亀利谷は舌打ちしつつ再び腰を下ろした。

それを見届けて真人は黒澤を促す。

「続けてくれ。黒澤、いったいあんたは阿賀流で老師に何をさせたんだ。アガルタの遺産の一部を阿賀流に移したと言ったな。それがこの空間の正体だ、と。そんな…巨石を移動させたり、丸ごと…人の手も借りずに。それもアガルタの技術なのか?」


「そうだ。あの棺桶は人間に用いるものだが、同じ原理をモノに応用すれば、物質はいったん情報に変換され、別の場所に再構成することが出来る。その男が使うおかしな武器も同じ原理だな。その際に消費する膨大なエネルギーは、他の可能性世界の消滅によりもたらされる。そこの若造が咎めていることの一つはそれだ」


真人は深く唸った。

亀利谷の長ネギやビニール傘の切れ味を見れば、理屈としてはそんなこともあるのだろうと納得出来るが。魔法や超能力のようなものが実際に存在するのだということさえ認めれば。

今さら何を疑うも疑わないもない。こうなればただひたすらに一つでも謎を暴いていくだけではないか。


「老師の即身仏はどうなんだ? あれもアガルタの―?」

「あれか。あれはお前達で言うウラシマ効果の一種。この次元において絶対座標を固定し、その周囲の世界全体と加速度を変える」

「絶対座標?」

「この次元で俺達が普段使っている四次元座標は、相対座標だ。宇宙はひとときも静止していない。すべてが運動している。しかし位置を確定すれば運動を確定出来ないのがこの次元。今この瞬間の絶対座標は二度と存在しない。一秒でも、一ナノ秒でも経過すれば、すなわち四次元座標は絶対的な位置を失う。ある点nは常に移動しているからな。四次元時空とは川の流れ。その中に浮かぶ舟に立っている乗客の、船上での座標が変化していなくとも、川における舟の座標は刻一刻と変化しているな。絶対座標とは、他次元にアンカーをうつことでその舟の動きを固定してしまうことだよ。舟の位置が絶対化されるということは、周りの世界すべてが加速するということだ」


亀利谷が舌打ちした。

「そんなことをしやがるから、因果が狂うんだ」


「因果、ね。因果など、この次元において人間が生んだ観念に過ぎないというのに。真人と空山君にも説明してあげよう。四次元より上の次元とは、そもそも舟が浮かんでいる川から抜け出てしまった世界のことだよ。川の外とのやり取りは流れなど無視して起こること。四次元時空においては因果が崩壊して見える。ときには時間を逆行し、ときには時間を先行して見えることもあるだろう」


「そ、それは…タイムマシンということか?」

「否。そうではない。そろそろ理解してもらえる頃だと思うがな。起きた事象は二度起こることはない。時間を逆行するということは、時間を逆行した世界が新しく紡がれていくというだけのことだ。因果とは、人間がどう意味を解釈するか、というものの見方があって初めて成立すること。現にミクロな観点では、この次元でも因果の逆転は発生している。過去と現在は逆転しているのだよ。ただそれをマクロな観測手段で眺めたとき、因果はさも時空間という一つの方向を持っているように見える。マクロに見るとは、つまり事象に意味をもたせるということさ。なぜ因果は方向を持っているように見えるのか、それはこの次元がそうなった世界だからだ。世界が定まることでこの世界の可能性は高まり、他の世界の可能性は消える。消えた世界のエネルギーは新しい世界のエネルギーとして循環する。世界とはその繰り返しだ。人間だろうがどんな知的生命体だろうがかまわんが、因果とはただその存在による意味付けに過ぎない」


「悟ったような言い方で言うな」

亀利谷が遮った。

「世界の在り方を人為的に変えることは許されない。それは人間がするべきことじゃねえだろうが。有り得た可能性を有り得なかった可能性にするということは、世界を消しているということだ。お前は自分で言っていて、その罪が分かっているのか?」


黒澤はからから笑った。

「子どもか、貴様は? 人間が世界を変えるべきではないという、その凝り固まった偽善論こそ、人間のおごりだ。人間一人、たとえば俺が世界を変えようとすることさえも、それすら定まっていることなんだよ。それに善悪など、それこそ事象の変遷が見せる解釈に過ぎない」

黒澤はそこで手を軽く打ち鳴らした。

「…そうか、分かったぞ。貴様自身はアガルタそのものに触れていないな? あれを見てそんな偽善めいた言葉が吐けるとは思えん。貴様は、伝え聞きその片鱗に触れているだけだ。何者か…導き手の言葉をそのまま信じている。そいつに利用されている。俺が水谷を利用して楽しんだように」


「違う、あの人は俺を利用したりしない。あの人は俺の恩人だ。俺はあの人の信念を守るまで」

「立派だな。ところで恩人というなら空山君の家族にとって、俺は恩人らしいな。俺は俺の目的のためにその空山君を利用した。それは同じことではないのか?」


傍目にも亀利谷のほうが分が悪いように真人には見えてきた。

黒澤が正しくないということぐらいは真人にも分かるのだが、それでも黒澤の弁論は亀利谷の上をいく。


「黒澤さん。私のことを話に持ち出すなら、続きを聞かせてください。亀利谷さんも。何度も言いますが、アガルタの話は、正直言って私には分からない。私も真人も、もっとちっぽけな存在なんです。自分たちの身近に起きたこと、身近な人に起きたことを知りたいだけ」


黒澤は肩をすくめた。

「空山君。もちろん俺に異論はない。俺は一種の技術説明をしていただけだよ。そこの坊ちゃんが妙な正義感を振りかざして話をかき回して来なければ」

「むっ…」


「フフ…。それなら話を戻そう。俺がやったことについて、だな。俺は水谷に知恵を小出ししてやった。神として、アガルタの技術を断片的に伝えた。それらしき古文書なんかも用意してやったのさ。あいつの幻想の舞台を用意してやることは、楽しい遊びだったよ。水谷は俺の用意した双六をスタートした駒だ。俺の水谷への復讐は、その双六を決してゴールさせないことだったと言える。水谷の野望を導きながら、それでいて決してかなうことがない程度に操作してやるのだ。双六にあるだろう? 一回休め、三つ戻る、二つ進む、振出しに戻る。あれだよ、あれ。決してゴールしない夢を追いかけさせ、来たるべきときに絶望させることで俺の復讐は完成する。俺自身も頃合いを見計らって肉体をこの次元に再生させ、日本に戻った。戦後のあの混乱の中だ、肉体という器に制約されるとはいえアガルタの知恵がある俺にとって、水谷あるいは俺自身に必要なものを用意することは易しかった。俺は黒澤秀雄から黒澤秀樹へと身分を変え、水谷への接触を開始した。秀雄の息子として。亡き父が戦地から密かに家族に送っていた遺書なんて話も持ちだしたりしてな。父の友人を頼る若者に成りすました」


「解せない。神様のフリをしてずっと動かせばよかったじゃないか。なぜわざわざ老師の近くに接触したんだ。アガルタの力とやらですべてが見渡せるというのなら」

「真人。お前は、テレビ越しのスポーツ観戦と現場での観戦と、どらちが興奮するんだ?」

黒澤の即答に真人は窮した。


「その後のことは、おおよそお前達もすでに知っているな? お膳立てさえしてやれば、あとは勝手に水谷がやってくれた。妄信の力というものはたいしたものだ。俺が予想もしていないことを、人の道を踏み外すことを、水谷は次々に推し進めた。水谷の狂気は実に面白かった。…あれは自分の妻をも幽閉した。さらには老いていく妻を時間の流れからとどめようともした。アガルタの表面だけをなぞった者に発想できるのは、その程度までだろう。人間の物語は、面白いものだ。神がいると信じることは、人間にかくも意志と行動力を与えるのだな。すべてが揺らいでいる宇宙の中で、この世界をかくも確定させていくものが生命の意志だとは」

黒澤は太く笑った。

「俺が導いたこの世界は、水谷に狂気と幻想を与え、やがてその狂気によって自滅をもたらした。水谷も自分の娘に殺されるとは思っていなかっただろう。あれも、俺はたいした口添えはしていない。いずれは俺が殺ってもよかったんだが、先に理沙子が動くとは、まったく。面白かったよ。舞台さえ用意すれば、役者は勝手に動いてくれた。脚本はすでに神が書いているのだ。俺はただ楽しめばよかった。水谷への復讐を」

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