例のオートキャンプ場に車を突っ込んだ。

途中は元々、人家も少ない道のりだ。村の中心地で起きていたような異変の香りを嗅ぐことはなかったが、相変わらず人影も対向車もいなかった。阿賀流村は死んでいた。


陽はほぼ暮れかけていて、車のライトはすでに点灯させていた。

エンジンを切ると、オートキャンプ場はほとんどすでに夜の雰囲気だった。亀利谷が荷物から懐中電灯を渡して寄越した。

「行こう。俺が先だ。何か気付いたら、すぐ教えてくれ。本多、道を教えてほしい」


真人は階段を示した。亀利谷が相変わらず長ネギをぶら下げながら先頭に立ち、静かに階段を上がり始める。

いつしか三人とも必要なことしか口を開かない寡黙な行動になっていた。


分校が見えるところまでやってくると、三人とも木立に身を隠した。

亀利谷が静かに言う。

「…思った通り。ここもやられている」

「? どういうことだ?」

「ほら。明かりの一つも点いていないだろう? 白琴会だろうがなんだろうが、まったく明かりの無い空間には適合していないはずだ」

「…そういえば、そうか」

真人は白琴洞の洞内を思い出していた。観光用のものでなくとも、白琴会の動線があると思われる通路には照明が設置されていた。点灯していなかった場所には白琴会の人間はいなかった。そんな理屈で考えるなら、いま遠めに見る分校の建物は夜に溶けそうになっていて、何一つ明かりがついていない以上、無人と思える。


「となれば、分校には用はない。向こうの奥に行けばいいんだな? 着いて来いよ」

亀利谷は道に姿を現して、堂々と歩き始めた。


真人は思わずしおりと顔を見合わせた。しおりの表情は頼りなさげだ。

仕方なく真人はしおりを励ました。

「俺は行く。亀利谷さんが大丈夫そうなんだ、ついていくしかないだろう。お前も来いよ。三人でいたほうが安全だってのも、分かるだろ?」

そうしおりに言い含めることで、自分の心のそこはかとない不安も無理に消すことにした。

長ネギを適当に振りながら大股の早足で進んでいく亀利谷の姿に、真人は臍を噛む想いしかなかった。

自分にも亀利谷のような武器や謎の能力でもあれば、ああ豪胆でいられるのだろうか。

それどころか。自分だったら。手遅れにならずに済んだのかもしれない。

何度でも。ふとした刹那の心の隙間にその後悔は染み込んでくる。


亀利谷は真人の示す通りに道を辿った。ほどなく吊り橋に差し掛かる。懐中電灯の乏しい明かりで渡るのはなかなかの試練に思えるが、亀利谷は立ち止まらない。

「この先だな。今のところ妙な気配は感じない。自分のペースでついてこいよ」

そのまま亀利谷はすっすと滑るように吊り橋を渡ってしまった。怪人達と同じアガルタの力とやらを源泉としていることを思い出させる驚異的な速さだ。

真人は鼻を鳴らし、足元を照らしながら片手でしっかりと手すりを掴み、後を追った。後ろからしおりが続いてくることが気配と吊り橋の揺れで分かる。渡り出してみると、暗さで下の距離感がほとんどない状態は、なまじよく見えるよりもためらいがなかった。よく見えすぎるというのも時には問題なのかもしれない。


亀利谷の予想通り、なんら妨害を受けることもなく三人は防空壕の入り口に着いた。

落ちゆく夕陽も山に遮られ、すでに周囲は夜と言っていい。その辺りよりさらに黒い穴が待ち受けている。

「この行き当たりに抜け道があるんだな?」

真人がうなずくと、亀利谷は今度もためらう様子は微塵も見せずにさっさと防空壕に乗り込んだ。


真人は後ろのしおりを見た。あのときは、真緒だった。時間もそれほど変わらず。まるで同じようなシーン。

いや。何を考えているというのか。しおりに何かが起きるなどというのは考え過ぎだ。何かがあるとしても、真緒に抱いていた感情と、しおりに抱いている感情はまるで異なる。今さらしおりがどうなったところで、何だというのか。


それに。

今は、亀利谷が先を行っている。亀利谷の言葉を信じるなら、敵がやってくるような気配はないということでもある。


真人の逡巡を察したのかどうかは定かではないが、しおりが低い声で言った。

「…行こう、真人」


しおりと二人、狭い入り口を抜けてそろそろ進んでいくと、すぐに亀利谷に追いついた。

亀利谷は二人を待っていた。

「空気が流れている。この下の辺りの裂け目が抜け道になっているんじゃないか?」

真人はしゃがみこんで岩陰を懐中電灯で照らし、うなずいた。

「この辺りの形…。そうだ。多分この奥に穴が。小柄な女性なら通れる」

「私が行けってことだよね…」

しおりがささやく。


「うーん。いや、少し計算してみたんだが、道を広げよう。そのほうが合理的だし、トータルでみると一番帳尻が合うみたいなんだ」

言うと亀利谷は身振りで二人を下がらせた。

首を傾げる真人達の前で、亀利谷は例の長ネギを前に突き出し、裂け目の岩肌に沿ってすっと滑らせた。

ゴトン、と粗い音がした。


「…え?」

真人は目を白黒させた。亀利谷は裂け目に垂れ下がって隙間を狭く遮っていた鍾乳石の大岩を、長ネギですっぱりと切断してしまったのだ。粗い音は、切断された鍾乳石が落下した音だ。


亀利谷はしゃがみこみ、さらに何度か長ネギを動かす。そのたびに、床に落ちた大きな鍾乳石の塊が少しずつ細かくされていく。

そうしてから、両手をせっせと動かして、細かくなった鍾乳石を左右に押しのけた。這わないと潜れないようなわずかな隙間だった裂け目が、いつしか、身体を縮めればくぐれるほどの穴に変わっていた。


「さあ、道が広くなった。奥へ行こうじゃないか」

そう飄々と言う亀利谷に、しおりが苦言を呈した。

「鍾乳洞を壊すなんて、犯罪じゃない」

真人も同感だった。ときどき亀利谷はズれた感覚をしていると思えることがある。

「どういうつもりだよ、亀利谷さん?」


「どう? どうもないよ。そりゃあこの世界の価値観なら、鍾乳洞を傷付けることは悪いことだ。でも、ここで道を広げてすぐに先に進まなければ、もっと悪いことになる。お前らに理解しやすい言い方をするなら、つまりそういうことだ。感情で理解しろとは言わないけど、頭で理解してもらうしかないな」


「……」

真人はなんとも言えない歯がゆさに黙り込んだ。亀利谷の行動は決して全面的に賛同出来るものではないが、それはおそらく真人自身の未熟さ、亀利谷が見ているものとのレベルの違い、そういったものに起因する感情なのだろう。


亀利谷はすでに身を屈めて穴に挑もうとしている。

「真人、どうする?」

「どうするったってなあ…。やっちまったものは今さらどうにもならないんだ。行くしかないだろ」

「うん。私はあなたに従う」


亀利谷を先頭に、身体を岩にこすりつけながら穴をくぐる。息が詰まりそうな暗黒。揺らぐ懐中電灯の明かり。手で壁や天井の存在を確かめると、向こう側はすぐに天井が高くなっているようだった。亀利谷や真人がまっすぐ立てるほどではないが、しおりなら前かがみの姿勢である程度身体の自由が利くようだ。これなら、真緒や小さい頃の真人達であれば進むことはそう難しくはなかっただろう。この壁のような重い暗闇を押して前に向かう意志さえあれば。


「真緒はよくこんな暗闇の中を…」

真人はつぶやいた。自分達が小さい頃は、冒険だったというのであれば懐中電灯の一つぐらい持っていたのかもしれないが、兄様から隠れたあのときの真緒は、何か明かりになるものを持っていただろうか。あるとすれば、ガラケーぐらいなのではないか。ガラケーの明かり一つで。よほど強い想いがあったのか。あの儀式の装置までたどり着きたかったのか。


「確かに暗く狭いんだけどね。しかしどうも、それだけじゃない不思議な通路だ。ほら、ここから様子が変わったぞ。別の穴につながった。段差があるから気を付けろよ」

亀利谷の声が静かに洞内に響く。

防空壕の穴が、一回り大きい洞窟に突き当たったらしく、一メートルほど下がったところに次の地面があった。


この新しい通路に降りると、先頭の亀利谷は進まずに明かりをかざして辺りをよく見ているようだった。

「…お前ら、気付けるか? 壁が不自然に加工されている。どうもこの新しい穴は手入れが行き届いている。今も通路として使える状態がきちんと保たれているんだよな。鍾乳洞の形をとっているとはいっても、自然のままの鍾乳洞の存在ではない」

「…はっきりしたことまでは分からない状態だったけど、おかしな感じはずっとしていた」

真人は同意した。

「表向きに公開されている観光洞はごく普通の鍾乳洞のようだったけどね。特におかしかったのはアカリ虫の養殖場があるほうだった。表向きの目的と合わないようなことが多かったな。沢蟹の養殖なんてやってるにしては生き物の気配もなかった。普通はコウモリがいる痕跡ぐらいありそうなもんだ」

「アカリ虫…。沢蟹の養殖なんて、やってないんだよ。体裁を取り繕う言い訳として必要な見せ方だけ成している」

しおりが補足する。


「そう考えれば、辻褄が色々と合ってくるな。そうなるとどうも疑問に思えてくるのは、白琴会にしても仙開にしても、末端の連中はどこまでそういう真実を知っていたのかってことだ。観光用の白琴洞なんておまけみたいもので。白琴洞の本体はむしろこちら側のほうこそ本質なんだろうし、二重三重にも真実を隠す情報工作がされていたんだ」

「そうね。たとえば仙開のコールセンターにいたごく普通の社員やパートさんは、もちろんみんな、アカリパウダーは本当に沢蟹の粉だって信じてるし、疑う理由自体存在しない。自分達がそう信じているからこそ利用者にも誠意をもって愛用を伝えることが出来るの」

「…善意の狂信者達だ。まったく、うまいことを仕掛けてくれるもんだな。自分達が悪事に加担していることさえ気付かされることがないまま、ひたすらに良かれと信じて毒を拡散していくんだ。決して表立って宗教色を出すことはないまま、勢力を拡大して、浸食していく。これを考えたのは黒澤という男か? 水谷という老師か? その両方なのか? どうだかまだ分からないにしても、しかしまあ、実に面倒な相手だな。ただアガルタの遺産が手元にあるというだけじゃなく、もっと本質的にアガルタに触れている連中なんだろう。なかなか…手強そうだ」


再び一行は進み出した。

それからそう時間がかかることもなく、通路が湿り気を増してきた。天井からは絶え間なく水滴が落ち、緩やかな下り気味の洞窟の足元は豊かな水量のせせらぎになった。反響で方向ははっきりと分からないが、せせらぎでは済まされないボリュームのざあざあという水音も聞こえ出した。


「足元注意だ。転ぶなよ」

先頭を行く亀利谷は腰を落とし、手をときどき地面に付いて慎重に前に進んでいた。

「それは、転べっていう意味か?」

真人は冗談半分に言いながら、ややへっぴり腰で亀利谷に続く。

「んなわけないでしょう。…でも、良かった」

しおりは呆れたように笑う。

「何が?」

「真人が冗談言ったの、久しぶりだと思って。ずっとあなたはピリピリ思い詰めていて」


真人はそれには答えなかった。ただ、少し離れた先を行く亀利谷に対する心の距離を思ったときに、不思議な感情を抱き、後ろを向いてしおりにつぶやいた。

「冗談、とはちょっと違う気がする。俺が今のを言ったのは…なんというか…」

そこで言葉を切って、呑み込んだ。

「…まあ、いいや。お前に言ってもしょうがないことなんだ」


また真人は進み出した。

しおりに言わなかった台詞は胸にしまった。口にしたら、どうかしていると思われても仕方がないことだ。

亀利谷に対する子どもじみた反発心。決してかなわない大人に対する些細な抵抗。

その表れなのだということが、自分では良く分かっていた。

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