第63話 『暖かい涙』

 

 ディーナはジビットの群れから助けたクラドに手を引かれ、エルムアの里を目指していた。レイアの元に早く戻りたかったが、泣きながら助けを求められ無碍に出来なかったのだ。


 ーー子供の涙には勝てないと、溜息を吐いている。


「チビ助よ。まだ歩くのかぇ?」

「もう少しですディーナさん。あと僕はチビ助じゃなくてクラドです!」

「妾は人の名前を覚えたり、知らない場所を歩くのが苦手なのじゃあ……主様に会いたいのぅ」

 黄昏る竜姫の寂しそうな横顔を見て、少年は何とか元気づけようと考えた。


「マッスルインパクトのみんなと一緒だったんですよね?」

「うむ。確かそんな名前の筋肉達じゃ!」

「ならきっと、みんなを救おうとエルムアの里に向かっている筈です。そこで合流出来ますよ!」

「そうかそうか! チビ助は賢いのう! 偉いぞぉ!」

 ディーナはパアッと華が開く様に満面の笑みを浮かべる。見ていてクラドも自然と微笑んでいたが、同時にある事柄が脳裏を過ぎった。


「……ディーナさんは何であんなに強いんですか?」

「妾は竜の王じゃからなぁ。人より強くて当たり前じゃあ」

「ふふっ! ディーナさんもそんな冗談言うんですね! 王と言うより姫様に見えますけど」

「白竜姫じゃよ。ーーん? 血の匂いが立ち込めておるな。そろそろかぇ?」

「はい。みんな無事でいて……」

 レイア達が攫われた仲間を助けに行ったのと入れ替わりで二人は里に到着した。


 クラドの眼前に広がる光景は、想像を絶する凄惨さに満ち溢れている。


「オエェェェッ!!」

 大地から生えた槍へ、肉団子の様に串刺しにされた仲間を見て堪らずクラドは吐いた。涙と鼻水と汚物にまみれながら、自責の念に押し潰されている。


「ぼ、僕が逃げたから! 僕のせいでみんながぁ!」

「やめい! チビ助一人いた所で殺されるか攫われるかの違いでしかないわ! 結果は変わらん!」

「……そうだ。マーニャは? マーニャを探さなきゃ!」

 クラドは突如勢い良く伏せていた顔を上げると、何かを思い出したかの様に走り出した。ディーナも続いて後を追うが、この先の生臭い嫌な気配に気付いて途端に制止する。


「駄目じゃチビ助⁉︎ やめろ! 見るな!!」

「マー、ニャ? う、うわあああああああああああああああああっ!!」


 ーー絶叫、悲鳴が里に拡散する。


 ディーナは急いで家の中へと駆け出すが、先に入ったクラドは既にマーニャの無惨な死体を直視してしまった。

 レイアのかけたローブを手から溢れ落とし、そのまま泡を吹いて失神する。


 ディーナは無意識に己の手を握り締める子供を引き寄せて、抱き締めながら頭を撫で続けた。


「安心せい。主様がここにおったのなら、今頃こんな真似を仕出かした下種はこの世にはおらんよ。今はゆっくり眠るといい」

 子守唄の様に柔らかな歌を口ずさみながら、小さな身体を包み込んだ。


 せめて夢の中くらいは幸せでありますように、と。


 __________


 俺達がエルムアの里に戻った頃には夜も深くなっていた。出迎えてくれたディーナの真横には、虚ろな目をした少年が朧げに立っている。


「おかえりでよいかな主様よ。会いたかったのじゃ。こんな状況で無ければ飛びつくんだがのう……」

「成る程ね。ディーナが誰かと一緒にいるのはナナから聞いて知ってたけど、こういう事か。君がクラド君だよね?」

「う、ああ、う、うぅ……」

 クラドは呻くだけで返事をしない。目線の焦点も合ってない様に見えた。


「先程ショックな事があってのう。起きてからこの調子じゃ。治せんか主様よ?」

「身体の傷じゃなくて心の傷はそう簡単には治せないよ。本来ならね。でも、今回は大丈夫なんだ」

「どういう事じゃ? 何か知っておるのかぇ?」

「うん。マーニャって女の子から頼まれた事があるんだよ。クラド君に伝えてってさ」

 俺はただ彼女の最後の言葉を伝える事しか出来ない。死者を蘇らせる事なんて不可能なんだから。


「ふむ。チビ助、いやクラドか。大切だった者の言葉を聞いてやれ。しっかり聞かんと後悔するぞ?」

「う、う、うあ……」

 ディーナに諭されても返事は無く、クラドは変わらず明後日の方向を見つめ呻いているだけだ。


「廃人の様になってしまった君を見て、あの子は喜ぶと思うかい? ちょっと待っててね」

 俺はマーニャの家の奥にある箪笥の棚を外し始めた。下段の奥から頼まれていた物を取り出すと、そのままクラドの前に立ち、黙って首にかける。


「今からマーニャの思いを伝えるから聞きなさい。クラド……」

『女神の翼』と『女神の天倫』を発動させ、頭上に聖なる輪を浮かべる。ジールを葬った際に聞いた、マーニャから託された思いを伝える為に。


 __________



 ねぇクラド? こんな事になって、貴方は泣いているかしら? きっと兵士達が襲って来た時、貴方は私を捜してくれたのでしょうね。


 だからごめんなさい。私は怖くて、どうしても怖くて、貴方に見つけて貰おうとも捜そうともせずに一人で隠れてしまったの。

 だからこの私の死に、貴方の責任は一切ありません。最初にこれが伝えたかったの。


 ーーきっと、自分のせいだと苦しんでいる筈だから。


 将来結婚しようって、里を大きくしていっぱい家族を作ろうって言ってくれたね。


 守れなくてごめんね?

 側にいれなくなっちゃって、ごめんね?

 私達は子供だけど、それでも本気だったよね。誰にも馬鹿にされない位、真剣に想いあえていたよね。


 だから、貴方を残して私だけがいなくなってしまう事より、傷つけてしまう事の方が私は怖い。

 お願い。どうか立ち上がって? 下じゃなくて上を向いて歩く貴方であって欲しいの。


 本当は沢山伝えたい事がもっとあるよ。でもこれは目の前にいる女神様がくれた奇跡。


 子供の私達が言うのはまだ早いねと笑い合って言わなかった言葉を、最後に伝えるずるい私を許してください。


 忘れてなんて言えない私を、どうか許してくださいね。

 本当はお婆さんになるまで貴方の側にいたかったよ。


『愛してます』ーー


 ーー『さようなら』


 __________



 マーニャの遺言を聴き終わった後、クラドの瞳には光が戻っていた。溢れる涙を堪え切れずに叫ぶ。


「うわあああああああああっ! マーニャ! マーニャ!! 僕だって本気だったさぁ! 本気で君を守って家族を作るんだってぇ! なんでこんな事が起こるんだよぉ! マーニャを返して! 返してよぉ! なんで! なんで! なんで! 僕らが一体何をしたっていうんだよぉ! 僕は彼女を本気で、愛してたんだよ!」

 エルムアの里に痛哭を響き渡らせた後、突如クラドは糸が切れた人形の様に地面に崩れ落ちた。


「上なんて向けない。君がいないんだ、向く意味も無い。歩く意味も無い。僕には力も無い。一緒に逝くよマーニャ……君を一人にはさせない」

「ーーたわけが!」

 突然ディーナが白竜姫形態に戻り、クラドの胴体を思い切り踏み付ける。


 レイア達は黙って見ていたが、その頬には涙が溢れていた。彼女の想いが強過ぎて、切なくて堪えられなかったのだ。

 ビナスとコヒナタはその想いを受け止めて、両側から抱き締め続けていた。


「ガハァッ!」

「死ぬのであろ? 妾が食ってやるから黙って耐えよ。肉は叩いて柔らかくした方が美味いからのう」

 クラドは竜になったディーナに驚いたが、それもいいかと倒れたまま動かない。精神のダメージが肉体への痛覚を凌駕していた。


「ほう? 受け入れるか。ならばもっと柔らかくせんとなぁ」

 ディーナはクラドの右足、左足を踏み潰し、骨を叩き折る。


「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ⁉︎」

「なかなかいい声で鳴くじゃないかチビ助。勝手に死ぬでないぞ。耐えろよ?」

 次に右腕、左腕を踏み潰して四肢を粉砕した。少年は既に瀕死に近い。


「うっ……」

「大分柔らかくなったのう? どれ、喰らうか。好きな女も守れなかった雑魚など、大して美味くも無かろうが」

 ディーナは爪で小さな身体を持ち上げる。両手足が折れていた為、人形の様にぶらぶらと吊り下がっていた。

 尖った牙が開き、いざ口内に含もうとしたその瞬間『ソレ』は燐光を放ちながら結界を張ってクラドを守る。


「こ、れは……」

「『深愛のネックレス』じゃよ。その持ち主の危機に結界を張るアイテムじゃ。どうやら手作りのようだのう? あーあ、これでは妾も食えんなぁ」

「ーー⁉︎ マーニャ……君は俺に生きろと言うの? 一人で寂しくないの?」

 レイアは黙って目頭を押さえ込みながら、涙を流している。自らの言葉と、マーニャの残した意志は違うのだから。答えは彼自身が見つけなければならない、と。


 ーーディーナは人化して、傷付いた少年の身体を優しく抱き締めた。


「なぁ、クラドよ。マーニャはズルい女じゃよ。言ってたであろ? 忘れて欲しくないと、愛していると。普通私を忘れて下さいじゃろ? 強かな女子じゃのう。お主が死んだら覚えておる事も出来ぬよ。どうじゃ、それでも死ねるかぇ?」

「……ズルいか。なら、僕は死ね無いんですね。このネックレスが死なせてくれない。ーーそうでしょ?」

「あぁ、誰よりもマーニャを愛しながら生きよ。それこそ女の最高の幸せじゃ。妾の主様の様にな!」

 レイアは無言のまま近付くとディーナと共にクラドを抱き締め、『女神の腕』を発動した。


「……暖かいなぁ。まるでマーニャみたいだ」

 先程とは異なる涙が少年の頬を伝う。後悔や憎しみ、哀しみでは無い愛情の涙。それはとても美しく綺麗な光景だった。

 女神は愛しい子を包むように、翼から金色の輝きを放ちながら抱き締め続けている。


 夜の闇を照らす光輝に惹かれ、自然に仲間達も暖かい涙を流した。

 少しずつ、大切な人を失った里の者達も近づいて来て、女神を中心に円を描く様に跪く。

 鎮魂歌の代わりに、白竜姫が死者を弔う歌を歌い出した。


 女神と竜の生み出した空間は、愛に溢れていたのだ。

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