第9話 瞳カメラ


「うふふ、可愛い」

「もう、未希たら。シュン君、朝だよ。起きて」

雲の中に居るような感覚で何処からか声が聞こえる。

どうにか目を開けると霧が晴れるように視界がはっきりしてくると椎奈先輩の優しい笑顔が見えた。

「椎奈先輩? おはようございます」

「おはよう、朝ごはんを食べに行くよ」

「ふぁい」

「可愛い!」

寝起きにジャンピングボディープレスを受けるが再び堕ちる事は無く眞鍋先輩の顔が数センチ先にある。

「あの、重いとは言わないですけど色々と問題があると思うんですが」

「何の問題なのかしら」

「高校生とはいえ一応男ですし」

「シュンは間違いなんて起こさないわよね」

いつの間にか君付けから呼び捨てになっているがそこは気にしない。少しだけ勝ち誇ったような眞鍋先輩の驚く顔を見たくなった。

「な、何をするのかしら」

「一応、男だと言ったはずです」

「わ、分ったから腕をほどいてもらえないかしら」

掛布団ごと眞鍋先輩の背中に腕を回しホールドすると僅かに顔を赤らめて眞鍋先輩が動揺している。

直ぐに腕をほどくと起き上がり再び体を跳ね上げた。

「もう、無理です。今日は海にいけません」

「私に勝とうなんてまだ早い」

眞鍋先輩の肘が空き腹に突き刺さっていて息が一瞬止まった。遠慮が無くなるのは親しくなった証しなのだがあまりにも強烈過ぎる。

朝食はコース料理を食べたレストランで和洋バイキングになっていて先輩達もカナやんも大満足していた。

ホテルからビーチに出るにはプールの横の歩道から出られるとスタッフが教えてくれた。


ビーチに出ると沖に伊豆諸島が見え白い砂浜が眩しい。

「今井浜海水浴場は最高クラスの水質基準で遠浅でアクセスも良い事から家族連れにも人気なんです。宝探しやビーチフラッグなどのイベントも行われているのも人気の1つですね」

「何処にパラソルを立てましょうか」

「あの辺が良いんじゃない」

波打ち際から少し上がったところにスコップで穴を掘るとカナやんがパラソルを突きさした。

穴を埋めて足で踏みしめパラソルを広げ荷物を置くとヒッポキャンプに乗った椎奈先輩がパラソルの下に来る。

「シュン君、凄く軽くて楽なの。少し力が必要だけど」

「行動範囲が広がったという事ですね」

「うん、本当にありがとうね」

母のお蔭だと思うけど椎奈先輩に満面の笑顔でそんな事を言われると照れくさい。

「シュン、行こうぜ」

「おう!」

Tシャツを徐に脱いでバッグの上に放り投げると椎奈先輩が何故だか視線を逸らした。

海で泳ぐためにサーフパンツ一枚だけど何か変なところでもあるのだろうか?

思わずキョロキョロと見渡してしまった。

「ひゅ~ 昨日は良く分からなかったけれどシュンは筋肉質なんだね」

「元々、運動は好きでしたし皆さんのおかげでマネージャー登録を抹消され選手登録されて筋トレなんかをしてますからね」

「それじゃ真琴。私達も」

「うん、そうだね」

椎奈先輩が白いワンピースを脱いで水着姿になった。

フリルが付いた白地にフラワープリントのビキニ姿で同じ柄のフリルフレアパンツ姿で。

眞鍋先輩はカラフルな花柄の大きなフリルが付いたビキニを着て同じ柄のショートパンツを穿いていた。

「どう、流行のバンドゥービキニよ。真琴も私もパンツを脱いだら凄いんだから」

「脱がなくて結構です。とても似合ってます。カナやんが待ちくたびれているから行きますよ」

後ろから感動が薄いだの盛大にブーイングが上がっているけど眩しすぎて振り返る事が出来ない。


「気持ち良いね。未希」

「真琴は海なんて久しぶりだもんね」

椎奈先輩が車椅子のまま腰のあたりまで海に入っていて眞鍋先輩が付き添っている。

「シュン、行った!」

カナやんの声に体が反応してビーチボールに向かってダイブする。

体が着水して水しぶきが上がり……

「シュン君、酷くない?」

「シュン、良い根性しているのね」

頭から海水が滴り落ちている椎奈先輩と眞鍋先輩に睨まれた。椎奈先輩は眞鍋先輩と組んでビーチボールで遊ぶ。

「真琴、お願い」

「うん、それ!」

「カナやん!」

「無理だよ」

水しぶきを上げながらカナやんが走り出し飛び込むがわずかに届かなかった。

ビーチボールを抱えてずぶ濡れのカナやんが笑顔で歩いてくる。

「一休みしましょうか」

「そうね」

海で一頻り遊び午後の事や椎奈先輩の体の事を考えて休憩する事にした。


売店にカナやんと飲み物を買いに行きパラソルに戻ってくると眞鍋先輩が見知らぬ男と話をしていた。

「椎奈先輩、誰ですか?」

「ん、リゾート地でよくあるあれ」

「ああ、ナンパイベントですね。眞鍋先輩なら心配ないですね」

「うん、そうだね」

流石、京大のミスコン推薦されるほどの先輩達は目を引くものがあるのだろう。

それでも安心してパラソルの下で喉を潤していると段々眞鍋先輩の顔が険しくなっていくのが判る。

男がしつこく食い下がっている所為だろう。眞鍋先輩に声を掛けようと立ち上がり歩き出すと先輩と男の会話が聞こえてきた。

「良いわ。私達と勝負して貴方たちが勝てば一緒に遊んであげる」

「それじゃビーチバレーで勝負だ」

「上等よ。貴方たちが負けた時はランチをご馳走してもらうから」

「後から泣き言を言っても知らないからな」

男がにやけながら俺の横をすり抜けていき眞鍋先輩が男の背中に向かって子どもの様に舌を出していてそんな先輩に飲み物を渡す。

「眞鍋先輩は勝負が好きなんですね」

「仕方が無いじゃない。連れが居るって言ってんのにしつこいんだもん。ごめんね、シュン。巻き込んじゃって」

「遠慮なんて似合わないですよ」

「馬鹿」

パラソルに戻り椎奈先輩とカナやんに事情を話すと2人とも呆れた顔をしている。

「シュンはもちろん勝つんだよね」

「時の運かな」

「シュン君に運命を委ねます」

椎奈先輩は何で恥ずかしくもなくそんな事ばかり云うのだろう。

それだけ距離が縮まったという事なのか……


ビーチバレーのコートには人だかりができていた。お祭り騒ぎ三度とは神様の悪戯か悪魔の仕業か?

相手のチームは男子大学生らしい。真っ黒に日焼けしていて均整のとれた体をしていてキャップをかぶりサングラスも決まっている。

明らかにアウェーなのが身に沁みて判り、男がにやけていたのは余裕の表れだったのだろう。

ビーチバレーはラリーポイント制になっていてブロックも含んで3回で相手コートに返さないといけない。

2点差で21点先取すると1セットが終わり2セット先取で勝負がつく。

第1・第2セットは両方のポイントが7の倍数でコートチェンジが行われ第3セットは5の倍数で行われる。

「ぶかぶかのサーフパンツは禁止だぞ」

「これなら大丈夫ですよね」

「シュン、それって」

「念には念をね」

相手チームに指摘を受けてサーフパンツを脱ぐと下から競泳用のショートパンツが現れる。

こんな事になるとは思わなかったが役に立ったようだ。

「呆れた。そんなことまで考えていたなんて」

「サーフパンツじゃ泳ぎにくいですからね」

万が一なんて事は起こらないに越した事は無いが車椅子の椎奈先輩は海に来たことが無いと言っていたので準備しておいた。

まぁ、アウトドアでは何が起こるか分らないので椎奈先輩の為だけじゃない事は付け加えておこう。

第1セットは相手に取られてしまい、第2セットは接戦になっている。

相手はストレートで勝てると思っていたらしく余裕が消え始めていた。

一進一退の試合に観客のボルテージも上がっている。俺と眞鍋先輩は接戦でも最終的に勝てれば良いくらいに考えていたが相手は違ったようだ。

相手チームの仲間から罵声までとはいかないが辛辣な言葉が飛び交っていた。

「シュン君、頑張って!」

「シュン、眞鍋先輩。ファイト!」

椎奈先輩とカナやんが声を張り上げて負けじと応援してくれている。

俺がサービスを上げる。

相手チームが不敵な笑みをこぼしボールを拾いトスが上がり眞鍋先輩がジャンプしてブロックをする。

俺が構えるとあり得ない方向にボールが飛んでいった。

「キャー」

「椎奈先輩、大丈夫ですか?」

「う、うん。驚いただけ」

ボールは椎奈先輩の足に当たり砂の上を転がって止まった。

相手チームを思わず睨みつけてしまう。

「悪い、悪い。手元が狂った」

「ごめんな」

明らかに椎奈先輩を狙ってアタックした事に間違いはないが証明するのは無理だろう。

相手に詰め寄ろうとすると眞鍋先輩に腕を掴まれた。

「シュン、相手の思うつぼよ。今は勝つことだけを考えて」

「分りました。どんな事をしても勝てば良いんですね」

眞鍋先輩に言われ熱くなっていたものが急速冷凍されていきジリジリと真夏の太陽に照らされ汗が頬を伝う。

ビーチバレーのボールは柔らか目になっているが怪我をしないという事は無い筈だ。周りの歓声が遠くに聞こえる。

「シュン君……」

「大丈夫ですよ。終わらせてきますね」

「う、うん」

サービスを打つと奇襲をしようとしたのか相手がいきなりアタックで返してきた。

腰を落としてレシーブすると眞鍋先輩がトスを綺麗にあげる。

「シュン!」

先輩の掛け声とともに走り込んで全身のバネを使ってジャンプする。

体を反らしボールを打ち付けると砂浜に突き刺さり歓声が戻ってきた。


「シュンを怒らせると怖いね」

「女の子に対してふざけた事をするからだろ」

ホテルでランチするからと眞鍋先輩に言われ泣き言を言っていたがランチは遠慮なく好きなものを選んで美味しく頂いた。

もちろん支払いは男子大学生持ちで。

ビーチバレーで勝てたので機嫌よく眞鍋先輩は運転席で石川さゆりの天城越えを口ずさんでいる。

向かう先は天城山隧道ではなくその手前の滝で散策するのが目的ではない。

ランチを食べている時に七滝の近くに美味しい苺のスイーツが食べられる場所があると聞き車を走らせている。

「金谷君、この先は?」

「珍しい螺旋状のループ橋を越えた先ですね。この先に右に入る道があるはずです」

「これね」

「そうですね」

少し走るとループ状になった橋が見えてきた。近づくほどにその迫力に圧倒される。

「総延長1.1キロ、高さ45メートル、直径80メートルの巨大な2重ループ橋ですね。地震で起きた土砂崩れを教訓にして採用された工法によって作られています」

「へぇ~」

感嘆の声しか上がらない。見上げるように橋の下をくぐると茶屋が見えてきた。

「クラッシュドストロベリー2つ」

「僕はチョコバナナサンドで。シュンは?」

「いちごフロートが良いかな」

店内は懐かしい感じがする山小屋風の蕎麦屋と言った感じだろうか。周りには観光客が沢山いて滝の話をしている。

カナやんによると七滝は釜滝・えび滝・蛇滝・初景滝・かに滝・出会滝・大滝からなり大滝で先の台風で見学が出来ないという事だった。

遊歩道があるらしいが目的地はいちごスイーツらしい。

そのスイーツが運ばれてきた。椎奈先輩と眞鍋先輩が頼んだクラッシュドストロベリーはクラッシュされた瞬間冷凍イチゴの上にアイスクリームと生クリームが乗せられイチゴがデコレーションされている。

いちごフロートはとろりとしたイチゴジュースに生クリームが盛り付けられていて。

チョコバナナサンドはクロワッサンに生クリームとバナナにチョコが掛かっている。

「なんでカナやんはバナナかな」

「いちごのスイーツが評判ならそれ以外も知っておきたいじゃないか」

情報通の考えていることは少し普通と違うらしい。先輩方の顔を見ればどれだけ美味しいか一目瞭然だろう。

うっとりとしてとても幸せそうな顔をしている。

「ん、シュン。美味しいぞ」

「どれどれ、本当だサクサクのクロワッサンと相性抜群だな」

「チョコバナナは黄金ペアだからね。あっ」

目を離した隙にいちごフロートが拉致され眞鍋先輩と椎奈先輩の手中に堕ちていた。

まぁ、良しとするしかないだろう。女の子はスイーツに目が無いのだから。


「ループ橋、ループ橋、ループ橋!」

カナやんにループ橋はスリルがあると聞いて眞鍋先輩の瞳が輝きだし行きたいと言い出した。

これから海に向かうのに逆方向の山に向かう事もないと思うのだが。

「椎奈先輩、水族館に行きましょうか」

「うん、行きたい!」

「シュンは真琴に聞くなんてズルい!」

「前を見て前を。危ないな」

後部座席で椎奈先輩がはしゃぐと運転席の眞鍋先輩が頬を膨らませて後ろを見た。

なんで無茶な事をするのかこの人は……

眞鍋先輩が運転する車は駄々を捏ねながらも下田に向かっている。先輩の中でも最優先事項は椎奈先輩の事なのだろう。

途中の伊豆下田駅にある観光案内所に寄ってチケットを購入する。

カナやん情報で出費も抑えられ間違わずに目的地に着けそうで、助手席に座っている意味が良く分かった。

下手なナビよりも情報量が多く事細かくサポートしている。唯一の欠点は時々文句を言って要らない情報をまき散らす事くらいだろう。

「シュンも少しは眞鍋先輩に絡んでよ」

「十分巻き込まれているけどな」

「そろそろ到着するよ。これから向かう水族館だけどあまり過度の期待はしないでね。広さの割には展示されている魚も少ないから」

椎奈先輩が行きたいと言っているのに余計な情報を、眞鍋先輩に絡まれてしまえと思うのは俺だけだろうか。


下田海中水族館に到着して最初に出迎えてくれたのは海亀だった。

海亀に迎えられ入館しアクアドームペリー号と言う白い円形の船に向かう。

「ここは入り江にある海上に浮かんでいる水族館なんです」

「本当に金谷君がいると便利ね。今度は個人的にお願いしようかな」

「シュン、どう思う?」

「まぁ、ナビゲーションとしてだな。旅先の情報収集をして来い」

眞鍋先輩に男子と認識すらされていないのが悲しいがここはそっとしておくべきだろう。

下田だからペリー号と付けられているのだから黒くても良いと思うのだが白い船に乗り込む。

中に入ると周りが大水槽になっているだけで何もなかった。

「うわぁ。シュン君、海の中に居るみたいだね」

「少し揺れているし外光が上から降り注いでいるからですね」

「本当の海もこんな感じなのかな」

「俺も見た事が無いから分らないけどこんな感じなんだと思いますよ」

思わず言葉を選んでしまう。スキューバーダイビングやシュノーケルなどと言う単語をこの場で言うべきではないだろう。

「水量600トンで高さが6メートルもある大水槽ですからね。迫力がありますよね」

「本当に海の中に居るみたいなのね。誰だったかしら、あまり期待するなって言っていたのは」

「百聞は一見にしかずと言うやつですね。情報をどれだけ知っていても見て触って経験した事には敵わないと言う見本です」

「あら、随分謙虚なのね」

カナやんはそういう奴だ。しかし、ここぞと言う時には必ず助けてくれる。

今もカナやんの知識に助けられたけど本人が意図してやっているのかは分らない。

半トンネル状になっている場所で記念写真を撮りペリー号を後にする。


海の生物館シーパレスはこじんまりしているがチューブ状の水槽が青くライトアップされ沢山の気泡が上昇していてとても幻想的だった。

その傍らでハナギンチャクの仲間が触手を伸ばして揺れていて名の通り海に咲く花のようで。

その近くの水槽では砂地の上に新種のサメがいた。

「イズハナトラザメだって。新種って書いているけど普通のトラザメと何が違うのかしら」

「下田白浜沖で発見された日本固有のトラザメですね。全身に名にある通り花吹雪の様に白い斑点があるのが特徴ですね」

「シュン君、クラゲがいるよ」

カナやんの説明もそこそこに椎奈先輩がミズクラゲの水槽に突進している。

不憫だが興味が無い人には必要のない情報なのだろう。

他にもディズニー映画で有名になったカクレクマノミや世界最大の甲殻類のタカアシガニもいるのに形無しだ。

「フワフワして気持ちよさそうだね。私も自由に泳げたらな」

「…………」

思わず言葉を失ってしまうが椎奈先輩はそんな事は気にしていないようだ。

多分、舞うように泳ぐミズクラゲに釘付けなのだろう。

「来年も一緒に海に来ましょう」

「え、本当に?」

「嘘は付きませんよ。でも確約はできないですけどね」

「そうだね。来年も皆と一緒に海に行きたいな」

眞鍋先輩に後で怒られるかもしれないけど誤魔化しを織り交ぜてしまった。

隣のアザラシ館では解説のイベントが行われていて解説の後にアザラシ同士がキスをしたりハグしたりしていて記念撮影も行われていた。

「ほら、シュン。男でしょ。真琴とほら」

「何がほらなんですか。椎奈先輩とはそういう関係じゃありませんし、恋人同士でも人前でキスなんかしません」

「まぁ、あのアザラシはメス同士だからね」

「ほら、アザラシがバイバイしているから行くわよ」

眞鍋先輩にからかわれて椎奈先輩が真っ赤になっている。

その矛先が自分に向いた瞬間に眞鍋先輩がマリンスタジアムの方に逃げていく。


眞鍋先輩を追いかけてマリンスタジアムに入るとカリフォルニアアシカのコミカルなショーが始まり笑い声が上がっていた。

トレーナーのアナウンスに従いアシカの体の特徴を説明しながら逆立ちしたりしている。

高い台からダイビングしたり、泳ぎながら投げられた輪を首でキャッチしていた。

マリンスタジアムは透明度の高いプールの中で泳ぐ姿が見る事が出来る。

アシカが選手交代して男性トレーナーと戯れてから水中でのショーが始まった。

「凄い、まるでダンスしているみたいだね」

「凄く良く訓練されていますね。水中ではエサをやる事が出来ませんから」

簡易式潜水具のエアーフィンを付けたトレーナーの指示でくるくる回転したり泳いだりしていて。

椎奈先輩の言葉通りダンスしているという表現がしっくりくる。アシカに続いてカマイルカのショーが始まるらしい。

イルカのショーもイルカの泳ぎ方や体の説明をしながら進んでいくようだ。

口で輪を回したり前びれでボールを運んだりしている。

「イルカのおへそって可愛いね」

「筋にしか見えませんけどね」

「もう、シュン君は可愛くない」

会話の間も全身を水面から出して尾びれだけで移動するテールウォークをしている。

そして何と言ってもイルカと言えばジャンプだろう。回転したり捻りを加えたり。今度は2頭同時にジャンプしている。

その度に水飛沫が飛んできた。

「凄いね。イルカって。シュン君のジャンプも凄かったけど」

「イルカの身体能力と比べられたら敵わないですよ」

「本当に格好良かったよ。まるで空を飛んでるみたいで」

何で赤面してしまうような事を椎奈先輩は平気で言うのだろう。

本人は気付いていないようだけど言われた方が恥ずかしい。

「そう言えば沖縄のある地方ではイルカを食べ……」

「へぇ、そうなんだ」

「ご、ごめん。不適切な情報だった」

俺はカナやんの右脇に肘を叩き込み、眞鍋先輩が左足でカナやんの右足を踏みしめてデータを消去した。

カナやんが涙目になって空を仰いでいる。

「金谷君、空なんか見てどうしたの?」

「いや、天気が良くてラッキーだったなと思いまして」

「そうだよね。野外の移動が多いから雨の日は大変だもんね」

海上ステージでもバンドウイルカのダイナミックなショーをやっていたが少し見て満足してしまう。

家族連れは見蕩れていたが流石に続けて見るのは辛いものがある。

「そう言えば下田公園の向こうにペリーロードと言うお洒落な場所があるらしいですよ」

「寄ってみようか」

「そうですね。その前に夕食の予約を入れておきたいのですが。和食で良いですか?」

同意を得てから取り敢えずホテルに連絡を入れて予約をする。

眞鍋先輩に申し訳ないような事を言われたが申し訳ないのは俺の方だ。遊びに誘ったのに移動は眞鍋先輩に頼り切っているのだから。


ペリーロードは小さな川沿いに柳並木と石畳の道が続き。

河の両脇にはなまこ壁や伊豆石造りの風情のある建物が並んでいる。

「この道は日米和親条約付録下田条約を締結する会議に参加するために、ペリーが船を着けた場所から会場の了仙寺まで楽隊を引き連れて歩いた道なんです」

「だからペリーロードと言うのね」

「日が傾いているから川面を渡る風が気持ち良いね」

頬をすり抜ける微風が心地良い。

お洒落なカフェもあるけどホテルに戻れば直ぐに夕食なので外見だけを楽しむ。

綺麗に整備された道なので車椅子の椎奈先輩も楽しめているようだ。家族や友達へのお土産を楽しそうに眞鍋先輩と選んでいる。

俺も母にと思ったが出張で色々な所に行っていて不要かななんて思うが一応黒船にちなんだものをチョイスしてみた。

少しブラブラして眞鍋先輩と椎奈先輩はお洒落なアクセサリーショップに突撃していた。

「真琴、見てみて。可愛いよ」

「本当だ。これも綺麗だね」

女の子の買い物は長いものだが予約した夕食の時間もあるので声をかける為に店内にカナやんと入った。

カナやんは眞鍋先輩に声をかけると楽しそうに話し始めてしまう。

先輩に何かを聞かれてデータを披露しているのだろうが俺的には役に立っていない。

多少は時間に余裕があるので良しとしよう。

「椎奈先輩、何を見ているんですか?」

「しゅ、シュン君」

「そんなに驚かなくても。へぇ、指輪ですね」

「うん、綺麗でしょ。ステンレスを使っていて金属アレルギーでも大丈夫で貝が埋め込まれているの」

椎奈先輩が見ていたのは指輪だった。

ステンレスと言っていたがピンクゴールドだったりブルーだったりで俺が知っているステンレスとはかけ離れている。

ナチュラルなブルーシェルに青いラインが入った指輪を手に取り右手の薬指にはめて見た。

「ぴったりだけど指輪は無いかな」

「似合ってるよ。凄く」

「高校生のガキにはミサンガくらいが良いと思うけどな」

指輪があまりにしっくりきて椎奈先輩に良いと言われて思わず自虐的な物言いをしてしまう。

すると椎奈先輩の表情から何かがスッと下がっていくのを感じる。

「椎奈先輩も嵌めて見てくださいよ」

「う、うん」

椎奈先輩が俺が付けたのと同じデザインの指輪を指にはめた。

「似合うじゃないですか」

「そうかな。リムを回すから指とか綺麗じゃないし」

「そんな事を言う先輩は嫌だな」

「それじゃ、指輪買ってくれる?」

自虐的な事を言った俺に対し自虐的に返しただけかもしれないけど俺は真顔で返してしまった。

見上げている椎奈先輩の瞳が照れているのか不安なのか揺れている。

「良いですよ。そんなに高いものじゃないし。でも、眞鍋先輩には内緒ですよ」

「えっ、本当に?」

「俺は嘘は付きませんよ」

椎奈先輩が嵌めていた指輪を手に取りレジに向かい精算を済ませて、戻ってくると何故か椎奈先輩が俯いていた。

内緒と言うのは方便で椎奈先輩が眞鍋先輩に隠し事なんて絶対にしないと思っている。

「椎奈先輩、手を出してください」

「うん」

「なんで左手何ですか。ファッションリングですよ」

「ごめん。ありがとう」

咄嗟に左手を出した椎奈先輩の右手の薬指に指輪を嵌めると先輩の頬が紅潮していくのがわかり我に返った。

とんでもない事をしてしまった気がするが後の祭りで。

「何をこそこそしてるのかしら。シュンと真琴は」

「えへへ、シュン君に指輪買ってもらったの」

「ええ、ズルい。私も何か買って!」

「俺だけじゃなくカナやんもいるじゃないですか」

子どもの様に駄々を捏ねている眞鍋先輩が背後からカナやんに抱き付いた。

突然の事にカナやんが硬直して……真っ赤になり崩れ落ちるのが見える。あの破壊力は経験値の少ないカナやんにとって絶大だったのだろう。

仕方なくフラフラのカナやんを店の外に連れ出してクールダウンさせることにした。

「シュン、もう無理だよ」

「泣き言をいうなよ。俺の個人情報をリークして散々煽って大学生の生態を収集するんじゃなかったっけ」

「もう言わないでくれよ。毒を喰らわば皿までか」

「後の祭りじゃないのか?」

カナやんがガックリと肩を落とした。少しして椎奈先輩が照れくさそうに眞鍋先輩は嬉々として出てきたので身構えてしまう。

「夕食に間に合わなくなるからホテルに行きましょ」

「そうですね」

肩すかしを喰らってしまったがホッとしたのは何故か?


最後の夜の晩餐は和食で会席料理を堪能した。

高校生の俺とカナやんでも美味しいと感じるのだから。眞鍋先輩と椎奈先輩は料理を味わいながら冷酒を飲み頬を桜色に染めていた。

部屋に戻っても眞鍋先輩がカナやんを連れてビールやジュースにツマミを大量に買ってきて宴会の様相を呈している。

「ほら、真琴も飲んで。乾杯!」

「未希はもう。乾杯じゃなくて私はもう完敗だよ」

ダジャレを言う程に椎奈先輩は顔を真っ赤にして酔っている。

カナやんは矛先が自分に向かない様に黙々とウーロン茶を煽っていた。

しばらくすると静寂が訪れ。椎奈先輩は眞鍋先輩に飲まされて撃沈してしまいベッドの上で寝息を立てている。

ウーロン茶を飲み過ぎたカナやんはトイレに行ったままで。

「シュン、ちょっと良いかしら」

「何ですか? 眞鍋先輩」

顔は酔っているが瞳に力が宿り真っ直ぐに俺を見据えている。

「真琴の事をシュンはどう思っているのかしら。本心を聞きたいのだけど」

「好きですよ。椎奈先輩も眞鍋先輩も。それが椎奈先輩に対する恋愛感情かと言われれば違う気がします。憧れに近いかもしれません」

「真琴はシュンの事を異性だと認識しているわ。でも自分に自信が持てないから一歩を踏み出せないんだと思うの。流石に車椅子の彼女なんて嫌だものね」

「俺はそう思いませんけどね。自分自身に自信が持てないなんて事は誰でも同じ度と思いますし」

眞鍋先輩の体から力が抜け緊張感が薄れる。

好きか嫌いかと聞かれれば嫌いじゃない、嫌いなら勉強を教えてもらおうなんて思わないし旅行なんて誘わない。

それはお互い同じ事だと思うし今の関係を壊したくないと言うのも一緒だと思う。そんな事を考えていると眞鍋先輩がバッグから何かを取り出した。

「これは何ですか?」

「真琴が迷いに迷って買ったんだけど」

グレーの小さな袋から細身のボールチェーンに通された指輪が出てきた。その指輪は俺が椎奈先輩に買ったものと同じデザインの指輪で。

「シュンは指輪が苦手ならしなくても良いから持っていて欲しいの。嫌かな」

「分りました。それじゃ遠慮なく」

小袋に入れて鞄のポケットに仕舞い込むとカナやんがトイレから出てきた。

「シュン、もう寝ようぜ」

「そうね、明日もナビ宜しくね」

ベッドに潜り込むと眞鍋先輩が電気を消しあっという間に夢の世界に引き込まれた。

それは俺だけじゃなく遊び倒したカナやんも眞鍋先輩もだろう。


翌日は熟睡した所為か早くに目が覚めた。

「おはよう、シュン。早いね」

「眞鍋先輩には言われたくないですね。そのパワーの源は何ですか?」

「体育会系だからかしら」

あまりにもありきたりな答えなので持って生まれた物なのだろう。2人を起こして朝食に行くことにする。

眞鍋先輩がベッドにダイブしてカナやんを起こしているが力の加減を知らないのか。それともいつでもどこでも全力あるのみなのか。

後者だと簡単に想像できてしまう。

突然、全身に衝撃を受けたカナやんは飛び起きて再び倒れ込んだ。

「椎奈先輩、朝ごはんに行きますよ」

「う、うん。もうちょっとだけ」

少しだけ目を開けたけど眠そうに椎奈先輩は目を閉じてしまった。

すると眞鍋先輩がカナやんが寝ていたベッドからジャンプする。

「もう、低血圧なんだから未希は勘弁してよ」

「ほら、真琴。ほらほら」

「えっ、ええ!」

俺の方を眞鍋先輩が指さして低血圧だと言う椎奈先輩の血圧が一気に上昇して真っ赤になっていて目を拭っている。

朝一で体に悪そうだと思うのは俺だけだろうか。そんな俺の首にはあの指輪が揺れていた。

「2人とも置いていきますよ。カナやん、先に行こう」

「待ってよ、シュン君。意地悪しないでよ」

「早く準備してください」

「うん!」

満面の笑顔で椎奈先輩が飛び起きて……今度は俺の顔が真っ赤になった。

最終日は完璧なカナやんのナビで足湯や温泉巡りをしながら帰路に就いた。


そして……

「なぁ、何で僕までレポートを提出しないといけないのかな」

「嫌なら出さなければ良いじゃんか」

「シュンのお袋さんにそんな事が出来る訳ないだろ」

「それじゃ書くしかないだろ」

家に帰るなり母からA4サイズのファイルを4通渡された。そのファイルにはそれぞれ名前が書かれていて提出日厳守とも書かれている。

「シュン君、出来たよ」

「有難うございます」

「そんな事言わないの。あんなに楽しかった旅行の代金だと思えば何ともないよ。それに私のレポートが活かされるのなら嬉しい事だし」

それぞれのレポートにはそれぞれの課題があり。

椎奈先輩のレポートはバリアフリーやヒッポキャンプについての物だった。

「本当にシュンのお母さんには頭が下がるね」

「絶対に敵わないですからね」

「シュンの課題は何なのかしら」

「黙秘権を行使します」

もう少しで眞鍋先輩に略奪に遭いそうになり何とか阻止した。

『海と恋愛について』なんて言うリポートなんて書ける筈もなく白紙で提出して正座させられ懇々と諭されたのは言うまでもない。






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