真人のレンタカーの助手席には、寛子に代わって真緒が座った。

真緒の優しげな横顔をちらりと見ると、助手席から感じるオーラが、今は秋だというのに冬から春に変わったような印象を受ける。


真緒の説明では、分校跡とやらは例の吊り橋の近くになるそうなので、途中まではオートキャンプ場に向かう道と同じだ。

今日だけでも同じ道を何度も往復しているせいで、だんだん道も覚えてきた。田舎の道は信号や交差点も少なく、カーブと高低差が把握できてくると、運転も次第に慣れたものになる。

自然に会話の余裕が生まれてきた。


「どうして分校に行くんだい? 見れば何か思い出すかもしれないのか?」

「そういうことを、おばさんと佳澄ちゃんは期待しているみたいですね」

「何を思い出すっていうんだろう。吊り橋は確かになんとなく見覚えがあった気がしたけど、それだって疑わしいものだ」


「思い出せるかどうかを試したいんだと思います」

「…?」

「私は、ちょっと違う考えなんですけど。それは佳澄ちゃん達にも分からないことだから」

「はあ…」


真緒は少し沈黙してから、話を変えるように続けた。

「あのオートキャンプ場はご存じなんですよね。あそこと距離は近いですけど、上なんです。キャンプ場は河原で、分校は吊り橋のほうですから」

「ふうん」

「車を止めるのはキャンプ場でいいと思います。そこから歩いていきましょう」

「どうして?」


「行けば分かりますけど。分校のそばには車を置かないほうがいいです」

「はあ。違反キップでも切られるの? こんな田舎で」

冗談半分に真人は言ってみたが、真緒の反応は堅かった。

「行けば、分かります」

「はいはい」


少し話題を変えることにした。

「それはそうと。午前中、仙開さんを見てきたよ」

「そうですか。どんな感じでした? 立派ですよね」

「まあ、立派…だよな。この村にとって、大きな存在なんだろうね」


「そうですね。仙開さんあっての阿賀流です」

「影響力も大きい」

「はい」

「君達は、観光案内所にいるじゃない。たとえばさ、役場の観光課とか企画課とか、そういうところとも関係あるんでしょ?」


「ええ。案内所は観光協会が運営してますから、直接ではないですけど…」

「観光協会は、社団法人?」

「そうです。案内所だけじゃなくて、村から委託されていることも色々やっているんですよ」

「そんなもんだろうね…。で、どうなんだろう、君から見て、そういう役場の人達なんかもやっぱり、仙開さんなり白琴会とは少なからず絡んでいるのかな」


「ごめんなさい、それは答えにくいです」

「まあ、昨日のあの会話の感じからしたら、そうなんだろうな。一般化するわけじゃないけど、洞窟の取材なんかしてると、結構な田舎とか過疎地域に行くことがあって。そういうところだと、役所の人でもさ、なかなかどうして、地域に深く入り込んでて血縁みたいになってるケースなんかもあって。どこまでが仕事なのか生活なのか分からないような感じとかさ」

「それは分かりますね。私なんかも、こんな自由にさせてもらってますし…」


「地方の人間関係は閉鎖的だとか、しがらみだらけだとか言われることも多いけど、排他というかなんというか、すでに出来上がっている人間関係が強固なんだよな。だから、都市の感覚で他人に接しようとすると距離感がうまく縮められない。それで、排他的だとか言われがちになる。でも実際はさ、入り込もうとする側のほうが心を本当に開いてさえいれば、むしろ距離が縮むのは早かったりするはずなんだ」


「阿賀流の人達だって、みんな優しいし、お客さんにも明るいですよ」

「そうかもね」

真人は曖昧に答えた。

「けど今のところ俺は、君達と、黒澤さん、あと駐在さんと、あの宿の人と、それだけしか接していない。だから評価をするには早いのかもしれないけど、それでも…」


「…それでも?」

「得体のしれない気味悪さをずっと感じている。気分を悪くするかもしれないが。ここに来れば、何かが分かるかもしれないと思ってやってきた。だけど、余計な事件に巻き込まれて、君達にしても俺の知らないところで何かを知っているのに、様子を見ながらそれを小出しにしているようだ」

真緒が少し息を呑んだようだった。


「つまりさ、ここは俺の生まれ育ったところのはずなのに、居心地が悪いんだよ。まだ誰の本心も分からない。君らだって、俺の味方をしてくれるというんだったら、全部、オープンにして俺を安心させてくれてもいいもんだけどなあ。俺は、わけが分からないんだ。これまでの自分の生き方のせいもあるだろうけど、自分探しのような状態で。ふわふわしていて、何もないんだ、俺には」


「本多さん…」

真緒は何かを言いかけたが、すぐにやめてしまった。


横目で真緒を見ると、助手席から外のほうに視線を流していた。

しばらく真人は黙ってハンドルを握った。


やがて、真緒が囁くように、しかしはっきりと言った。

「安心してください。何もなくなんて、ありません。本多さんには、私がいます」


どきっとして真人はつい真緒の表情をわき見してしまった。

真緒は静かに笑みを浮かべて真人のほうを見ていた。

「私が一緒にいますから、大丈夫です。佳澄ちゃんとおばさんにはまた別の考えがあるみたいですけど、私にも、私の考えはあるんです。私は、本多さんのためなら―」


「あ、危ねッ、ネズミかなんか道に死んでたぞ。踏むとこだったわ!」

真人は適当なことをでっちあげて、真緒を遮った。

いけない。運転席と助手席という横の距離感は危ない。


ただでさえ真人は女性にホイホイのってしまう口なのだ。

真緒の表情が真剣だからこそ、ここは慎重にいかなければならない。


しかし、真緒のアプローチまがいの言葉に動揺するとはこれまさに、自分のほうこそ心をオープンにしていない証拠だな、と真人は思った。

心を開くのは難しいものだ。


真人としては、真緒を経由して阿賀流の情報をさらに知りたいところ。

しかし話が色恋沙汰の方向に転がっていくのはまだ早い。

何しろ過去の女性関係で懲りている。

何か因縁がありそうな真緒となるとなおさら。深入りして火傷は負いたくないものだ。


「…えーと、道はこっちのほうで合ってるのかな?」

少し大きい声で、話題を逸らす。知っている道だが。

「合ってますよ」

「分校か…俺は、そこに通っていたんだな?」

「短い間ですけどね。それも、覚えてないんですよね」


低学年とはいえ小学生まで分校に通っていて、蛇窪に住んでいたとなると、もう少し記憶がはっきりしていそうなものだが。見事なまでに欠損している。

「ああ。それに、こういう感じは、なんだろう。思い出せないとかそういう感じとは違う。思い出せないんじゃなく、『ない』んだ。そういう表現しか、思い付かないんだよな」

「でも…仕方がないことですよね。私とは逆ですけど」


真緒の言葉が、耳に引っかかった。

同じようなことを昨日も聞いたように思う。


真人とは逆。

どういう、意味なのだろうか。


そして、真緒から向けられ続けているこの静かな好意は、どう理解すればよいのだろうか。

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