第二十二章 再び阿賀流へ

第二十二章「再び阿賀流へ」1

チャイムの音がした。


真人が自分の部屋を出ると、しおりが廊下で待っていた。

しおりは、佳澄の部屋からすでに荷物を整理して持ち出している。

佳澄の荷物は、本当に最小限のものだけにすると、キャリーカートとボストンバッグに収まる程度に過ぎなかった。


階下、外で亀利谷が待つ表まで、エレベーターで降りていく。

エレベーター内。しおりは不安げな表情で真人を見て、首を傾げた。

「もう、いいの?」


「ああ、大丈夫だよ」

真人はしおりに微笑んだ。


地上に降り、建物を出る。まだ雨は降り続いていた。

わずかな屋根の下で、亀利谷が腕組みをしてじっと待っていた。

「危険はない」

亀利谷はつぶやいた。


「それで? 俺達はこれからどうすればいいんだ?」

真人はしおりと亀利谷に訊ねた。


亀利谷は眉をひそめて真人を見た。

「俺の目的と行動ははっきりしている。だが本多さん、あんたには少し休んでもらったほうがいいと思うんだがな」

「そうか? 俺はいつでも行動出来るよ」


しおりが口を挟んだ。

「真人、本当に大丈夫なの? 北九州のときの荒れようといい、さっきまでのあなたといい…」

「なんのことだい?」

「まるで別人みたいに爽やかな顔…。憑き物がとれたみたい」


「俺は何も変わってないよ。やるべきことがはっきりしただけだ」

真人は微笑んだ。


情熱は内にしまった。

もう、真人を支える人はいなくなった。しかし。

まだ、もう少しやれる。佳澄の心がエネルギーになっている。

なぜ真人や佳澄や真緒が、こんな運命にあるのか。美奈子や寛子達も。

なぜなのか。

納得出来るまでは、もう屈することはない。


真緒に抱いていたあの奇妙な感情は…血族としての本能的なものだったのかもしれない。

では佳澄は。真人にとってどんな存在だったのか。

愛だの恋だのという言葉は化石のように陳腐なもので。


真人にはもはや何もない。

何もないが故に、答えを知りたい。

それから。

復讐が無駄だとか負の連鎖だとか不毛だとか法治国家では許されないだとか。

世の中にはいくらでもそんな言葉が飛び交うが。

敵はそんな次元の相手ではないし、真人はそんなことに辛抱できるほど人が出来てはいない。


亀利谷がすっと真人の顔を覗き込んだ。

「何か悟ったのかい? …本当に大丈夫なんだろうな?」

「余計な心配はいらない」

そう宣言する真人を、亀利谷はまた少し訝しげに見ていたが、やがて肩をすくめた。

「…まあ、いいぜ。俺は道案内さえしてもらえればいいんだ」


真人は亀利谷としおりを、マンションの駐車場に入れっぱなしになっていた黒澤のSUVに案内した。

「元々これは黒澤の車なんだ。阿賀流まで返しに行ってやろう」


亀利谷が口を挟んだ。

「今すぐ出られるな? 東京でお前を監視していたのがさっきの連中なんだろ? そのリーダー格らしきヤツを俺が倒したわけだから、事態は急展開するぜ」

真人はうなずいた。

「異議はない。俺は一刻も早く阿賀流に行きたい」


「私も、真人に従う」

しおりはそう言ってうなずき、二人の顔を見比べた。

「運転は…三人とも出来るんだよね?」

三人互いに顔を見合わせてうなずいた。


亀利谷が腕時計を見る。

「百キロオーバーで高速を目一杯飛ばして、一、二時間ずつ交替でいけば、夕方前には着くだろう」

「夕方か…」

つぶやいた真人にしおりが訊ねてきた。

「何か気になるの?」

「日が暮れると青い目の奴らが強くなるんだ」

「そうらしいよね。さっきのあいつらも…。こんな天気じゃなかったら、もう少しおとなしかったのかな」

「分からない。少なくとも、喫茶店の中は用意周到で蜘蛛の巣みたいなものだったよ。迂闊に飛び込んだのは、本当に…愚かだった」

今さら何度後悔しようが何も変わらないが、それでも真人は両の奥歯をぎっと噛んだ。


「まあ、それは俺がいる分には大した問題じゃないんだが、善は急げだ。ウジウジ立ち話してる場合じゃないぜ」

亀利谷は運転席のドアに向かった。

「最初は俺が運転しよう。カギ、くれ」

鍵を亀利谷に渡し、真人としおりはリアシートに並んで腰を沈める。


亀利谷はぐずぐずしていなかった。すぐに車を出した。

「それじゃあ、ドライブがてら、少しお互いのことを話そうじゃないか」

雨の中、車を走らせながら、亀利谷が話しかけてきた。車はすぐに一般道から首都高の羽田線に入る。

「これから阿賀流では仲間同士なんだ。知り合っておこうぜ」


真人は慎重にうなずいた。

亀利谷という男は、この短時間での印象だがやや粗野な感じがあり、口調も乱暴だ。人への気配りといった面には欠けるところがある。おかしな能力は折り紙付きとしても、少し接し方は考える必要がある。

白琴会の怪人とはまた異なるが、ビニール傘で人の身体に風穴を空けるような、人間業ではないおかしな能力。人を見透かしてくるような独特の視線。


そして隣のしおりは、黒澤の意に沿って真人に近付き、そして離れていった女だ。美奈子や亀利谷との接触で反黒沢に寝返ったとはいっても、真人としては完全に不信を失くすことは出来ない。


もちろん、亀利谷といいしおりといい、佳澄まで失った真人にとっては最後の味方には違いない。それが頼りなくかぼそく、あるいは共通の敵を持つが故のかりそめのものだとしても。

しかし、それでも。


複雑な心境だと言える。

この二人を仲間として阿賀流に再び乗り込むことに、なんともいえない不服さもある。

なぜこんな旅になっているのか。どこで何を間違えたのか。


もう、佳澄も真緒もいない。

真人に関わった者達が皆、死ぬか消えていってしまう。その死を悼む暇さえここまで許されていない。

しかし、だからといってどうということはない。真人は鼻を鳴らした。

佳澄のおかげで、冷静で、落ち着いて、穏やかになっている。

真人の想いは明確だ。

周りがどう騒ごうが、どんな人間が味方になり敵になろうが。

やるべきことはシンプルだ。


形式的な見送りなどなくとも。心の中で深く深く別れを告げていればよいのだろう。冷たい雨の中に置き去りにしてしまったことを胸の奥で詫び続ければよい。そんな無念さをすべて糧にして。もう一歩、また一歩と前に進むための糧に。


「それなら…まず亀利谷さん。あなたが真人に自分の素性を明かすべきだと思う。真人のことは少しは聞いているでしょうし」

意外なことにしおりから真人への援護が飛び出た。

「私はともかく真人は、あなたとはほぼ初対面になるわけだし、水谷さんの最期に関わったあなたから説明するのが道理だと思う」


「いいぜ」

亀利谷が言った。バックミラーの中で視線がちらちらと後ろを伺っているように見える。

「何から始めるかな…。俺はね、アガルタの遺産を守る、サラリーマンというか職業軍人というか、まあ、そんなようなものなんだぜ」

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