第二十四章 女王蜂

第二十四章「女王蜂」1

真人は道を案内した。

あのときは消火器の粉塵で無我夢中だったのだが、それでもおおよその方向感覚はある。

滝から、広間を反対側に進むと、アカリ虫の養殖場を経由して仙開の敷地内に出る。儀式失敗のあとに白琴会がやってきたと思われるのは、その中間、広間が奥まっている辺りだ。

おぼろに、白琴会の人間達が来たと思える通路のほうに亀利谷を誘導する。

亀利谷は相変わらず長ネギを片手、もう片手に懐中電灯のスタイルですたすたと歩いていく。その後ろに真人としおり。


通路は細く曲がりながら続く。通路は人工ではないようだが、人の手が加わっている様子だ。蛍光灯がぽつぽつと設置され、懐中電灯一つでも歩くには充分な明るさ。

天井は高くないが、わずかに腰を屈める程度で真人や亀利谷でも支障はない。幅も、すれ違える程度の広さがある。

天井も足元も濡れていて、常に水の滴りがある。地面の左右には細い水路が作られていて、ときには水路は通路を横切っていた。そんな場所では必ず上に板が敷かれていて、日常的に人が歩いている通路であることは明らかだった。


最初は自分でも半信半疑で進んだ真人だったが、この通路が白琴会のどこかに通じているのだという確信は次第に訪れた。

ときに枝洞と思われる分岐があったが、そちらは整備されていない。まるで観光用の鍾乳洞のように、進むべき道は明らかだった。

いったいいつからこの通路は使われていて、誰が整備を始めたのだろうか。元からあった鍾乳洞を、白琴会は実に巧みに利用していたようだ。


静かで、三人の足音と息遣いしか聞こえない。白琴会なりなんなり、人が現れる気配もない。

随分長い通路だ。距離感は失われていて正確なことは分からないが、数百メートルという規模どころではなく。どこまで続くのか。


暗い中を黙して歩くうちに、真人はまた自分が嫌な考えを抱いていることに自ら気付いていた。

先を行く亀利谷に対する漠然とした不満。あるいは不満でもなんでもなく嫉妬ではないかとも思える。

自分にない力のようなものを持っていること。長ネギ一本でまるでRPGの戦士ばりに先を行くその背中を見るしかない一種の屈辱。

なぜ真人にはあの力がないのか。なぜ亀利谷なのか。

得体の知れない策謀に巻き込まれ人生を混乱させられたのは、真人や佳澄、美奈子、真緒であって、突然しゃしゃり出てきた亀利谷という若者ではない。自分達こそこの物語の主人公ではなかったのか。


後ろからついてくる無言のしおり。

なぜしおりはついてきているのか。これまでの贖罪のつもりなのか。

なぜ、しおりなのか。なぜここに佳澄や美奈子や真緒はいないのか。

どろどろした想いは胸と腹の間を掻きまわして心臓の動悸を落ち着かなくさせた。


通路が、急に上り坂になった。傾斜になっているが、天然のものを削って岩の階段が刻まれてる。ここだけは岩の屋根が大きく下がっていて、屈んで進むことになった。


階段を上がると前方に天井が開けた。岩が途切れ、青黒い空間と、小さな白い輝きが天井に現れた。日が暮れて間もない空だ。

洞内よりやや冷たい風が吹き込んでくる。地上に出たのだ。

亀利谷は空が見えると軽く階段を駆け上がり、地上に出てすぐに左右を見渡した。その間、下にいる真人達を手で軽く制していた。

やがてその手が手招きをした。


出たところは広場のようになっていた。真人達が出た洞窟は、地面にぽっかり空いた黒い穴で、真人達が歩いてきたと思われる洞窟の上は、張り出した岩塊に覆われていた。

空はすでに夜の暗さになっていた。西と思われるほうは岩塊に遮られ、すでに太陽は見えない。

足元はといえば、細かい砂利敷きの平坦な地面になっていた。白い細かな砂利は、明らかに人の手で整えられ整備されているものだった。


正面、数メートルもないところには白く背の低い建物が立っていて、その白い壁は左右に続いていた。窓らしきものも、ドアらしきものも見当たらない。岩山が途切れた先は高い壁で囲まれていて、どことなく仙境開発と同じデザインを彷彿とさせた。

建物には点々と外明かりが取り付けられていて、暗さの中でもはっきり目立つ、美しい白を基調とした壁が際立っていた。


「これが白琴会か?」

亀利谷がつぶやいた。

「…多分、そうだ」

真人はぼんやりと応じた。

「まるでメモリアルホールなんとかだ…」

亀利谷はそう言って肩をすくめた。

「この中こそ伏魔殿ということになるか。それにしては随分と静かだ。例の奴らがいるような気配も感じない」


真人は唾を飲み込んだ。この建物には誰がいるのか。老師、あるいは理沙子か。そもそも生きているのだろうか。

そして、仙開が獣達に蹂躙された今、もし生き延びているとするならば黒澤もここにいるのだろうか。


「入り口が見当たらないな」

亀利谷は言いながら歩き始めた。

「こちら側はおそらく裏手なんだろう。当然、表から来た時の正面口もあるはずだが…」


洞窟の出口はどうやら白亜の建物の裏手正面に当たっていたようだった。

五十メートルも歩くと建物の角が見えた。外部との壁もそこで突き当り折れている。


亀利谷がそこで初めて小走りになった。

その理由はすぐに真人にも分かった。

「…あっ」


曲がり角の手前に、地面に倒れている人影がある。懐中電灯を向けてより明るく照らし出すと見慣れた青い道着が浮かんだ。


亀利谷はその横にしゃがみこんだが、すぐに首を横に振った。

「やられている。やっぱり、白琴会の人間であっても関係ないようだな。『人間』が、やられているんだ」

「…ここでも、か。生き残りなんているんだろうか」


「この人は亡くなってから、もう何日か経っている。それに…どうやらこの人がいちばん遠くまで逃げた人らしいぜ。向こう側にはさらに死体が続いている」

言いながら亀利谷は手を振って曲がり角の先を指した。

「阿賀流は、どうなってしまったんだろうな。もはや死んだ村だよ」

「…バカな。たかが数日かそこらで、村が死んでしまうなんて。現実の世界の出来事か?」


「とにかく、何が起きたのか突き止めないとな。仙開では撤退したけど、ここは中に行ってみるしかない。俺は建物に入る。本多としおりんは、この辺りで様子をみていてほしい」

亀利谷は角を曲がった。


しかし、ここで亀利谷の帰りを待っているつもりなど真人にはない。

しおりをこのままにしてでも真人は前に行くつもりだった。

しおりは怯えているようだ。眉を八の字に、建物の壁に張り付いて警戒心の強い動き。だからと言って、しおりを守ってどうする。真人が守りたかった人達はすべて失った。ここに来て裏切りの女を守ってどうなるというのか。


真人には亀利谷のような力もない。ここであの獣めいたものに襲い掛かられたら、真人にはおそらくどうすることも出来ないだろう。それでも、ここでしおりと共に子犬のように震えていることに意味はない。


もどかしさ、前を行く亀利谷への羨望のようなものが、また腹の奥から湧き上がっているのだ。守れないものを守れない無力さに、力への渇望が芽生えていることは否定できない。前に進んだところで真人には何も出来ないだろうが、それでも、前に進まなければもはや真人には生きている意味さえないように思えてくるのだ。


真人は砂利を踏んで先に進んだ。

「あ…」

後ろから戸惑うしおりの声がした。砂利の音を聞く限り、しおりも慌ててついてきたようだった。


角を曲がった先には、道しるべのように点々と続く白琴会の死体があった。

どうやらこの面が敷地の正面に当たっているようだった。


こちら側では壁が広がっていて、白琴会の敷地内の全容がおおよそ伺い知れた。

白琴会の敷地内は、今まで真人達が見ていた本堂とおぼしき大きな建物の周りに、いくつかの建物が子どものように寄り添っている構造をしている。仏教の寺院建築を模したような配置だ、と真人は考えた。


本堂は窓がほとんどない外観をしているが、周りの建物は普通のコンクリート長屋といった風体だ。

その小さな建物の近くには、業務用のワンボックスや軽トラックが二、三台置かれている。小さな建物は倉庫に類する建物ではないかと真人は見当をつけた。


亀利谷は長ネギを手前にかざして警戒するような姿勢で進んでいたが、後を真人達がついてきたことに気付き、振り向いて咎める声を上げた。

「本多達は待っていろって…ん!?」


亀利谷の声が急に険しくなった。慌てて横手の建物を身振りで示した。

「明かりを消せ。隠れる…!」


亀利谷の動きは速かった。ここは争ったりしているような場合ではないということぐらいは、その緊迫した動きで真人にもすぐに分かった。

三人はともに小さい建物の陰に身を潜めた。

「おい、いったい何が…」

ただならぬ亀利谷の雰囲気に、真人もかすれ声になっていた。


「しいっ。静かに」

亀利谷は厳しく言い、建物に張り付いてじっと待った。


重い時間が流れた。そう待ったわけではないはずだが、こんな時間はいやに長く感じる。そう感じているときには本当に時間が長く流れているのではないかと、そんなおかしなことを真人は思いたくなってきた。


なんだか見当もつかないがギャッギャッという不思議な音が本堂から聞こえてきた。

夜の森や山で聞くような、明らかに獣が発する鳴き声。真人の身はぞくぞくとしてきた。


「…!」

真人は息を呑んだ。亀利谷の身体もぴくついて、緊張が高まったことが分かった。いつの間にかしおりが真人の腕を掴んでいた。


本堂の正面口があると思われる辺りから、次々と黒い影が飛び出していった。

あるものは直立して駆け、あるものは四足歩行で跳んでいく。次から次へと、奇妙な声を上げながら。いったい何体いるのか。

凍り付いた三人は、ただその一団を陰から息を詰めて見送るばかりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る