「アガルタの、遺産?」

真人は鸚鵡返しに繰り返した。

「そう。不本意ながらね。アガルタのことぐらい、もうなんとなくは知ってんだろ?」

亀利谷はぶっきらぼうに言う。


真人は、自分の知識を答えた。

「シャンバラ…地底の超古代文明の伝説だよな。地底空洞説ともよく結び付けられる。そのアガルタのことでいいのか? 現実に存在していた、と?」

「そうだ。アガルタはもうないが、その遺産は世界の各地に点々と残っている」

「阿賀流にも…?」

「何かしらがあると俺は疑っている。その、統合の儀式の話やら、あの怪人連中のことを考えるとな。そしてその源泉はアガルタのものとしか思えない」


「本当に…今の四大文明から始まった科学文明が発達する前の…紀元前五千年とかそれ以上昔に、未知の文明があったというのか…? それが痕跡もロクに残さずに消えたと?」

「うーん。そこがちょいと説明の難しいところだな。アガルタは、この世界にとっては文明と定義するしかない。この世界の時間軸において直近では紀元前一万年頃に突然現れ、そして終焉を迎えた文明と定義する」

「定義…? ずいぶん回りくどい言い回しをするのね」


「そうとしか表現が出来ないからだ。アガルタはこの世界に元々存在した文明ではないし、この世界の人間達が築き上げた文明でもない。言うなれば、この世界とは異なる可能性が展開した世界そのもののことだ。そういう意味で、俗に言われる超古代文明というものとは性質が違う。この世界にとっては、初めから異物なんだよ。あるとき突然この世界の各地に現れ、持続することなく消滅する。それがアガルタだ。だから今の科学文明との間に断絶があるのは当然だな。担い手も違えば、系統的に進化した文明でもなんでもないんだから」


亀利谷はそう断言して静かに運転を続けているが、真人は首をひねらざるを得なかった。

モヤモヤはしおりも同じだったらしく、さらに亀利谷に問いかけた。


「あれですよね、古代核戦争で人類は一度滅びたとか、宇宙人が文明の起源に関わっているとか、そういう話でしょう? 本当にそんなものがあるというの? 夢やロマンではなく?」

「宇宙人でもなんでもないが、あるんだぜ。とっくにお前達はその片鱗に触れているじゃあないか。ああいう怪人連中やら、おかしな装置のことを今の科学でどう説明する? 白琴会と仙境開発が、アガルタの遺産を引っ張り出してきていることは間違いない。だから俺もやっと大手を振って事を構えるお許しをいただけたというわけだ」

「お許し…? なんの?」


亀利谷はハンドルから片手を離し、車内の天井を指さした。

「これでなかなか大変なんだぜ、俺の仕事も。潜入捜査、地道な証拠集めに情報収集、と。泥臭いことをやって確かに立件可能になって初めて、上から実力行使のお許しが出るというわけだ」

「上? 上って?」

「上は上さ。俺のボス」


「つまり亀利谷さんは一人じゃないということよね? 他にも亀利谷さんのようなことをする人がいる、と? 秘密組織のようなものでも?」

しおりもそこまで亀利谷のことを知っているわけではないらしく、真人が訊ねたいと思っていたことを代弁してくれた。


「そうさな。そう考えてもらって構わないだろう。しおりんと水谷さんのおかげで、確証が得られてね。やっと色々出来るようになった。お前ら流に言えば、敵本拠地への強制捜査が許されたというところ」

「確証とは、私や水谷さんが亀利谷さんにお伝えした色々なことで?」

「そ。アガルタの技術や…水谷さんや怪人はその技術の影響を受けていたわけだ。えーと、それから、しおりんに聞いた奴だと例えば、量子テレポーテーション装置と、あと、サテライトプランだな」


真人は鼻を鳴らした。

「そういう、アガルタという得体の知れない文明だか技術の遺産が実在した、という前提に立ったとして。すると、そんなことをすべて説明できる亀利谷さん、あんたはいったい何者だ、ということになるな。遺産を守るサラリーマンだとかボスとか、いい加減なことを言ってるが、サラリーマンなら誰が雇い主だっていうんだ? その組織というのはどういう規模なんだ? それにあんたの能力はなんだっていうんだ? 俺から見ればあの傘の使い方だって、アガルタの遺産だよ。つまり得体の知れない力、技術だ」


「まあ、俺達の組織のことは難しい話だから、あまり深く考えすぎなさんな。ただ、みんなアガルタの遺産ってのは、ある意味で正解。そんなアガルタの遺産が、誤って使われることがないように、見付け出して保護管理をしていく。それが、俺の仕事。俺自身はこんなことさっさと辞めたいんだがね。やんごとなき理由でやらざるを得ないんだよ。サラリーマンだからな。社畜ってのはめんどくせーんだ」


「それって…。価値観とか目的の違いはあるけど、その不思議な力の源泉がみんなアガルタの遺産ということは…。白琴会も亀利谷さんも同じ力を使っているということになるの?」

「そのとおり。お前らの言葉でいうなら超能力、魔法使い。そういう類のもんだと思っておいたほうがいいぜ。俺のボスは、自主的なルール内でアガルタの遺産を使おうとしている。白琴会のように間違ったことに使われようとしているなら、破壊も辞さないし、敵対者は排除もする。アガルタはすでに、この世界を狂わせてしまった罪がある。その歪を少しずつでも修復しようとしているんだよ、ボスは」

「罪…?」

「まあ、ボスの本当の考えは俺もすべて理解したわけじゃないがね…」

亀利谷はそこで少し口をつぐんだ。あまり言いたくないことのようだ。


車は高速道を快適に飛ばしていく。

真人は話を変えるために別の疑問を口にした。

「あなたのその、不思議な力は。北澤達とは違うタイプだよな。目も青くない、太陽も苦手じゃない。でもどうやったらビニール傘であの怪人を刺せるっていうんだ?」

「俺の力? シンプルさ。俺はドSなんだ」

「ハァ?」

「つまり、攻め好きだから。それっぽいやり方を俺なりに編み出したわけ。別に、傘はなくてもいいんだけどな。媒介物があったほうが調整しやすいしカッコいいだろ、ってだけで。他にも尖ってればなんでもいいんだぞ」

「い、いや、そういうことではなく…」


「ハハ、力の源泉のことを訊いてるんだろう? アガルタ由来ということは同じ。白琴会の怪人はアガルタの技術で人間を肉体的に改造しているが、俺のは違う。俺は、ちょっとだけいじれるんだ。違う次元…というか可能性の世界を。あれは刺したわけではなくて、傘が触れた場所の次元をずらしたといえばいいのかな」

「次元を、ずらす…?」


「たとえばなー、二次元のX座標Y座標の世界にあるものを、三次元のZ座標方向にひょいっと移動する。すると三次元世界の住人が見れば、Z座標に移動しただけだと分かるが、二次元世界の住人から見れば、消滅してしまったようにしか認識出来ない。つまり俺がずらしてやったものは、まあ、この世界からは消えたと考えて差し支えない」

「その話…確か東明大で同じようなことを聞いたような…」


「いいかい。どんなに天文学的な確率の低さであろうとも、世界の可能性は無数にあるというのが量子的な考え方だ。この世界でこそ、ビニール傘が人間を貫通することは有り得ないが、ビニール傘が人間を貫通する確率そのものは、決して0になることはないんだよ。つまり、この世界の人間が認識出来ていないだけで、ビニール傘が人間を貫通する世界もごくごく微小な確率で存在する。それこそ天文学的確率だがな。俺は、その世界がある次元へと、少しばかり座標軸をずらしてやったと、そういうわけだ」

「う、うーん…」

隣でしおりも頭を抱えている。


「分かるか? まあ、そう難しいこと考えなさんな。お前達流に言えば魔法のようなもんだと思っておけばいいんだって」

「魔法…」

しおりがつぶやく。

「水谷さんのサテライトプランも、魔法のようなものだと言ってたよね。じゃあ、あれも?」

「そうだぜ。サテライトプランは量子テレポーテーションの技術を応用して、人間の性質を一斉に変えようとする方法で、そのためのトリガーの埋め込みにアカリパウダーと一種の催眠を使用しているわけだ。それを指揮した水谷さんは明らかに人間よりも認識力が拡大していたようだな。脳機能が変化していた」


「それは、例の量子テレポーテーション装置の失敗のためだよな?」

「まあ、俺もそう聞いたんだが…そこにまだ不思議なことがあるんだよなあ」

「不思議なこと?」

真人は首を傾げた。


「そう。お前らから聞いた話、それに、俺が見てきた怪人達。それを総合して考えると不思議なのはな、アガルタよりはるかに後退しているってことだ。どれもこれも、アガルタでは未完成の技術ではないんだぜ。すでに完成されていたんだ。量子テレポーテーションの応用なんてのは日常のテクノロジーであって、失敗するような性質の技術ではない。お前らで言えば、毎日テレビや電子レンジやら使ってても、そうそう簡単に故障なんかしやしないだろう?」


「それは…。でも、ロストテクノロジーだから、点検が不十分だとか、技術とか知識を継承するものがいなくて、とか、そういうことなんじゃあないのか? テレビだってレンジだって、壊れたら素人には直せないぞ」

「そうかもしれない。だがそうではないのかもしれない」

亀利谷の言い方は慎重だった。

「どうもな、未熟さを感じる。わざと、核心部分は隠されていて。さわりの部分だけを都合のいいように断片的に使っているようにな。何者かの意図を感じるわけだ」

「白琴会…老師なり、仙開の黒澤さんのことです?」

「さあな。それを突き止めるための今回の実力行使だ」


「ちょっと待ってくれよ。未熟って、どういうことを意味して言っている? つまり…量子テレポーテーションの儀式とか、ああいうものが?」

「たとえばな。アガルタの遺産にまっとうに影響された機構なら、失敗なんぞ有り得ない。いいかい、お前らのこの文明よりはるかに先を行くレベルのテクノロジーにおいて、人が定員オーバーしたぐらいのことで誤作動するような装置のメカニズムがあると思うか? 安全装置の一つもない、そんな稚拙なおままごとのような装置が?」


「…」

亀利谷の投げかけは、真人の頭に恐ろしい疑惑を植え付けた。真人は黙り込んだ。

代わりにしおりが、その疑惑を口にした。

「それって…。わざと失敗するように設計されているとか…そういう意味かな?」


「さあな。そうとってもらってもいい。話を聞く限りではそういう恣意的な設計意図を感じる。本多が言うように、継承者がいない、あるいは経年劣化の類かもしれない。だが、サテライトプランとやらもそういうニオイを感じるとなると、どうも胡散臭い。意図的に稚拙な技術を使っているんじゃねえかという疑いだな」

「サテライトプランも? あれも、おままごとみたいなものだって言うの? 水谷さんが命懸けで止めたものを?」

しおりの言葉が強くなった。


真人もこの感情には同意した。亀利谷という男はどうも好きになりきれない。

さっきから真人としおりのことをお前達と呼称し、決して自分と一つのグループでは語っていない。仲間になるという割には。

そして、配慮が少ない辛辣な言葉の多さ。真人を佳澄から引き剥がしたあの痛みもふと心に戻ってきた。


「そうだ。一斉に人の性質を変えることはアガルタでは難しい技術ではなかった。倫理的に使われないだけでな」

亀利谷はうなずいた。

「ただ、サテライトプランについていえば、稚拙というより回りくどさが気になるな。巧妙さとも言える。直接的に人を変えるテクノロジーは、あの怪人達にいびつな形で使われているだろう? そっちは確かに稚拙な技術だ。だがサテライトプランは、俺のような監視者の目からすると、実によく考えられた仕組みに思える。派手にやられると分かりやすいが、密かに進む癌のような、仕込みと発動に別々の技術を仕込む回りくどいやり方をわざとすることで、露見を意図的に回避しているのだとすれば、なかなか敵は手強いかもしれないぜ」


亀利谷の言葉に、真人は黒澤の顔を思い浮かべた。

真人の周囲に欺瞞を張り巡らせていた黒澤。兄様や理沙子との政治的駆け引きに臨んでいた黒澤。

亀利谷が言う狡猾な敵のイメージが実によく重なる。

真人は深呼吸して無理矢理心を落ち着かせた。

黒澤への憎悪で胸中に炎が燃え立つようだった。

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