プロローグ 『世界の終わり』
ーーその男は聞いた。
世界が壊れる音を。
世界が終わる音を。
ひび割れていく視界の中で、ただひたすらに叫び続けた。
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
もうどこの部位かもわからなくなった肉塊をかき集めながら、泣き続ける。
(どうして自分にこんな事が起こる。何か俺が悪いことをしたのか? 何故? 一体何故なんだ⁉︎)
いつもと変わらない何の変哲も無い空を見上げて考え続けた。
向かいの通りは慌ただしい。電話越しに絶叫しているサラリーマン。吐き気を堪える四十代前後の女性。走り逃げ出す高校生達。
しかし、誰も近づいては来ない。異様な光景に身体が固まってしまっているのだ。
それは自分達の常識が一切通じない、異世界の存在を初めて見たかのように。
__________
ほんの二十分前。男はスーツを着て家を出た。仕事に生きがいを感じているわけではなかったが、二十代の頃好き勝手に遊んで生きてきた分、就職してからは真面目に働いている。
飲食店の店長になったのは、三年程前の事だった。
三十代になると職場で出会った妻と結婚し、今は一歳半になる漸く歩き出した息子がいる。
「ダァ〜バァッ!」
「パーパよソウシ、パーパ! ふふっ、まだ話すのは無理ねぇ?」
バス通勤の男を見送る妻の近くを決して離れないが、少しずつよたよたと後をついてくる息子に微笑みながら語り掛けた。
「早くきちんと呼んで欲しいもんだなぁ。チビ助?」
男はそっと優しく頭を撫でると『こんな人生も悪くない』なんて、毎日そんな風に仕事に向かう前に考えていたのだ。
「今日は飲みに行かないで、帰って来てよ?」
「あぁ、なるべく仕事が終わったらすぐに帰るさぁ!」
妻が呆れた顔をしながら、酒好きの夫に声をかける。
いつものやりとりだが、男は妻の冷ややかな視線に気づいていない。首を傾げながら答えると、そっと息子の手を握り再び歩き出した。
「あまり遅いと先にごはん食べちゃうから--ーーえっ⁉︎」
妻が後ろから声をかけている瞬間、異変に気付く。右側から迫るトラックの動きが、ふらふらとおかしい。運転席を見ると誰も乗っていないのだ。
男は逆車線のバス停を見ており、気づいていない。迷う暇は無いと妻は全力で駆け出した。最愛の夫と息子を守ろうと、無我夢中で身体ごと手を押し出す。
ーードンッ! ベキャッ! バキン、ガガガガガガガガガガッガガッ!!
男は歩道から車道に押し出され、いきなりなんだと倒れながら背後を振りむく。そこに映った光景は『一瞬』だ。時間が遅くなったように感じることもない。
『現実』なのだ。倒れた瞬間には、全てが終わっていた。
右手で握ってる筈の息子がいない。背後を歩いている筈の妻がいない。
トラックが歩道の壁にぶつかりながら、破壊音を撒き散らし、暴走し、赤い血を曳きずりながら、二本のレールを道に繋げていく光景のみ。
「う、うああああああああ〜〜⁉︎」
男は訳が判らずに呻く。毎日ニュースで悲惨な事故が起こる事など知っている。家族を失った悲しみを背負って生きていく、ヒューマンドラマに涙したこともある。
だが、そんな非日常が自分の身に降りかかるなど想像できようがない。なんの悪い冗談だ、と。呪いのように呟き続け、頭の中で必死に祈り続けた。助けてくれと。時間を戻してくれ、と。
(妻が何をした? 俺が何をした? 息子はどこにいる? どこにいるんだ!!)
ーーまだ、助かるかもしれない。
「……集めなくちゃ……」
男はその時にはもう狂っていたのだろう。ふらっと立ち上がり、よろよろと赤いレールの中心を進む。横転したトラックの近くで、必死に見当たる限りの肉塊をかき集め始めた。
だが、通常の事故でこの様な事象は起きない。作為的な『何か』を本能的に男は感じ取っていた。
現場を目撃してしまった人達は、血だらけになった異様な姿に誰も近づけない。妻の頭部だったものを抱えながら、次第に男の思考は黒く染まっていく。
周囲を黒霧のような靄が包み込み、次第にそれは放電しながら形を成していった。
ーー深く、深く、暗い闇、黒い闇。
「こんな世界、壊れてしまえ」
「こんな世界、終わってしまえ」
「こんな世界、壊シテヤル」
次第に男の言葉に呼応するかの如く、闇が周囲へ広がり始めた。
ーー「俺ガ、世界ヲ終ワラシテヤル」
男の憎悪と嘆きに共鳴するように、空間が歪む。空が割れる。悲鳴が拡散する。
闇波に飲まれ、どこにも逃げ場がないのだと人々が理解した時にはもう遅い。全てが闇から生み出された『黒手』に喰らい尽くされていく。
雪崩の様に魂が溢れ出し、津波の様に闇が全てを飲み込んだ後、男は黒いボールのような球体の中で、妻と息子を想いながら嗚咽を漏らし、慟哭を響かせ、号泣しながら意識を失った。
この日、男の世界を始めとして神々が治める数々の世界は、
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