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真人は、白琴洞に向けて車を出した。
よこまちストアから、いよいよすれ違いも難しいレベルの細道へ。
新幹線だなんだといっても、よっぽど利便性が高い観光地でもない限りは、こんなものかもしれない。
この道を大型の観光バスが走る姿は想像出来ない。
多少知名度は上がっても、それでもプチ秘境扱いにとどまるのではないか。
そもそもここ阿賀流で、観光に力を入れようとしている雰囲気は、これまでのところ特に感じられない。
観光案内所こそあったが、そこにいるのがミス渋柿ではジョークとしか思えない。
少なくとも新幹線開業に沸き立つ、そんな気配は欠片もない。
古本屋で真人の手に飛び込んできたあの本は、よくこんな土地にある鍾乳洞を特集する気になったものだ。
もちろん、観光用に気軽に行ける鍾乳洞自体が、日本全国そんなに潤沢なわけではない。知名度がそこそこのものとなると十、二十…。
そういう意味ではこの白琴洞、確かに素質はあるし、秘境というにはそれなりの説得力もあるのだが…。
寛子に教わった見当で、路地に寄せていったん車を停めた。
道沿いに、くたびれた感じの青屋根をした平屋があった。
庭には軽自動車が二台と、物干し竿。洗濯物がはためいている。
日本の農村地域に行けばどこでも見かけるような、典型的な民家と言っていい。
覚えがあるかと言われれば、あるように思える。確かに真人はこの家で生まれ、物心つく頃まで育ったのだろう。
しかしよこまちストアほどはっきりした既視感がないのはどうしたわけか。
寛子の話から類推するに、真人はあまりこの家にはおらず、よこまちストアの寛子に世話になっていたことのほうが、実は多いのかもしれない。
自分のルーツが分かったということは、それはそれでもちろん考えさせられるものがある。
しかし、それ以上のことではない。
言ってしまえば、すでに誰とも知らない他人の家でさえある。
現在の真人には、自分の本来属する場所、いるべき場所を探しているような想いがあるのだが、「ここでもない」という疎外感が訪れただけだ。
漠然と振り返ってみたとき、美奈子と二人の家庭は、一つの帰属場所だった。
学校は? 多少の違和感もあったが、幸い疎外感は感じなかった。
あの頃はそれでうまくいっていた。
しかし美奈子が失踪してからは、どこで仕事をしようと、どこに住もうと、ここが確かに自分がいるべき場所だという実感を得られなくなった。
拠り所を実感できない、浮わついたようなあてのなさ。
自分の生家を見ても、それはなにも変わらなかったというわけだ。
真人は嘆息し、車を再び出した。
蛇窪の集落から、五分も走っただろうか。
道は蛇行しながら、細い渓流沿いにずっと上っていた。
木立のなかを次第に先細りになっていた道が、少しだけ開けた。
風雨で色褪せた看板が出ている。
白琴洞に到着だ。
大型バスが一台停まれるかどうかの砂利敷の駐車場。
横に茶色の薄汚れた小屋。
駐車スペースに車を入れて、真人は外に出た。
この辺りまで来るとわずかに紅葉が始まっている木もあり、山は汚れた緑をしている。
山肌はわずかなスペースを呑み込もうと身を乗り出していて、左右どころか上下左右全球すべてが枯れ始めた緑のドームだ。
肌寒くて、真人はシャツのボタンを合わせた。
阿賀流の麓の辺りも、東京より二、三度は気温が低かったように感じたが、ここ蛇窪はそれよりさらに低い。
よこまちストアはほとんど屋内で気付きにくかったが、はたして十度あるかどうか…。
茶色の小屋は駐車場の料金小屋らしい。
ただ今は窓が閉められていて、マジックペンで殴り書きされた段ボールの切れ端が貼り付けられている。
「冬季無料。受付は奥」
段ボールに描かれた矢印のほうに、民家が一軒ある。
付近の様子をカメラにおさめながら、民家に向かった。
民家の横にこれまたプレハブの粗末な建家がある。
プレハブの裏手では林を崩して何か工事をしており、工事用の車両がぽつんとしている。
経過時間を考えると、よこまちストアに来たあの作業者達はここで働いているのだろうか。
駐車場とプレハブ建物の位置関係からすると、その奥に洞への入口がありそうだ。
真人はプレハブ建屋の前に立った。
窓越しに初老の男が座っている。半分ずり落ちた眼鏡。七割がた抜けて左右にしか残っていない頭髪。
窓に、見学料を書いた張り紙。横にはパンフレットが入ったカタログスタンド。
「大人一枚」
真人が告げて代金を支払うと、男はたいした愛想もなく、パンフレットとチケットを渡してきた。
取材目線でみても、特筆すべきことはない、当たり前な観光鍾乳洞の受付というところだ。
案内所の真緒とミス渋柿のインパクトが強すぎた。
平日なら普通はこんなものだ。
平日といえば気になるのは来訪者数。駐車場にほかの車はなかった。一日せいぜい数人というところだろうか。
鍾乳洞は一般的に涼を求めるニーズとファミリー層の夏休みが重なるため、夏が観光ピークになる。
したがってシーズンオフとなる初秋で、かつ平日となると、静かなものだ。
洞内がどの程度整備されて維持メンテナンスされているかにもよるが、取材としては経営的な側面も気になる。
全国的な知名度がある鍾乳洞はまだしも、孤立している鍾乳洞は、観光拠点としての経営は厳しくなってきている。
中には、裏山を掘ったら出てきたという、ほとんど個人の道楽経営のような鍾乳洞もあるが、そうでもなければ観光である以上、利益を生んでいく必要がある。
白琴洞はこれまでの知名度と、いま目の当たりにした入場者数を見る限り、なかなか厳しいのではないだろうか。
真人はそんなことを考えつつも、目と耳はしっかり研ぎ澄ませながら、受付から順路を進んだ。
山肌に向けて、トタンの屋根で覆われた狭い通路が伸びている。小学校や中学校で校舎と体育館あたりをよくつないでいるアレだ。
歩きながら、受付で仕入れた手元のパンフレットをさっと斜め読みすると、公開されている洞窟は三百メートルほど。
未公開を含め発見されている枝洞の累計が約千メートル。なかなかの規模だ。
そして国内の知名度が低い鍾乳洞のたいていがそうだが、未調査の洞窟の規模はいまだ不明。
調査もタダでは出来ないだけに、資金力か、学術的な高い価値が明白でなければ、なかなか進まないものだ。
通路を歩きながら、真人は今度は取材ではなく個人的な関心で考えた。
白琴洞に何か見覚えがあるか?
今のところ、あるようなないような、というところだ。
阿賀流にいた頃に、暗い場所に入って遊んでいたような気もするが、それが鍾乳洞だったという確信はないし、この受付近辺の記憶はない。
同じ蛇窪近辺でも、あの吊り橋は知っていたようだが、白琴洞は幼少期に訪れていないのかもしれない。
暗い穴のような遊び場など、この土地にはいくらでもあるだろう。
いずれにしても、入ってみれば何かしら進展する。
真人は歩みを進めた。
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