「なぜだ…。万能みたいなアガルタの力があっても、人間はそんな考えに至るものなのか?」

真人は苦悩した。


「こんな野郎が人間であるもんか。アガルタは人間が触れてはいけないものだ。こいつはそれを自分の復讐や楽しみのために使った。そのせいで、ここだけじゃない世界に影響が起きたんだぜ」

再び、亀利谷が黒澤を糾弾し、これで亀利谷と真人にしおりの三人が、黒澤と対峙する構図が戻ってきた。


しかし真人は、苦悩から導かれる不安も感じた。

亀利谷が展開する主張は先ほどまでと大きく変わらない。

この論理では、人間離れした黒澤を打ち負かすことは出来ない。

亀利谷にすべてを委ねることへの霧のようなわだかまりも、真人の胸にはいまだくすぶっていた。いつまたこの構図が乱れ混沌とすることか。


「だいたい、水谷への復讐が目的だったというのなら。それを果たしたのが二十年近く前だというなら、それから今まで、お前が仙開と白琴会でやってきたことは、どう説明する? ここにいる本多やしおりんを巻き込んだもろもろのこと、いびつな怪人達、サテライトプラン、それに、今起きている阿賀流の崩壊。すべてお前が原因だ。なぜこんなことをしている? お前は何を目的にこんなことをしてきた」

亀利谷は苛立ってきているようだった。


「目的? さあな、アガルタが猿に仕掛けた進化のプロセスを再現したかったとでもいえば満足か? 残念ながらそんな高尚なものではないな。強いて言うなら惰性」

「惰性…?」

「復讐はあまりにも簡単なことだった。水谷が死んでな、悪戯にその死に様をモニュメントにしたのも、暇つぶしのようなものだ。何も達成感も満足もなかった。むしろ俺は、水谷達が描いた物語のほうに興奮したよ。いや、アガルタに触れたときに、それは分かってはいたのだ。アガルタは恐ろしいぞ。俺の復讐でさえ、最初から決められたこと。この世界はすなわちそういう世界だからな」

「決められた、だと」


「すべてが見えるということと、すべてを実際に見ることは違うと言ったな。見ようとしないことは出来る。この次元に戻ってきたときに、俺は四次元の肉体に制約された。俺の可能性が他に無数にあることは分かっている。それらがすべて、不確定な可能性の集合であることも。だがこの次元の俺は縛られた存在であり、見えるものは限られてくる。貴様の表現なら、存在それ自体が目的となる。こう言ってもいい、神が無数に生んだ物語の中で、最も面白そうな物語を俺という意志は選んだ。未知の物語に、その場にいるという究極の臨場感をもって参加している。老師である水谷亡き後は清水が相手だ。相手がいなければ競争は楽しめないからな。俺は惰性で人間の物語に執着していたんだろう。一度読み始めた物語、一度プレイを始めたゲーム、そんなものは強い意志などなくとも、終わりを見届けたくなるものではないかな?」


「バカな!」

今度は真人が抑えきれずに立ち上がる番だった。

「神が生んだ物語、ゲームだと? 人の生き死に、生命、芸術、自然、そういうものの価値を? 違う、いのちの意味はそういうことではないはずだ。人のいのちの物語は、誰かが勝手に書いたようなものじゃなく、自分達が紡ぐものだろう!?」


「否。アガルタに触れれば分かる。すべてそういうものだ、真人。白琴会と仙境開発にまつわることは、神の代理人として櫻さんから継いだ俺がスタートさせたシナリオ。水谷やその妻、娘達、弟子達が登場人物としてのそれぞれの役割を果たし演じてきた。そこに三世代目として真人、お前や空山がまた、物語の中で定められた役割をそれぞれ担ってきた。俺は物語がその先どう進んでいくのか、俺が見い出した者達がどんな物語を描いていくのか、見続けてきた。それが水谷への復讐から始まった俺の道だ。俺の物語はここがクライマックス、ようやく結末の予想が見えてきた。櫻さんにやっと追い付ける。…人間が見せる物語というのは、なぜこうも面白いものかなあ、真人」


真人は目を疑った。

黒澤は面白いという言葉と裏腹に、突然涙を流し始めたのだ。表情は確かにわずかな笑みを浮かべているというのに黒澤の頬には涙が滔滔と流れている。


「面白い…? 面白いと言うなら、なぜあなたは泣いているの?」

しおりも真人と同じ疑問を抱いていたのか、震える声で訊ねた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る