第120話 「Paradise Lost」1
目が醒めると、目の前には悲痛な表情を浮かべて泣きそうな人が居ました。私の手を両手で包む様に握ってくれています。
「おはようございます。心配かけちゃいましたか?」
「当たり前だ……二日も目を覚まさなかったのだぞ。調子はどうだ?」
「まだ頭が少し重い感じですが、痛みは消えていますから平気ですよ」
「念の為に今日はゆっくりと寝て休むのだ。我も側についておる! こ、恋人だからな!」
「はぁ……そうですねぇ。じゃあいっぱい我儘でも言っちゃいましょうか。病人の特権ですし」
「あぁ! 何でも叶えて見せるぞ!」
「馬鹿ですね……冗談ですよ?」
私は手を握り返しました。ひんやりしている癖に、汗を掻いていて震えています。緊張しているのでしょうか? やっぱり可愛い人ですね。
「他のみんなはどうしているのですか?」
「あぁ、レイアを喜ばせる為に、時計作りに専念しているぞ!」
「私の名前、覚えたんですね……」
「あぁ。キサヤが教えてくれたんだ。同時に湖での事を話したら壮絶な説教を食らったがな。ーームードぶち壊しだと」
それは正真正銘自業自得ですしねぇ? キサヤさんはやっぱりいいお姉さんだなぁと嬉しく思います。
ーー今度ニ人でお茶しながら、女子会でもするとしましょう。
「ごめんなさい。少し疲れました。もう少し眠りますね? 今は何時ですか?」
「時計で十七時だが、遠慮せずゆっくり眠るといい」
「実はお腹も減っていますから、みんなと晩御飯は食べたいんです。二十時頃に起こして貰えますか? 勇気があるなのなら、おはようのキスをしてくれても構いませんよ?」
「ひゃっ⁉︎ き、き、キス⁉︎ ふむ、ちょっと待っていれくれ、歯を四百回程磨いてくる」
「あははっ! 磨き終わる迄に起きてしまいそうですね? 冗談ですよ、それではまた後で……」
「冗談じゃなくてもよいのだが……」
瞼を閉じた瞬間に、私の意識は眠りに落ちていきました。湖での出来事を忘れられていたなら、どれだけ良かったでしょう。
全てを思い出した訳ではありません。ただハッキリと本能が警鐘を鳴らしています。
『私はこれ以上記憶を思い出してはいけない』と言う事実を。
__________
レイアの提案した振り子時計は、エントランスに置かれることになった。まだまだ完成には程遠いが、選抜された下位吸血鬼の執事やメイド達が理論を組み立て、検証と実験、反省を繰り返しながら徐々に一日を刻む完成度へと近づいていく。
日を重ねる毎に上がっていくクオリティーに素直に尊敬の念を抱いた。ーーこうやって日本も進歩していったんだろうなぁ。
正直発案者でありながら、紙に書かれた脱進機の設計図は既に理解の範疇を超えている。意見を求められても前世の記憶から、『こういうものが付いていた』という漠然とした外観しか答えられずにいた。
「皆さん本当に凄いですねぇ。正直私だけでは絶対ここまでクオリティーが高いものは作れませんでしたよ」
「そりゃあ、あっし達の長年生きている知識があれば、これ位余裕でやんすよ!」
「マスダルさんは何もして無いでしょうが。寧ろそういう意味で一番褒めるべきは、ザードさんです!」
「私は特に何もしてないのだよ……」
「謙遜はしなくて良いんですよ。執事さんやメイドさんに指示を出して、夜中まで時間の観察に付き合っていたのを私は知っています。楽しかったですか?」
「楽しかったか……あぁ、楽しかったのだろうな。今迄ただ流れるだけだと思っていた日々を、自分の作った物が時を刻みつけてゆく、それを眺めているのは何とも言い難く、心が震える気がしたのだよ」
「素直にその感情を喜べば良いんですよ! キサヤさんもベガスさんもありがとう!」
「私は何もしてないわよ?」
「拙者も、お礼を言われる様なことは何もしてござらん」
「キサヤさんはセンシェアルさんがいない時に、私の頭痛が発症しないか部屋の外に居てくれたでしょう? ベガスさんは気づかれない様に、死霊達から私を守ってくれてたんですよね?」
「「な、何でそれを⁉︎」」
キサヤとベガスは隠れていた筈の自分達の行いをレイアが知っていた事に、驚きと気恥ずかしさが込み上げる。
「ふふふっ! センシェアルさんが私に逐一報告してくれましたよ?」
「なぁ⁉︎ レイア! それは内緒にしてくれと言ったでは無いか!」
「あら? そんな約束しましたっけ? 私記憶が無いだけあって、忘れやすいみたいですねぇ?」
「このぉぉぉ! ま、まぁ、いい機会だな。我からも一言良いだろうか、屍人達よ」
ーー四人の屍人はセンシェアルの前に並び、跪く。
「あぁ〜ごほんっ! 今迄すまなかった……我は心の何処かでお前達を所詮己の駒だと思っていたのだろうな。配慮に欠けた主人で苦労をかけただろう。これからは同じ血を分け合った、か、か、家族としてだな。我を支えてくれないだろうか?」
屍人達は己の主人であるセンシェアルの言葉に、目を見開き、純粋に疑う事も無く驚いていた。何故、一体何故このタイミングで、そんな言葉を聞かせられなければならないのかと……
「「「「ーーーーッ!」」」」
四人は言葉を発さず、頭を垂れたままに動かない。感動して動けないのだろうと涙を堪えながらその様子を眺めていた。
本日の改良で新しく振り子時計に追加されたのは、時間を知らせる鐘の音だ。その音を聞きながらみんなで乾杯しようとエントランスにテーブルや椅子を運び、ワインや軽食を準備していた。
時刻はもう直ぐ短針と長針が重なり二十一時になる。下位吸血鬼を含めてグラスに各々酒を注ぎ、その時を待っていた。
「ゴォォォォン!」
「それでは! かんぱーい!!」
レイアの音頭と共に、まるで演出だと言わんばかりに一瞬にしてフロアの灯りが落ちる。ブレーカーが落ちた時の様に突然の出来事で、掲げたグラスを落としそうになる程吃驚していた。
「な、何⁉︎ サプライズを仕掛けるなら、センシェアルさんだけにして下さいよぉ!!」
「……ごめんなさいねパンツ姫様。私達はもう退けないのよ……」
何の冗談だと暗闇の中笑うレイアの耳元に、キサヤの冷徹な声が囁かれた。
「ぐおぉぉぉぉぉ! お、お前達一体何を⁉︎」
エントランスに明かりが再び灯された瞬間に目にしたものは、己の想像を遥かに超えた奇異な光景だった。
センシェアルの胴体から腕が生えている。その手の先には二つの心臓が握られていた。
「えっ? えっ? 何これ? どうしたのみんな」
「逃げろ! レイアぁぁぁ!」
訳も分からず戸惑うレイアに、センシェアルが必死に叫ぶ。それに対して屍人達は冷静だった。冷淡だった。しかし『これは決定事項だ』と言わんばかりに、目的の為に行動を起こす。
「心配しなくても、あっしらはパンツ姫様に何かをする気なんぞないでやんすよ……『血流操作』!」
「済まぬ……如何しても拙者達には力が必要なのだ! 『空間固定』!」
「私は謝らんぞ。思い出させてくれて感謝したい位だ! 私達が何故屍人になったのかをな! 『絶界』!」
「ごめん……私達は許せないんだ。忘れてた、忘れさせられてた……復讐する心を! ミリアーヌを滅ぼし尽くしてやるっていう憎悪をねえぇ! 『空間転移』!」
屍人達の力は、真祖の持つ四つのリミットスキルを、各々に血と共に分け与えた力だった。その時に一つだけある禁術を屍人達に施したのだ。
「人を憎む心を忘れる」唯それだけの記憶の改竄。しかし、それを真祖の力を見た四人は思い出してしまった。
屍人達のスキル、つまり己のスキルで不意を突かれたセンシェアルは、二つの心臓をベガスの刀に半分に真っ二つにされ、再生されない様に四つのキューブに閉じ込められる。
己の核とも呼べる心臓を両方奪われた真祖は、次に傷口から血を抜かれた。その弱体化した状態の身体を、スキル使用者以外に解く事が出来ない、最上級の結界『絶界』の中に閉じ込められる。
とどめと言わんばかりにキサヤはスキル『空間転移』でその絶界内の空間に裂け目を生じさせると、ナイフで首を刎ねた。
ーー斬られた心臓と、抜かれた血は屍人達の体内へと吸収されていく。
それは何度も打ち合わせ、何度もシミュレーションを繰り返された完璧な連携。
状況を理解出来なかったレイアの眼前に繰り広げられたのは、己が『愛する』ヴァンパイアの真祖が首を刎ねられる壮絶な光景だった。
「い、いやあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!」
主の絶叫とも言える痛烈な悲鳴を聞いたシルバは、エントランスの窓ガラスを突き破り、レイアを背に屍人達に立ちはだかる。四人の屍人達は変貌の時を迎えていた。
「やっと手に入れたでやんす……」
「拙者は……いや、ここ迄来たら、もう引き返せはせぬでござる」
「真祖の力。使いこなしてみせる……」
「パンツ姫様、私達に安らぎをくれた貴女を巻き込みたくは無いの……シルバ、今直ぐミリアーヌから全力で逃げなさい。数日中に人族の大陸は消え失せるわ……この忠告がせめてもの恩よ」
その言葉を最後に死んではいないが再生もせず、空間に封印されたセンシェアルを中心に、四つの黒い棺が現れ、その中に屍人達が吸い込まれていく。
シルバはその身の毛が逆立つ程の圧倒的な重圧に怯え、レイアを咥えて全力で城を飛び出し『神速』を発動させピステアへ向かった。
意識を失った主人の瞳から涙は流れていない。本当に心が壊れた時、涙なんて流れないのだ。
その心に生まれるのは恐怖か……憎悪か……悲哀か……
唯一つ、現状心の大半を占めている感情はーー
『どうしてこんな事に』
ーー唯、己の無力さを嘆く悔恨だけだった……
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