紡がれる願い



「アネモネ。それは俺との結婚を拒む理由にはならないよ」


 笑みを消した公爵に、わたしは終わりを告げる言葉を呑み込んでいた。琥珀色の双眸には苛立ちも見える。

 そのせいか、体重をかけられているわけでもないのに、身動きが取れないほどの重圧を覚えた。


「君には、とっくに深層まで晒しているんだ。いまさらなにを見られても気にしない。ただ——。望んでもいないのに記憶を見せられ、そのことを君が迷惑だと感じているのなら、一緒に眠るのは今日限りでやめにするよ」


 伝えてはいないのに。公爵は、わたしが自分の意思で夢を覗いたのではないことをわかってくれていた。

 けれど、言葉を重ねるごとに、公爵の瞳がつらそうに翳っていく。その表情が、王が抱えてこられた苦悩と重なる。


 そして導かれるように、ミネルヴァさまの言葉を思い出していた。

 気丈に微笑みながらも後悔を感じさせる口調で紡がれたのは、夢渡であるがゆえに辿り着いてしまった結論で。


『愛していると、たったひとこと、あの人に伝えられていれば……』


 そこに込められた想いに共感し、まだ間に合うと、あと押しまでしてしまったというのに。どうして忘れていられたのかしら。


 だから、居たたまれなくて。本心を伝えずにはいられなくて。


「迷惑じゃ……ありませんっ!」


 わたしが首を振ると、まもなく公爵は、ほっとした表情を見せた。

 やはり、不安だったのかもしれない。

 公爵もきっと、王と同じで。わたしの考えすべてが読めるわけでもなくて。迷いを抱えながらも、わたしを選んでくれたのかもしれない。


 そうと悟った瞬間、公爵の腕を押し退け、わたしは上体を起こしていた。ベッドの上だということには目を瞑り、きちんと向かい合ってから口を開く。


「ルクスさま。わたしなら大丈夫ですよ? それに……、それにですね。嫌だと思ったそのときには、近づかないでくださいと、全力で、それはもうはっきりと、言葉と態度で示しますから」


 伝え終えてすぐ、その台詞がさきを感じさせる内容だったことに気づき、焦って口を噤む。けれど、上手く仕舞っておくことのできなかった想いの欠片は、心から溢れ、公爵にも届いてしまったようで。


「全力でって……。それはそれで、かなり傷つくと思うんだけど——。まあ、そうだね。その場合、それは俺の落度でもあるんだろうし」


 嫌われないよう、最善の努力をするよ。そう言って、公爵が溜息混じり見せた表情は、またしても笑顔で。

 嫌いになんて、なれるはずがない。そう強く感じたときにはすでに、なぜかしら、わたしはベッドに押し倒されていた。


「……あの、ルクス……さま?」

「努力するって言ったからね」


 努力するって——。方向を間違っていませんか。


 そう非難したかったのだけれど。近づいた距離に、わたしは口づけを期待してしまう。

 その心情も、ばればれだったのかもしれない。


「ねえ、アネモネ。帰ってください。そして、わたしのことなど忘れてください。昨日、君が口にした言葉だよ。もちろん、覚えているよね?」

「……はい。覚えて……、いますけれど」

「なら、あれは本心じゃなかったって、認めるんだね?」


 絶対にわざとだと思う。じらすように、わずかに距離を置いたうえで聞かれる。


「嫌ならはっきり、言葉と態度で示すんだよね? そうだよね? アネモネ……」


 間近で見せられた柔らかな微笑みは、どうしようもなく逆らいがたくて。わたしの名を囁くように呼んだ公爵の声は熱く、頭の芯をとろけさせる。

 これはもう、諦めにも近いのだけれど。不満が掻き消えるのに、それほど時間はかからなかった。 


 だから、わたしも心からの微笑みを返す。


「そう……ですよね。はっきりと、言葉にしてお伝えします。わたしはルクスさまを、愛していますから」


 言いながら、あっというまに顔が火照ってしまう。あまりにも堂々と、宣言しすぎてしまった気がするのだけれど。


「俺もだよ、アネモネ。君を愛している」


 躊躇いなく想いを返してくれた公爵の声にも、嬉しさと照れくささが混じっていたから。


「……嫌じゃ、ないですからね?」


 彼の首筋に、自分から両手を伸ばす。軽く引き寄せただけで、お互いの唇は重なっていた。


 相変わらず、大丈夫と言いきれるほどの自信は持てそうになくて。そんな自分が彼のそばに居続けていいのか、迷いは消えないままだけれど。

 この幸せは、ずっと本物であって欲しいと思えるから。


 本当に、そう思える……のだけれど。ちょっと……朝からこれは、どうなのかしら。

 深く交わした口づけが、余韻を残してわずかな距離をつくる。呼吸すらままならないまま、またすぐに近づこうとした唇に、わたしは慌てて声を上げる。


「あっ……あのっ、ルクスさまっ!?」


 途端に、不服そうな顔を向けられる。しかも。


「……だめ?」


 その聞きかたは、卑怯だと思うのだけれど。


「あのっ、でも……ほらっ、ルクスさまもわたしも、仕事に行かないとですしっ! 昨日は途中で抜けてしまって、工房にもご迷惑をおかけしましたし。すぐにでも朝食の用意をしないと……。出かける準備も間に合いませんよっ?」


 じたばたしながらも、なんとか公爵の腕から逃れる。

 まだ、肝心なことを伝えていないのに。このままでは、きっとまた流されてしまうから。だから、急いでベッドから降りようとしたのに。


「待って、アネモネ」


 うしろから声がかかるのと同時に、わたしは抱き寄せられていた。公爵の胸に背中を預ける形で、ふたたびベッドへと座り込む。


「もう少しだけ、俺に幸せを感じさせて?」


 公爵の温もりに包まれたそのとき。存在を確認するように抱きしめられていると感じたのは、気のせいではなかった。


「——うん、夢じゃないよね?」

「……はい。夢じゃ、ないですよ?」


 流れる空気はとても穏やかで、それは、わたしにとっても幸せな時間だった。そして心から、壊したくないと感じていた。


「とりあえず、今日一日は頑張れるかな」


 公爵の腕から解放され、ベッドを降りたわたしの耳に届いたのは、そのような言葉だった。


「手伝うよ」

「……えっと?」


 唐突に「手伝う」と言われたため、首を傾げていたところ。公爵から、じっと見つめられてしまう。


「手伝うのは朝食の用意だよ? それとも——」


 そこで間を置いた公爵だけれど。わたしの反応を楽しんでいるのは間違いないと思う。笑みを浮かべた公爵は、ベッドのはしに腰かけ、シーツの上をぽんと叩いてみせた。


「また、押し倒されたい?」

「押しっ……、倒されませんからっ!」


 睨んでみたけれど。効果がないのはもう知っているし、このなにげないやり取りが、公爵のもとを去ってからずっと感じ続けていた心の穴を塞いでいく。

 それがまた、嬉しく思えてしまって。


 彼が見る夢を、思い描く未来を、もし、わたしも一緒に見ることが許されるのなら。そしてともに歩むことで、少しでも力になることができるのなら。


「ルクスさま——。お願いがあります」

「うん、なに?」


 本当に彼は、笑顔を安売りしすぎなのではないかしら。それに、わたしは居住まいまで正したというのに。公爵から返ってきたのは、簡単なお使いを頼まれたときのような軽い返事で。

 たったいま決意したことを白紙に戻したくなる。


 けれど、彼とともに歩くためには、自分の考えを——、大切な想いを、偽らずに、そしてなにより、逃げずに伝えなくてはいけないと思うから。


「わたしと……、結婚してください!」


 込み上げた恥ずかしさも手伝って、深々と頭を下げた。


 けれど、いつまでたっても返事がなくて。もしかすると、ひと晩わたしと過ごして、しかも夢を覗かれたこともあって、考えが変わってしまったのかもしれない。

 どちらにしても、いいかげん待ちきれなくなり、おそるおそる顔を上げてみれば——。


「…………あの、ルクスさま?」

「ねぇ……アネモネ。いまさら俺に……、それをお願いするの?」


 片手で口もとを押さえた公爵の顔は、信じられないほど、真っ赤だった。


「だっ、大丈夫ですか!?」

「ああ、うん。ごめん、ちょっと待ってて。嬉しすぎて、自制が利かなくなってるだけだから」


 公爵の告白に、わたしまで赤くなってしまう。

 ベッドから立ち上がった公爵は、まだ、動揺が残っていたようだけれど。見せてくれたのは、いままでで最高に愛おしく思える、優しい笑顔で。


「いいよ、アネモネ。結婚しよう」


 差し出された手に、今度は迷うことなく自分の手を重ねる。


 そのとき。階下から、かすかにチェレスティーノの鳴き声が聞こえた。しゃがれ気味の声で、一階に住む家主さんに、ご飯の催促をしているのだと思う。

 それは毎日繰り返される、この部屋で迎える朝の一場面で。

 そのように代わり映えはしないけれど、平穏な日常に、今日からは公爵が加わる。それがくすぐったく感じられて。


 さきを歩く彼を、見失わないように。些細なことでも幸せを感じられる日々が、これからさきも続くように。


 最善と言える答えは出ないままだけれど。彼の隣で、わたしはわたしなりの努力を、これからも続けていこう。そう思えた。






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