6
水音ははっきりとした轟音に変わっていた。
亀利谷は洞の行き止まりにぽっかりと空いた広い空洞を前にして止まり、後から来た二人を待っていた。
「ここでこの横穴は終わっている。ここからは竪穴だ。横に、階段状の足場があるな。天然なのか、いつか誰かがわざわざそんな形の通路に仕立てたのかは分からない。まあ、後者だと俺は思う」
水音に負けないよう大声で亀利谷は言った。
「正面が、滝だ。つまりこの横穴は、ずっと昔、もっと水量が多かった時代には、滝に流れ込む水の流れが生んだトンネルの一つだったんだろう」
亀利谷越しに明かりを照らしてみると、空洞の向こうに明かりを照り返してきらきらと光る滝の迸りが見えた。あの、儀式の間から見上げた滝を違う角度で、より高い位置から見ていることになるのだろうか。
「なるほど…。こういう位置関係か。すると、真緒はここからさらに下に降りて行って儀式の間へ…」
「行こうよ、真人」
「言われるまでもない」
再び亀利谷を先頭に、滝を横目に見ながら竪穴を降り始めた。
粗い形をした角ばった大岩が幾層にも重なっており、その重なり具合がちょうど大きな階段の段差を生んでいる。
それ自体は、太古に自然の力で構成された複雑な構造だ。しかしそれだけでは、人間が道具もなしに上下移動することが出来るような構造にはならない。
竪穴の要所要所で、大岩の重なり合った場所をさらに埋めるような小さな岩が差し込まれたようになっていたり、人工を疑わせる構造が見られた。
「これは、本当に白琴会がやったことなんだろうか」
真人は疑問を口にした。答えを期待したわけではない。ただ口にせずにはいられない疑惑だった。
「いい勘だな。少なくともいま組織として存在している白琴会よりもっと昔から、この洞窟は何らかの目的で人間に利用されていたように俺にも思えるね。阿賀流という地名からしても、アガルタの遺産は白琴会以前からここに眠っていたんだろうなあ。白琴会はそれを自分達の目的のために利用することにした。それが老師なり黒澤なりがこれまでやってきたことなんだろうさ」
竪穴を降りきったところは、確かにあの儀式の間につながっていた。最後は岩が反り返るような角度になっていて、下の広間から見上げたときにはそこに竪穴が続いているようには見えない。あのときに気付かなかったわけだ、と真人は納得した。
かつて幼い自分と真緒がちょっとした冒険で辿った道。ほんの少し前に、大人になった真緒が一人でここまで辿った道。
その真緒が姿を消してしまった儀式の間が、再び眼前に広がっている。
白琴会の人間がいる様子はない。
あの騒ぎの痕跡はどこにもなく、滝の音だけが広間に響く。
もし、真緒が情報として分解されて肉体を失っているなどということがあるのだとしたら、この冷たい空間のどこかに、真緒であった情報が漂っているというのだろうか。真人達には認識できない五次元以上の空間のどこかに。
真緒の気配めいたものでも感じられないかと虚ろに期待してみたが、真人は別に霊感が強いほうではない。
いっぽう、広間の奥に装置があることに気付いた亀利谷は、早速、そちらに歩いた。
「すべての疑惑はこの装置に始まっている」
例の棺桶状の装置のあちこちを照らして観察を始める。
「人間を統合する装置だ、と。ラプラスの悪魔を生むための装置だ、と。兄様は確かにそう言ったんだな?」
「ああ」
真人はうなずいた。
あのときはじっくり観察することなど出来なかったが、今は誰一人ここに敵とおぼしき影はない。
亀利谷に倣って、今は誰も中に入っていない棺桶をしげしげと見つめた。こんなただの箱のようなものが、人間を消したり、狂わせたりするというのか。
亀利谷は棺桶の横にあるプレートのようなものを照らした。
「今までにお前達が得てきた情報で整理すると、この装置の原案は黒澤が持ち出してきた。そしてその源泉がアガルタの遺産にある、と、いうことだよな。水谷さんの双子が装置に入ったときは、お前達が一緒に別の箱に入っていたために、誤作動をした。誤作動の結果は、お前と真緒の記憶障害、そして双子側は脳機能の障害。そうして今回の場合は、本来ターゲットではない兄様と真緒という子のペアになったために、兄様の精神が崩壊し、真緒は肉体が消滅した。そういう認識で、確かに間違いはないか?」
「…そう、そのとおりだ」
「それはまた、怪しい香りがしてきたなあ…。ううむ」
亀利谷は唸り声を上げた。
「どうしたんだ?」
「ほんの、こんなわずかな情報だけじゃあ確信を持っては言えないけどな。それにしてもこれは妙だぜえ?」
「だから、何が?」
「この装置は、誤作動なんてしていないと思うんだよな、俺は」
「…は?」
「この、横にあるプレートが操作パネルの働きをしているんだがな、そこに簡単な説明文がある。まあ、そうだな、お前らには読めない言葉だ。アガルタの文字だからな。問題は書いてある内容だ。この装置によって起きたことは、すべて、規定の作動範囲で起きうることじゃないだろうか。正しい結果だ」
真人は首を傾げた。
隣ではしおりもきょとんとしている。
「…どういう意味ですか、亀利谷さん?」
「つまりな、誤作動なんか一切していない。機能の誤選択はあったかもしれないが、何もおかしな動作なんてしていないんだ」
真人は亀利谷に詰め寄った。すでに少し先のことにまで考えが到達しているらしい亀利谷への苛立ちを隠すことが出来なかった。
「だ、だから、そ、それはどういうことを意味しているんだよッ?」
「この装置に、こういう素材を所定の流れで入れればこういう結果になるっていう、インプットとアウトプットの関係は正しく機能したってことだ。言うなればこれはさ、確かに量子テレポーテーションの応用装置ではあるけど、ラプラスの悪魔を生む目的の装置なんかじゃあない。少なくとも俺が知っているそれとは、違う」
「それは、未完成だからじゃあ? 一度も成功したことがない、と。兄様を前にしたときに真緒が確かそう…」
困惑した真人は訊ね返した。それに、亀利谷の言葉はもう一つ引っかかった。亀利谷は本来のラプラスの悪魔を生む装置のそれそのものを知っている、と言わなかったか。亀利谷の存在にも改めてクエスチョンが浮かんできた。
「いや、これは完成しているよ。そうとしか見えない」
亀利谷はあっさりと断じた。
「一種の転送装置…あるいは発信装置というべきかな。設計概念の延長上に確かにラプラスの悪魔という発想はあるかもしれない。だけど、その手前の装置だ。初めから、人間の意識の転送と共鳴発信を目的にしている装置だ、これは。認識領域を広げるための装置なんかじゃあないんだよ」
「意識の転送? 共鳴発信って? なんなんだよ、いったい!?」
「正確なところは、これを設計した本人に聞くしかないだろうがな。お前が体験してきた通りの機能だよ。人の脳に影響し、意識あるいは心と呼ぶべき情報の集合を操作する。それから、量子テレポーテーションを応用した共鳴発信の機能。サテライトプランと通じるものがあるようにも思えるな」
「じゃあ、なんだよ、黒澤や白琴会が、この装置のことでもウソをついていたと?」
「なのか、あるいは、本人達もはき違えているのか」
「ねえ、ちょっと待って。誰がウソつきかも大事だけど。そういうことだとすると、その、消えてしまったっていう真緒ちゃんはいったいどうして消えたの?」
真人は、険しくしおりを睨みつけた。
「お前、また、こんなときにいらないことを。それは気になってたって、あえて訊ねたくなかったことなんだ…!」
「だ、だって…」
亀利谷は暗くつぶやいた。
「その…真緒という子が情報の集まりに分解されたということも、どこかこの四次元ではない領域にその情報が転送されたということも、今までの推測通りだろうな。ただ違っているのは、それは誤作動の結果なんかではなく、正しい動作の結果だということ。これはそういう装置だ。人の意識を情報化し転送する、あるいは発信する。そのための装置」
「だ、だから。それは分かったから、私が聞きたかったのは、転送されたものを元に戻すとかそういう機能は…」
「しおり! 黙れ!」
真人は感情のまましおりに声を飛ばした。
「そんな機能があるなら、亀利谷がとっくに言ってるだろうさ! それがないってことは、つまり―」
真人は歯ぐきが痛いほど強く奥歯を噛んだ。
亀利谷の無言が真人の推測を肯定していた。
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