「本多をたぶらかすのはもうやめろ、黒澤!」

亀利谷が長ネギを突き出し、その先を黒澤に突き付けた。


黒澤が身を引いた。部屋の映像がまた揺らいだ。

「哀れだな、亀利谷。お前は自分が知っている異界がアガルタだと信じあるいは教えられていたか。ひたすらに俺を敵視する以外に自分を保つことが出来ないのだな。お前がアガルタの由来だと思っていた多次元の無数の世界すら、アガルティアンの思惑の内側の世界。自分が信じている価値観が崩れるというのは悲しいものだ、良く分かるぞ。もはやわずかな残る信念にすがるしかないそれは、水谷の末路と似ている」

そして動じる様子もなく、亀利谷を無視するように引き続き真人に語り掛けてくる。


「真人。お前がこうしてここに来ることは分かっていた。いや、正しく言おう。何者かが俺の後を追ってくることは分かっていた。それが俺の選んだ物語。俺にはアガルティアンに定められた物語を読み解くことしか出来なかった。こうしてお前がやってきたということが、あるいは俺が存在した意味なのかもしれない。真人、お前は物書きなんだろう? 物語を紡ぐ人間だ。俺が、ただ水谷美奈子との取引だけのために、何の才能もない男に投資していたと思うか?」

「――?」


「俺の物語は、一つの仮説だったのだよ。俺は四次元の肉体に制約されることを選んだ。だが人の意識が制約を外されれば次元を超えるものであるなら、創造主にさえ到達出来るものであるはずだ。アガルティアンが上級の次元から俺達を観測しているというのなら、観測が対象に影響を与えずにはいられないというのなら、影響を受けている俺達からアガルティアンを観測する方法もあるのではないか。俺は世界の理を知ったが、創造主に追いついてはいない。知りたいではないか。人が、意味を求める知的生物だというのなら、創造主たるアガルティアンが世界を無から創造した意味を。俺達がシミュレーションの登場人物だとして、アガルティアンはなぜこんなことを始めたのか。アガルタの遺産をもってしても、そもそもこの世界系の中に閉じ込められた俺にはそれを知ることは出来なかった。だが、本当に意識というものは、創造されただけのものなのか? 意識はそれ自体、意味があるものではないのか? それを知ることが出来る可能性、その物語の紡ぎ手を俺は待っていた」


そこで黒澤はじろりと亀利谷を睨んだ。

「その長ネギで俺を始末するというなら始末するがいい。俺の肉体は失われるが、原初の意識に還るというだけだ。そのぐらいのことは分かるだろう?」

そして再び真人に顔を向ける。

「あの統合装置の意味を訊ねたな、真人よ。白琴洞に置いたものは疑似だったが、ここにあるものは本物だ。これこそ、お前への贈り物なんだよ、真人」


「―??」

真人は首を傾げた。


黒澤の眼が急に落ち着かなくなり、慌ただしく真人と亀利谷の間を往復し出した。そして思いがけないことを口にした。

「この若造の目的は、アガルタの影響をこの次元から排除することだな。排除されるのは俺が最後だと思うか?」

「ん…?」


「お前はどうなんだ、真人? 装置の影響で記憶を引き出せなくなっているお前は?」

「…!?」


「俺の次はお前も排除されるぞ。空山君もな。いや、阿賀流も仙開も、この男はアガルタに因果があるものすべてを消すだろう。もはやこいつが信念だか自分の正義だかを守り通すにはそれしかないのだからな。猶予はない、真人。お前は、知りたい、抗いたいのだろう? なぜ世界はこうなのか。運命とは何なのか。それを創り出したものを、創り出された理由を。原初の意識に混ざり統合されてなお、お前は、アガルタのプログラムを乗り超えた物語を紡ぎ、アガルティアンにさえ到達出来るはずだ。心を極限まで枯渇させたお前には、アガルタに触れる資格がある。俺が成せなかった物語を紡いでみせてくれ」

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