第二章 速さ×時間=距離

第二章「速さ×時間=距離」1

次の早朝、真人は北に向かう車中の人になっていた。


真新しい新幹線は、東京を出てしばらくはのんびり走っていたが、大宮を過ぎるとぐんぐん加速した。

揺れはほとんどないが、キーンと独特の音が耳につく。


東京駅のホームで買った駅弁をぼそぼそ食べながら、真人は飛んでいく景色を眺めていた。


東京からわずか二時間そこらで阿賀流村近くまで行き着く。

へたをすると関東のどこそこ県よりよほど東京に近い。


開通した新幹線さまさまとなるわけだが、これは何が縮んだと考えるべきなのだろうか。

時間が短縮されたのか、距離が短縮されたのか。


速さと時間を掛け算すれば距離になる。

当たり前の法則だ。


新幹線が開通したからといって、もちろん物差しで計れる距離は短くならない。

変わるのは速さだが、人間の主観としては、まるで時間が変わったかのように感じられてしまう。時間が短縮された、とよく言うではないか。


しかし速さと距離と時間は一つの公式の中の三つの要素であるが、時間だけはその中にあって同じ物差しでは計れない仲間外れだ。


速さと距離は増減する。だが時間は増えることはないし減ることもない。

時間は常に流れ続けるもので、流れ方を変えることなどない。時間の長い短いは主観にすぎない。


つまりこの公式は、時間を不変の真理としたときに速度と距離との関係がどうなるかを示したものだ。

時間そのものを定義してくれるものではない。


そう小難しいことを考えようと考えまいと、これが一種のタイムマシンのようなものであることは間違いない。

過去の自分に会いに行く旅。


新幹線が進めば、それだけ過去は近づく。

真人が記憶にもない頃に生まれ育ったところ、阿賀流村という過去。


美奈子が失踪する直前からチラチラと見え隠れしていた影。

そして今また真人の前に現れたその名前。


何もないのかもしれない。あるいは何かがあるのかもしれない。


いずれにせよ、美奈子がいなくなってからというもの、脇目もふらずに駆けてきたこれまでを振り返るにはいい機会だ。


弁当を食べ終え、真人は目を閉じた。

阿賀流村に着くまでに、少し思い出してみよう。


いきなり子どものころは難しい。

まずは、すべてが乱れた元凶になっている、美奈子の失踪のことを思い出してみる。


あのときから、真人の人生がおかしくなったのだ。

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