第二十八章 物語の紡ぎ手

第二十八章「物語の紡ぎ手」1

黒澤は机の傍らから真人達三人に手ぶりで示した。

「少し見せてやる。かつて水谷と見たものと似たような、アガルタの片鱗を」


黒澤が一歩引くと、部屋が暗転した。机上の丸い透明ドームが輝き、さあっと壁の様子が変わると、見慣れない景色が周囲に浮かんだ。360度、視界のすべてが自然の風景に変わる。

風景が変わっただけではない。かすかな風、草の香り、ざわつく葉の音まで感じられるようになってきた。


「これは…」

息を呑む真人としおりに、亀利谷がささやく。

「一種のホログラムだ。驚くようなことじゃない。今でいう4Dシアターだな」

「その通り。この程度でショックを受けてはならない。ほんのさわりだよ。お前達でも吸収出来るようにしている、教化プログラムだと思えばいい」


「こんなこけおどしで、眼をくらませると思うなよ」

「フフ…。そんな期待はしていない。味気ない部屋で話を聞き続けるのも退屈だろうと思ってな。この次元のはるか昔の風景だ。約五百万年。地球でのヒトの始まり。こうなるまでに宇宙では無数のシミュレーションが進められ、各所で様々な生命が生まれては消えた。実験の繰り返し。生命とは意識を持続させるための長い演算。持続的に演算するため自己複製を行う永久機関。この次元における地球は、解の一つだ。人間というのは、猿がウイルスの寄生によって一斉に突然変異したものなんだよ。清水の変化によって阿賀流が一斉に変わったように。ホモサピエンスの登場に進化のミッシングリンクがあることは有名だな。だから、宇宙人によるDNA改造説がオカルト界では根強く言われていた。それは正解であり正解ではない。アガルティアンがかつて操作したのは人間のDNAではないからだ。アガルティアンはウイルスを創造し、悠久なる宇宙に投じただけだ。ウイルスは別の生命に依存しながらその生命を作り替え、より高度な知性体を生み出していくための自律的なマシーンと考えればいい。すべては演算だ。進化はなぜ起きるのか。地球においてなぜ人間が知性体の頂点なのか。頂点であるならばなぜ他の生物はそのまま残っているのか。生態系などというものが存在するのか。その複雑さ、多様性は必要なのだ、計算結果の表現のために。アガルティアンは知性体を生むプログラムを組み、生み出された知性体が連続性を維持する。知性体の意識はパラメータに意味を見い出し、世界をある形に認識する。地球ではウイルスは人間を作り出し、人間の意識により解釈される時空が進行しているが、他の星ではまったく違う知性体も生まれている。分岐が開闢に近ければ近いほど、世界の違いは広がる。この次元は物質世界であり生命は有機物で出来ている。科学文明の繰り返しで形作られてきた。だが反物質の世界もあり、生命が無機物である世界もある。科学が否定され、お前達が言う超能力や魔法に類するもので形作られた世界もある。あらゆるシミュレーション、あらゆる可能性を試すプログラムをアガルティアンは実行したからだ」


黒澤が語るごと、五感に訪れる刺激は変化した。昼が夜になり空が星空に変わりまた青い空に戻る。圧倒的な情報量が真人の意識に訪れ、脳が開かれていく。脳が震えていた。


「アガルティアンはシミュレーション内に観測装置を投入している。アガルタの遺産とは、つまりそういうことだ。観測において、観測という行為そのものが世界に影響を及ぼす。温度を測ろうと温度計を湯に差し込む。だがそこで得られる温度はあくまで近似値に過ぎない。なぜか。温度計そのものの温度が湯の温度と相互作用する。温度計が小さく湯量が多ければ、その影響は無視できる程度の大きさだろう。近似値として充分に意味を成す。だが、少量の湯に巨大な温度計、それも今まで冷蔵庫で冷やしていた温度計を差し込んだら、湯温は下がるな。すなわち観測するということは、そのものに対する干渉なくしては成しえない。ありのまま、を観測するということなど出来ないのだ。ゆえにアガルタの文明は地下に潜り、観測の影響を与えにくいよう配慮しながら観測を続けた。だがアガルティアンも一派ではない。分裂し、中には俺がここに戻ってきたように、シミュレーションの中に没入することを選んだアガルティアンも現れる。若造、貴様のボスはあるいはそんな存在かもしれんな。かくして今やすべて混沌としている。俺はアガルティアンの存在を知ったとき、定められた世界に生きることを選んだ。俺の人生、仲間達の人生、それらに何も意味はなかった。その虚脱は俺から目的を失わせたが、櫻さんのように迷い続けることは出来る。俺達のあらゆる振る舞いはこの次元では決定されている。だが、それもまた一興。自ら制約し、先さえ見なければよいのだ。先の見えない物語は面白い。常に刺激的だ。この部屋で起きていることさえ、俺にはすべてが予見出来ていたわけではない。これからお前達がどう動いていくのか、すべてが分かっているわけではないのだ。では真人よ、お前はどうするか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る