73匹目 これからの世界

 停戦・和平調停会議は帝国領土内の魔族領境界線に近い街で開かれた。

 帝国貴族の一人、マリス・プリオメラ嬢の屋敷内に会議室が用意され、そこに帝国議会のメンバーが集結する。


 この会議には魔族側から上級魔族が数人派遣された。

 その中には僕も含まれている。


「お待ちしておりました」

「どうも、失礼します」


 高貴な装飾が施された会議室には、マリス嬢を中心とした帝国貴族が待機していた。彼らの人数は指で数えられるほどに少ない。


「空席が目立ちますね……」

「多くの貴族が戦死したからな。そのせいだろう」


 僕はマリス嬢と向かい合うように腰かけ、彼女の表情を窺う。

 老人だらけの帝国議会だが、彼女だけはかなり若い。確か、僕よりも数歳年下のはずだ。カールのかかった銀髪の、白い肌の美少女である。幼さを感じさせない凛とした態度で、サファイアのような深く青い瞳がこちらを見つめ返していた。

 彼女は先日の魔族領侵攻作戦には参加せず、帝国議会でも穏健派の立場だったらしい。それならば頭の固い老人たちよりも話が通じるだろう。


 正直、魔族陣営もピンチだった。


 かつての帝国軍侵攻によって多くの集落が荒らされてしまったし、兵士にもケアが必要だ。こちらが戦争にかけられる金や物資も無限ではない。これ以上戦闘を続けると軍全体の士気が低下してしまい、後に悪影響を残してしまう。デュラハンはそう判断したのだ。

 豚鬼オークの族長については最近まで人間を徹底的に叩く構えを見せていたが、クリスティーナに助けられたことで考え方が変わったらしい。さすがに命の恩人には彼も逆らえないのだろう。「自分の集落の安全が確保できればそれでいい」と納得してくれた。


 そういうことがあって、魔族は和平協定の申し出に応じたのだ。






     * * *


 その会議ではこれからの方針について話し合われた。


 軍事力削減。

 戦闘捕虜の扱い。

 占領地の返還。

 兵器開発のための資源搾取の禁止。


 そんなことが、この会議室で決定していく。


 跡取りを失った貴族は帝国議会での席を失い、代わりに帝国内の各地方・各種族の代表者が空白を埋めることになった。誰を出席させるかは再度代表者を呼び集めて決定するらしい。


「随分あっさりと要求を呑んでくれましたね」

魔族そちら反抗勢力レジスタンスが何度も接触していることは把握しています。裏でどういう契約があるのかも、大体予想がつきます」

「話が早くて助かります」


 僕らは反抗勢力レジスタンスと手を組む代わりに、彼らの独立の手助けをするという契約を結んでいる。この会議で帝国側に自治権を彼らに与えるよう提言するつもりだったが、すでに向こう側である程度決定していたようだ。


「多くの種族をギルダから救ったあなた方を魔族領内外で英雄視する動きが広がっているのです。それに、帝国内でも広がる自治権獲得運動。この状況からもう分かるでしょう?」


 マリス嬢は真っ直ぐな瞳で僕を見つめる。


「多くの種族を統合して支配力を強めようとしている帝国が『世界の敵』として見られつつあるのです。この国が生き残るためには、彼らを受け入れるしかありません」


 こうして、帝国との停戦・和平協定は結ばれた。

 僕の最後の戦いは終わったのだ。









     * * *


「カジ・グレイハーベストさん。確か、あなたはモンスター・デベロッパーだと聞きましたが、間違いありませんか?」

「ええ。そうですけど……」


 数日間にも及ぶ会議の途中、僕はマリス嬢と夕食をする機会があった。赤い夕日を反射する湖を一望できる一等客室での豪華な食事だ。清潔感のある白いテーブルクロスが引かれた狭い机に並べられたワインと料理を僕とマリス嬢の二人で囲む。

 どうやら彼女から個別に僕へ話があるらしい。


「あなたは、モンスター合成魔術を発見した男の話をご存知ですか?」

「はい。妻の飼っていたミニマムスライムが机から落ちて死んだのを、彼の蘇生術で復活させたら二体が一体になっていた、というところから発見されたのは知ってます」


 モンスター・デベロッパーの職に就いた者ならほとんどが知っている話だ。

 妻が大切にしていたペットモンスターが二体同時に死んでしまい、悲しむ彼女をどうにか慰めようとモンスターに蘇生魔術を使ったらしい。しかし蘇生できたのは一体だけ。二つの死体は融合されてしまったのだ。

 大昔の魔族がそれを発見して、現在の合成魔術として発展させたらしいのだが――。


「その方が、元々女神教団の聖職者であったことについてはご存知です?」

「え、そうなんですか?」

「私の先祖から伝承されてきた話です。私の先祖も女神教団の聖職者で、彼の同僚だったらしいのです。ある日、彼は当時の魔王及びその側近と交友関係を築いていることが教団上層部に知られてしまい、家族ごと魔族領へ追放されるのです」


 どこかで聞いた話だ。

 かつて魔族と関係を持ち、人間の世界から追放された男。クリスティーナとの最中に話題に上がった人物だ。


「私の先祖もその交友関係を知っていて、追放に反対したらしいのです。『彼のような人間がいれば魔族との関係を緩和してくれる』と。実際、彼が人間側にいた頃は魔族も大人しかったようです。しかし彼女の言葉が上層部に届くことはなく、彼の追放は実行されてしまいました。彼女はそれを悔やんでいたそうです。あなたもこの話を聞いたことがありますね?」

「はい……」


 マリス嬢は僕の反応から察したのだろう。

 年齢に似合わず、鋭い洞察力だ。


「兵士から『カジという人物が出て来てからモンスター・デベロッパーの脅威度が急激に上昇した』と聞いて、この話が頭に浮かんだのです。あなたがモンスター・デベロッパーとして戦場で活躍できたのは、彼の血があなたに流れているからではないでしょうか」

「それは……どうでしょうね。自分はそういう話を聞いたことは一切ありませんし、僕が今の地位まで上り詰めたのは『モンスター愛』をこじらせた結果だと思ってますから」

「ふふっ、面白い方ですね。まぁ、私の憶測に過ぎない話ですので、妄想しがちな子どもの戯言程度に留めておいてください」


 そして、彼女は話の触りの部分について切り出した。


「私があなたにここでお願いしたかったことは、人間と魔族の関係を結び付ける紐帯ちゅうたいとなってほしい、ということです。かつての私の先祖たちのように」

「僕が、ですか?」

「はい。私個人からのお願いです。あなたが本当にこの国と協定を結ぶ気があれば、の話ですけど」

「それはもちろんありますけど、どうして僕を選んだのですか?」

「先程デュラハン様と少し会談しまして、彼に『魔族あなたたちの中で一番戦争を終わらせたい願望を抱いているのは誰ですか』と質問したのです。そうしたら、それはグレイハーベスト様だ、と即答されましたよ」


 マリス嬢は食事する手を止め、その大きな瞳で僕の顔を覗き込む。


「あなたは、どうしてこの停戦を受け入れようと思ったのですか? 反抗勢力レジスタンスとの契約や兵士の疲弊以外の、個人的な理由をお持ちですか?」

「それは――」


 もちろん、理由は決まっている。


「好きな人がいるんです。人間に」


 クリスティーナ。彼女のために僕はここへ来た。


「僕は彼女と平和に暮らしたいんです。でも、彼女は心も、体も、育ててくれた故郷すらも戦争が原因で追い込まれていました。彼女を救うには、戦争を止めるしかないんです」


 これが僕自身の協定を受け入れた理由だ。

 戦争を続けた状態のままでは、彼女とは幸せになれないだろう。彼女は帝国軍にも追われているし、彼女が暮らしていた集落だって危険な状態にある。

 先日、深夜のテント内で僕と彼女は体を触れ合った。そのとき、彼女は震えていたのだ。様々な恩がある故郷を捨てて自分だけが幸せになることに恐怖を感じていた。

 あの不安を払拭してあげたい。それができるのは、帝国内で強い権限を持つ人物に限られる。


「なるほど……」


 マリス嬢はニコリと笑う。


「もしそのお方を助けたいのならば、私も力を貸しましょう」

「どうしてそんなに肩入れしようとするんですか?」

「理由は帝国われわれのイメージ戦略でもあります。国はかなり疲弊してますし、これから改革も起こるでしょうから、戦争を再び起こしにくくしたいのです。そのために少しでも国民に『和平協定は意味のあるものだった』と印象を植え付けたいのです」


 彼女は視線を部屋の壁に向けた。そこには一枚の大きな肖像画が飾られている。おそらく、描かれている凛々しい顔の女性が彼女の先祖なのだろう。


「それに私、先祖の言葉を信じてみたいんです。本当に関係を緩和してくれるのかな、って」


 それは若々しいマリス嬢の無垢な願いだった。

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