第118話 震える想いを重ね合いながら。

 

 ピステア軍が退却してから二日が経った頃。私は『頑張った我に何か褒美をくれ』と、煩いセンシェアルさんのお願いを聞いてあげる事にしました。

 ーーどうやら今日の夜、乗馬でお気に入りの場所に行って、散歩に付き合って欲しいらしいのです。


「はぁ。まぁパンツを見せろと言われないだけマシだと思いましょう。待ち合わせは試作中の時計で十九時ですよ?」

「うぬ! りょ、りょうひゃいした!!」

「ふふふっ。緊張すると噛む癖は直した方が良いですよ。嫌いじゃありませんけど」

「ならばキュンキュンしたか⁉︎」

「調子に乗らない! 散歩に付き合ってあげませんよ」

 その台詞を後に、センシェアルさんは空間の切れ目に逃げ込んで行きました。馬鹿ですね。


「あらあら〜何だか我が主人様と良い雰囲気じゃないのよ。パンツ姫様〜?」

「揶揄うのはやめて下さいねキサラさん。昨日は一日中屍人の皆さんの様子が何かおかしかったですが、もう大丈夫ですか?」

「え、えぇ、もう大丈夫よ。忘れていた事を思い出しただけだからね。みんな元通りじゃないかしら?」

 キサラさんは何処か悲哀に満ちた表情を浮かべています。やっぱり何かあったのでしょう。相談してくれたら真摯に受け止めようと、私は決意していました。

 ーーおっと、忘れない内にお願いしておかなければ。


「あ、あの、夜にですね。あのぉ、センシェアルさんと二人で散歩に行くんですけど私、服が無くて……」

「あははっ! 素直におめかしして下さいってお願いしなさいな? 任せなさい! キサラお姉様がパンツ姫様をきっちりと、より美しく仕上げて見せるわよ」

「はい! お願いします!」


 何で私はこんな風にあの人と出掛ける為に、キサヤさんにお願いしなきゃと思ったのでしょう。別に気にする必要なんて無いのに不思議です。ーーまぁ、マナーってやつですね! きっとそうに違いありません!



 __________



『オルビクス城内、試作振り子時計十九時』


 城のエントランスにセンシェアルは立っていた。タキシードを着て、銀髪の髪をオールバックにセットし、まるで何処の社交パーティーに行くのかとツッコミ所満載の外見だ。

「流石に、ニ時間前から待っているのは早すぎたのでは無いか。マスダル? ベガス?」

「大丈夫でやんすよ。女性より先に待ち合わせ場所にいるのは、男のマナーでやんす!」

「拙者も同意見でゴザル。これに関しては、このままパンツ姫様のお越しを待とうではありませんか」


 そんな中、ニ階の扉から現れたのはキサヤだった。ゆっくりと階下へ降りる階段の側まで歩くと頭を垂れ、膝を着き床へと平伏す。

 ーーまるで己の主人の登場を演出する従僕の様に。

 それに続いて他の執事やメイド達が階段側に控え、右手を胸に一斉に頭を垂れた。


「どうしたというのだ? 我は此処に居るというのに、一体貴様らは何をしている⁉︎ 侮辱するつもりか!」

 真祖はまるで己よりも格上の存在に対して尽くす様な、従僕達の有り様に怒りを覚える。

 ーーそんな最中、ゆっくりと光を纏わせながら女神がエントランスへと降臨した。


 銀髪の髪を結い上げ、フリル付きの真っ赤な紅いドレスを着ている。ほのかな薄化粧はその美貌をより輝かせ、所々に散りばめられた宝飾品すら霞ませる程だった。

 センシェアルの配下を側に控えさえ、微笑みながら階下へゆっくり降りてくるその姿は、まさに美姫と呼ぶに相応しい。

 ハッキリと見開いた金色の双眸に見つめられた男達は、無意識の内に跪いて頭を垂れていた。


 次第にセンシェアルの眼前へ辿り着くとスカートの裾をそっと摘んで、令嬢さながらにお辞儀をする。

 真顔のままにセンシェアルは動けなかった。

『意識を奪われる』とは、きっとこんな時の事を言うのでは無いかと、絶世の美しさに見惚れてしまっていたのだ。


「パンツ姫……こ、怖い程に美しいぞ」

「ふふっ! それはどうもありがとう。貴方もその間抜けな顔をしていなければ中々格好良いですよ? ただ女性に向かって怖いなんて言葉は減点ですね。協力してくれたキサヤさんにも、しっかり後でお礼を言って下さいよ?」

「あ、あぁ……こ、此方に馬を用意してある。来てくれ」

 まだぎこちないセンシェアルの後を続く。レイアはそのまま馬に乗せられ、城門から抜け出て散歩へと向かった。


 ーーエントランスに残されるのは屍人達四名のみ。

「あれがパンツ姫様の真の姿でやんすか……美しさに魂を抜かれるかと思ったでやんすよ?」

「まぁ、元々が凄まじい美女なのに何もせず、普段から大剣とか装備してれば輝きも掠れるわよね」

「拙者はやはり、彼の方を悲しませたくは無いでゴザルな……」

「ベガス。其れでも我等には叶えねばならない願いがあるのだよ。堪えるのだよ」


「もう少しだけ。せめて時計が完成するまでは待って」

「わかっているのだよ」

 屍人達は、各々深く考え込んでいた。そんな中キサヤは夜空を見上げて祈る。


「今宵だけは、あの二人に良い夢を……」


 __________



 馬で駆けながら、自然と私はセンシェアルさんの背中に己の額を寄せていました。

「ヴァンパイアに体温が無いなんて、嘘なんですね」

「血も流れているのだ。当たり前であろう? 体温は確かに人間より低いらしいがな」

「あら? じゃあ何でこの背中はこんなに熱いのでしょうねぇ? 風邪でも引いていらっしゃるのかしらねぇ」

「な⁉︎ し、しょうがなかろう! 我だって緊張する事はあるのだ! 意地悪な事を言うで無い!」

「あははっ! 可愛らしくて良いじゃ無いですか。滅多にお洒落なんて出来ないんですから、楽しませて下さいね?」

 暫く森の中を進むとーー

「此処だ」

 ーー先に降りたセンシェアルさんに手を差し出し、馬から降ろして貰います。


「少し歩くぞ?」

「はい」

 暗い森の中を歩いているというのに全く怖く無いのは、目の前に規格外の強者がいるからなのでしょうか?

 隣を見ると私の手を握りたくても握れずに、汗を掻きながらモジモジとしている可愛い人がいました。


 ほらっ、もう少しですよ? 男らしい所を見せて貰いたいので私は何知らぬ顔をして、少しだけ手の位置を動かしてあげます。

 ……でも、結局手は握られませんでした。ヘタレヴァンパイアと今度揶揄ってやりましょう。

「ヘタレ……」

「ん? 何か言ったかパンツ姫?」

「い〜え〜? 別に何も言っておりませんよ。センシェアルさ! ま!」

「な、何を怒っておるのだ? 我が何かしてしまっただろうか」

「……お気になさらず」


 そのまま無言で歩いて行くと、目の前に突然真っ黒な湖が見えて来ます。これが見せたかった光景なら、センス最悪と言わざるを得ませんね。

 全てを飲み込みそうな黒水に、私は恐怖を覚えました。

「何ですかこれ? 正直怖いんですけど」

「まぁ、少しだけこのままで待っていてくれ。時期的に、そろそろだと思うのだ」

 私とセンシェアルさんはそのまま深淵を覗くように湖を見つめていました。

 ーーするとポツン、ポツンと湖内から上空へと向けて、徐々に小さな光の柱が昇っていきます。


「なっ⁉︎ これは一体」

「この湖にはシャインフィッシュという魚が生息していてな。その魚の特徴は、食べる気も起きない程に真っ黒な身をしているのだ。今も泳いでいるのに分からない程、黒に紛れている。じゃあ、何故そんな名前が付けられたのか昔の我は知りたくなって調べていた時期があったのだ。答えは中々分からなかったよ」


「…………」

「そして、遂に分かったのが一年に一度のみ、繁殖期に産まれた卵が孵る時にこの光の柱は昇る。それから毎年この瞬間だけは眺める様にしてるのだが、今年も無事に見られて良かった。どうだ? 美しくはないかな?」


 目前に広がる闇を照らす光の幻想的な空間に、私は涙を流していました。記憶の無い私にとって、此れはこの世界で見た最高に美しい光景です。

「はい、とても、とても美しいと思いますよ……ありがとう」

「わ、我からすれば、この光景よりもパンツ姫の方が美しいと思えるのだ。また来年も一緒に此処に来て欲しい。望めるのならばその先も、生が二人を別つまで」


「……こんな時にプロポーズですか? 中々上手い方法ですね〜? それにその台詞は『死が二人を別つまで』でしょう?」

 ーー私は涙を拭いながら微笑みます。あーあ、完全にしてやられました。

「はははっ。やっぱり安直すぎたであろうか? 我は死ねないから『生が二人を別つまで』で良いかと思ったのだ。折角噛まない様に練習したのだがなぁ……」


「そうですね。でも良いですよ。受けてあげます」

「はっ? い、い、今なんて⁉︎」

「だから受けてあげると言いました。此処までキュンキュンさせられたら、私の完敗ですね」

「本当か⁉︎ 今更冗談でしたとか言われたら、世界を滅ぼしちゃうかもしれんぞ⁉︎」

「じゃあ、尚更断れなくなりましたねぇ。そんな危ない人放っておけませんし……」

「本当に本当か! 我は死ねないんだぞ? パンツ姫が歳をとってもこの姿のままなのだ! 其れでも構わないのか?」


「それは私の台詞です。私がお婆ちゃんになって、永遠の眠りにつくその日まで、私を愛せると誓いますか? 残された後も泣かずに人に迷惑を掛けないって、人を殺さないって約束出来ますか?」

「当たり前だ! 絶対に我がお前の最後を看取って生き続けてやる。我は死ねないんだぞ! パンツ姫の人生を描いた本でも書いてやる!」

「そ、それは嫌なのでやめて下さい。一気にプロポーズを断りたくなりました……」

「って、撤回する! 本は撤回するぞ!」


 私はセンシェアルさんを両腕で抱きしめました。あぁ、冷たいけど暖かいなぁーー

 ーー私にもこんな日が来るなんて、思わなかったなぁ。

 ーー人を好きになれるなんて、好きになって貰えるなんて……幸せだなぁ。

 ーー独りでもう泣かなくて良いんだなぁ。


「もう一度だけ言わせてくれ。好きだ! パンツ姫!」

「はぁっ……やり直しです。そんな大事な台詞の時に、本名を呼ばないなんて最低ですよ?」

「なっ! そうであったすまん。申し訳ないのだがもう一度名を教えてくれないだろうか? パンツ姫としか呼んでなかったし、こんな日が来るとは思わなんだ」

 私はセンシェアルさんから離れて、そっとスカートの裾を摘んで改めて自己紹介をします。


「改めましてセンシェアル様。私の名前はれい……あ? ……あ、あれ? 違う! 私の名前は……イ、リ、ティ、だ、駄目、私はレイ……あでい、いの! れ、レイアがいい! レイアじゃなきゃ駄目なのぉっ!」

 ーー頭が割れる様に痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛いいいいい!!!


「どうしたのだ!? しっかりしろ! 今すぐ城に連れ帰るから!」

 吸い込まれる様に去っていく意識の欠片を握りしめたまま、私は気付いてしまった。気付いてはいけない事に気付いてしまった。

 私はニセモノ。そして全てを思い出してしまった瞬間に消え去ってしまう、惨めな存在である事に。


 あぁ、これ以上思い出させないで……

 この人から離れたくないの……


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