第一章 古本の栞

第一章「古本の栞」1

やっと残暑も終わりが近づき、朝晩には涼しさも感じる季節になってきた。


軽い足取りで銀行を出た本多真人(ほんだまさと)の心は弾んでいた。


わざとらしいとは思ったが、このうれしさを誤魔化すためには、なんでもないフリを装うしかない。


真人のブログを元にして出版された「首都圏地底巡り 穴があったら入りたい」の原稿収入がようやく入ったのだ。


ポケットから「本多真人様」と書かれた支払明細書を出し、たった今記帳したばかりの通帳の入金額と比較する。

間違いない。


真人はフリーの物書きだ。

あいにく一本で食べていけるほどの優良クライアントはついていない。


ジャンルは問わず、なんであれこまごまと数をこなすことで、なんとかここまでやってきている。


ライターというと、ひと昔前は雑誌の記事を書くことが多かったようだが、今はインターネットで使われる原稿の仕事が多い。


ブログ記事のゴーストライターや、出会い系サイトのサクラ書き込み等がよくありがちで、コンスタントに小銭を稼げる効率のいい方法だ。


しかしもちろん、そんな文ばかり書きたくて物書きという仕事を選んだわけではない。


いつかは、自分の書いたもので人の心を動かしてみたい。

それが何かの記事やガイド本のようなものなのか、あるいは小説や脚本になるのかはよく分からないが、それは夢であり目標だ。


今年ついに三十代になったが、幸い、まだまだ体力の衰えは感じない。


定職がないことを生かして、日中は外に出てウロウロとする。

一種の取材だ。なにが話の種になるか分からない。


夜はインターネットで見つけたライティングの仕事をチマチマと進める。

たいていはどうでもいいようなことを書く仕事だ。


離婚してからというもの、そんな毎日でそれなりに生活リズムが出来ていて、それなりに楽しいものだった。


あるときから真人は趣味をかねてブログの投稿を始めた。


テーマはあまり深く考えずに、取材ついでに撮ったちょっとした写真とコメントを載せていく。


そのうちに、個人的興味で元々好きだった、廃墟や鍾乳洞の訪問記録ばかりになってきた。

それがいつしかネット上でちょっとした話題になりアクセス増、出版社から書籍化の声がかかり現在に至る。


一度流れに乗ると夢のようにあっという間の出来事で、あれよあれよである。


たいした原稿料ではないし部数もたかがしれているのだが、しかし物書きで食っている人間にとって「出版」はやはり特別なものだ。


通帳を見て真人がニヤニヤしたのも、金額それ自体より、自分の書いた物が本になったという実感があらためて湧いてきたことによるものが大きい。


出版社の担当は北澤という、真人より少し若いぐらいの調子のよさそうな男だ。今日も少し打ち合わせをしてきた。

物を書くということには縁が遠そうな、こぎれいな編集者といった風体だが、いろいろ気が利く便利な男だ。


北澤からは早くも続編のオファーが来ている。

今度は少しだが取材費も出すという。


それなら今まであまり手を出せなかった、少し遠いところにあるスポットもターゲットに出来る。

考え出すと楽しくて仕方がない。


なぜ洞窟や地下なんてものに惹きつけられたのか。

その頃はそんなことを考えてみたこともなかった。


他にもオーパーツやらムーだの、宇宙人だの超古代文明やら超能力に怪奇現象、そんな胡散臭いサブカルチャーも大好物で、謎や不思議なものに惹かれる少年の心をいつまでも持ち続けているのだ、とうそぶいたりしていた。


謎のまま残されていることがあれば探求してみたい、いつか宇宙の始まりや恐竜滅亡の瞬間さえもこの目で見てみたい、そんな子どもじみた不可能な願望も時には抱く。


それが本多真人という人間だった。

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