2
渡辺は不可解な手紙だけを残して去っていった。
自分の預かり知らないところで、自分の周りに何かが迫ってきているような漠然とした不安感。
初日の宿の一軒から静かな動きが続いている今の雰囲気は、「泳がされている」という妄想めいた観念をもたらす。
寛子に訊ねたいこともあったのだが、真人はやめておくことにした。
手紙が何を書いていようと、差出人が何を企んでいようと。それに駐在や寛子がどう関わっているのだろうと。
考えていても、道は開けない。
モヤモヤした気分は続いているが、行動していれば多少なりとも気は紛れる。
寛子がよこまちストアから電話をして、OKサインを真人に出して見せた。
「真緒を連れ出せるから、行ってごらんなさい」
寛子が出した蕎麦を昼食としてすすってから、真人は改めて車を出した。今度は一人だ。来た道を戻り、案内所のある村の中心へ。
少しずつだが、阿賀流の風景が馴染んできた。
山の上のほうはすでに色が変わりつつある。すぐにこの辺りまで紅葉は降りて来るだろう。その先には冬もある。
いつまで阿賀流にいることになるだろうか。
後先をあまり考えずにやってきて、目まぐるしい二日間を経たわけだが。
実力行使があり、脅しめいた手紙があり。しかしいまだに「敵」とおぼしきものの気配もつかめない。
しかし勘としかいいようがないが、長期戦ではないと真人は推測している。何がどうこれから起きていくにしても。
おそらく真人が阿賀流に入ったそのときから、寛子達が言っていたように、何かが急展開しているのだ。
もはや誰にも止められないような勢いで。
ぷんぷん臭うのは、真人を歓迎していない勢力があるという気配と、白琴会がそれに何か噛んでいるに違いないという雰囲気。
仙境開発と黒澤の存在はまだ判断しにくい。寛子の言葉を借りれば、今のところは味方だということになるだろうが。
そして寛子と二人の女性。
その二人の女性の片方に、これから再度アクションを仕掛けるわけだ。
考えているうちに車は案内所の前に着いた。
真人が建物に入ると、いつぞやのように二人が顔を上げた。
「あ、本多さん」
と真緒。
「あ、ヤマハさん」
これは佳澄。
「わざわざ分かりにくいボケはしなくていい」
「佳澄ちゃんも、本多さんにまた会えてうれしいんですよ」
「てへぺろっ」
佳澄、バチンと星が飛び出すウインク。母親直伝か。誰か佳澄を黙らせてくれないと殺意を覚えそうだ。
どうしても、昨日、あんな物理学めいた議論をした同一人物とは思えないのだが…。
「そんな、しょうもないやり取りはおいといて。さっき、おばさんから電話したと思うんだけど…」
佳澄がニヤニヤし出した。相変わらず、強烈な笑顔だ。
「真緒ちゃんでしたよね。裏返すなら指名料いただきますよ」
「だからあ、そういうネタで話をややこしくするなっての」
「フフフ。今ので通じちゃうあたり、通い慣れてますな、ダンナ」
「い、いや、それは、取材の成り行き上とか、そういう風俗体験取材は結構カネになったり…はっ!?」
気付くと、真緒の視線が冷たい。
「と、とにかく、思い出の場所巡りとでもいうかな、そんなことをしてみたいと思って、おばさんに相談したわけなんだよ」
「ヘッヘッ。心配しなくても、案内所はあっしが面倒みておきやすから、ダンナは真緒とアバンチュールしてきてくだせえよ」
「どこのいつの人だよ君は。まったく…」
「佳澄ちゃん。でも、私より佳澄ちゃんのほうが、調べものだったら…」
「いや。真緒のほうがいいのよ。真緒と本多さんが一緒に行動してみたほうが。出来るだけ同じことをしてみたほうがいい」
「そうかなあ…」
「行くのは、まずは分校がいいと思う。教えたとおりに、ね。でも、くれぐれも…」
「うん。分かってる。見付からないように、橋から先は行かない、だね」
「そう」
真人は佳澄に訊ねた。
「思い付きで行動しているようなものだけど、本当に何かが分かるだろうか?」
「大丈夫。二人でいれば。きっと何か道が開けると思う」
「…」
真人は疑わしげに佳澄と真緒を見たが、真緒が優しい微笑みを返してきてくれたことで、少しだけ、気が楽になった。
「あと、遅くても夕方前ね。日が暮れないように。これは絶対」
「分かってる」
「おかんかよ」
「ふふ。似たようなものかな。佳澄ちゃんとおばさんは、私のお母さん代わりだもの」
真人は鼻を鳴らした。
そういえば、真緒の苗字は伊藤であって、清水ではない。
昨日も真緒の親のことは何も会話に出てこなかったように思ったが、どこでどうしているのだろうか。
真緒が鞄を持って立ち上がった。
「じゃあ、行ってくるね、佳澄ちゃん」
「行ってらっしゃい、真緒。気を付けて」
「俺には?」
「真緒に悪さしないよう、気を付けてね」
「…」
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