第二十七章 無と有の狭間で

第二十七章「無と有の狭間で」1

黒澤は自らの死のシーンに至るまでは、ほとんど止まることもなくひたすらに喋り続けていた。

棺桶に倒れ込んだところまで語ると、目を閉じ、しばらく無言になった。


真人はちらりと横目で亀利谷の様子を見たが、亀利谷はぎろり黒澤を見据えたまま、何を考えているのか難しい顔をしている。

訊ねたいことはいくらでもある。まず自分から切り出すことにした。

「お前の過去…。アガルタの遺産とやらに行き着くまでは良く分かった。だが肝心のことをまだ何一つあんたは語っていないな。そこで死んだんなら、今ここにいるお前は、いったい誰なんだ? 恨みお化けってわけもないだろう」


黒澤が目を開いた。

「俺は、黒澤秀雄であり黒澤秀雄ではない。黒澤秀樹と名乗っているのは、俺はかつての俺ではないという意味もある。皮肉なことだ、水谷に殺され肉体の死を迎えた俺は、それによってアガルタの装置に取り込まれた。つまり装置は肉体の死をトリガーに起動したんだよ、真人。俺が阿賀流に仕組んだまがい物なんかではなく、本来の装置のほうだな。あの第一の間に置かれていたものの一つが、俺が倒れ込んだそのときに、作動したのだ。…あえて言うなら、偶然、な」


「偶然…? バカな、そんな偶然があるか!?」

「そう思うだろう? その通り。偶然とはつまり偶然ではない。そうなるべくしてなった世界がこの世界だ。どんなに奇跡的な確率であっても、すでに決まっていることは必ず起きる。ここはそうならなかった世界ではないからな。まあ、そっちの若造のほうはこのロジックが分かっているだろう。すべて、そういうことなんだよ。俺が棺桶に飛び込んだとき装置は作動した。この世界ではその結果だけが事実だ。それによって俺は肉体から解放され、俺という情報は次元を超えた。すべてを理解したのだ」


「すべて…?」

「然り。俺は肉体から解放されることでアガルタの本質を知った。それすらもそうあるべくして。そう、この世界はすべて定まっているのだ。ここではない可能性もまた別の次元で定まっている。無数にな。かつてアガルタによって作られた情報世界。それがこの世の真実だ。俺のすべて、世のすべては定められている。運命、といいたければ言うといい」


「何を言っている…」

真人は眉をひそめた。正気を疑い黒澤を凝視する。

黒澤の声はしかし落ち着いており、何も今までの様子から変わっていない。むしろ隣で構える亀利谷のほうがわずかに足を貧乏ゆすりさせていて、苛立っている気配を感じさせた。


するとその亀利谷が身を乗り出した。

「お前とアガルタの話は後でいいんだ。そんな話は俺からでも出来る。お前と水谷が何をしたのか、まずそれを時系列で話せ。その後お前はどうした。すべてを理解したというお前は?」


「何を急ぐ? そうあせるなよ。お望みならその順番で話してやるさ」

黒澤は微笑している。亀利谷に比べて随分余裕があるように真人には見えた。これではどちらが追い詰めているのか分からない。


「アガルタを知った俺には、すべてを理解したというのに、いまだ意志と思えるようなものが残っていた。それさえアガルタの秘密の一端だがな。すべての事象はただの情報の変遷に過ぎないのだと理解したにも関わらず、水谷への怒り、憎しみ、これだけははっきりと残った。櫻さんが俺達のために切り開き、一人一人が無様な死を迎えながらようやくたどり着いたアガルタの遺産が、こともあろうに水谷によって、たかが大日本帝国の栄光如きのために使われようとしている。そのために水谷は、最後の仲間だった俺さえも裏切り殺した、自分の食糧にするために。それは許し難いことだ。確かに、すでに水谷はその裏切りの代価を支払っていたが…。つまり第一の間とはブービートラップであって、心を試される部屋だったのだよ。どん底まで、人類としての精神の極限まで心を試され、そこで心折れ眼前の欲に目にくらんだものはそれまでだ。アガルタの本質は、第一の間で四次元の肉体制約から解き放たれてはじめて理解できる。そのまま放っておけば、水谷はあの第一の間で死んでいただろう。それが罠にかかった水谷の末路になるはずだった。だが俺は、水谷に対する復讐心に駆られた。あるいはすべてを知ったからこそだろうか、この程度のことで水谷をあっさり死なせては仲間達に申し訳がなく思えた。少なくとも、櫻さんの無念に匹敵するものを水谷に味合わせてやろうと考えた。そう、原動力はいつでも人の意志なのだ」


そう語りながら、いつしか黒澤の眼は亀利谷から離れ、じっと真人を見ていた。真人はその意図を訝しんだが、黒澤は淡い微笑を崩さないまま話を続けた。

「俺はあのピラミッドに眠る知識と技術を引き出して、水谷の神になったのさ。俺は姿なき声、つまり神として水谷を導いた。アガルタの遺産を小出しに見せ、水谷に学ばせた。日本が戦争に負けるまでの時間を使ってな。水谷の衰えた身体も恢復させてやった。第一の間しか見ていない水谷には、まさに神の存在が感じられたことだろう。皮肉なものさ。外のイツア島であれほど苦しめられた飢えも病も、ピラミッドの中にいる水谷には無縁だった。神はかくも気まぐれなものなのだな」


「なぜそんなに時間をかけた? アガルタの遺産を使えば、水谷の教化は一瞬で済んだ話だろう? 時間をかける意味などなかったはずだ」

亀利谷の詰問に、黒澤は相変わらず亀利谷ではなく真人を見ながら答えた。

「とんでもない。意味はあったさ。あのときの水谷にとって最大の苦痛は何か。水谷自身の痛みではない。あいつには何もかなえることが出来ないという絶望。それこそ復讐だ。日本の敗戦まで俺は待った。それまで俺は水谷を飼っていた。手遅れになってから外に放ったんだ。あいつが敗戦後の日本の焼け野原を見て、打ちひしがれることが楽しみだった。そうしてから、必要な技術と装置を水谷の故郷、阿賀流へと転送した。そう、ここだよ、ここ。アガルタの遺産は、イツア島の他にも世界各地にある。まあ観測の出張所のようなものがな。日本にも。阿賀流はその一つで、気脈がイツア島から通じていたおかげで、転移は容易だった。ここはアガルタの遺産の一部を移した場所。それによって、敗戦に虚脱していた水谷に再び希望を与えてやったのだ。大日本帝国を蘇らせるというままごと遊びを。神の名によって」


「遊び…? ままごととか、何を言ってるんだお前は? そんな神様がいてたまるかよ。お前の、どこが、神だ。そんなもの、ラプラスの悪魔じゃないか。すべてを知ったところで、定められた運命の前に何も抗えないんじゃあ、無力な存在じゃないか。神というのは、そんな可能性さえ変えられるような存在だろう?」


「ハハハ、真人。違う、違うな。神が自ら目隠しをしたものこそラプラスの悪魔。神は自らに肉体という制約を課す。神はサイコロを振るんだよ。いいか、真人。すべてを知ることが出来るというポシビリティと、実際に知るということは違う。すべての可能性に比喩的な意味で手が届くようになったところで、知るということには観測が必要だ。観測には手段が要る。すべての可能性は目の前に広がっていても、観測して初めてその可能性は意味を有する。真人、空山君。すべて定められていて結末が分かっている物語が、どれほど面白いかな? ゴールが隠されていないあみだくじが面白いかな? どの目が出るか分かっているサイコロで双六は成立するかな? 双六はサイコロ遊びだから面白い。あみだくじはゴールが隠されているから面白い、違うか? 神には娯楽が必要なんだ。すべての次元を見渡す神はサイコロを振る必要などないが、それでも振りたがる。水谷への復讐は俺にとって、すべてを知った後の娯楽だったのだよ。神には娯楽が必要なのだ」


亀利谷が立ち上がった。

「そんな論理のために、お前はアガルタの遺産を使ってきやがった。アガルタに触れてから再び四次元に戻ってきたというだけでも、この次元の因果を狂わせているんだ。イツア島から転送されたこの空間もまた、どれだけ多くの次元の犠牲を生んだと思っているんだ? すべてを見たお前に、理解出来ないはずがねえだろう?」


「ふん、若造。貴様のような奴を偽善者というんだ。俺は確かに一種のゲームのためにアガルタの遺産を使ったさ。だが、それがなんだというんだ? 貴様らは俺のような者を排除するためにアガルタの遺産を使っている。そこに何の違いがある? 扱う力の規模の違い? ハ! イデオロギーの違い? ハ! 因果を狂わせるのは同じ。俺が転送装置のエネルギーとして百の世界を潰し貴様が長ネギで貫くエネルギーとして十の世界を潰す。何が違う? 潰された世界から見れば俺も貴様も同じ巨悪に過ぎないではないか。しょせん人間的な価値観での議論に過ぎない。だがアガルタにとっては、俺達のこのあがきさえすべて定まったこと。無駄なんだよ」


「それは詭弁だ。俺達は自制して可能性世界を自然な在り方に向けようと―」

「ホウ! それなら貴様は人間的な欲で動いているのではないのか? 見返りを求めない行動なのだな? 報酬は得ていないのか? 貴様のエゴはないのか? エゴで貴様はこの次元の因果を揺り動かしているのではないのか?」

「違う。あの人は…」

「あの人、ではない。俺は亀利谷、貴様に問うている。貴様は―」


「ストップ!」

不敵な黒澤と、やや感情的になってきた亀利谷の間に、しおりが驚くほどの大声で割り込んだ。

「そんな議論、私も真人も求めていない! 私達は頭の悪い、自分の身の回りのことしか分からないただの人間なんです!」

しおりの声は途中から高ぶり震え出していた。

「私達は、ただ、知りたいだけ。ここで何が起きているのか。白琴会と仙境開発が現在に至るまでの出来事を。難しいことは、私には、分からない。真人は―?」


真人はうなずいた。アガルタの遺産というものが出てくると、黒澤と亀利谷はもはや宇宙人だ。文字通り別世界の人間の議論を聞いている。

「アガルタの遺産とやらの話は後で、と切り出したのは、亀利谷さん。あんただ。何を熱くなってるんだ? あんたらしくもない。いまこの場にいる四人の中で感情を一番高ぶらせる権利があるのは、俺のはずなんだぜ。その俺が、抑えているんだ。人間より偉いのか何なのか知らないが、あんた達もそうしなよ。俺が知りたいのは老師と阿賀流に何が起きたのか。まずは、それなんだよ」


「フッフッ、一本取られたなあ、亀利谷」

黒澤が笑った。

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