眠れる森と夢の時間
五月七日
第1話 眠りを誘う森
レイナたち調律の巫女一行は、ある存在の気配を探して、深い霧の中をさまよっていた。温度も、匂いも、音も、何も感じることのできない空間を、ただただ突き進む。
沈黙の霧と呼ばれるこの霧は、想区と想区を繋ぐ橋のような役割を持っている。
何も感じることのできない霧の中へ、初めて足を踏み入れた時……エクスは、恐怖に似た何かを抱いた。だが、何度も渡り歩くようになった今では、その気持ちもほとんど薄れていた。
ある日、エクスは、初めて自分の運命を自分自身で選ぶ瞬間に出会った。
そして、【調律の巫女】と呼ばれ、不思議な力を持つ少女――レイナや、彼女の仲間であるタオ、シェインと共に、旅をすることを選んだのだ。
「……こっちだわ」
先頭を歩いていたレイナが、そう呟いて、歩く方向を変えた。
一行はやみくもに霧の中を歩いているわけではなく、ある存在――カオステラーと呼ばれる存在を探しているのだ。なんでも、レイナはカオステラーの気配を探ることができるという。
「待ってください、姉御! そうやってさきさき行くと、危ないですよ」
方向を変えて進むレイナの元へ小走りで向かった少女は、タオと「義兄弟の契り」を交わしたというシェイン。そして、シェインの後を追うように、タオもレイナの元へ向かっていった。
タオとシェインは、同じ想区の出だ。二人の想区は、「桃から生まれた男の子が、悪事をはたらく鬼を退治する物語」だと聞いた。
機会があれば、また行ってみたいな。と、エクスは内心で呟いた。
「おーい、エクス? 霧の中で離れると、危ねえぞー!」
未だレイナ達と少し離れている所に居るエクスに対して、タオが声を掛けた。
沈黙の霧の中、音もないというのに、タオの声はよく響く。
「あぁ、ごめんごめん!」
タオの声を聞いて、エクスは慌てて三人の元へ駆け出した。
「霧の中で離れると危ない」――この言葉が、「一人で居ると迷ってしまう」という意味では無いことを、エクスは最近知った。
レイナ曰く、自分たちのような――空白の頁しか無い【運命の書】を持つ人間が、沈黙の霧を歩くと、段々と自分の姿を見失い、最後には、霧と同化して消滅してしまうのだとか……。そして、その消滅から逃れるには、自身と共に歩き、自身が存在していることを認識する相手が必要なのだという。
レイナにとってのそれはエクスたちであり、また、エクスにとってのそれも、レイナたちである。
その説明がされた時のことを思い出しながら、エクスはレイナの後ろ姿を眺めた。
タオやシェインからはよく「ポンコツ」と評されるレイナだが、エクスはあまりそうとは思わなかった。(多少思ったことがある、という事実は伏せておく。)
なぜなら、レイナはレイナなりに、自身のできることをめいっぱい頑張ろうとしている。と、エクスは勝手に思っているからだ。
「それにしても……次の想区まで、まだ掛かりそうなんですか?」
シェインが、レイナに対してそう訊いた。霧の中……時間の感覚も曖昧になるこの場所だと、延々と歩いている気がする。シェインも、いいかげん歩き疲れたのだろうな。と、エクスは勝手に解釈してみる。
そして、シェインのその問いかけに対して先に反応を示したのは、レイナではなくタオだった。
「きっともうすぐ着くと思うぜ。心なしか、霧が晴れてきてるからな……」
タオの言葉を聞いて辺りを見渡してみれば、確かに、霧の奥に、薄っすらと景色が見える。ぼんやりとだが、緑が生い茂っているように見えなくもない。恐らく、この場所は……
「どこかの森、かしら……?」
エクスが声に出すよりも先に、レイナがそう言った。エクスは、レイナの言葉に同調するように、「たぶんそうだと思う」と答える。
「姉御、カオステラーの気配はしますか?」
「えぇ、してるわ。ここで間違い無さそうね……」
カオステラーの居る想区へ辿り着いたことを確信し、心なしか表情を曇らせたレイナ。
カオステラーというのは、想区の主である、全智の存在――ストーリーテラーが、異常を引き起こして、想区を混沌へ引きずり込もうとする存在へと変わってしまったもののことを指す。しかも、カオステラーの存在を放置すると、想区が混沌へと染められ、やがて想区そのものが消滅してしまう。
そういった想区を守るために、レイナたち【調律の巫女】一行は旅をしていた。
そして――レイナもまた、カオステラーによって自らの想区を喪った少女であるという。だから、レイナのカオステラーと戦う志が人一倍強いのは、きっとそれが理由の一つだとエクスは思っている。
「……よしっ! まず、ここが何の物語の想区なのかを調べるわよ。早くカオステラーを見つけて、調律しないと……!」
そう言って、自分に喝を入れるかのようにしゃべるレイナ。それに、タオとシェインが賛成の声を上げた。
「そうだな。とりあえず、森から出てみようぜ!」
「シェインもタオ兄に一票です。街で情報を集めるのが、一番手っ取り早いですよ」
「そうね……エクスも、それでいいかしら?」
タオとシェインの声を聞いてから、エクスへと視線を向けたレイナ。エクスもまた彼らと同じ心情であったため、反対という選択肢は、持ち合わせていなかった。
「うん。僕もそれでいいと思うよ。街へ出て、人に話を聞くのが一番だと思うし」
「えぇ、そうね。そうと決まれば、はやく行きましょう!」
そうして、情報収集のために街へと一歩を踏み出す。
もちろん、一行は街への行き方など知らない。どうやって街へ向かうかと考えていたところで、森にできていたけもの道を見つけたため、一行はそれに沿って歩くことにした。
「ところで、この森って……新入りさん? 何だかふらついちゃってますけど、大丈夫ですか……?」
ふと声を上げたシェインが、少しふらついた歩きをするエクスに心配の声を投げ掛けた。
「えっ? あ、ごめん……何だか、とても眠く、て…………」
シェインの声に反応を見せたエクスだが、ゆっくりと、土の上に倒れこんだ。
どさり、と重い音が森に響いた。
「ちょ、ちょっと、エクス!? 大丈夫? 体調が悪いなら、このあたりで休んだ方、が…………」
倒れたエクスの元へ慌てて向かったレイナも、言葉を途切れさせて、エクス同様倒れこんでしまった。
エクスよりは軽く、けれどもしっかりとした重みのある音が、また響く。
「坊主!? お嬢!? お、おい、一体どうしちまったんだよ!」
「落ち着いて下さい、タオ兄! ……どうやら、眠ってるだけみたいです。ちゃんと脈はありますよ」
慌てて二人の元へ駆け寄り、そっと首筋に手を添えたシェイン。エクスもレイナも、脈はあるし、呼吸もしっかりしていた。
二人が寝ているだけ、と聞いて安心したのか、タオは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「眠ってる、だけ……なんで急に……?」
「それはシェインには分かりかねます。とにかく、タオ兄。二人を運ぶのを手伝って――タオ兄? タオ兄!」
ふらりと倒れてしまったタオの元へ急いで駆け寄ると、タオもまた、意識がもうろうとしているらしかった。
「わ、り……シェイン……おれも、すっげえ、ねむ…………」
言葉を最後まで放つ前に、タオも眠りについてしまった。突然倒れ、眠ってしまった三人に、シェイン一人では為す術もない。そして、
「皆さん、急にどうしちゃったんです、か…………」
最後に残ったシェインも、三人同様地面に倒れ、眠りにつく。
一行の歩いてきたけもの道の先では、不気味にそびえ立つ緑の城が、薄気味悪く嗤っていた。
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