最後通牒に尻込みした真人の呪縛は、かすかに聞こえてきたサイレンで破られた。


兄様達二人も聞き付けたらしく、顔を見合わせた。

「何の音か? サイレンのようだが」

「さあ…。渡辺君は我々に手を出すような馬鹿な真似はしないはずですが…」


サイレンは近付いてきて、やがて、校庭に新しいヘッドライトが現れた。どうやら、渡辺駐在のミニパトらしい。


「清水、見て来い」

「はい」

兄様が教室を出た。

真人と、美奈子に似た女性だけが教室に残された。


サイレンのことも気になるが、この機会を逃すわけにはいかない。

真人は口を開いた。

もし、彼女が美奈子なのだとしたら、兄様がいては口を開けない理由でもあったのかもしれない。そんな淡い期待を抱いて。


「あなたは、誰ですか? 本当に美奈子姉ちゃんじゃないのか?」


女はじっと真人を見てつぶやいた。

「美奈子の名前を口に出すな。不愉快だ」

「だったら、納得出来る説明をしてもらえないか」

「自分の立場をよく考えてから口を開くんだな。私がお前にそんな説明をする必要はない」


真人は食い下がった。

「青い目の連中は、何だか知らないが馬鹿力があるから、俺をロクに縛りもしないで座らせただけだ。口を塞がなかったのは失敗だぞ。きちんと答えてくれなければ、俺はいま全力で叫び声をあげる。今このタイミングで大声が出るのは、まずいんじゃないのか?」


真人は静かに微笑んだ。

賭けだった。


白琴会がその気になれば、駐在一人などどうにでもあしらえるのだろう。それに対して真人が示した脅しはいかにも弱い。

だが、面倒は避けたいという思惑は白琴会側にもあるだろうし、手持ちの札を手持ち以上の強さに見せるのが勝負師というものだ。


女が鼻で笑った。

「くだらない小細工だけ一人前になって。そんなに美奈子のことを知りたいの? 知ってどうする?」

「目的なんかない。知りたいことに目的なんていちいち要らないだろう? 人間は知りたがる生き物だ」

「みずぼらしい哲学だこと。君には残念だけど、私は美奈子ではない。そんなこともすっかり忘れているのか。私は、理沙子だ。美奈子とは双子の姉。これでご満足か?」


「双子…!?」

真人はしばし絶句した。

「そんな、嘘だろう。姉ちゃんは一言もそんなことを言ったことがなかった」

「ハハッ、美奈子がどれだけのことを君に話したと? 阿賀流のこと、十年前のこと、君の親のこと。君が知っていることのほうが少ないんじゃないのか?」


「…」

床に視線を落とし、真人は唸った。そして沈黙。

理沙子と名乗った女性が出してきたカードのほうが、真人の予想外のものだった。

そう言われてみれば、その通りだ。自分の親のこともだが、美奈子の家族のことも、きちんとしたことを聞かされたことがあっただろうか。


美奈子と、理沙子。双子の姉妹。

ここにいるのは理沙子であって、美奈子ではない…。


煩悶している真人を尻目に、理沙子が教室の入り口まで戻って、廊下に首を伸ばした。

少しぐらいこの場を離れても、駆け引きに敗れた真人が行動を起こすことはないと考えたのだろうし、実際、その通りだ。


真人の脳は、美奈子に双子の姉がいたという事実を消化することで、いま手一杯になっている。いや、脳なのだから頭一杯とすべきか? そんな馬鹿げたことを考え付くぐらい、混乱している。


真人の困惑をよそに、校舎の入り口のほうでは会話が続いている。

どうやら、入り口で兄様達と渡辺駐在が、何やら言い合っているようだ。

静かな田舎の夜だ。耳には途切れがちながらも会話のだいたいの内容が入ってきた。


「…とはいってもねえ。通報が…」

「…間違いですよ。私達が渡辺さんに迷惑をかけるようなこと…」

「…ですが。本官としても職務上、形式的な…」

「…渡辺さん。本当にそれは駐在としての行動?」

「…いやあ、疑っているわけではないんですが…記録も書かないといけないもので…」


意外に長引いているようだ。

理沙子が首だけでなく身体ごと廊下に出た。騒ぎを鶴の一声で収めようとでもいうつもりか。


理沙子が廊下に出ると、真人の横の校庭側のガラス窓からコツコツと気になる音がした。

窓の外をちらり見ると、妖怪の顔が窓の外にぬっと浮かび上がった。

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