第10話 Breathing Space

海から帰ってくるなり部活が始まり。

夏休みの課題を何とか終わらせると夏休みも終わった。

陸上部3年の最後の大会は追い風参考と言うおまけがついて正式なタイムとして登録されないで終わってしまう。

不本意だけどこれだけは仕方が無い。

「シュンは惜しかったね」

「まぁ、3年になってからなんだから仕方が無いよ。これからは大学に向けて追い込みだから」

「そうだな、あっという間だったね」

「大学に行ってもあまり変わらない気がするけどな」

附属だからと甘えが許されないのがここの特徴で。

余程の成績不振でなければ大学に上がる事は可能だけど、附属に来る生徒にはそれぞれ目標があってそれを目指して入学してくるのでレベルが高く。

それ故に大学の学部争奪戦は熾烈を極め、気を緩めれば希望の学部を諦めなければならない。

紅葉も終わりだいぶ寒くなってきている。


そんな日の放課後、図書館でいつもの様に勉強している。もちろん椎奈先輩と眞鍋先輩と言う講師付きで。

「シュンの伸びには目を見張るものがあるわよね」

「今までが悪すぎたからですよ」

「謙遜しないの。自分の力を信じなさい」

眞鍋先輩にそんな事を言われても半信半疑で成績が伸びたのも講師のお蔭だと思うし。伸びしろがあった事は否定しないけれど、それですら定かでないのは確かだ。

「お母さんは今日も遅いの?」

「えっ、ああ。今日から出張でいないですよ」

「それじゃ1人なんだ」

「まぁ、そういう事になりますね。自分の食べるものくらいなら自分で作ってますから問題ないですよ」

出張でなくてもシフトの関係で夜いない時がある。

そんな時は米だけを炊いて惣菜を買ってきたりして済ませているし、いる時は夕飯が用意してあり2人で食べるだけだ。

「へぇ、シュンは料理もできるんだ」

「ご飯なんてジャーにセットすればいいだけですから。スーパーに行けば惣菜もあるし面倒な時はカップ麺とかで済ませますし」

「それならシュン君。家においでよ。家と言ってもアパートだけど」

「……椎奈先輩?」

とんでもない事を椎奈先輩に言われた気がするが本人は不思議そうな顔をしている。

アパートという事は実家じゃない事が判るがそれなら尚更で、眞鍋先輩に振って助け舟を出してもらおうとするが。

「そうだよ。1人でご飯なんて素っ気なくて楽しくないでしょ」

「まぁ、楽しくないけど母ちゃんがいる時は必ず一緒ですけど子どもの頃から1人だったんで慣れてますから」

「駄目。そんな事に慣れちゃ駄目なの」

「決まりだね」

何故か眞鍋先輩にまで押し切られる形になってしまい構内の図書館から渋々移動する事になった。


その移動先は附属からしばらく歩いたところあるアパートの前で眞鍋先輩が足を止め。

椎菜先輩がドアを開けるとなぜだか階段が見える。

「メゾネットですか?」

「うん、シュン君。入って」

椎奈先輩が車椅子を室内用に乗り換えて器用に今まで乗っていた車椅子を折りたたんでいる。

疑問は残るがここまで来てしまって上がらない選択肢は残っていない。

バリアフリーになっている玄関でスニーカーを脱いでお邪魔すると眞鍋先輩が後に続いてきた。

「結構広いんですね」

「う、うん。車椅子で移動しないといけないからあまり物を置いていないの」

階段の下は収納になっていてその隣にはトイレがあり奥にはバスルームだろうか。

脇のドアを開けて椎奈先輩が滑り込むとリビングダイニングになっている。

「それじゃ、真琴。始めようか」

「シュン君は適当に座ってて」

適当にと言われても困ってしまう。レトロ感のある青いソファーが目に留まり座って待つことにする。

リビングダイニングの外は小さな庭になっているらしい、そして奥にはドアがあるので椎奈先輩の部屋なのだろう。

「眞鍋先輩ってもしかして」

「やっぱりばれたか。真琴と一緒に暮らしているの。元々は1人暮らしだったんだけど真琴が大学の近くにアパートを借りるっていうから便乗したの。家賃もシェア出来るからね」

「私も凄く助かるし心強いから」

「まぁ、眞鍋先輩が一緒なら無敵ですよ」

ビシッとお玉を向けられ睨まれてしまった。

車椅子での電車移動は大変だし1人暮らしはそれなりに不便だけど親友が一緒なら心強くそして楽しいだろう。

俺も大学に入ったら1人暮らししたいが他に目指したいものがあるので恐らく実家から通う事になるはずだ。


「シュン君。出来たよ」

「あの……多くないですか?」

「気合入れ過ぎたかしら。やっぱり」

ダイニングテーブルの上には大家族が食べそうなくらい料理が並んでいる。

煮物にパスタのサラダとご飯に味噌汁。ハンバーグに魚の煮つけ、どれも美味しそうだ。

「いただきます」

「どうぞ」

「ん、ま」

手を合わせ作ってくれた人と食材に感謝し頂くことにする、椎奈先輩と眞鍋先輩の料理の腕前は知っていたが箸が進む。

黙々と食べる姿を見られているが気にしないで美味しい料理を口に運ぶ。

「シュン、真琴をお嫁さんにしたら?」

「ゔっ!」

いきなりとんでもない事を言われ咽てしまい胸を叩くと椎奈先輩が真っ赤な顔をしてお茶を差し出してくれた。

口の中のものをどうにか咀嚼して勿体ないが味わずにお茶で流し込む。

「なんて事を突然言い出すんですか」

「聞いてみただけ」

「冗談にも程がありますよ。俺は高校生で未成年ですよ」

聞き捨てならない事を言い放った張本人は頬を膨らませて拗ねている。

「それじゃ、成人して社会に出たら結婚する?」

「どうしてそうなるんですか。誰にも先の事なんて分らないじゃないですか」

「シュンなら今のうちに約束しておいたら破らないでしょうに」

「知ってますか? 結婚の約束を婚約と言うんです。それに物事には順番があって」

するといきなり眞鍋先輩が笑い出すのを見て全身から力が抜けていく。どうやら強烈な冗談だったらしい。

こんな事が続けば身も心も持ちそうにないのでなるべく避けようと誓った。


誓ったのにも関わらず話の流れから母が出張から戻ってきても遅くなる日には椎奈先輩達のアパートに来ている。

そして休日にも勉強を教えるからと押し切られてしまった。

先輩方にも休日は予定があると思うので断ったのだが敵う訳もなく、母から沢山の食材を持たされて昼間に訪ねてきた。

「いらっしゃい、シュン君」

「お邪魔します。これ母ちゃんからです」

「いつもありがとう。本当にこんなに沢山良いの?」

「勉強も見てもらて美味しい料理も食べさせてもらっているんですから」

紙袋をダイニングテーブルに置くと恐縮されてしまう。気にしないでと言っても無理だろう。

「おお、来たな青年」

「お手柔らかにお願いします。眞鍋先輩」

「今日も差し入れ凄いわね。食費は大助かりだけど……まぁ、遠慮なく頂きましょう」

椎奈先輩と眞鍋先輩は性格も正反対でほっとする。

しかし、勉強となると別で……

「シュン君、ここは前に教えたところの応用でしょ」

「これでシュンは頭打ちという事は無いわよね」

「シュン君、しっかり」

「ほら、集中しなさい」

椎奈先輩も眞鍋先輩も経験から短期集中で勉強を教えてくれる。30分毎に休憩を挟むので飴と鞭の使い方が上手い。

そして休憩中には紅茶や珈琲にチョコレートやクッキーを出してくれる。

「このクッキー美味しいですね」

「でしょ、大豆を使ってるんだけど」

「へぇ、大豆ですか」

「チョコレートには集中力を高めるDHAやEPAが含まれていてチョコレートの香にはリラックス効果があるし、大豆にはレシチンが多く含まれブレインフードと言われるくらい学習力・集中力・記憶力を高めてくれるの。それにカフェインは脳を覚醒させ血糖値が下がると集中力も低下するからね」

とことん敵わないと思ってしまう。

人体実験かと言えば怒られるだろうけれど、そこまで考えてくれている事に只々頭が上がらない。

「シュンも頑張っているのだから真琴も頑張ってみたらどうなの」

「無理だよ。どうせ歩けないんだから」

「シュンはどう思うのかしら」

なるべく触れないようにしていた椎奈先輩の足の事を聞かれ戸惑ってしまう。

それに気になっていた事は確かだし素直に思った事を伝えた方が良いのだろう。

「もし可能性があるのなら頑張ってほしいです。先生には多少の後遺症が残るかもしれないけれど歩ける筈だと言われたんですよね。椎奈先輩は歩けるようになると俺は信じています」

「シュン君まで……きゃ」

動揺した椎奈先輩がお茶を自分の服にこぼしてしまい思わず眞鍋先輩と顔を見合わせてしまう。

「ごめん、着替えてくるね」

「真琴はあわてん坊なんだから」

椎奈先輩がリビングダイニングの奥にある自分の部屋に引き戸を開けて入っていく。

それを確認した眞鍋先輩の瞳に今まで一度も見た事が無い真剣な光が宿り真っ直ぐに俺を見ている。

「シュンの中には何か確信があるわね」

「初めて椎奈先輩と出会った時から違和感を持っていました。それは上野動物園で確かなものに変わったんです。どちらも咄嗟の事だったんで椎奈先輩は気付いていないと思います」

「それはどういう事なのかしら?」

下田の水族館で情報通のカナやんが言っていた言葉を思い出す。

百聞は一見にしかず、どんなに情報を知っていても見て触った経験には敵わない。それにこの場で行動を起こさないと絶対に後悔する事になる確信がある。

立ち上がり椎奈先輩の部屋に歩み寄ると眞鍋先輩が慌てて追いかけてきた。

こんな事をする男は最低だろう。それですら今は構わないと思い一気に引き戸を開ける。

「ひっ、しゅ、シュン君。何でこんな事を」

「真琴、あなた……」

「えっ? 未希は何を言っているの?」

「気付いてないの? 真琴は自分の足で立っているのよ」

ワンピースで体を隠すようにした椎奈先輩がベッドの脇に立っている。その表情は初めて椎奈先輩と出会った時と同じで。

眞鍋先輩に指摘された椎奈先輩が下を見て茫然自失として崩れるようにベッドに座り込んだ。


「すいませんでした」

それ以上の言葉は出てこなかった。非礼では済まされない事をしたのだからどんなに咎められても何も言えない。

「真琴、これからどうするのかしら」

「シュン君、そんな顔をしないでほしいな。シュン君は私に気付かせてくれる為にしたのでしょ。それに初めてじゃないしね、ごめん。勘違いしないで凄く嬉しかった、ありがとう。シュン君が信じてくれるのならもう一度頑張ってみる。もし駄目でも嫌いにならないでね」

「シュンはそんな事で真琴を嫌いになるような男じゃないわよ。私が保証するから。ほら、シュンはいつまでもそんな顔をしない。真琴が頑張るのだからシュンにはもっと頑張ってもらうからね。覚悟しなさい」

「これ以上は無理ですよ」

見事に俺の提言は却下されてしまった。

それでも椎奈先輩が歩けるようになるかもしれないという事が嬉しかった。

椎奈先輩がリハビリをしながら大学に通いその上に俺の勉強を見てくれるのなら、もっと頑張らなくては男として情けない事だ。

が、一気にレベルが上がっていく。

先輩方のポテンシャルの高さを見せつけられハードルが一気に高くなった気がする。


眞鍋先輩情報に寄れば椎奈先輩は再び病院に通い始めたらしい。

そして時間は時としてあっという間に過ぎていく。正月も元旦だけ息抜きをして勉強に明け暮れ。

学部選考の試験も無事終わり俺もカナやんも希望の学部に入る事が出来た。

これで春からは晴れて京大生になれる。

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