十四品目:ベヒモスのハンバーグ(Part4)

 メテオラ鉱山での死闘から、わずか半日。

 ギルド【翼竜の鉤爪】の応接室には、張り詰めた空気が流れていた。


 報告を終えたレオンたち【白き狼騎士《ベオウルフ》】は、静かに椅子に腰を下ろしていた。

 対面のソファには、老ギルドマスター・リリアナ。そして、彼らを救った鉄鎧の男――【孤高の鉄剣士《アルーフ・リベリ》】ことオスカーの姿がある。


 紙束を読み終えたリリアナは、長いため息を漏らした。


「……やれやれ。【悪角のリドルゥ】。ヤツはいったい、どこまで竜を喰らえば気が済むのじゃ……」


 その呟きに、レオンたちの背筋が凍る。

 あの笑み。あの異形の姿。思い出すだけで喉が渇いた。


「オスカーさん。ヤツは、ハイノ草原のときとは違う姿をしていたんですよね?」

「ああ。まるで別の魔物だ。だが……あの目と笑みは同じだった」


 短い言葉でも、オスカーの声には重みがあった。

 リリアナは、眉間に皺を寄せる。


「……おそらく、【地脈竜ガバナティ】と【風鎌竜ネビルシュート】を喰らい、その特性を取り込んだのじゃろう。そして今度は、【溶岩竜マグナニス】を――」


「ちょっ、ちょっと待ってください」


 ネイトが慌てて手を挙げる。


「つまり……【悪角のリドルゥ】、竜を喰うたびに進化してるってことですか?」

「そうじゃ。肉体的な特性だけな。魔法は使えんはずじゃ」


 リリアナの口調は静かだが、その声には焦りが滲んでいた。

 レオンは唇を噛む。


「でも……それでも厄介だ。硬度も飛行能力も持ってるなんて、ほとんど真竜ですよ」

「そうだな」

 オスカーが低く応じる。

「だが、“本物”ではない。なら、必ず隙がある」


 その言葉に、場の空気がわずかに和らいだ。

 だがガイが紅茶を飲み干しながら、ぼそりと呟く。


「……にしても、あの数のワイバーンは反則だろ」

「ゆえに今度こそ、ギルド全体で仕留めねばならん」


 リリアナは手に持っていた冒険者リストに視線を移した。


「【白き狼騎士】、【黒鉄の蹄アイアン・フーフ】、【三賢者】、【不死鳥の勲章ガルダ・エンブレム】、【不動山】、【鬼神炎雷】……これで六組。さらに――」


「……俺も出る」

 オスカーの低い声が、部屋を貫いた。

 誰もが息を呑む。

 リリアナはゆっくりと頷き、目を細めた。


「……助かる、オスカー。おぬしの剣、まだ衰えてはおらんな」


 男は何も言わず、ただ黙って立ち上がった。




 夜の街は、静かだった。

 街灯の淡い光が、石畳の上に二つの影を落としている。


「……すまない、待たせたな」

「いえ! 全然!」

 レオンは笑顔で振り返った。

 鉄鎧ではなく軽装に着替えたオスカーは、少し若く見えた。……いや、ちょっと格好良すぎる。


「ほかのメンバーは?」

「ネイトたちはぐったりで、ガイさんは奥さんと休むそうです」

「そうか。……じゃあ、二人で行くか」

「はい!」


 二人が向かったのは、街のはずれにある一軒の料理屋。

 木の看板には、優しい筆致で【妖精の宿り木】と刻まれていた。


 扉を開くと、鈴の音がチリンと鳴る。

 カウンター越しに顔を上げた店主――アキヒコが微笑んだ。


「いらっしゃいませ。……おや、珍しい顔ぶれですね」

「ああ。今日はコイツと一緒でな」

「そうでしたか。お席はカウンターで?」

「それで頼む」


 座るなり、オスカーは麻袋を取り出し、カウンターへ置く。

 ずしりとした音が響いた。


「……これは?」

「ベヒモスの肉だ。上手く使ってくれ」

「ほう、上物ですね。――では、ハンバーグにいたしましょうか」


「ハンバーグ!」


 レオンの目が輝いた。

 まるで子供のように。


「俺、ハンバーグ大好きなんです!」

「そうか。……じゃあ、それで決まりだな」


 アキヒコは頷き、厨房へと消えた。

 包丁がまな板を叩く音。

 ジュワッと油が跳ねる音。

 香ばしい香りが空気を包み、胃袋を掴んで離さない。


 ベヒモスの赤身はミートミキサーで丁寧にひかれ、艶のあるミンチへと変わっていく。

 そこに炒めたオラノの実が加わり、甘くとろける香りを放った。

 ナツメグと白胡椒が混ざると、空気ごと“美味しさの気配”に染まっていく。


「……なんという香りだ……肉の匂いなのに、刺々しさがまるでない」

「ふふ、これがベヒモス肉の本領ですよ。脂が甘く、熱を加えると一気に花が咲くように香りが立つんです」


 アキヒコは両手で肉だねをまとめ、空気を抜くようにトン、トンと打ちつけた。

 そのたびに、弾力ある音が小気味よく響く。


 鉄板に置かれた瞬間――

 ジュワァァッ!!と音が爆ぜた。

 熱された脂が踊り、香りが店いっぱいに広がる。

 甘い、香ばしい、肉の深い香り。

 まるで胃を直接くすぐるような誘惑だった。


 やがて、アキヒコは銀のトレイを持ってカウンターに戻ってきた。

 その上では、鉄板の上のハンバーグが音を立てていた。

 付け合わせのキャリノと、ほくほくのじゃがいも、緑色のいんげんが彩りを添える。

 ソースがかけられた瞬間、肉の香りとトマトの酸味が混ざり合って、思わず二人の喉が鳴った。


「お待たせしました。ベヒモスのハンバーグでございます」


 まるで魔法だ。

 鉄板の熱気が顔を包み、香りが鼻をくすぐる。

 視覚も嗅覚も味覚も、食欲の嵐に巻き込まれる。


「……いただきます」


 レオンはナイフを入れた。

 スッと刃が通り、断面から黄金色の肉汁がとろりと溢れ出す。

 湯気の中で、肉汁が小さく泡立つ――。


「な……何だこれ……柔らかいっ!」

「焦るな、まずは味わえ」


 一口。

 その瞬間、世界が変わった。


 ベヒモスの肉は獣臭さが一切なく、噛んだ瞬間に肉の繊維がほどけ、舌の上で溶ける。

 上質な脂が舌を包み、ソースの酸味がそれを追いかけてくる。

 甘さと旨味、酸味と塩気が複雑に絡み合い、まるで音楽のように舌の上で奏でられた。


「……っ、う、うまいっ! やばい、これ、ライスが欲しくなるやつです!」

「ふむ……このソースも絶妙だな。酸味の奥に、わずかに香る甘味。砂糖ではないな……」

「蜂蜜を少々加えております」

「なるほど……肉の脂を受け止めつつ、後味を爽やかにしているか」


 ライスを口に運ぶと、ねっとりとした甘みが肉汁と混ざり合い、深みのある余韻を残す。

 キャリノをひと口。甘く煮崩れ、舌の上でほろりと溶ける。

 いんげんはシャキッとした歯ごたえで、ソースの濃厚さを引き締める。


「このスープも……!」


 レオンはコーンのポタージュを飲んで、思わず目を細めた。

 とろりとした甘味が喉を滑り、心まで温まっていく。


「……ああ、生き返る」

「戦場帰りの胃袋には、こういう温もりが一番効く」


 二人はしばらく無言で食べた。

 ただ、鉄板の音とスプーンの触れる音だけが、穏やかに響いていた。


 満腹になった頃、レオンが顔を上げる。


「オスカーさん。……俺、本当に憧れてるんです」

「……またか」

「本気ですよ! 俺、戦いばっかりで、こんな風に『誰かと飯を食う』ことすら、ずっと忘れてました。でも――今日、やっと分かった気がします」

「何がだ」

「オスカーさんが、どうして“生きてる”のか」


 オスカーは静かに目を閉じ、水を一口。

「……俺は死なない。あいつらと、まだ戦ってるからな」

 その声は低く、けれど温かかった。

 レオンはそれ以上、何も言えなかった。


 オスカーは立ち上がり、硬貨を置く。


「店主、ご馳走だった」

「ありがとうございます。またお越しください」


 鉄の扉が開き、夜風が吹き込む。

 オスカーの背中が、淡い光に包まれた。


「……かっこいいな」

 レオンは思わず呟いた。


 アキヒコは皿を片付けながら微笑む。


「彼が誰かと食卓を囲むのは、珍しいことなんですよ」

「……そうなんですか?」

「ええ。だから、今日のことを忘れなければ、それだけで十分です」


 レオンは頷き、深く頭を下げた。

「ご馳走さまでした。また、必ず来ます」


 外に出ると、夜風が優しく頬を撫でた。

 腹も、心も、満たされていた。

 ――この味は、忘れられない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る