真人はぶるっと小さく震えた。

「昼間が苦手なんて…吸血鬼じゃあるまいし」


「似たようなものですよ。あたしゃ駐在の立場なんで、これまで連中には巻き込まれずに済んでましたし、どうやってるのか知りたいとも思いませんでしたがね。白琴会の出家者には、人間じゃなくなりつつあるものが混ざっとるんです。まともに相手をしてはいけませんよ」


「人間じゃないって? 白琴会は、いったい何をやってるんだ。教義みたいなものとか、ドグマとか、あるだろ? 教えてくれよ。連中にとってシャンバラってなんだ。秘密があるんだな?」


しかし寛子は真人を見つめ返したまま口をつぐんでいる。


意外なことに、渡辺駐在が真人の後押しをした。

「私も、黒澤さんから言われてね、手紙を作ったりして危ない橋を渡ってきましたがね。さっきのは決定的ですよ。直接、ことを構えましたから、白琴会は私にも目を付けたでしょう。つまり、黒澤さんが動くことにしたんです。本多さんは当事者なんだし、説明したほうがいいんじゃないですかね?」


「ちょ、待った、駐在さん。手紙って、あの脅迫状のことか?」

「ええ」

渡辺は少し悪戯っぽく笑った。


「あれは…じゃあ、黒澤さんの意図で!?」

「そうですよ。黒澤さんに頼まれて私が自作自演したんです。駐在ってことでね、多少は本多さんへの行動抑止になるんじゃないかって。まあ、逆効果だったみたいですけどね、ハハ。いや、黒澤さんのことだから、本当の狙いは、むしろ本多さんをけしかけることだったのかもしれません。さすがは黒澤さんですな」


確かに、あの手紙でおとなしくなるような真人ではなく、むしろ探求心をかきたてられた。

あれが、黒澤の意図だったと?

黒澤は白琴会に対して何かを仕掛けようとしていた。それを加速させるためにあんな小細工も仕掛けたということか。真人は黒澤の思惑の中で動かされたのだろうか。


渡辺が喋り終えると少し間が出来たようで、代わって佳澄が口を開いた。

「お母さん。渡辺さんの言う通り。黒澤さんには黒澤さんの考えがあって、本多さんと真緒にも考えがあって、全部が動き出したんじゃないかな? 真緒のことも心配だし、ここまで来たなら黒澤さんに乗っかって、先手必勝しかないよ」


寛子は佳澄の発言に対して否定も肯定もしなかった。イコール、佳澄の判断への承認だろう。


「なんだか、穏やかじゃなくなってきたな。まるで戦争みたいな言い方じゃないか」

「そうですねえ。ここからは本多さん、あんたが東京のほうで知っていた世界とはまったく別の世界になりますよ。法律とか規範とか、そういうものとは無縁の世界。警察の権力なんて無力な領域ですな」


佳澄が言葉を継いだ。

「本多さん、シャンバラの穴は真緒に聞いたのね? 私の知ってる範囲で端的にいえば、白琴会には目的があってね。それは、言うなれば阿賀流全体をシャンバラにしていこうということなんだと思う。兄様があれをシャンバラの穴と呼んでいたのは、そんなことからだと思うの」

「阿賀流を、シャンバラに?」

「そう。その一つの方法として、白琴会は、人間を『あれ』に入れ替えつつある。あの、青い目の生き物に」


「入れ替えているというのは、ちょっと違うかもしれんよ、渋柿ちゃん。どうやってるのかは私も知らないが、あれは入れ替わってるんじゃのうて、確かに前と同じヤツなんだよ。昼間は薄っぺらく見えてまるで幽霊のように日陰にこもってな。夜になると青く光る眼で動き回る。しかも人間とは思えないような運動能力だ。だが清水さんはああなっても清水さんに間違いない」


その言葉を聞くと、寛子が首を垂れてうつむいた。自分の兄がああなっていたのでは、その心中は察するに余りある。


「だがいっぽうでね、役場の人間や私のように、日本の世の中のシステムみたいなもんとつながっている人間もまだ必要なんだちゅうのもはっきり分かっとる。白琴会の中にはどんどん浮世離れしていくタイプと、阿賀流に人間として残されるタイプと、明らかに二種類いるんだ」


「私達は残されているほうね。兄様達の意図でしょうし、私達がそうなるように仕向けたというのもある」

「黒澤も?」

「黒澤さんは、ちょっと違うなあ。あの人の考えはなんちゅうか、違うんじゃな。あの人は、白琴会が普通じゃないことも分かっているうえで、そのまま自分のために利用しようとしているんだな」


「そうね。黒澤さんの考えははっきりしていて、仙開を大きくしてビジネスとして儲けたいっていう現世欲だけじゃないかしら。そのためには、今の社長や兄様の一派は邪魔者で」


「だから、本多さん。本官があんたを助けるために黒澤さんの指示で動いたのは、白琴会からみれば公然の反乱だし、そうなることを分かっていて黒澤さんが動いたってことはね、黒澤さんも勝負に出たちゅうわけだ」


「…なるほど。白琴会を巡る利害関係のようなものがあるんだな。だけどその話では、俺や真緒は出てこないな。どう関わってるんだ。なぜ白琴会は俺達を狙う?」


「それは、端的に説明するのは難しいわね。今は夜だし、君がいなくなったと分かれば、すぐ白琴会がここに取り返しに来てもおかしくないから、時間があまり…」

「黒澤さんが、ここに来ると本官に言ってましたが、まだ来ていないですよね」

「黒澤さんもここに?」

「何時になるか分からないけど、今晩はここで合流の予定ですよ。仙開のほうでも多少片付けることがあるでしょう。それが済み次第ですな。おそらく先に連絡が来ると思いますが…」


寛子がため息をついた。

「いいわ。分かった。確かに黒澤さんが来るのは待ちたい。その間に、少しマサ君に情報をインプットしましょう」


「ふむ。…ちなみに、その手の話は、本官は耳をふさいだほうがよいのでしょうね?」

「いえ。黒澤さんも動いている以上、この際、渡辺さんも知っておいたほうがいいと思う。白琴会で言われていることと、本当に起きたことの違いを」


渡辺は肩をすくめた。

「したたかですね、清水さん。そうすることで、私を自分の陣営に完全に引き込もうとしてますな?」

「そうとらえても結構」

「いや、いいでしょう。黒澤さんもそうしろというでしょうし。始めてくださいな」


寛子は真人を流し見た。

「マサ君がさっき分校で会ったのが、仙境開発の社長、水谷理沙子。美奈子とは双子の姉で、残念ながらマサ君の期待する美奈子ではない。本当に、双子なのよ」


真人は渋くうなずいた。

自分でも、心の奥では分かっていたのだ。直観としか言いようがない、ほとんど母親代わりだった美奈子だからこその、理沙子に感じた違和感。確かに別人なのだ。


「二人の父親は、白琴会の最高指導者である老師なのよ」

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