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最初の就活説明会が大学で開かれた日のことだった。
当時の真人は大学三年生。
もちろん説明会に臨んだのだが、終わってみれば、なんとも言えないモラトリアムな気分に陥って帰宅する羽目になった。
噂には聞いていたが、三年生ともなると大学生活すなわち就職活動で、大きく学べという字面とはかけ離れた現実を突きつけられた苦さがあった。
真人は当時から落ち着かない性格で、いつも何か新しいことが起きて、ワクワクするようなことが待っているのが好きだ。
一年も先のことのために、たいして興味もないような会社を何百と回るなどただの時間の浪費だとしか思えず、苦痛だった。
しかしいっぽうで、真人をここまで育ててきた美奈子の苦労が並々ならぬものだったのだろう、ということも察していた。
自分の、子どもじみたあがきや主張なんてどうでもいい。
美奈子が望んでいることがあるのなら、そのとおりにしたい、そんな想いもある。
結果、説明会が終わる頃には、自分の進路に思い悩むモヤモヤに包まれていたというわけだ。
梅雨の季節にしては珍しく、よく晴れた日だったのを覚えている。
天気とうらはらに気分はどんよりして仕方がなかったからだ。
そんな中途半端な気持ちのままでも、習慣というものはそう簡単には変わらない。
帰り道がてら、その頃の日課になっていた「帰るコール」を美奈子にかけた。
美奈子はすぐに出た。
夕方、ちょうど美奈子が起きて活動開始する頃だ。
「もしもし?」
「あ、姉ちゃん」
もちろん美奈子は叔母であって姉ではない。それどころか母親同然に年齢は離れている。
しかし、真人が小さい頃から美奈子は水商売をやっていて、綺麗な化粧と独特の香水の香りが、美奈子おばさんと呼ぶことをいつしかやめさせていた。
「私のことはオバチャンじゃなく姉ちゃんと呼ぶんだぞ?」
そんな冗談めかしたやりとりから始まったルールが、そのままずっと終わることなく続いた。
何より美奈子は美しい女性だった。
真人の記憶にある小さい頃からずっと変わらない美しさで、年齢を感じさせることがなかった。
外見だけでなく、両親が亡くなってから、真人のすべてを世話してくれたことも、真人にとってかけがえのない愛情を感じさせるものだった。
両親はよっぽど放蕩なことをして親族に苦労をかけていたらしく、美奈子が詳しいことを教えてくれたことはない。
決してハッキリ言うことはないが、両親のことで真人に伏せていることがたくさんあるようだというのは、どことなく感じられた。
両親の墓参り一つだって連れて行かれたことはないのだ。
美奈子は、自分のためにどれだけ頑張ってきてくれたのだろうか、と真人は考える。
真人が引き取られた頃は美奈子も二十代だったが、失踪時は四十オーバーだ。いまもし会えればおそらく五十代ということになる。
真人が覚えている限り、美奈子はいつでも水商売で生計を立てていた。
まだキャバクラという業態さえ定着していなかった頃からずっと。
もちろん仕事のことを真人に喋ることはあまりなかったが、人気はあったようだ。
少なくとも真人は、親無しの家庭にしては、同級生達と比べても、自分の家が特に金銭的に不自由する暮らしをしていたと感じたことはなかった。
大学に至るまで奨学金の一つももらっていないし、住んでいたのもそれなりの賃貸マンションだ。
とはいえ、美奈子がいくら年齢に比べれば若く美しく見えるとはいっても、さすがに真人が高校生になった頃には自分の売り方も変えていて、いつしか小さなスナックの雇われママに収まっていた。
美貌や色気だけではなく、巧みな会話も魅力に加えて、慕う男が絶えずいる、年齢を増してもなお美奈子はそんな女性であった。
ただ真人が気になっていて、年を追うごとに自分を育てていることが原因なのではないかと、負い目を感じ始めていたのは、美奈子が決して結婚する気配をみせないことだった。
そんな美奈子のことを思うと、きちんとした仕事について、恩返しの一つでもしたほうがいいのではないか。
そんな想いが当時の真人にはあった。
電話越しに美奈子と言葉を交わす。
「ガッコ終わったから、帰るわ」
「はーい。夜ごはんなんか作っておくからね」
「なんか買って帰るのある?」
「んー、そうね…卵と牛乳かな。あと自分のおやつでも買ってきたら?」
いつもどおりのしょうもない内容だったのだが、今でも一言一句そのとおりに覚えている。
誰から訊いたのだったか。強力な印象をもつ出来事があると、その出来事の記憶は、近くの他の記憶を巻き込むという。
そのとおりかもしれない。この一日の記憶はすべて鮮明だ。
「じゃ、五時ぐらいには帰る」
手短に電話を切ろうとすると、訊ねられた。
「説明会はどうだったの?」
「あ、いや……たいしたことなかったよ」
「ふうん」
続けてモヤモヤした何かが口から出そうになって、慌てて堪えた。
いったいなにを喋るつもりだったのか。美奈子を困らせても始まらない。
「じゃ、買い物して帰るから」
逃げるように電話を切った。
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