確固たる覚悟



「お色の確認ですか」

「そうだよ。いまごろになってと……、怒るなというほうが無理か」

「まったくですわ。ですから最初に採寸させていただいたさいに、助言いたしましたのに。わたくしの見立ては確かでしたでしょう?」

「だから今日、こうして足を運んだんだ」

「あら、初めて素直にお認めになりましたわね」


 意外そうな顔を見せたディアーナに、シエロが沈黙する。

 けれど、すぐになにかに思い至ったらしい。


「ああ……。見立てって、そっちの話ね。なら、それはまだ……。いや、でも、そうだね。前向きな気持ちが欠けていたのは認めるよ」


 シエロの返答からは、曖昧さと迷いが感じられた。それでも、ディアーナにとっては及第点だったのかもしれない。彼女は満足げに、シエロの要求に応じていた。


「例のドレスでしたわね。すぐにお持ちいたしますわ。それと――、ヴェントスさま」


 そこで、ひと呼吸置いたディアーナが、凄艶せいえんな微笑みを満面に湛える。その微笑みには、身が凍えるほどの迫力があり。


「わたくし、ロベリアさまを諦めたわけではありませんわよ」


 シエロ越しに見つめられ、ぞくりと震えたわたしに、身を守る術はなく。自身の無事を、ただただ祈るしかなかった。


 そんなふうに、危機感を植えつけるだけうえつけて、ディアーナが部屋を出ていったその直後。今度はシエロが、ほっと息をついた。


「彼女には、私が幼少のころより面倒を見てもらっているので、こちらの内情も理解してくれているはずなのですが……。配慮を怠るべきではありませんでした」


 そこで言葉を切ったシエロだけれど。なぜかしら、にこりと微笑んでみせた。すぐに、実感のこもった声で続きを口にする。


「昔から、彼女の奇行は迷惑極まりないので」


 まったくもってそのとおりです。と、思わず全力で同意しそうになったところ。ドレスを手に、はやばやとディアーナが戻ってくる。


「こちらのドレスですわね」


 まだ、仮縫いされたままで、装飾はいっさい施されていなかったけれど。滑らかな光沢を持つ絹地は、飾りがなくとも目を奪われる、鮮麗な赤色をしていた。


「試着していただけますか?」


 シエロの頼みに、わたしは戸惑う。


「あの……。補正は昨日、終わったのではありませんか?」

「気になる点があったものの、昨日は補正に立ち会えませんでしたので。あらためて、ご協力願えませんか?」


 向けられたのは笑顔だったのだけれど。シエロの双眸には、どうにも逆らいがたい光があり。


「……わかりました」


 しぶしぶ頷いていると、ディアーナの冷たい視線がシエロへ向けられていることに気づく。


「お話は済みまして? でしたらヴェントスさま。速やかに退室していただきたいのですけれど」


 きっとこのとき、ディアーナの言葉に、シエロよりもわたしのほうが焦っていたのだと思う。そして間違いなく、顔に出ていた。

 証拠に。


「大丈夫ですか? お許しいただけるのでしたら、衝立の裏でお待ちしますが」


 心情を察してくれたシエロから、心配されてしまう。


 けれど衝立があるとはいえ、異性のいる部屋で服を着替えるのは、さすがに抵抗がある。

 困惑していると、わたしの返答を待たずしてディアーナが口を開いた。


「心配なさらずとも、仕事中にロベリアさまを襲ったりいたしませんわ」


 けれど、その言葉は信用できるものではなかった。舌の根も乾かないうちに、わたしは背後から、ディアーナの手によって抱き竦められていた。

 細く形のいい指先が喉もとを撫でた感触に、ふたたび青ざめ、硬直する。


 その一連の流れが、シエロの苦笑を誘う。


「仕事に関しては信頼しているよ、ディア」


 続いてわたしには、優しい笑顔が向けられたのだけれど。


「扉の向こうに控えておりますので、ディアになにかされたら、迷わず叫んでください」


 なにかされたらって――。彼女を信頼しているのではないの?

 そのように、思わず突っ込みたくなるような、わたしを不安に陥れる台詞もついてくる。

 ディアーナとふたりきりという状況も、できれば避けたかったのだけれど。部屋を出ていくシエロを見送りながら、わたしは思った。


 ドレス一着に、なぜ彼は、こうも真摯になれるのかしら。






   ******






「悪くはないのですが……」


 そう呟いたシエロの目には、わずかな険が窺えた。


 聞こえた呟きは、叫ぶような事態もなく、無事、着替えを終えたわたしを見ての感想で。悪くはないけれど、似合ってもいないということかしら。

 確かに、わたしにとっても馴染みのない色で、落ち着かない感じはするけれど。シエロは険を残したまま、ふたことみこと、ディアーナと言葉を交わしていた。


 するとまた、ディアーナは部屋から出ていき、新たに色味の違う、青い生地数枚を腕に抱え戻ってくる。

 目で追っていると、そのうちの一枚を受け取ったシエロが、わたしの正面まで来て立ち止まった。


「失礼します」


 そうひとこと、断りを入れられはしたものの。これは……。近すぎなのではないかしら。


 シエロの両腕が、わたしに向かって伸ばされる。少し動いただけでも、体が触れてしまいそうなすれすれの距離。それが、かえって緊張感を生み、呼吸することさえ躊躇わせる。


 視線を上げれば、間近で見つめ合ってしまいそうで……。なにも考えず、じっとしていればいいのだろうけれど。目のやり場にだって困ってしまう。


 そんなわたしの動揺など、きっとつゆ知らず。シエロはといえば、慣れた手つきでわたしに生地を羽織らせると、すぐに二、三歩下がり、真剣な表情で色合いを確認していた。

 それを何度か繰り返したあと。希望どおりの一枚が見つかったようで。


 布選びが終わり、シエロが離れたことには安堵したのだけれど。


「やはりあなたには、華やかな赤より、清楚な青が似合いますね」


 シエロの台詞は、誉め言葉だったのかもしれない。ただ、わたしの胸には、好意的な感情よりさきに、反感が湧いてきて。


「……こちらのお色で、仕立て直すということですか?」


 非難したい気持ちを抑えきれず、質問していた。その問いに、シエロが頷く。


「このドレスは王との謁見のさいに着ていただく予定なのですが、妥協せぬよう、ミネルヴァさまからも命じられておりますので」


 なにか、意図でもあるのかしら。贅沢を咎められはしても、ドレス一枚で、リベルタス領返還という王のご意向が覆るとは思えないのだけれど。


 シエロとディアーナはさらに、装飾に使う布や糸、レースの相談を始めた。

 そうなるともう、わたしの立ち入る隙はなくて。


「手間をかけるけど、頼んだよ。それと納期は過ぎても構わないから、赤のドレスも注文どおりに仕上げて。彼女なら、頼まなくても着てくれるだろう?」

「そうですわね。寸法の手直しも簡単に済みそうですし」


 彼女とは……誰なのかしら。ミネルヴァを指す言葉としては気安く感じるし。


 ディアーナがシエロの頼みを了承するのを眺めながら、なんとはなしに、そのようなことを考えていたのだけれど。

 話を終えたシエロが、気遣いの言葉をくれる。


「お疲れではありませんか?」

「……いえ」

「私に遠慮はなさらないでください」

「本当に……大丈夫です。それより、どれも高価な品ばかりのようですが……」


 困惑ぎみに目を向けた作業台の上には、気づけば十着を超す数のドレスが並べられていた。


「すべてディアの試作品です。ですが一点ものばかりですし、デアサルトのドレスは、国外のご令嬢やご婦人がたからも人気を博しております。大金を積み、ディアを自国に引き抜こうと画策される王族のかたもいらっしゃるほどなのですよ」

「いいえ、そうではなく――」


 ずれた論点を指摘しようとした、そこにふたたび、あの、逆らいがたい笑顔が向けられる。だから違うと気づく。

 シエロは故意に、話を逸らしたのだと。


「ですので当面は、こちらにご用意したドレスでお許し願います」


 今度は完全に黙殺されてしまう。気遣う姿勢を見せながらも、わたしの意見など、シエロは必要としていないのかもしれない。


 つぎの言葉が、その考えを確信へと導く。


「着飾るのがあなたの仕事ですから。お持ちになったドレスはニーナにでも頼んで、すべて処分してもらいましょう」

「……すべて、ですか?」

「――いえ、そうですね。初めてお会いした日に着ていらしたドレスだけは、お手もとに残されてもよろしいですよ」


 笑顔を崩さないままそう口にしたシエロに、わたしは距離を感じる。彼が見せる優しさを、素直に受け取りすぎていたのかもしれない。


 ほんの少しだけ――。そう、ほんの少しだけ。それが悲しく思え、その感情が、あらためてわたしに確固たる覚悟を迫る。

 そもそも、落胆など感じるのが間違っていて。なにより信をなすべき相手は、ただひとりを措いて、ほかに存在しないのだから。


 疑いも持たずにそう思えるほど、絶対者である王の存在だけが、わたしが見渡せる世界のすべてで。けれど迷いを抱えている時点で、矛盾は生じていたというのに。


 わたしは閉ざされた庭園のなか。外界へと繋がる門が開いたことに、まだ、気づけずにいた。






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