第121話 「Paradise Lost」2

 

 目を覚ますと、其処には恋人の眠る横顔がありました。

「何だぁ、夢だったんだ……」

「夢じゃ無いよ。旦那様の身体に入ってる誰かさん?」

「えっ⁉︎」

 私はビナスさんの言葉に驚き、即座にベッドから起き上がりました。よく見ると、センシェアルさんは薄いガラスケースに飾られた人形の様に、胸の前で手を組み眠っています。

 ーーそっと手を伸ばすと、見えない壁が覆っていて触れる事は出来ませんでした。


 何故かオルビクス城にある筈のレイグラヴィスと迷死狐のローブもこの部屋にあります。此処は私の家でしょうか?

「戦神じゃないんだろ? お前は一体何なんだ。ビナスから話を聞いても、俺様にはすっかり分からねぇ」

「あっ、うっ……わ、私はレイアです!」


「その話はまだいい。先にこれを渡しておく。お前さんがシルバとカルバンに戻って来た夜に、突然空間の裂け目が現れて、その封印された真祖と装備が放り込まれて来やがった。悪いが中身は読ませて貰ったが、どうにも俺様には理解が出来ん」


 私はザンシロウさんから手紙を受け取りました。封は切られていて中身を開くと、そこにはキサヤさんからの手紙が書かれています。


 __________


 レイア様へ

 永遠を生きる私達からすれば、本当に短いと思える筈のこの数日間が、人生の中で一番温かく心休まるひと時だった様に今は思えます。


 貴女はきっと、センシェアル様がオルビクス城に居ては戻って来てしまうと思ったので、私物と共にそちらへ送りました。

 大剣は真祖の力を得たベガスですら動かすことが出来なかったので、無理矢理空間に捻じ込みましたが、無事届いているでしょうか?


 今は、センシェアル様にかけたその封印を解く事は出来ませんが、目的を果たしたら力は返すつもりです。その時にはまた、二人でミリアーヌ以外の大陸で穏やかに暮らして下さい。


 怒り狂うセンシェアル様を嗜めるのは、貴女の役割です。

 どうせその頃には私達は生きていないでしょうから、怒る事も無いかもしれませんけど……


 ーー少し昔話をしますね。


 私は幼い頃から娼婦に育てられ、娼婦になる為に生きて来ました。端女だと軽蔑されるかも知れませんが、それでも誰かを癒す事が出来るならいいと思った事もあったですよ。


 この世界に、寂しい人は大勢いますからね。

 しかし、私はある日突然に牢へと放り込まれました。何でそんな事になったのかは、もううろ覚えです。その後の記憶が凄惨すぎましたから。


『禁術』の研究所にて出会ったのがマスダル、ベガス、ザードです。

 生きながらに死体と変わらない扱いを受ける気持ちが、レイア様に想像出来ますか?

 脳を弄られて、本当の死体の側で同じ様に腕を切断され、死なない様に傷口を無理矢理鏝で焼かれて、止血された時の痛みを私は思い出してしまった。


 ーー自由に憧れた。

 ーー痛みより、憎悪に身を焼かれた。

 ーー地獄があるのなら、早くそこへ行かせて欲しいと願った。


 その時に、毎日想像していたのですーー

「力があれば人間を全て滅ぼしてやろう。禁術と呼ばれる書物、人物、伝承は全て残らず滅ぼしてやる」

 ーーそれは願いに留まらず、私の思考を黒く塗りつぶしていきました。


 死体と一緒に廃棄処分された私達四人を救ってくれたのが、センシェアル様です。恩を仇で返す私達に、言い訳をする資格などありません。


 でも、主人様は絶対に使って欲しくなかった『禁術』を私達にかけました。

 人族の大陸を滅ぼすという決意を思い出してしまった私は、かつての忌々しい記憶が蘇り脳内でグチャグチャに混ざり合い、最早理性を保っていられるか分からない程に狂っているのでしょう。


 もう、戻れません。戻れないのです……

 元々屍人シトの身体に真祖の力を取り込むなんて無茶をした以上、私達の命もきっと長くは無い。


 この手紙を読んだら、すぐにでも知り合いを連れてミリアーヌを出なさい。全力で逃げて下さい。貴女の手は本当に温かかった。メイクをしてドレスを着飾ったレイア様は私の自慢です。


 こんな事を言えた義理ではありませんが、我が主人を幸せにしてあげて下さい。


 お願いです。絶対に私達をどうにかしようと考えないで下さい。

 目が覚めたら、きっと状況を知る筈です。


 逃げて下さい。その為にこの手紙を書きました。優しい貴女はきっと涙を流しながら、私達を救おうと行動しようとする筈だから……


 お願いです。何もしないで逃げて……お願いです。


 キサヤ


 __________


「うわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 止め処なく溢れ出し、嗚咽を吐き痙攣する程に流れた涙を拭いながら、私は問い掛けます。


「……じょ、状況を教えて下さい」

「はい、ここ首都カルバンに向けて、一夜で発生したヴァンパイアの眷属、及びそれに追走した魔獣総勢五万匹以上が迫っています。私はマムルお姉ちゃんとの思い出が残る、カルバンを守る為に戦うつもりです。如何にご主人様の命令と言えども、共に逃走する訳には参りません」


「ビナスさんは?」

「私は旦那様の身体について行くよ。どうせ封印が解けなきゃ足手まといになるからね。因みにチビリーはまだ治療を受けていて、復帰してないから戦えないよ」

「ザンシロウさんは……まぁいいか」

「おおぉい⁉︎ 其処は一応でも良いから聞いておこうぜ? 俺様だけ扱いが雑じゃ無いか?」


「黙って下さい。どうせ戦うんでしょう? 聞くまでもありませんし……」

「ふっ! その通りだ! 俺様が蹴散らしてやるぜぇ!」

「私も……戦いますよ」

「へっ? お前さんはシルバと逃げるんだとばかり思っていたが、一体どういう心境の変化だ?」

「……こんな手紙を見せられて、放っておける筈無いでしょう」


 私は愛しい人の元に歩き、硝子越しに唇のある場所へキスをしました。薄い板に遮られた私のファーストキス、ーーはビナスさんにいきなり奪われたので、セカンドですね。

 少なくとも、今の私にはそうなんです。大切な貴方を守ってみせると誓いました。


 __________


「なっ!」

「はぁ⁉︎」

「ふむっ」

 レイアの真祖に対する突然の行動に驚愕、焦燥、愉悦の表情をそれぞれ浮かべる。


 ザンシロウは漸く渡せるかと、レイアの本来の装備を受け渡した。

「俺様が壊した胸当ては、バルカムスの親父に頼んでミスリルで補強はしておいたが、スキルは発動しないらしい。戦うなら無いよりましだ。着けておけ」


 本来の自分の装備など知らなかったが装着した瞬間に、己の身体に吸い付く様な感覚を覚える。

 双剣は大地の試練でザンシロウとの戦闘後ワールドポケットにしまっていた為に今は無いが、レイグラヴィスがその代理の役割を果たしていた。


 迷死狐のローブを羽織ると、久しぶりに声が聞こえる。

『お姉ちゃん! 凄い死霊の気配を感じるよ⁉︎ 逃げた方が良いんじゃないか? おいら怖いよ!』

「大丈夫です。私が貴方を守るから、貴方は私を守って下さい」

『それ答えになってないよ⁉︎ 結局おいらは怖いままじゃないか!』


「ちっ!」

『なんで今舌打ちしたの⁉︎ お姉ちゃん、何か性格変わってないかい?』

「今の私は少し苛ついているのです。黙っていなさい」

『…………』

「こんな手紙を見せられて、私が本当に退くと思いましたかキサラさん? 絶対に許しません。貴方達を止めて、センシェアルさんを救って、オルビクス城に戻るんです」


「……それは叶うかなぁ」

「私は絶対に諦めない! お願いです! 力を貸して下さい!」

「ねぇ、本当にそのままで良いの? 貴女にこの状況を止められるとは思わないんだけど」

「ビナスさん、何となく言いたい事は分かっています。でも、もう少しだけ私でいさせて下さい。愛する人を救うのは私でありたいんです。お願いします……」

「……分かったよ」


 ビナスは憐憫の視線を向けた。レイアは決意を瞳に灯して大剣を背負い、五万もの魔獣の大群へと向かう決意をする。

 この後己がした甘い決断が、どれだけの犠牲を出すかも知らないままに……


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