「それで? 午後は、これからどうするの?」

ひととおり買い物を済ませると、寛子が訊ねてきた。


「そうだな。白琴会に探りを入れてみるべきか、それとも、俺の同級生とかそういうものをもう少し探してみる…。学校とか、思い出の場所をあたってみるというのもありだろうな」

今のところ、記憶の何かに触れているのは吊り橋だけだが、もっと何かがあるかもしれない。

もちろん、あの吊り橋に行ってみるというのもいいだろう。


「白琴会に当たるのは、まだ早いと思うのよね。兄様のこともあるし」

「それなら、もう少し村を動いてみることになるだろうな。白琴会の連中に気を付けながら」

「佳澄と真緒が案内所にいるだろうから、どちらか、連れ出してみたら? 電話しておくから」

「どちらか、ねえ…」

「聞かなくてもわかるけど、真緒でいいのよ」

「あ、いや、そんな…」


寛子は微笑した。優しい笑みだった。

「そういう意味だけで言ってるわけじゃないのよ。思い出の深い場所に行くなら、真緒と二人で行くほうが、いいと思うのよね」


「…二人に、相談してみますよ」

寛子は何か言葉を続けたい様子だったが、結局何も言わなかった。


「そんなことより、実はさっきから言いたかったことがあって」

真人は切り出した。

「?」

「いや、さっきからトイレを我慢してたんだよね。見学だから、切り出すのも申し訳なくて」

「なんだ、そんなこと」

「ちょっと、行ってくる」


真人は休憩コーナーから化粧室の案内をたどった。

ゲストカードを持ったまま、黒澤の目を逃れることが出来たときから、チャレンジしておきたいと思っていたことだ。

寛子に言えば反対されるに決まっているし、もしものときには真人の独断専行にしておくほうが、迷惑もかからないだろう。


「なあに、盗みを働こうってわけじゃないんだ。ほんのちょっと道に迷ってみるだけさ」

真人は冗談めかしてつぶやいてから、トイレに続く廊下に出た。


どうせ重要な場所は真人の持っているゲストカードの権限では入れないだろうということぐらいは分かりきっている。

たいした情報が得られるとは期待していない。ただ、たとえば内部の人間向けの案内図や、黒澤が案内しなかったことが少しでも見い出せれば、まずはよしとしたい。

何かまっとうではないことが裏で動いているはずなのだ。この会社は。

どう考えても、リピート率90%というのは普通ではない。


廊下は静かだ。

真人の他に人の姿はない。


真人は速足で廊下を歩いた。

無機的な壁。

節電のためか、半分ずつ蛍光灯が外された天井。

壁の突き当りに、棟を出るドアがあった。隣のコールセンターエリア方面から続いているドアだ。先ほどは逆にここを通って向こうからやってきたわけだが…。


真人はドアの前まで来ると、付近の壁を見回した。

これだけ広い敷地だ。棟の出入り口のドアがあるなら、簡単な案内図ぐらいはあってもおかしくない。

そんなに大層なものではなくても。

非常勤がいる、と黒澤は言っていた。それなりに企業の体を成していて、人の入れ替えも一定数あるとすれば、不慣れな人間向けの情報もあるものだろう。


正解。

ドア脇の壁に、小さなものだが二つのパネルが貼り付けてあった。

敷地全体の建物の位置関係を示したものと、この建物内の配置を示したものと。


黒澤に案内されたルートを思い返しながら図を見ていると、イメージがよりはっきりしてきた。

仙境開発の建物はおおよそロの字の四角に配置されているようだ。

見学のルートは、おおむねその四角を辿ってスタート地点に戻ってきたということになるが、こうして見て分かったことが一つあった。


ロの字の中心部分にも何か建物があるのだ。

だから、正しくは「回る」の形になっているということだが、気になったことは、見学路からその建物の様子がまったく伺えなかったことだ。

通路はどこも建物の外周か中央を抜けていて、窓はすべて外側についていた格好になる。内側を向いていた開口部がなかったのだ。


コールセンターは見せられなかったとはいっても、外周部にあったことは分かっている。

つまりロの字の内側は、黒澤の説明になかった施設だ。

ただの見学者にすべてを紹介する必要はないだろうから、ただそれだけのことかもしれないが、しかし興味深い。


真人はスマホでパネルをさっとカメラに収めた。

そして試みに、近くにあるドアの横のカードリーダーにカードをタッチしてみた。

タッチしたログぐらいは記録されるのだろうが、一回ぐらいはどうとでも説明出来る。


警告音がして、LEDが赤く点灯した。

ノブを押してみたが、やはりドアは開かない。

さすがに、そんなに甘くはない。


廊下の向こうに人影が現れた。

ただの社員らしき男女二人組が、談笑しながらやってくる。


一瞬身構えた真人だったが、すぐに、ここが引き際と判断した。

微笑して、やってきた二人に会釈する。


二人が足を止め、声をかけてきた。

「お客様ですね。どうしました?」


通販で個人情報を扱っているだけに、見知らぬ人間がオフィス内にいれば声をかけるぐらいのセキュリティ教育は末端までされているのだ。

これ以上の迂闊なことをしていれば、警備員に突き出されていたかもしれない。

ここで退く判断は妥当だ。


「見学で来たんですけど、トイレから戻る道が分からなくなって…。お土産とか売ってたところなんですが」

頬を掻きつつ訊ねると、二人は反対側を指した。

「逆ですよ。来たほうに戻れば、角を一つ曲がってすぐです」

「ああ、逆ですか。どうもどうも」


二人に礼を言いながら、真人はそそくさとその場を離れた。


「遅かったじゃない」

戻ってきた真人に、寛子が不満げに言う。

「いや、失礼。ちょっとキレが悪くて」

「汚いこと言わないの。じゃあ、仙開さんはもう大丈夫よね?」

「ああ、ひとまずはね」


真人はうなずいた。

今のところは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る