上負けられないさ」


 破壊された斧を眺めながら、久しぶりに感じる己の焦燥に身を委ねた。


(これはこれで、刺激的ね……)


 身悶えながら、エロエルフは恍惚の表情を浮かべ、その力を増し続けていたのだ……

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