第73話 さよならリリナ。

 

「……マスター、私と死のう? 寧ろ死んで?」

 ナナのか細く悲痛な声が脳内に響き渡る。俺をたっぷりと蹂躙し、満足したヤンデレナナは天界に戻って主人格が自由になったんだろう。


 俺は痙攣する身体を『ディヒール』で回復させながら、リリナちゃんの元に戻ろうと駆け出していた。


「気持ちは分からなくも無いけど、こんな事で死にたくない。今はそれどころじゃないし、一緒に忘れようよ」

「……ねぇ、マスター何で負けたの? もしかして私にエッチな事したいからってわざとじゃないよね?」

「それを言っちゃう? ならあの技なんだよ! 教えておいてくれたら対策もあったよ⁉︎」

 まるで俺の所為だと言わんばかりの物言いには断固抗議したい。だが、予想外の答えが返って来た。


「……知らないのよ。『インフィニットプリズン』なんて技を私は使えない。主人格の私より、あの子の方が強い気がする……マジで」

「せ、成長してるのかあの変態が⁉︎ どうりで縄捌きが以前より上手くなってる気がした訳だ。恐ろしい……」

 この先の未来を一瞬想像しただけで、間違いなく二人の顔は青褪めていた。


「とりあえず、さっきの空間のおかげで時間は経っていないしビナスを助けるよ! これ以上悩むのは夜で!」

「ナビに任せるよ。私はちょっと考え事があるから……」

 主人格ナナが「ホクトかぁ……」と呟いた後、ナビナナに切り替わる。一瞬恐ろしい未来が俺の頭を過ぎったが、そんなフラグは絶対叩き折ると誓った。


「さっきの技さ。ロックを掛けれてたって事は索敵が可能になったって事?」

「はい。視覚共有を切って惑わされなければ反応でわかります」

「クイーンの場所は? きっとそこにビナスがいる!」

「分かりますが……森の幻影の所為で正確な場所の説明が難しいのです。景色が定期的に切り替わっているように感じます。方角はあちらですが」

「そうかぁ……まぁ何も分からないよりマシだ! いざとなったら森を破壊しながらその方角へ向かう。あっ! 見つけた!」

 俺はリリナちゃんの元へ駆け寄ると、知っている事を教えて貰おうと考えた。


「さっきはありがとうね! 教えて欲しい事があるんだけどいいかな? 大丈夫。怖い妖精さんはやっつけたからね」

「うん。ありがとうお姉ちゃん……天使様と舞ってるみたいで凄く綺麗だったよ? リリナに分かる事なら聞いて?」

 涙ぐんだ目元を拭い、幼女らしからぬ真剣な瞳を向けられる。


「クイーンとやらがいる場所にお姉ちゃんの友達が囚われてるのは知ってるよね? 何処にいるか教えて欲しいんだ。俺を運ぼうと指示されたなら、正確な場所も知ってるよね?」

「よ、妖精の女王様は凄く大きくて怖いんだよ。逃げた方がいいよ! 危ないよ!」

「大丈夫! お姉ちゃんはもっと強いからね。リリナちゃんの事も一緒に救ってあげるからさ」

 俺の言葉を聞いて、幼女は目を見開いて驚愕しつつ怯んだ。


「……いつから気付いてたの?」

「確証は無かったけどね。妖精達の会話からかな。さぁ、行こうか!」

「……うん」

 俺の手を引いて、ゆっくりとリリナちゃんは歩き出した。


 すると木々が彼女を避ける様にして道が開いていく。暫くすると、地面を見て俯きながら歩いていたリリナちゃんが、静かに自らの境遇を語り始めた。


「リリナね。こうやって沢山の人を騙して妖精さん達に食べさせたの。いつからだったのか思い出せないくらい昔から。女王様に言われたの。『リリナの代わりになる人をいっぱい連れてくれば、いつか身体を返してあげるよ』ーーって」


「…………」


「でも、いつまで経っても女王様は身体を返してくれなかった。お姉ちゃんの前に来た男の子がね、リリナに言ったの。『良い事をしてればきっと神様が助けてくれる』って。リリナが裏切った事を妖精さんに聞かされた後も、変わらずに笑ってた。その後、結局女王様に食べられちゃったけどね」


「…………」


「ねぇ、お姉ちゃん? リリナはどうしたら良かったのかなぁ? この身体、歳もとらないんだぁ。もう疲れちゃったよ。きっとリリナは存在全部が偽者なんだ……」

 俺は黙ったまま口を開かない。軽はずみな言葉をかけれない程、この子が今までしてきた事は罪が重かった。


 ーーそれから暫くすると、最初に見た大樹が見えてくる。


「この大樹の中は女王様の巣なんだ。でも普通の人には開けないの。リリナは鍵なんだって女王様が言ってた」

「そう言う事か。だからヤンデレナナは攻撃しなかったんだな。何がクイーンは残しただあの野郎」

「マスター。主人格が『私を馬鹿にすんな殺すよ』と言っております。あと私は野郎じゃありません」

「はいはい。調子が戻ってきたみたいで何よりだよ! 中に入ったら『ゾーン』を起動するからね! 索敵よろしく」

「マスターの御心のままに」

 リリナちゃんが大樹に手を触れると、地下へ続く空洞が開いていく。手を差し出してくる姿に応えると、二人で内部を進んだ。


「マスター、内部にも妖精擬きの反応が多数ありますね。そしてビナスを見つけました。生命反応に異常はありませんが、意識を失っているのか動いていませんね」

「ビナスがそんな簡単に捕まったりする筈がない。多分ピエロに浴びせられたアイテムの所為で力が弱ってるのか?」

「それについては落ち着いた場所で説明しますが、今の彼女は魔力もスキルも無い唯の魔人だと理解して頂ければ宜しいかと」

 ビナスから魔力を奪ったら、ただの可愛いツインテールドM美少女に過ぎない。それはそれでありだが。


「かなり不味いじゃん。俺に言うの遅くない? 予測不可能な出来事が続いてたし、ビナスの偽者までいたらしょうがないかぁ」

「私も万能では無いと言う事です。この森と妖精擬きの幻覚には、内心かなり苛立っています」

「本当ナナ達にそれぞれ自我が芽生えてるなぁ。ちょっと怖いくらいだよ」

「主人格はお腹を撫でながら子供の名前を反芻してますけどね」

 俺は猛烈に背中から汗を掻いていた。意識が途切れた一時間。何をされたか予想はついているが、さっきまで死のうとか言っていた主人格ナナの切り替えようが怖い。


 猛烈に嫌な予感がしたのだ。


「逃げられませんよ? マスター?」

「やめて? 人の心読まないで? ーーっと、そろそろかな?」

 ナナと脳内で会話しながら、俺は襲ってくる妖精擬きを羽虫を蹴散らすかの如く殲滅していた。


 その先に見えた扉の奥から邪悪な気配が強まるのを感じて、今はそんな場合じゃないとリリナちゃんに意識を傾ける。


「さっきリリナちゃんさ、自分を偽者だって言ったよね?」

「うん……」

「俺もそうなんだよね! ある人にいきなりこんな身体に転生させられてさぁ。でも、心は俺のままだしね。それに後悔はしてないよ。大切な仲間や恋人も出来たんだ。身体は偽者でも、君の心や魂は本物だって俺が証明してやるさ」

「リリナわかんないよ……」

 哀しげに瞳を伏せる幼女の肩を叩いて微笑む。


「俺の前に来た男の子が笑ってたって言ってたよね? その子はきっと自分が死ぬより、リリナちゃんの幸せを願ったからさ。そんな良い男に出会えたから君は俺を助けようとしたんだよ。だから、その男の子が最後に言ってた事を俺が実現してあげるね?」

「……なにを?」

 俺は『女神の翼』と『女神の天倫』を発動させ、聖なる輪を頭上に浮かべる。


「君は俺を助けて良い事をした。神様じゃないけど女神が君を救ってあげる。この先にいる妖精の女王クイーンとやらを叩き潰してね。嘘つきにはお仕置きだろ?」

「お姉ちゃん……お願いします……」

 リリナちゃんは膝から崩れ落ちて号泣している。目頭を両手で抑えつつも溢れる涙は、過去の思い出を全て晒すかの様に止まらなかった。


「任せなさい! ナナ、行くよ!」

「はい! マスター!」

 俺は双剣を抜き去り、『剣王の覇気』を発動させるとボス部屋の扉を真っ二つにして中へ突入した。


 奥には妖精の女王というより、十メートル近い体長の人と蟻が混ざった様な歪な化け物いる。腹を膨らませつつ、口元の牙をギチギチと動かしていた。


 何十本も生えた昆虫の腕が気持ち悪い。部屋の隅には木々に腕を絡めとられて気絶したビナスが見え、その無事な姿に安堵する。


 ーーあとはこいつを倒せばいいだけだ、と。


 そんな最中、女王はリリナちゃんへ穏やかな口調で語りかけた。


「愛しいリリナよ。新しい餌か? それにしては武器を持っているなぁ? 一体如何したんだい?」

「も、もうリリナは女王様のいいなりにはならない! 嫌だもん! 嫌だってずっと思ってたんだもん!!」

「もしや、妾を裏切ったのか⁉︎」

 咆哮を上げる妖精擬きの女王に向け、俺は呆れた視線を向ける。


「いやいや成る程ね。やっとわかったわ。お前妖精なんかじゃ無くてただの魔獣だろ? 自我があって喋るって事はSランクだな? そのリミットスキルで妖精族を名乗ってただけかぁ。道理で俺の萌えセンサーが反応しないわけだよ」


 ーー『女神の眼』で妖精女王を見つめた。


 __________


【種族】

 クルフィオラ

【レベル】

 76

【ステータス】

 HP 8252

 MP 4106

 平均値 4823

【スキル】

 捕食

 擬態

 魂魄封じ

【魔術】

 ファントムミスト


 __________



「中々数値が高いけど今日の俺は苛ついててさ。ビナスもほっとけないし速攻で終わらせるよ! ナナ、『神覚シンカク』発動!」

「了解しましたマスター! 複合リミットスキル『神覚シンカク』モード発動します!」


 ーーたちまち女神の身体から、金色に輝く神気が巻き上がった。


「さぁ、お仕置きタイムだぞ」

「キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 クルフィオラは咆哮を轟かせ、何十本もの脚を刃物に変化させる。途轍も無いスピードで地面を駆けると、レイアに向けて刃を振り下ろした。


「スピードはまぁまぁかな。でも動きが単純過ぎる」

 女神に迫った脚は瞬時に細切れにされ、地面に突き立てた己の身体を支える他脚も、クルフィオラが気付いた時には根元から消滅していく。


「な、なんだこれは! 何が起こっている⁉︎」

「あぁん? ただ斬ってるだけさ。ーーお前が知覚出来ないスピードでな。リリナちゃんと話があるからまだ死ぬなよ。『朱雀炎刃・閻魔』!」

 朱雀の神剣から炎の化身の姿をした『神炎』が巻き起こり、クルフィオラを生きたまま焼きながら、四肢を斬り刻んでいく。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 魔獣の肉は焼け爛れ、煙をあげながら既に意識は途絶えていた。生存はしていると確認した後、レイアはゆっくり振り向いてリリナに最後の言葉を発する。


「……そろそろいいかい? 次に生まれ変わった時は、こんな馬鹿に騙されるんじゃないぞ?」

 幼女は頬に涙を滴らせながら、眉を顰めて答えた。


「ありがとう。レイアお姉ちゃん……また、いつか会えるかなぁ?」

「良い子にしてれば、いつかきっと本物の女神様が会わせてくれるさ」

 弱々しく頷いたリリナの涙が地面にポタポタと垂れる。その勢いはひたすら増し続け、痛哭に呻きながら訴えた。


「リリナね! わ、悪い子だけど天国に行ける⁉︎ お父さんやお母さんのとこに行ける⁉︎ ちゃんと生まれ変われるのかな! 怖いんだよ。ごめん、レイアお姉ちゃん。私怖いんだよぉ〜〜!!」

 女神はその姿をわざと見ぬ様に洞窟内の天井を見上げ、右手で目頭を抑え静かに涙する。運命の歯車が少し狂っただけで人は容易く死ぬのだ。


 誰かがかくれんぼでこの子を見つけてあげていれば、こんな経験をする事は無く普通に育ち、いつか恋をして、大切な誰かと結婚して幸せに暮らせたのではないだろうか。


 ーーそう考えた瞬間、唐突に意識が途切れた。


 リリナは愕然としつつ、突然倒れたレイアを抱き抱える。


「どうしたのお姉ちゃん! 大丈夫⁉︎」

 瞼を開いた銀髪の美姫は、別人の様な口調でリリナの頬に手を添えた。肉体から放たれる輝きが、より一層強くなっている。


『聞きなさいリリナ。まずレイアを助けようとしてくれてありがとう。でも、貴女が今迄沢山の人を騙した罪には罰を与えねばなりません。ただ、長い時を経てその罪を償い終わった先に、私がきっと貴女を転生させると約束しましょう。愚直であり素直な優しい子よ。今は唯、安らかに眠りなさいね』

 幼女は胸を打たれ、赤子の様に泣き叫んだ。


「あ、あぁぁぁぁあ! リリナはなんで、なんであんな事を! ごめ、なざいぃ! ごべんなさぃ!!」

 意識を取り戻したレイアは一瞬困惑するが、リリナの様子を見て全てを終わらせようとクルフィオラへ駆け出した。


「いくよナナ! 神技『星堕ち』!」

 紅と黒の双剣から放たれし、無数の荒れ狂う暴風の如き連斬。クルフィオラの身体ごと大地を削り、消滅させる神技。


 前回のスキルイーター戦の反省を踏まえて、討伐部位の証明として頭部のみを残した。Sランク魔獣に断末魔をあげる隙さえない程その剣撃は重く、女神の激昂を轟かせる。


 全てが終わってレイアが振り返ると、最早そこにリリナはいない。先程の位置では無数の小枝が燃え盛っている。

 クルフィオラによって無理矢理傀儡人形にされ、繋ぎ止められていた魂は解き放たれたのだ。


「さよならリリナちゃん……せめて、今だけはいい夢を……」

 ビナスを抱きしめるレイアの頬を、一筋の涙が伝っていた。

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