真人としおりはお互いに半ば背を向けていた。

認めたくはない事実を前にして、真人はしおりを憤りの転嫁先として選んでいる。

しおりはそんな真人に正面と向き合うことが出来ずか、俯き押し黙ってしまった。


唯一、亀利谷だけが相変わらず冷静で行動的だった。

もっとも、真人にとってはその冷静さは安心感の元ではなく、むしろ怒りの対象であり。

真緒という存在が消えてしまったこと、取り戻す方法がないという冷酷な事実。

真緒と面識がないとはいえ、それに淡々と向き合っている亀利谷に忸怩たる思いだった。もっと気が狂いそうな混乱に襲われ、感情を高ぶらせるような事態ではないのか。まさに今の真人のように。

ここに至るまでずっと長ネギを持ってきているふざけたノリといい、真人は北九州以来積もり積もっている鬱積した塊を全力で吐き出す対象として亀利谷を選びかけていて、必死でそのいかがわしい感情を堪えた。

亀利谷がもう少し人間らしさとでもいうべきものを、真人やしおりのような当たり前の困惑、混乱した感情を見せてくれなければ、真人のリミッターが外れるのはもはや時間の問題のようにさえ思えた。


「その子がどうなってしまったのかってことにも関係してくると思うんだけどさ。この装置を見に来た目的は、元々、別にあるんだぜ。今、この村がどうなってしまっているのか。それを知る手掛かりになっているんだ」

亀利谷はなだめるように真人達に語り掛けてくる。

真人は苛立ちを辛うじて抑えながら亀利谷を見返した。


「兄様というほうは、ぴょんぴょん撥ねてその地底湖に落ちたんだな?」

「…ああ」


亀利谷は地底湖の縁まで歩いていき、覗き込んだ。

「それらしき遺体は、もちろん見当たらない…。もし、もしも。兄様が死んでいないとしたら、この地底湖に落ちたあと、どうなったと思うよ?」

「…そりゃあ、泳いでどうにかしようとするだろう」

「だろうな。その…獣のようになったとしても、水棲動物の性質を持っていないなら、泳いで陸上に上がろうとするだろうな。この岸壁を上がってくるか、あるいは、もっと別の…出口を探す、か」

「出、口…?」

「それはそうだ。地底湖だって湖さ。これだけの水量の滝が流れ込んでいても水がここまで上がってこないということは、どこかに水の出口があるということだろう」


真人の頭を覆っていた憤りの霞めいたものが少し薄れ、推理の回転を始めた。

「…そうか。鍾乳洞は雨水の流れが作る。どこの鍾乳洞だって地上から地下水を巡って鍾乳洞、川への流れがあるもんだ。上から下への自然の流れがある」

「そうだ、真人。ここに来るとき、川があったよね」

「上神川か」

「この地底湖からの地下水流が、その上神川に注ぎ込んでいて、外に出られるような大きな水路があるとしたら?」

「兄様が、そこから外に出たっていうのか?」

「可能性の話だがな」


「じゃあ、なんだい? 地底湖から川下りした兄様が、村をあんなにしたのか? 白琴会の連中を引っ張って?」

「いや。兄様は人を説得したり指揮できるような状態ではなかったんだろ? でも白琴会の怪人もまた、確かにその兄様のような獣じみた生き物になっていたよな…」

「…そこから導かれる仮説は、なに? あの装置が関係しているの?」


「うーん…。兄様がここに落ちてから、何日経ったか分かるか、本多?」

真人は指折り数えた。

「一週間…いや、十日ぐらいだ」

「その期間に、阿賀流の人間がほとんどやられているとしようか。人口は三千人ぐらいだったか? 兄様一人…あるいは一匹の獣の仕事では無理だよな」


「じゃあ、やっぱりサテライトプランが発動したということじゃないの? それなら、白琴会の人間が直接兄様から指示を受ける必要はない。みんな、一斉に変わるんだから」

「近いヨミだが、そうじゃないんだよ。前も言ったがな、サテライトプランが生むのは理性的な怪人だろう? 仙開で見た奴はどうだった?」

「…狂った兄様みたいだったな。白琴会の怪人というよりは」

「そこだ。仙開で計画されていたサテライトプランとは違うものだが、同じようなことが発動したと俺は考えている。獣のような兄様の意識が、あの装置を媒介として共鳴した。おそらくすでに怪人となっていた白琴会の人間達に対して。人間を怪人にするサテライトプランではなく、怪人をいっそうの獣に変貌させるサテライトプランとして」


「ね、ねえ、待ってよ。さっきの話。あの装置が、本当は何の装置なのかって話。それじゃあ、まるで、あの装置は最初からそっちの目的のための…」

亀利谷はうなずいた。

「誰のどんな意図があってそんなことをしたのかは分からないが、あの装置が、兄様を獣たらしめ、その兄様をいわば百一匹目の猿として、他の怪人達に一斉に同じ意識を伝播させた。起きたことを事実だけで整理するなら、そういうことだと思うぜ。つまり阿賀流は、あの獣じみた連中が闊歩する村に変貌し、一般人はもちろん、白琴会の人間だって、その獣以外の者は襲われているんだ」


しおりが身を震わせた。

「…外に、出たくなってきた」


真人も大きく息を吐いてうなずいた。

「あのとき。この儀式の間から、佳澄と逃げたとき。あのとき白琴会の青道着の連中、もう、おかしくなっていたのかもしれない。いくら消火器やブザーで混乱させたといっても、妙にあっさり逃げられたと思ったんだ」

「儀式のすぐ後のことだとすれば、白琴会としての指揮系統が崩壊し、ただの獣集団になってしまった直後ということだからなあ。そりゃあ連中、混乱してただろう。裏返せば、間一髪だったってことだな」

「?」

「人間としての秩序が失われた後にやってくるのは、獣としての秩序だろ? 獣は獣なりに群れとしての秩序なり統率なりをもつ。ちょうどその移行期の混乱だったってことさ。その混乱を乗り越えて、獣の群れとして本能的に動き始めた連中に、阿賀流の人間達は襲われたんだ」


「…獣の本能で動くとしたら、私は良く分からないけど、獣って、人間を怖がるものじゃないの?」

「獣によるさ。もし猿のような存在だとしたら。縄張りの保護意識も強いし、目を合わせると好戦的でもある」

「でもさあ。人間と猿だとしたら、似た者同士じゃないか。しかも、元は同じ人間なんだ。もう少し、こう…」

「似た者同士だからこそ、真っ先に襲うのかもしれないぜ。いいかい、似ているということは生息領域も似ているってこと。同じエリア、同じ食物。進化において生命がまず駆逐しようとするのは、天敵ではなくて、同じ生息域を持つ競争者だよ。いま、ネアンデルタール人やクロマニョン人が一匹残らず全滅していて、ホモサピエンスしか存在しないのはなぜだと思う?」

亀利谷の問いかけに、真人としおりは黙り込んだ。


「そういうことは、過去に何度も起きてきたんだ」

そういう亀利谷の顔は、奇妙に悲しげだった。


「…いったいなんのために、そんなことを?」

しおりがぽつりと言う。

「そうだよ。それに、仕掛けたのは誰なんだ? 黒澤か? 老師か?」


「うん。何が起きたかはうっすら見当がついてきた。次に気になるのは、そこだな。諸悪の根源はどいつで、どこにいるのか。いや、それ以前に、無事なんだろうか。心配するのもおかしな話だが、そいつらが今どうなっているのか、俺にはまったく予想できない」


「まさか、仕掛けた本人達がやられてるなんて馬鹿げたことは…」

「どうかな。少なくとも仙開は、さっき見た通りの有様だ。生き残りの人間がいるとは思えないが」


真人は唸った。

「ここまで来る道中にも、この洞窟にも、人の気配はない。仙開もやられているとなったら、あと、残された場所は…白琴会の本体だけだ」


「そうみたいだな。もう、日も暮れて夜になってしまっているだろうが猶予はない。俺はこのまま白琴会に乗り込むぜ。場所だけ教えてくれ、本多」


「…表からの行き方は分からないんだけど。たぶんこの広間から白琴洞でつながっているんだ」

「え、それじゃあ、とっくに襲われてるんじゃあないの…?」

「そこなんだよな…」


亀利谷は軽く手を叩いて気合を入れるような身振りをした。

「考えていても始まらない。老師だか黒澤だか知らないが、自滅するような策を練ったとも考えにくい。行ってみるまでだ」


「行こう。何がどうなっていようと、俺は、こんなふざけたすべてを生み出したヤツがどうしても許せない。きちんとけじめをつけさせてやらないと収まりがつかない」

真人は暗く言った。

「も、もちろん、私も。邪魔にはならないから、私もついていく」


同行を申し出るしおりと真人を一瞥した亀利谷は、肩をすくめた。

「危険はこれまで以上だと思うぜ。俺にも何が待っているのか良く分からない。ついてきても安全は保障しない」

「分かってる。俺にはこれぐらいしか今、目指すものがない。外に出たところで…何もすることはないんだ」

「私は、自分が関わったことの結末を見届けたい。それに…真人のことが心配だから」

真人は苛立った視線をしおりに向けた。

「お前に心配される筋合いはない。今の俺は迷っていないし、はっきりした目的がある。余計なお世話だ」

「……」


亀利谷が仲裁に入った。

「まあ、まあ…。お前らの気持ちは分かる。ついてくるなとは言ってないぜ。ただ、覚悟してくれればそれでいい。お前らが助け合おうがいがみ合おうが、ここからは時間の勝負もありそうだからな、俺の邪魔にならないならどうしてくれても構わない。まあ確かに、お互いにケアしてくれると俺は俺の仕事に専念出来るがね。いちばん不毛なのは、いらない議論をしているこういう時間だ。さあ、俺は行くぜ。本多は、だいたいでいい、道を教えてくれ」


亀利谷はそう言うと、すっと歩き出した。

言葉通り、真人としおりがどう行動しようと自分の行動は変えないつもりのようだ。


ふん、と鼻を鳴らし、真人は後を追った。

その後を少しだけ遅れて、しおりが。

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