3
観光案内所の引き戸を開ける。
中は外より少し暖かかった。
外見どおりの小ぢんまりした空間。十平米あるかどうかというところだ。
壁にはパンフレットの類が色々とラックに刺さっている。観光地図が貼られていて、隣にはバスの時刻表とタクシー会社の電話番号。
目の前すぐに、背の低いカウンターがあって、部屋は仕切られている。
カウンターの向こうに二人の女性が座って、雑誌を読みながら談笑していた。
一人は奥を向いていて顔が見えないが、どちらもおそらく真人と同じか、少し若いぐらいではないか。
「あ、いらっしゃいませー」
こちらを向いていたほうの女が、顔を上げて真人に微笑みかけた。
なかなか可愛い顔立ちだ。真人の好みに入る。
田舎の女性には、素朴な可愛いらしさを感じることが多いような気がするから不思議だ。
その声で真人の存在に気付いて、もう一人も振り向いた。
うおっぷ。
こっちは見ないほうがよかった。
なんだろう真人がいま見たものは。顔面土砂崩れのような。
観光案内所の受付嬢として、許されるのだろうか。
あな恐ろしや。
それはさておき、真人は用件を伝えることにした。
「あの…」
「はい?」
二人が微笑む。
見るだけでこちらの表情筋がとろけそうな癒しの笑顔と、見るだけでこちらの表情筋が石化する恐ろしき笑顔が夢のコラボだ。
二人が胸に付けている名札が見えた。
真人好みが伊藤真緒(いとうまお)、顔面土砂崩れのほうが清水佳澄(しみずかすみ)だ。名前だけ見ると清水の佳澄ちゃんのほうがより美しく思えるから困る。
少しだけ考えてから、真人は真緒に向かって言った。
「阿賀流村に初めて来たもんで。泊まるところの紹介なんてありますか? あと、レンタカー借りたいんです」
「旅館とレンタカーですね」
てきぱきと彼女は何かのファイルを取り出してめくり出す。
「何泊ご予定ですか?」
「まだ決めていないんだけど、数日は連泊すると思います」
「お連れの方はいらっしゃいます?」
「いや、一人です」
突然、佳澄が口を挟む。
「寂しいんですね」
「余計なお世話だ」
お客に失礼な。
本当に受付嬢か、この娘は!?
「お客様、ごめんなさい。佳澄ちゃんはまだ慣れていないもので、急に失礼なことを。でも、佳澄ちゃんはミス渋柿に選ばれた看板娘なんですよ」
「なんだよミス渋柿って、その微妙なチョイスは!?」
と今度は思わず真人。
「佳澄ちゃんのおかげで、ここの案内所、可愛い受付嬢がいるって観光客に評判なんですよ」
「…」
真人は複雑な表情をした。
「どうしました? 何か言いたそうですよ」
「いや…。俺なら君だなあ、と控え目な感想」
「あ、あの…困ります。ナンパならお断りですよ」
「いや、そうじゃなくて。まあ、半分はそう受け取ってもらってもいいんだけどさ」
「じゃあ半分だけお断りです」
真人は苦笑いした。こっちも変わった娘だ。
「半分って、まさか真緒ちゃん、私を売って半分のつもりね。私のほうがミス渋柿だからって、そんな…」
「佳澄ちゃん、ヘンなこと言わないの、もう」
大丈夫。そっちの半分は選ばない。
真人は心のなかでつぶやいた。
それにしても実に面白い娘達だ。
ここ自体、観光名所にしてもいい。あとで許可をもらって、看板娘として、ぜひ原稿で紹介することにしよう。
「えっと、どこまで伺いましたっけ。ご予算のご希望はありますか?」
「まあ、普通に、一泊一万円以内ぐらいで…」
「レンタカーで寝ればお安くなりますよ」
とミス渋柿。
「フツー、それは宿とは言わんだろ」
「すみません、また佳澄ちゃんったら。えーと、他に条件はありますか? 和室洋室、温泉があるかないかでも結構変わりますよ」
「じゃあ、安くてきれいで温泉つきで、女将さんが若くて美人で宿泊客に夜這いしてくる旅館がいい」
「そんな旅館はありません」
「じゃあ譲歩して、夜這いはなくてもいい」
「ありません。っていうか譲るのそこだけなんですか!?」
「じゃあ、高くて汚くて五右衛門風呂で、ごついおやっさんしかいなくてしかもそのおやっさんが夜這いしてくるような旅館でいい」
「もっとありません」
「ちぇっ、つまんない」
「ちょっと面白かったですよ」
と真緒。変わっているというより天然の性格か。
「私の夜這いでよければオプションありますよ」
とミス渋柿がなぜか割って入る。
「いや、いい。遠慮します。普通の旅館でいいです」
「普通の旅館で、ミス渋柿は不要、ですね」
「それもメモするんだ!?」
「ではレンタカーですが、どのクラスがいいですか?」
真緒が、車種の一覧が掲載されたレンタカーのパンフレットを差し出す。
「今なら特殊重機がおすすめですよ」
これは例によってミス渋柿。
「乗るかっつーの」
「すいません、佳澄ちゃんがまたおかしなことを。佳澄ちゃんの心はイガ栗みたいに尖ってるんです」
「よく分からないたとえだな」
その言い方もひどいように思うが、天然の真緒は何も気付かないのではないか。どちらも変わり者だ。
「このさ、四駆のツーリングワゴンがいいや」
「はい、分かりました。一日でいいですか?」
「いや…何日使うか分からないから、とりあえず丸三日ぐらい」
「はい。じゃあ、お宿もひとまず同じ日程にしましょうか」
「そうだなあ、それでいいや」
「三泊のご予定で、延泊の可能性あり。お食事はどうします?」
「うーん…」
「素泊まりにしても、先に伝えておけば、大抵は食堂で召し上がることも出来ますよ」
「ああ、じゃあ、それで」
「かしこまりました。では、後は私のほうで手配しますから、こちらの申込書に記入をお願いできますか。あと、携帯電話をお持ちでしたら、その番号も」
「はーい」
と、差し出された紙に書こうとしたとき、ふとブルッとした感じがした。
手を止めてスマホ画面を見る。
変化なし。
顔を上げると、用紙の名前欄が水で滲んだように見えた。
だが瞬きをすると、すぐにただの用紙に戻る。
見間違いか。
眼にゴミでも入っていたか。
妙な感じだ。
真人は用紙に向かった。
今のおかしな感じはなんだったのだろう。
何かを虫が知らせたのか。
少し考えてから、名前をすらすら書いて紙を渡した。
「腹黒さんですね…。え?」
「ん?」
「腹黒。腹黒…銭男さん」
「何か?」
「いえ…そのう、珍しいお名前ですね」
「ああ、よく言われます」
答えながら真人はついニヤニヤしてしまった。
「あと、レンタカーの受付に、運転免許の確認をさせてください」
真人は免許証を真緒に渡した。
「あの…」
「ん?」
「失礼ですがお名前…」
真人の免許証を見て、真緒は口を尖らせている。
からかわれた、と気付いたようだ。
「ちゃんとお名前書いてください」
「芸名ってことじゃダメ?」
「ダメです。そんなの信じませんよ、もう」
言いながらちょっと可笑しそうにしている。
真人は新しい紙に名前を書いた。
「本多さんですよね…」
「ん?」
「本多。本多…真人さん」
「これは本名だよ」
「いえ…。はい…すみません。今、書類作ります」
といいつつ、真緒は書類を書きながらもちらちら真人を見ている。
真人の名前に反応しているのだ。
「じゃあ、車は裏から出しますから、それまで少しお待ちください。いま手配しますね」
真緒は、事務所らしき奥のほうに引っ込んだ。
真人の目の前に残ったのはミス渋柿。
見れば見るほど壮絶な顔だ。
「じろじろ見ないでください。セクハラですよ」
……早く戻ってきてくれ真緒ちゃん。
真人の悲痛な心の叫びを聞いたかどうかは分からないが、真緒はすぐに戻ってきた。
「今、別の係りに頼みましたから、十分ぐらいで出せそうですよ」
十分か。長いような短いような。
「やだ、あと十分も目で犯されるの?」
「こら、佳澄ちゃん。すみませんお客様。でも佳澄ちゃんをヤラシイ目で見ちゃダメですよ」
「いや、君ならともかくミス渋柿は誓って見ない」
ちょっとした沈黙。
微妙な間を埋めようとして、真緒があせあせと会話を繋ぐ。
「あの、本多さんは、こちらに何をしに?」
「いや……。まだハッキリ決めているわけではないんだけど、どうすればいいかな」
佳澄が会話に入ってきた。
「駐在に行ったらいいんじゃないですか? ボク人生の目的をどこかに落としてきたみたいですって」
なぜか佳澄はドヤ顔だ。
「何うまいこと言ってるんだこの娘は。あのさここ、白琴洞って鍾乳洞あるんだよね?」
「白琴洞は、だいぶ奥ですよ。県道をずっと行って、蛇窪の集落辺りになります。車で三十分ぐらいですね。今までは地元民しか行かないようなところだったんですけど、新幹線が通ってから、少し観光のお客さんが増えました」
「ふ~ん」
「私、蛇窪出身だから、子どもの頃はよく白琴洞の近くで遊んだことがあるんですよ。あの辺りに住んでいた子なら庭みたいなものです」
「ふうん、そのへん出身なんだ」
「はい。あの……本多さんは……?」
「え? 俺?」
「本多さんも蛇窪出身ですよね?」
「え? いや、どうなんだろ。どの辺に住んでたのかは、覚えてないんだよな」
「あっ、そうなんですか……」
真緒は慌てた様子である。
真人も、今の会話には違和感を覚えた。何かが引っかかった。
「え、えっと…そろそろ車が…」
真緒は腕時計を見て慌てた様子で席を立ち、再び裏手に行った。
幸い今度は、ミス渋柿がおかしなことを言い出す前に、すぐ戻ってきた。
「車、出せるそうです」
「おお、ありがとう」
それから真緒は、パンフレットにもなっている観光地図を出して、宿の一つに丸をした。
「車ならすぐですよ。連絡はしてありますから、本多さんのお名前を言えば大丈夫です」
「ありがとう」
真人は地図を受け取りながら、もう少し訊ねてみた。
「仙境開発という会社はどこかな?」
「仙開さんですか? 蛇窪とは反対ですね。大きいカマボコ建物ですから、すぐ見つかると思いますよ」
真人はうなずいた。予想通り。すぐたどり着けるだろう。
「何の会社なの?」
「阿賀流のお土産物なんかを作ってるんですよ。お客様もお帰りのときにはきっと手に持ってます。工場で直販もやってますからいかがですか?」
「工場? 誰でも入れるんだ?」
「はい。あ、もちろん本当の現場見学は事前の許可がないとダメですよ」
「そりゃそうだ。ありがとう、参考になったよ」
「工場見学の申し込み、こちらでも受け付けられますから。また、いつでも来てくださいね。待ってます」
真緒に「待ってます」と言われると、営業トークと分かっていても満更ではない。
「私も待ってますよ」
とミス渋柿。
お前は、遠慮しとく。
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