「…!」

ぎょっとした真人だったが、すぐに落ち着きを取り戻した。


ある意味では妖怪のようなものだが妖怪ではない。

寛子ではないか。

寛子はジェスチャーで窓の鍵を示している。


真人は、監視の目がこの一瞬なくなっていることを確認し、窓を静かに開けた。

「お、おばさん!」


寛子がうなずいた。

「マサ君。無事だった。良かった…」

「いったいこれは…」

「時間がないから、話はあと。早く窓から外へ」

「あ、ああ」


躊躇している場合ではない。これが唯一のチャンスだということには確信が持てる。


真人は窓に足をかけて校庭に飛び出した。

寛子が、真人を先導するように、腰を低くして校舎沿いに走っていく。真人はその後を追った。


校舎沿いに校庭を抜け、雑木林に飛び込むと、寛子は木陰に真人を手招きした。

息を少し弾ませながら、真人は寛子に問いかけた。

「どうしてここが?」

「何言ってるの、マサ君が黒澤さんに着歴残したでしょう? さ、詳しい話は後。早く逃げましょう」


真人は、慌てて自分のスマホを取り出してみた。着歴はないが留守番センターの伝言記録がいつの間にか溜まっていた。


軽く拳を握って小さなガッツポーズをした。

防空壕に入る前に、心配する真緒のためにおまじないとして、黒澤の携帯宛にワンギリで着歴を残しておいたのだが、それが功を奏したようだ。


それにしても黒澤の頭の回転はたいしたものだ。

黒澤からの折り返し電話があったのは、おそらく真人達が防空壕の中にいる間だったのだろう。当然、圏外だ。留守電になってしまう。

黒澤は、わざわざ真人が無言電話をかけてきて、その後、圏外になっているということから、最悪の事態を予想して行動を仕掛けたに違いない。


「おばさん、真緒が、真緒が防空壕にいるんだ」

「…! ということはこの騒ぎは、真緒が行動した結果なのね。真緒がマサ君を分校よりもっと奥に連れていったんでしょう?」

「そ、そうだけど…。それで真緒を責めたりしないでほしい。彼女は俺のためにしてくれたんだ。とにかく、真緒を助けないと」


寛子は厳しく言った。

「今は無理よ。夜はなおさら。まずはマサ君だけでも確実に逃げるの」

「彼女をそのままには出来ない。女だぞ、こんな夜に」

「二人とも捕まるわけにはいかないの」


真人は静かに語気を強めた。

「もうそういう秘密主義はやめてくれ! 真緒に色々聞いたぞ。なんなんだ、白琴会のあの男達は? それに、理沙子って…なんで姉ちゃんの双子が仙境開発の社長なんだ!?」


「お願い。マサ君、今は。渡辺さんが時間を稼いでるけど、余裕がないの。白琴会の前じゃ駐在さんの権力なんて何もないから…」


「…っ。それは分かるけど…」

真人は歯をきつく噛み合わせた。


さっきの兄様達の様子からすると、真緒はまだ捕まっていない。

あの防空壕の中にまだ隠れているのか。それとも、外に逃げ出しているのか。

いずれにしても、男でも尻込みしそうな晩秋の夜の山に、一人にしておくのはためらわれるが…。


「マサ君。真緒だって、どういう状況になっても自分がどうすべきかぐらい、分かってるから」

寛子が催促した。


「ええいっ、分かった。行こう。でも、後ですぐ戻ってくる」

真人は強く言った。


頷いた寛子は、木陰から注意深く辺りの様子を見てから、再び走り出した。

真人もすぐ後を追う。


走りながら寛子が訊ねた。

「車はある?」


「オートキャンプに置いてきてある。…あいつらに見付かってないかな」

「オートキャンプ。じゃあ、あっちの階段から降りるのね。分校と防空壕に注意が向いてるから、無事なことを祈りましょう」


真人と寛子は、転がるようにキャンプ場への木組み階段を降りた。

幸い、キャンプ場の近くには白琴会らしい姿は見かけなかった。車もそのまま残されていた。


寛子が告げた。

「いったん、よこまちストアに向かってちょうだい。思うところは色々あるでしょうけど。まずは落ち着いて、状況把握をしましょう?」


「クソっ…」

真人は吐き捨てた。真緒のことが気掛かりで仕方がなかったが、理性の部分では寛子の言う通りだということも分かっていた。

「分かった。戻ろう」


乱暴な運転で、車はよこまちストアに向けて走り出した。

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