第7話 恋のヒミツ


俺が立っている周りに待ち合わせをしている人など皆無で。

渋谷のハチ公前でもモヤイ像の前でもなく。新宿のアルタや池袋のフクロウの像の前でもない。

上野駅の不忍口を出て右手にあるUENO3153と言う商業施設の上に立っていて、傍らにはツンと言う名の犬を連れた西郷隆盛が……

観光客らしきおばさんがデジカメで写真を撮って足早に去っていく。多分、俺も逆の立場なら足早に立ち去るか近寄る事をしないだろう。

晴天の午前中にこんな場所で待ち合わせなんて拷問に近い。

「シュン、お待ち」

「なぁ、何でここなんだ」

「良いだろう。東京の街を見守る西郷さん」

見慣れた普段着姿のカナやんが足早に近づいてきて悪態をつくと満面の笑顔で返してきた。もう脱力するしかないようだ。

カナやんが指定してきたのは上野にある西郷隆盛の銅像の前で待ち合わせ場所的には最高かもしれないが待ち合わせをしている人なんほとんどいない。

いたとしても地方から東京に出てきた人くらいなものだと思う。

待ち合わせ場所をメールしてきただけでこれからの予定を聞いていない。

「で、これからどこに行くんだ。アメ横のミリタリーショップでも行ってアキバとか」

「ファーストや中田商店にマルゴーなどがあってモデルガンと言う造語を作ったMGCがあったからモデルガンファンの聖地だけど違うな。それに付け加えると電気街としてのアキバには興味があるけどそれ以外の趣味は持ち合わせてないよ」

「カナやんの事だからそっちの趣味もあるのかと。それじゃどこに、まさか」

時計を頻りに気にしているカナやんを見て嫌な予感しかしない。すると街中では聞いた事が一度もないが聞き覚えがする声が聞こえた。


「ごめん、遅れた」

「大丈夫ですよ。僕もシュンも今来たところですから」

「俺は少し早めに来ていたけどね」

「ごめんね。シュン君。私が準備に時間が掛かちゃって」

カナやんが待ち合わせ場所で必ずやり取りされるような会話を眞鍋先輩としていて。

椎奈先輩が申し訳なさそうな顔をしたのを見たカナやんが間髪入れず俺のボディーに肘鉄砲を打ち込んで息が詰まる。

そんな椎奈先輩は構内では動きやすそうな格好なのに今日はお洒落をして、眞鍋先輩も普段着とは少し違うが体育会系と言うかスポーティーな格好をしていた。

「それじゃ、行きますか」

「シュン君は行き場所を知っているのかしら」

「上野と言えば動物園ですよね。椎奈先輩」

「う、うん!」

ここまでお膳立てされれば行先は一つしかなく、俺が先陣を切って歩き出すと椎奈先輩が嬉しそうハンドリムを弾いた。

寛永寺清水観音堂の脇を通り大きな東京文化会館と小さな正岡子規記念球場の間を通り抜けると左手に動物園の表門が見えてくる。

表門に向かい歩き出すと竹の台噴水が見え家族連れの子どもがはしゃいで走り回りやカップルが噴水を眺めているのが見えた。

入園料を払い表門をくぐると右手にジャイアントパンダ舎があり左手には。

「すまん、ちょっとトイレに行ってくる」

「シュンには呆れるよ。まだ何も見ていないのにトイレだなんて」

「仕方が無いだろ。生理現象には逆らえないんだよ」

足早にトイレに向かい用を済ませて出てくるとカナやんしかいなかった。

「独りで動物園とはカナやんは流行の波に乗ってるね」

「誰が御一人様なんだよ。本当に勘弁してほしいよ」

「俺が西郷さんと一緒だった気分がわかるだろ」

「だまし討ちするつもりはなかったんだよ。ただ念には念をね」

約束は決して破らないと言うのを逆手に取られたらしい。

まぁ、初めから分っていても誘われれば迷わずに来たと思うのは俺の中で何かが変わってきたからだろうか。


上野動物園の目玉はパンダだと言っても過言ではないだろう。

そんな大人気のパンダ舎には家族連れの行列が出来ていて最後尾に並ぶと可愛らしいタイルのパンダが出迎えてくれている。

観覧通路の道順に沿って進んでいくと野外放飼場にリーリーとシンシンが居た。

2頭とも座るようにして竹を器用に掴んで頬張っていて至る所から子どもの歓声が上がっている。

足元は後ろの人が見やすい様に傾斜が付いているが車椅子を保持するにはかなりの角度で、眞鍋先輩を見ると首を軽く横に振った。

眞鍋先輩は体育会系のノリだが普段からスポーティーな格好をしているのはこんなところにあるのかもしれない。

パンダ舎を出て右手に進むと猛禽類やカワウソが居る獣舎が見える。

カワウソが居る獣舎には透明なアクリル水槽が同じ素材の透明アクリルのパイプで繋がれていて泳ぐ姿を観察する事が出来るようになっていた。

上野動物園も北海道の旭山動物園から始まった形態展示から行動展示にシフトしているようだ。

「フクロウって金谷君見たいよね。知恵の象徴で森の賢者なんて言われているしね」

「闇夜に乗じて音もなく空から舞い降りて獲物を鷲掴みにしていくところもですね」

「シュン君の中の金谷君ってどんな存在なのかしら」

「一言で言えば頼りになる親友ですかね。色々と助けられていますけど、こうして知らない間に動物園に誘い込まれていたりしますけどね」

眞鍋先輩が眉をしかめて腕組みをすると背後から椎奈先輩の歓声が聞こえる。

「うわ、格好良い。未希、見て見て、シュン君みたいだね」

「足、長!」

嬉しそうな椎奈先輩の視線の先には全長が一メートルくらいで足が異様に長く頭部から体は灰色で目の周囲はオレンジ色になっていて。

腰・腹・モモに風切り羽が黒く頭には冠の様な羽が伸びている猛禽類がいる。

するとカナやんが俺に対して切り返してきた。

「ヘビクイワシですね。長い足で強烈な蹴りを頭に叩き込んで毒蛇をなぶり殺しにしてから食べるんですよね」

「カナやんもシュン君もいい加減にしなさい」

「あっそうだ。ヘビクイワシはペアになると一生解消しないで寄り添うらしいですよ」

もう少しで眞鍋先輩の逆鱗に触れそうになったカナやんが蓄積された情報で切り抜け何食わぬ顔をしている。

「ケンカするほど仲が良いって言うけど」

「信じているからこそ踏み込んではいけない一線は心得ているつもりだし、このくらいはタダの悪ふざけですよ」

「周りを不快にしてもかしら」

「すいませんでした。素直に謝ります」

徐に深々と頭を下げると椎奈先輩の表情が緩みクスクスと笑っている。

「ああ、やりづらい。行くわよ」

寝ているライオンやトラを見て広めの獣舎でゴリラを探すが背中しか見る事ができなかった。


「うわ、お化け屋敷みたいだね。真琴」

「夜の森ですね。パスしますか」

「行くに決まっているでしょ」

パッと見は眞鍋先輩の言葉通り鬱蒼としたジャングルの奥地にある洞窟の様な作りになっていて何かが出てきそうだが、ここは都内の動物園でそんな事は有り得ないだろう。

入口は木製の自動ドアになっているようだ。

中に入ると目が慣れるまでほとんど何も見えない。目を凝らしてよく見ると確かに何かが蠢いている。

「スローロリスですね。曲鼻猿亜目でキツネザルと同じ原始的な猿の仲間ですね」

「か、カナやんが居ると動物情報サービスは不要ね」

動物情報サービスとは貸し出された携帯末端で動物の情報を知る事が出来る。無料で利用できるが生きる情報サービスが一緒なので眞鍋先輩の言う通り不要だろう。

時々、要らない情報が駄々漏れになる事はあるが。

因みに椎奈先輩・俺・眞鍋先輩・カナやんの順で進んでいて何故か眞鍋先輩は俺のシャツの裾を握りしめていた。

いきなり子どもの鳴き声が上がり眞鍋先輩が立ち止りシャツが引っ張られる。

「突然、止まらないで下さいよ」

「だって、子どもがあんなに泣いてるのよ」

「急に暗い場所に来たんで驚いて泣いているだけですよ。大人でも怖がる人がいますけどね」

「本当にシュン君は可愛くないわね。後ろが閊えるといけないから進みなさい」

眞鍋先輩に背中を小突かれて歩き出すと椎奈先輩がクスクスと笑い声をあげ、さらに強く背中を小突かれてしまった。

ジャワマメジカやヨタカ、それにベンガルヤマネコが居たがヤマネコは普通の猫にしか見えなかった。

コウモリもいたが説明は不要だろう。

そして、何故だか明るい外の世界に生還するとカナやんの顔が何処となく赤い。眞鍋先輩がカナやんの腕でも掴んでいたのだろう。


「可愛いね」

「うん、愛らしい顔をしているよね」

「へぇ、こんな間近で見る事が出来るんだ」

休憩を提案したのに眞鍋先輩とカナやんが暴走気味に走り出し見事に玉砕してしまった。

そんな2人はアザラシの海に釘付けになっている。目の前のプールはガラス張りの様になっていてカルフォルニアアシカが優雅に泳ぎまわり時々ゼニガタアザラシが愛嬌をふりまいていた。

車椅子だと視線が低くなり椎奈先輩の楽しそうな顔が伺え、その周りでは家族連れやカップルがしゃがみ込ながら笑顔で観察していて微笑ましく思う。

「上に行ってるぞ」

「うん、後から行くよ」

カナやんがしゃがみ込んで泳ぎ回るアシカとアザラシを見ながら眞鍋先輩に2頭の違いなどを説明している。

お似合いと言うか貸し出しの携帯末端そのものにしか見えない。アザラシの海から左手に向かい歩き出すと椎奈先輩が声をかけてきた。

「シュン君、私も上に行きたいな」

「それじゃ、先に行きますか」

「うん!」

笑顔で椎奈先輩に見上げられるとなんだか照れくさい。

園内はバリアフリーになってはいるが立体的な展示になっている所為か坂が多く車椅子では手を貸してくれる人がいてもかなり大変だと思う。

それでも笑顔には代えがたいだろう。

椎奈先輩が力強くハンドリムを弾く車椅子を押しながらスロープを登ると上からアザラシの海が見え目まぐるしくアシカが泳ぎ回っていた。

「凄いね、アシカって。泳ぐの早い」

「アザラシより水中生活の適応度は低いですけど時速35キロで泳ぐそうですよ」

「シュン君も物知りなんだね」

「カナやん程じゃないですけどね。男なら必ず最強の動物や最速の動物なんて話をしますからね」

上にあるホッキョクグマのいるプールの方は人だかりができていて人気の高さが伺える。

その人だかりに紛れる為に更にスロープを進み折り返しの所に階段が有り踊場から下に居る楽しそうな眞鍋先輩とカナやんの姿が見えた。

「なんだかカップルみたいだね」

「そうですか、姉と弟にしか見えないけど」

「それじゃ、私とシュン君はどういう風に見えるのかな?」

椎奈先輩に突然そんな事を言われ言葉に詰まってしまう。

「もう、いつもはスルーするのに何で黙っちゃうの。バカ」

「…………」

椎奈先輩が車椅子をホッキョクグマが居るスロープの方に向けた時に上から子どもが数人駆け下りてきて俺と椎奈先輩の間をすり抜けていく。

その中の1人が車椅子にぶつかりそうになり椎奈先輩が咄嗟に右側のハンドリムを弾くと車輪が階段を外れた。

バランスを崩した車椅子に向かって咄嗟に左手を伸ばしハンドリムを右手で階段の手摺りを掴むが前傾姿勢になり車椅子を何とか保持する事しかできない。

すり抜ける子どもをお互いに避けた為に距離が有り過ぎた。


「シュン君、離しなさい。私の事は良いから。お願い離して」

「良い訳ないだろ! 椎奈に怪我なんかさせられるか」

椎奈先輩は必死に車椅子を何とか落ちない様に保持することしか出来ない俺を見て今にも泣きだしそうになっている。

こんな時には必ず来てくれる。そう思った瞬間に車椅子を掴む手が少し軽くなる。

「シュン、どうすればいい」

「そのまま押さえてくれ。椎奈先輩、ゆっくり俺の腕を掴んで俺の体に」

「でも……」

「早く、ここまで車椅子が傾いたら椎奈先輩ごと車椅子を引き上げるのは無理だ」

カナやんが下から車椅子を押して支えている。人が乗っている車椅子がバランスを崩したら男が2人がかりでも難しい。

段差のある階段なら難易度は飛躍的に高くなる。

戸惑っている椎奈先輩の瞳に光が灯り、ゆっくり俺の腕を掴んで登り始めた。

眞鍋先輩が俺の後ろで不安そうに見守っている。椎奈先輩が少し体をずらした時に車椅子がバランスを崩し動いた。

咄嗟に右手を手摺りから離し椎奈先輩に向かって伸ばすと椎奈先輩の体が飛び込んでくる。

その瞬間を見逃さず眞鍋先輩が俺のシャツを力任せに引っ張ると背中に衝撃を受け息が詰まった。

「椎奈先輩、怪我はないですか?」

「う、うん。大丈夫。シュン君は」

「もちろん大丈夫ですよ」

背中に少し痛みを感じるがそれ以上に腕の中の柔らかい物の方が遥かに気になる。

それに椎奈先輩の顔が物凄い近くにあり吐息や鼓動すら感じ、俺の鼓動が跳ね上がり椎奈先輩に伝わりそうで。

「良かった、2人とも無事で。真琴、車椅子だよ」

「うん、ありがとう」

ゆっくり起き上がり車椅子に上がろうとする椎奈先輩を眞鍋先輩と共にサポートするとカナやんが車椅子をしっかり押さえてくれた。

思わぬアクシデントが有りクマや動物園で人気のあるゾウなどを流すように見てサル山の近くにあるテラスで休憩を挟むことにした。


椎奈先輩のテンションは地に落ちてカナやんは戸惑いを隠せないでいる。

そして俺は心ここに有らずで。

「シュン君はどうしたのかな。ああ、真琴の胸が想像より大きかったんで驚いているんでしょう。そうなんだよね、真琴は脱ぐと凄いんだよね」

「もう、未希は変な事をシュン君に吹き込まないでよね。ちょっとメイクを直してくるから」

眞鍋先輩のとんでもない発言で椎奈先輩の顔が赤くなり慌てるように化粧室に向かってしまった。

思わずカナやんと共に脱力してしまう。

「そんなんじゃないですよ。本当に変な事を吹き込まないでください」

「だって『椎奈に怪我なんかさせられるか』って。私も言ってほしいな」

「あれは勢いですよ。勢い」

「それじゃ何で気もそぞろなのかしら」

変な勘繰りをされる前に話しておいて方が賢明だろう。

「普段は車椅子なので気付かなかったんですけど。あんな華奢な女の子にテニスで負けたんだなって、再認識させられたんで」

「まぁ、日本ランカーだしね。それだけじゃないわよね」

なんだか見透かされている気がしてこのまま黙っておく訳にもいかないだろう。深呼吸して覚悟を決めた。

「眞鍋先輩は火事場の馬鹿力って信じますか?」

「それって咄嗟にとてつもない力が出る事でしょ。人間の体にはリミッターが付いているから普段は脳が押さえているけれど解除する事は可能でしょ。もしかして」

「あくまで仮定の域を出ないんですが、椎奈先輩の足には力が入るんじゃないかと」

「そうかもしれないわね。精神的な事が大きくて足が動かないのかもしれないと主治医が言っていたし」

ここだけの話とくぎを刺してこの話を終わりにするとメイクを直した椎奈先輩が戻ってきた。

少し落ち着いたのか椎奈先輩に笑顔が見える。

「未希は変な事を教えてないでしょうね」

「シュン君に真琴の抱き心地を聞いてみただけ。で、お姫様の体はどうだった? 柔らかい? 良い匂いがした?」

「トイレに行ってきます」

椎奈先輩と入れ違いになるが早々に退散する事にした。カナやんと眞鍋先輩は通じているので何を言われても問題ないだろう。


「シュン君は金谷君の事を本当に信頼しているのね」

「そうですね。昔から仲は良かったですけど僕はその頃は凄く嫌な奴でしたから」

「嫌な奴って金谷君らしくないわね」

「昔は知ったかぶりはするし知っている情報を自慢するように話す奴でした。でもある事がきっかけで変わったんです」

金谷が少し遠い目をして話し出した。

「あれは中学の頃です。シュンの事を色々と喋りまくって僕はシュンの立場を危うくしてしまったんです。何とか危機は乗り切ったけれど結果的にシュンは走らなくなってしまったんです」

「だから私の提案に協力してくれたのね」

「協力と言うより自分でケリをつける為です。シュンにこんな事を言うと怒られますけど」

「本当に仲が良いのね」

眞鍋の言葉に金谷は頷かなかった。

「あんな事になったのにシュンは僕との関係を壊さずに続けてくれた。助けられたのは僕の方だと思った時からですかね。シュンの為ならって」

「そうなんだ。それじゃこれからも協力お願いね」

「僕にできる事なら何でも」

「何が僕にできることなら何でもなんだ。カナやん」

そこにトイレに行っていたシュンが戻ってきた。


「ずいぶん遅いじゃん。大きい方か?」

「大きい方なんて言うな。これを買ってきたんだよ」

チョコレートケーキにチーズケーキそしてパンダちゃんが2種類をなんとか手に持ってテーブルの上に差し出す。

「椎奈先輩はどれが良いですか?」

「チョコレートケーキが良いかな」

「それじゃ俺はチーズケーキで。眞鍋先輩はサンデーとパンケーキのどっちらが良いですか?」

「シュン君、何で選択肢がいきなり半分になるのかしら。真琴と比べて扱いが雑多じゃないかしら」

眞鍋先輩が掌を重ねるようにテーブルに置き身を乗り出すようにして上品に文句を言っている。

笑顔を浮かべているが芯の部分では笑っていないのだろう。

「他意はないですがチーズケーキが良いですか?」

「パンダが可愛らしいサンデーが良いかしら。早く食べないと解けちゃいそうだし」

「カナやんは必然的にパンダちゃんパンケーキだな」

カナやんは無表情でパンダちゃんパンケーキと睨めっこしている。切なそうに見えるのは気のせいじゃないだろう。

週末なので周りには家族連れが多くいて子どもがパンダのチョコレートを見て大はしゃぎしていた。

「金谷君、シェアして食べようか」

「そうですね。このまま放置されたら流石に泣きそうです」

「あら、形だけで味は期待していないのに結構美味しいのね」

「そうですね。子どもだけじゃなく大人でもいい感じです」

パンケーキとサンデーはそれなりに美味しかったようだ。

休憩のあとは西園に移動する事になるけど少しだけ椎奈先輩の事が気になる。


「シュン君、モノレールに乗ろうよ」

「遊歩道を行っても直ぐですよ」

「ええ、モノレールに乗りたいな」

テンションが下がっていた椎奈先輩を心配していたが不要だったようだ。それに何故かテンションが高いと言うか前に出てくるようになった気がする。

椎奈先輩が言っているモノレール乗り場には沢山の子どもを連れた家族が並んでいて、走っているモノレールもカラフルで動物の絵が沢山描いてあり正直言えば恥ずかしい。

「シュンはあれが遊戯施設だと思っているかもしれないけれど鉄道事業法に基ずく、ちゃんとした交通機関なんだよ」

「金谷君、本当なの?」

「椎奈先輩もシュンと同じことを思っていたんですね。正式名称を東京都交通局上野懸垂線といって日本最古のモノレールなんです。上野動物園の中にあるのは実験線と言う意味合いもあったのですが他で建設されることは有りませんでした。乗る価値は僕もあると思いますけど」

「ほら、シュン君」

何故かカナやんまでもが猛プッシュしてきて押し切られてしまった。家族連れの最後尾に並んでチケットを購入する。

改札を通り入り口と反対側になる乗車口で待っていると到着を知らせるアナウンスと共に青い回転灯を光らせたモノレールがやってきた。

家族連れが乗り込んだ後で係員さん手伝ってもらって椎奈先輩共々乗り込む。

車内は子ども用なのか低くてカラフルなベンチシートが真ん中にあり両脇に普通のシートが数席ある。

車椅子はベンチシートと普通のシートの間にあるドアの近くに乗るようになっているらしい。

モノレールが木々の中を動きだし右手に動物などが描かれた壁画が見えてきて直ぐに東園と西園の間にある動物園通りを渡る。

「あっ、不忍池だ」

「蓮の葉が顔を出していますね」

「もう少ししたら一面が蓮の葉で覆われるんだね」

季節は繰り返すなんて考える間もなく西園に到着してしまった。椎奈先輩を先に降ろす為に係員がドアの前で待機しているのが見える。

「シュン君、お願いします」

「はい、喜んで」

「もう、どこかの居酒屋みたいじゃない。未成年のくせに」

椎奈先輩が俺の腕を軽く叩くと間髪入れずカナやんが茶々を入れてくる。

「社長に言われ追い込まれて咄嗟に口から出て広く認知された言葉だね。苦しい時も辛い時にも、悔しい時にも悲しい時にも喜んでだったけ」

「俺は流行らせる気はないけどね。嬉しい時や楽しい時にしか使いたくないし」

「シュン君も言うわね。自覚が無いのが困りものだけど」

「何がですか? 眞鍋先輩」

カナやんが大きなため息をついて眞鍋先輩は頭を抱え込んでいる。そして椎奈先輩は何故か顔を真っ赤にしていた。

「シュン君のバカ」

「ほら、葛城駿也。後ろが閊えているんだから真琴を早く降ろす」

「シュン、急げ」

眞鍋先輩に体当たりされカナやんに急かされて椎奈先輩をゆっくりと降ろす。

案内に沿って進むと少し急な階段が見えたが脇にエレベーターがちゃんと設置されていた。


「ペンギンだ。可愛い! あっちにはフラミンゴもいる」

車椅子の椎奈先輩が突撃していく。あんな華奢な体のどこにあんなパワーを秘めているのだろう。

万が一にでも眞鍋先輩に感づかれればとんでもない事を吹き込まれそうで思わず眞鍋先輩の顔を見ると目が合ってしまった。

「な、何よ。シュン君は。ああ、私に惚れちゃ駄目よ」

「いや、興味ないし」

「失礼な後輩にはこうしてやる!」

いきなりジャンプしたかと思ったら人の頭に腕をからませて着地した。

「ギブ! ギブ」

「許さないんだから」

「眞鍋先輩、胸が当たってる」

眞鍋先輩が真っ赤になり腕をほどいて飛び退いた。

「なんでそんな事を口にするかな」

「言わないと離してくれないからです」

「真琴よりは小さいけどね。ね、シュン君」

絶対に眞鍋先輩には敵わないと思った。女の子に口では絶対に敵わないのは経験から実証積みだけど。


カンガルー・オオアリクイ・シマウマ・カバにサイやキリンなどメジャーどころを見て回る。

すると両生爬虫類館と言う展示施設が見えた。

「さぁ、なかよし広場にでも行って癒されようか」

「シュン君、お願いね」

「それじゃ行きますか。両生類と爬虫類を観察しに」

「なんで私の意見は無視なのかしら。可笑しくない?」

疑問形のアタックを背中に感じるが無視を決め込んでスロープに進む。

入り口を入ると直ぐに水槽が見えて巨大な生物がいる水槽の中を覗き込むとヌメっとした巨大な生物がじっとしている。

「うわぁ、可愛い目をしているね」

「ん……どれが目なんだか」

「ええ、つぶらな瞳をしてるじゃん」

椎奈先輩が言う通り確かに黒くて真ん丸な目だと思うが可愛いかと言うと見解の相違と言うやつだろうか。

「あれ? 眞鍋先輩はもしかして苦手なんですか?」

「苦手じゃないわよ。嫌いなだけ」

逃げ腰の眞鍋先輩に振ると意味の分からない事を言いだした。苦手と嫌いは同じ意味だと思うのは俺だけだろうか。

「特別天然記念物になる前は食用にされて貴重なタンパク源だったらしいですよ。かの北大路魯山人の著作によればさばいた時に山椒の香が立ち込めこれがサンショウウオの語源じゃないかと書かれ。最初は硬かったが数時間煮込むと柔らかくなり香も抜けて非常に美味だったとあります」

「無理、こんなブツブツでヌメヌメしたのを食べるなんて」

「いや、食してみたかったな。どんな味がするんだろう、想像の域を出ないですけどね」

データベースのカナやんの説明を聞いて首を振っている眞鍋先輩にとどめを刺してしまった。

女の子がカナやんに好意を抱かない一端を垣間見た気がする。物知りにとどめておけば良い奴なのだけど……


巨大なガラス温室の中はトカゲやカエルにワニにヘビなどのオンパレードで。

両生爬虫類館なのだから当然と言えば当然なのだが。そして植物の手入れも行き届き熱帯のジャングルの様になっていた。

大きな水槽は透明アクリルで出来ているらしくワニの水中での姿を観察する事が出来て車椅子の椎奈先輩は瞳を輝かせ見入っている。

そして眞鍋先輩はカナやんの腕にしがみ付いているがカナやんは照れ隠しからなのか動物の説明に熱が入りいつもより遥かに多弁になっているのは逆効果の様な気が。

「グリーンイグアナか陸ガメを飼ってみたいな」

「確かにペットショップで手に入りますけどね。親友を失わない程度にしないと」

「そうなんだよね。未希は大の苦手だし。シュン君は平気なんだね」

「小さかった頃はカエルやカメに昆虫なんかを飼っていましたからね」

眞鍋先輩が羨望の眼差しを向けているのは恐らく女の子なんだからと家族にでも言われて飼う事を禁じられていたのだろう。

女の子なら犬や猫に興味を持っても良いと思うのだが椎奈先輩は少し違うらしい。

怯えきっている眞鍋先輩が不憫に思い足早にと思ったが椎奈先輩の楽しそうな姿を見ると後者を優先したくなってしまう。

緑が途切れるとサバンナの生物ゾーンになりガラパゴスゾウガメやコモドオオトカゲがいる。

その次の砂漠の生物ゾーンには砂漠をイメージした乾いた感じの飼育ケースの中に毒々しい色合いのアメリカドクトカゲやガラガラヘビの仲間が展示されていた。

そしてトンネルをくぐると再び緑豊かになり森林の生物たちが現れグリーンパイソンやアカアシガメが出迎えてくれる。


「今度はもっとゆっくり来たいな」

「直ぐにでも逃げ出したいと思っている人が若干いますけどね」

「金谷君の説明を聞きながらじゃ尚更だと思うけどね」

椎奈先輩も同じ考えだったらしく思わず顔を見合わせて笑ってしまう。

「良いわよね。真琴はシュン君とラブラブで」

「未希だって金谷君に詳しく説明してもらってたじゃない」

「余計に怖かったんだから。今度は真琴が金谷君に説明を聞いて私がシュン君と回るからね」

「別に構わないわよ。私は」

不忍池に設置されている浮桟橋の上で眞鍋先輩と椎奈先輩がそんな会話をしているがスルーする。

桟橋の手摺りには本物と見紛うワオキツネザルやアイアイが一足先に出迎えてくれた。しかし残念ながらワオキツネザルの展示が中止されていて桟橋を進む。

レームルの森にはブラウンキツネザルやエリマキキツネザルが展示されていたが目当てのマダカスカルの動物がいるアイアイの森に入る。

「うわ、暗いね」

「アイアイは夜行性だからね。仕方が無いよ」

目が慣れるまではゆっくりと思った瞬間にシャツに重みを感じ振り返ると不安そうな眞鍋先輩の瞳が揺れている。

暗がりの中で椎奈先輩に動物の説明をする嬉々としたカナやんの顔が見えた。

「先輩、ここにはヘビもトカゲもいませんが」

「だって……」

「もしかして椎奈先輩の方が怖がりじゃないとか」

俺の問いに眞鍋先輩が視線を逸らしたので突っ込まずに現状維持に努める。

これ以上接近されるのはカナやんの様に豊富な情報を持たない俺にとって危機的状況になりそうだから。

アイアイはと言うと夜行性だけあって飛ぶように動き回っていて写真に撮るのは至難の業だろうと思うが数組の家族連れの父親が果敢に挑んでいた。

そして止めが……

「平安時代では阿久多牟之(あくたむし),都乃牟之(つのむし)などの古名で呼ばれ。食器を齧る事から御器齧りや御器被りなどと呼ばれ。誤植から『か』の字が抜け落ち」

「ひっ、ゴ、ゴ」

ケースの中ではシマテンレックと言うモグラの様に鼻が尖った小動物と5センチ以上はある翅のない奴が数十匹蠢いていた。

「シュン君、見て見て、可愛いね」

「どっちがですか?」

「ええ、シマテンレックも可愛いけどそれ以上に」

「ははは、それ以上にですか」

確かに昆虫は平気な俺のシャツを握りしめている人は今にも過呼吸を起こしそうだ。カナやんの尻を叩き暗がりを後にする。


「眞鍋先輩、テラスで休みますか?」

「平気です」

聞いておかないと後々何を言われるか分らないので一応聞いてみたが平気なようだ。

子ども連れが多くいるなかよし広場に行くとヤギやニワトリが放されていて触れ合う事が出来て牛や豚なども見る事が出来る。

そして眞鍋先輩は何故かヤギに取り囲まれていた。

「未希は動物に好かれ易いんだよね。エサを持っている訳でもないのに」

「動物好きか嫌いかは別ですけどね」

確か修学旅行で奈良に行った時に鹿に取り囲まれていたクラスメイトを思い出した。

「僕も奈良で鹿に取り囲まれましたけどね」

「へぇ、金谷君も動物に好かれるんだ」

「悪友にポケットやカバンに鹿センベイを仕込まれて角で突かれたり前足で蹴られたりして軽いトラウマになっています」

「悪い友達がいるんだね」

カナやんに肩を叩かれ椎奈先輩に冷たい視線を浴びせられてしまった。そこに眞鍋先輩がヤギを引き連れてくるとカナやんの顔が引き攣る。

「ま、眞鍋先輩。何で引き連れてくるんですか」

「私に言われてもね。あれ、金谷君もしかして」

眞鍋先輩が不敵な笑みが宿りカナやんに抱き付くとカナやんの表情が消えていく。

トラウマが更に上書きされてしまったようだが、今回は女の人に抱き付かれたと言うものが付け加えられてしまい更に女性と疎遠にならなければいいが。

まだ、高校生なのに……合掌。


そろそろ動物園で見る物も終わろうとしているのに。

椎奈先輩の挙動が少しおかしいのに気が付いたので眞鍋先輩に軽く振ってみる。

「眞鍋先輩?」

「何かしら、シュン君。お祭りや花火と同じでさ、華やげば華やぐほど終わった後は物悲しいじゃない」

「まぁ、そうですけど。学校で会える訳だし」

「だから外で会えば余計じゃないかしら?」

確かに学校以外で会うのは初めてで。だからこそ嬉しくてはしゃいでいたのだろう。

それは椎奈先輩だけじゃないのだけど家族連れで溢れ返っているプチカメレオンと言う売店に突入する。

「シュン君、子どもさんが沢山いるから遠慮しようよ」

「大丈夫ですよ。俺が付いてますから」

また、椎奈先輩が赤面するような言葉を掛けてしまうが本心からの言葉なので気にしない。

眞鍋先輩とカナやんは呆れた顔をしているがスルーする。店内にはオリジナルグッズが沢山売られていてテントの下にもワゴンがありヌイグルミがディスプレイされていた。

「うわ、可愛いのが沢山あるんだね」

「どれが良いですか?」

「えっ?」

意表を突かれた椎奈先輩が驚いて見上げているが恥ずかしくて視線を下ろす事が出来ない。

「その、プレゼントしますよ。初めて遊びに来た記念に」

「一緒に遊びに来ただよね」

「まぁ、そうですね」

頭から湯気が出るくらい恥ずかしい。顔が赤くなっているのが自分でもわかるくらいで、気付かれない様に椎奈先輩を見るとキラキラとした真剣な瞳でヌイグルミを探している。

しばらくして椎奈先輩が俺のシャツを引っ張った。

「これがすごく可愛いけど、本当に良いの? その」

「そんな心配はいりませんよ。椎奈先輩と眞鍋先輩のおかげで小遣いも飛躍的にアップしていますから」

「うん、ありがとう」

椎奈先輩が膝にのせているのは動物園で一番有名なパンダでもなく椎奈先輩が突撃したペンギンでも真っ白なホッキョクグマでもなく。

何故かカナダヤマアラシだった。

「モフモフで可愛いし抱き心地が気に入っちゃった」

「それじゃ」

「うん、本当にありがとう」

手を出すと椎奈先輩が恥ずかしそうにぬいぐるみを渡してくれて会計を済ませ。値札を外して袋に入れてもらい椎奈先輩に渡すと直ぐに袋から出して抱きしめている。

その笑顔は何物にも代えがたいかもしれないと思った瞬間に背中に衝撃を受けた。

「いいな、真琴ばっかり」

「眞鍋先輩は何で体当たりしかしないんですか」

「だって、ズルいじゃん」

話が噛み合わないのは気のせいだろうか。カナやんの姿を探すと頬を掻いてしらを切っているので遠慮なく行かせてもらう。

「俺は椎奈先輩にプレゼントしますから、眞鍋先輩はカナやんにプレゼントしてもらえば良いじゃないですか」

「あっ、その手があったわね。金谷君?」

眞鍋先輩に突然呼ばれたカナやんが豆鉄砲を喰らった鳩の様にキョロキョロしている。

そして俺が手招きすると渋々歩いてきた。

「なんでシュンは僕を巻き込むかな」

「俺を巻き込んだのは誰だっけ」

「それには深い理由があってだね」

カナやんの表情が曇っていく。これ以上は踏み込んでいけないカナやんの領域で踏み込めば親友でいられなくなる。

こんな事で大事な親友を失う訳にはいかないので引くことにしよう。

「眞鍋先輩、このヌイグルミで良いですか?」

「な、何で私はクロマグロなのかしら。大体、動物園に来たのにマグロなわけ」

「葛西臨海水族館に行けば回遊している姿が見れますよ。クロマグロって体育会系って感じじゃないですか」

「そうね。シュン君は真琴の事が最優先で私は二の次なのよね」

睨んでいるが本気ではないのが良く分かる。周りには子どもが沢山いるので早々に切り上げた方が良いだろう。


「シュン君に買ってもらっちゃった」

「満足して頂ければ幸いです」

「可愛いでしょ、真琴」

「うん、未希は大好きなんだよね」

不忍池の畔を歩きながら弁天門に向けて歩いている。椎奈先輩はヤマアラシのヌイグルミを眞鍋先輩はキリンのヌイグルミを抱きしめていた。

猛獣系かと思ったら草食系で少し拍子抜けと言うか驚いたのは確かだが女の子なんだと再認識してしまう。

「ああ、シュン君は私が男ぽいと思っているんでしょ」

「そんな事ないですよ。運動も料理も得意でミスコンに推薦される先輩方にもそれぞれ苦手なものがあって。な、カナやん」

「えっ、あっ。うん」

我関せずと隣を歩く親友にわざと話を振るとシドロモドロになって笑いを誘っている。

しかし時間は何もせずにいても流れる物で別れる時間が来たようだ。

「私達はここで」

「そうですか。俺達は電車なんで。それじゃ、また学校で」

「今日はありがとうね」

「僕らの方こそ有難うございました」

手を振り笑顔で別れる。週明けには学校で呼び出しが掛かるのだろう。


椎奈先輩の車椅子を押しながら眞鍋先輩が通りを渡り駐車場に向かって歩いて行った。

そんな姿を見たカナやんが俺の背中を小突いた。

「なぁ、シュン。先輩達って車で来たのかな」

「駐車場に向かったんだからそうだろう。大学生なんだから免許を持っていてもおかしくないし。車だって親から借りたのかもしれないだろ。それに椎奈先輩は車椅子だから電車で移動するのは大変だろうしな」

「誰かに送迎してもらているとか」

「先輩達が知らない俺やカナやんの交友関係だってある訳だし。その逆だってありうるし、ない方が不自然だろ。だからと言って詮索するような事を俺はしたくない」

それだけ言うと何故かカナやんは鼻歌交じりに歩き出しご機嫌だった。

俺自身も楽しかったしカナやんも一緒なのだろう。





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