「たくさんだ!」

亀利谷が長ネギを手に黒澤に詰め寄った。亀利谷が動くとその部分だけ映像が歪んで見え、星をまとって勇ましい姿に見えた。


「今さらお前が本多に何を求める? お前が仕掛けたことが、俺や本多としおりんをここに導いたというが、それは自分の首を絞めただけだぞ。お前のせいで本多達は苦しめられてきた。俺もお前が乱した因果のために影響を受けたんだ。統合実験とお前が偽っていたあの装置。時期が符合する。俺がこの世界に縛り付けられた時にな。遠く離れているはずの次元同士が交錯している。この世界だって、もう、おかしくなってきているんだ。こんな干渉が続くと、もうすぐ恐ろしいことが起こる、ボスはそう言っている」


「貴様等にとって、だろう。俺や真人、空山君にとっては、それはこの次元で起こるべくして起きる事象に過ぎない。自分の価値観で世界を判断するな」

「そんな矮小なことを言ってるんじゃねえぞ。またいつ次元が交錯するか、今度はこの世界が砕け散るのかもしれない。可能性の交錯とはそういうことだ。予兆など何もない。ある日あるとき突然に次元は交錯し、乱れ、消滅する。そうならないために、可能性は交錯から遠ざけていくしかないんだ。この次元の因果に影響する外部要因は修正されていかなければならない。すでにこの次元は別の次元と交錯を始めている。因果が逆転し、他の可能性が浸食を始めている。だから俺もここに来てしまった」

「くだらん。そう行動する貴様の行動もすべてプログラムの成せる業。次元の交錯だと? それもまた起こるべくして定められたこと。それを妨げようとするなら貴様こそ悪、世の理に反するものだ」


真人にも黒澤と亀利谷の対立する論点、価値観がはっきりと見えてきた。黒澤と亀利谷が理解し合うことはまずありそうもない。


では真人としおりは?

真人達はどうするべきなのか。


亀利谷は黒澤への反論を続けた。

「ボスはお前のような奴が生まれることを懸念していたんだ。ボスは俺を救ってくれた。お前が偽善と言おうが、俺はお前を断じる。この次元がこれ以上お前に歪められないように。俺は俺の正義を守る」

「正義とはまた古びた概念を持ち出してきたものだ」

「古い新しいの問題じゃねえぞ。正義は普遍的なものだ」

「ハ! 正義の名のもとに俺の同胞は痩せ衰え死んでいった。正義などというものは人間が自分の価値観を正当化するための幻想概念だ。貴様に正義があるなら俺にも正義がある」


「お前の正義だって? それこそお笑いじゃねえか。俺達はお前のくだらないゲームの犠牲者なんだぜ。お前は神なんかじゃねえし、正義であるはずがない。俺達がお前に引導を渡して―」


真人は、黒澤に告げる亀利谷の最後通牒を、思わず遮っていた。

「ま、待った!」

「ん…!?」


「まだだ。まだ、俺は黒澤に訊きたいことがある」

「…なんだよ、本多。こいつは時間を引き延ばしているだけだ。すべてを知ったとか偉そうなことを言っているが、自分の罪は認めずに逃げようとしている」


「それは、そうなのかもしれない。だけどな、なんかしっくり来ない…」

そこで真人は言い渋ったが、いま自分が抱いているものは、そのまま口にすることにした。

「…俺達って、亀利谷さん。あんたとしおりと俺でひとくくりにされることも、だ。その意味では黒澤が言うことは正しいとも思えてしまう。俺としおりからすれば、黒澤と亀利谷さんはどちらも俺達とは違う。あまりにも、違う。人間としての…本質的な何かが違っているように思える。アガルタというものに触れると、人はみんなそうなるのかい? 正義は本当に普遍的な価値観なのか? 絶対善が、本当にあるのか? そんなものがあるなら、なぜ運命というものは佳澄や真緒に残酷だったんだ? 亀利谷さんはどうして姉ちゃんや理沙子を殺してしまうんだッ!?」


亀利谷は真人に向き直った。

「本多、何を言ってるんだ。黒澤がすべて企んできたんだぜ。お前は黒澤に苦しめられてきたんだ」


黒澤は微笑しているが、その言葉尻をとらえて真人に声をかけてきた。

「真人。もう分っているだろう。お前を苦しめた根源は俺か? 無論、俺はお前を騙し苦しめただろう。お前に憎まれ、恨まれている。俺が水谷を恨んだように、お前に俺は復讐されるかもしれん。それならまだ俺は納得するのだよ。こんな偽善を振りかざすエセ正義主義者ごときに殺られるより余程な。それが俺の物語の結末だと言うなら、それもまた一興だ。俺はこの世界の物語を充分に堪能した」


「…そこだ。そこが俺には引っかかっているんだ。亀利谷さんもいつだったか言ってたじゃないか。老師への復讐にしてもそうだし、その後、たとえばあの統合実験にしても、美奈子姉ちゃんのことも、しおりに俺を監視させたことも、サテライトプランだってそうだ。なぜこんなに手の込んだ、回りくどいことをしたんだ。兄様があの獣になってしまったのも、今の阿賀流が獣の巣になってしまったのも。黒澤さん、これは進化の物語だと言うが、いったいあんたが見たかったのはどんな物語だったというんだ?」


「俺が見たかった物語か」

黒澤は憂いを確かに顔に浮かべたようだった。

「真人。水谷への復讐の後は惰性だと言ったろう。アガルティアンが俺達の世界に仕掛けたことを、模倣したまでさ。俺が櫻さんに導かれてアガルタにたどりついたように、俺にたどりつく人間の物語を見てみたくなった。櫻さんの最期の言葉を思い出したのさ。それから俺が動かしたことには、一つ一つのことは意味があることも、回りくどいことも、見方によってはそれは無論、様々だろうな。だが道は一つ、すべては因果をもってつながっている。俺は定められている物語をそのとおりになぞってきただけさ。その結果、ここに真人、お前がいるのだ。櫻さんの後に俺が残されたように、一つ一つをとれば意味はない。だがすべてが連なって物語を描いた。定められた物語を導くために行動をしてきた、それだけさ」


「…復讐を果たした後、その、肉体から解放されるというヤツで、すべてを知る存在に戻って他の可能性の世界を見ることだって出来たんじゃないのか。どうしてそのままここに残った。物語を見続けようと思った?」


「無論、それも出来た。まあ、それすらアガルティアンにプログラムされた既定の事実ということになるがな。俺が何故ここに残り、復讐を終えた後も肉体に留まっていたか…。俺は、人間から離れることが出来なかった。俺は疲れたんだよ、真人。無気力と絶望を、それでもなあ、それでもどうにか、永遠の娯楽で誤魔化し続けてきた。人間は魅力的なんだよ。俺はその謎を解きたくて留まったんだろう。人間の在り方を見て、それでも世界はそうではないと、アガルティアンに創造された世界などではないと、否定したかったのか。もはや俺は、愛だの恋だのを当然、何一つ信じることは出来ないし、性的に興奮することもなければ、四次元の肉体からの解放を意味するだけの死も恐れてはいない。当然、俺は生涯独身であり俺の血を引く子はいない。だがなあ、不思議なものでな、真人。俺には、水谷の孫であるお前を、いつからか息子のように思い導いていたことも確かだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る