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バスは、ローカル線の途中から見え始めていた川に沿って、曲がりくねった国道を、ちんたらちんたらと登っていく。
乗り心地はあまりよろしくない。椅子がギシギシにボロくなっているのだ。バスひとつをとっても、東京圏のバス会社と資金力が違うということだろう。
いつしか、周囲から建物はおろか田畑さえもなくなり、ただ厚い木々が左右から被さってきた。
どこまでも、緑のなかを上っていく。
やがてバスは峠を越え、緩やかな下りに入った。
どこか離れたところを流れていた清流も、道沿いに戻ってきた。
スマホの地図アプリによれば、峠を越えたところから、阿賀流村に入っているらしい。
視界が開けた。
どうやら阿賀流村は、山間にわずかに開けた盆地の村のようだ。
バスは村の中心とおぼしき方面に向かっている。
川沿いに、だんだん建物が増えてきた。
目を惹いたのは、川向こうの離れたところにある巨大な建物だ。
工場だろうか。蒲鉾のようにのっぺりと真っ白で平たく四角い。
バスはその建物のほうには向かわないようで、ゆっくりと村の中心地に真人を運んだ。
車窓を見ていて不思議な感じがした。
幼い頃とはいえ、真人がいたことがある場所のはずだが、今のところ、ここにいたという記憶が出てこない。
来てみれば、記憶にある場所だと感じるのではないかと思っていたが、そんな感じがまったくしない。
考えてみると、自分が正確には何歳まで阿賀流村に住んでいたのか、そんなことも知らないのだ。
美奈子にどんな意図があったのかは分からないが、見事なまでに真人の中から阿賀流の記憶は抜けている。
そんな真人の感傷はよそに、やがてバスは終点に着いた。
村役場らしき二階建ての建物の前に、少しだけ道が広がっていて、バスの折り返し場になっていた。
バスを降りて最初に真人が感じたのは、空気の涼しさだった。東京とは風の質が違う。
まだ紅葉こそしていないが、違う土地に来たのだ、と実感が湧いてきた。
それだけに、実際に足で地面に立ってみても、記憶と重なる姿がまったく浮かんでこないこの現実は、気にいらなかった。
旅荷物を詰めたボストンバッグを手提げから肩がけに変えて、ともかく辺りを見回してみる。
当面の目的は二つ。仙境開発という会社と、白琴洞だ。
さっき見えた工場めいたカマボコ建築が、仙境開発だろうか。
あのとき、美奈子宛に来ていたハガキに出ていた会社の写真が、角度は異なるがどうも似ているように思える。
白琴洞は、どこか見当もつかない。事前のいいかげんな知識では、中心部からだいぶ外れた山間だという情報だけ仕入れてある。
地図アプリでは画面内にそれらしきマークが見当たらなかったので、思ったよりも小さいのか、あるいはもっと奥地のほうなのか。あるいはその両方か。
しかし、それら以前にやるべきことがある。
あてもなくやってきたので、宿も決めていないのだ。まず行動拠点を作らなくてはならない。
真人はコンパクトタイプのデジタルカメラで、役場の周りを何枚か撮影した。
大事な資金源のために、取材らしいことも少しはしておくことだ。
ひととおり辺りを見て回ると、 役場の並びに、観光案内所があることが分かった。
黄色っぽい壁をした、古びた作りの小屋で、案内所というよりは事務所か職員詰所かといった風体だが、知らない観光地ならまず当てにしてみるべきだ。
季節柄、紅葉と栗拾いの案内ポスターが貼られていて、少しは賑やかな感じもしている。
レンタカー受付の文字もあってほっとした。こんな山中では、車の足がないと困るだろう。
真人は、秋の涼しい風の香りを嗅ぎながら、観光案内所に向かった。
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