第6話 太陽のキス


「なぁ、カナやん。何でまたお祭り騒ぎになってるんだ」

「ああ、シュンは僕が流出先だと思っているんでしょ。酷いな。対価もないのに僕が無駄に大切な情報を流すような事をする訳ないじゃないか」

「カナやん。自分が人として間違った事を言っているのに気付いているんだろうね」

「何も間違ってないよ。世界はギブアンドテイクで回っているんだから」

これからも親友として付き合いを続けるか迷うような回答だが集まったギャラリーの情報源じゃなかったようだ。

すると漏洩先は限定されてくるが……

「真琴じゃないかしら」

「へぇ、椎奈先輩なんですね。俺としては椎奈先輩だけは信じたいですけど」

「椎奈だけって、酷くないかしら。シュン君は私の事は信じられないのね」

何故か椎奈先輩は頬をほんのり赤らめ、眞鍋先輩は頬を膨らませて盛大に拗ねている。

「だって楽しみは皆で分かち合いたいじゃない」

「唐突なカミングアウトですね。俺には何のメリットもないですけどね」

「あら、こうしてシュン君が信じるお姫様がここに居るけどご不満かしら」

「あの、眞鍋先輩? 椎奈先輩が真っ赤になっているけれど確実に遊んで楽しんでいますよね」

週末の平凡な陸上部の練習日なのに附属の生徒のみならず京立の大学生までがギャラリーとして集まっている。

グラウンドでは他の運動部も練習をしているので必然的に陸上部の練習場所はグラウンドの端の方になってしまう。

まぁ、どこの学校でも似たようなものだろう。


「葛城駿也、準備は良いか? とっととお祭り騒ぎを終わらせるぞ」

「いつでも準備オッケーですよ。立川先生」

陸上部に入部する時にカナやんにそそのかされて買ってしまったスパイクを履いてウォーミングアップ済みだ。

陸上競技のスパイクにはピンと呼ばれる金属の棘が付いていて今のスパイクにはアンツーカーと言われている土のグラウンド用の先が尖ったピンが付いている。

短距離用なので12ミリもあり中距離になると9ミリで長距離になればさらに短い7ミリを使う。

大会などが行われる競技場はオールウエザートラックと言われ合成ゴムでできていて専用のトルクスピンや平行ピンなどと呼ばれている先が尖っていなくて短めのピンを使う。

立川先生が弄られているのを見て助け舟を出してくれて100メートル走のコースに進む。

本音は先生の言葉通りなのだろう。

スタート地点にはスターティングブロックと言うクラウチングスタートで使用する金属製のスタート台が固定されている。

通称スタブロなんて呼ばれているが踏切板の角度と位置は個々の選手で調整する事が出来るようになっていて。

あまり使う機会が無いマネージャーの俺はカナやんのアドバイスで調整し数回試しにスタートを切ってみる。

「よーし、全員準備は良いな」

立川先生の声に複数の返事がありもちろんカナやんもその中に含まれていた。

何故か俺が走るだけなのに引退したはずの3年の先輩や2年選抜と称して公式記録の上位者が参加している。

お祭り騒ぎの原因はこんなところにもあるのだろう。


「シュン君、頑張ってね」

「まぁ、走るのは久しぶりだし今まで練習してきた先輩や仲間には敵わないですよ」

「そりゃそうだよね。流石にマネージャーのシュンに負けたら今までの積み重ねが揺らぐよね」

最近調子を上げてきたカナやんの言葉で椎奈先輩の顔つきが変わると眞鍋先輩が何か耳打ちをする。

そんな2人を見ると嫌な予感しかしないのは気のせいじゃないだろう。

「シュン君は嘘はつかないけど誤魔化す事はあるって言ったわよね」

「まぁ、時と場合によってですね。相手を傷つける事は極力避けたいですから」

「それじゃ手抜きして一緒に走る仲間のプライドを踏みにじるような事はしないわよね」

「したくないですね。大切な仲間ですから」

椎奈先輩に射抜くように見上げられて俺の考えが見透かされているようで堪らず視線を逸らしたのがいけなかったのか。

怒気を孕んだ椎奈先輩の声を初めて聞いた。

「そんな風に逃げてばかりいるシュン君なんて大嫌い! いいわ、ゴールテープを切った人の言う事をなんでも聞いてあげる」

「真琴、止めなさい。無茶よ」

「デートでもキスでも何でもよ!」

初めて出会った時も戸惑を隠すように強い語気だったがまるで違う。

眞鍋先輩の制止を振り切るように言い切り車椅子のアームサポートを力任せに叩いた椎奈先輩がゴールの方に車椅子を走らせた。

一瞬だが光るものが瞳に見えた気がしたのはもしかしたら気のせいじゃないかもしれない。

そんな事が頭を過ぎり椎奈先輩の突然の宣言に俺と一緒に走る先輩や2年からはどよめきが上がり。

周りのギャラリーからは歓声が上がってボルテージは最高潮になっている。

それに対し俺の中では今まで一度も感じた事のないものが冷たい深海に急速潜航していく。


スタート地点にはガチャガチャと金属が触れ合う気合の入ったスパイクが踏切板と合わさる音がこだまする。

「位置について」

立川先生自ら買って出たスターターの声で足の位置を決めゴール地点を見据えてからゆっくりとスタートラインの手前に指を付く。

不思議な感覚に包まれている。

あのままマネージャーをしていたら感じなかったものだろう。

ギャラリーの歓声で騒然としている筈なのに何故だか自分自身の鼓動だけが聞こえる。

「用意」

2度目のスターターの声で深く息を吸い、腰を上げ呼吸を止め体を一旦静止させる。

スターターピストルの音が鳴るか鳴らないか刹那のタイミングで効き足を力強く蹴りだす。

何度もマネージャーの俺自身で鳴らしていたタイミングと同じだ。

前傾姿勢のまま飛び出す。

視覚には2本の白いラインの先にあるゴール地点だけがピンポイントで見え。

聴覚には高鳴る鼓動が聞こえ、地面を蹴りだす振動を全身で感じ。

風と一体になったかのような感覚に陥る。


一気に100メートルを駆け抜けガタガタと笑う膝を両手で押さえつける。

何かを吹っ切った瞬間に周りの歓声が戻ってきていたが自分の荒い呼吸音がやけにうるさい。

勝敗が気になるが椎名先輩の宣言が頭の中に木霊して怖くて頭を上げる事が出来ない。

「シュン君」

「椎奈先輩?」

耳元で椎奈先輩の優しい声が聞こえ思わず顔を上げると柔らかい物が頬に触れ、首に椎奈先輩がしがみ付いてきた。

再び鼓動が跳ね上がると立川先生の声が飛んできた。

「葛城駿也、マネージャーは首だ!」

「な、何でですか? 僕が何かをしたのなら理由を教えてください」

「来週から選手として登録な」

「ふぇ?」

気が抜けた返事をしてゆっくりと体を起こすと椎奈先輩が腕を解いてくれて信じられない事を言っている立川先生を見る。

「あの……先生? 意味が解りません」

「いや、これならインターハイも狙えるかもな」

「はぁ?」

反論しようとすると立川先生がバインダーで俺の頭を小突いてストップウォッチを顔の前に突き出した。

そこにはあり得ない様なタイムが表示されている。

「誰のタイムなんですか。凄いですね」

「呆れた奴だな。駿也は鍛えがいが有りそうだな色々と。女神のキスを受けておいてまだ目が覚めないのか」

「ええ、俺が勝ったんですか?」

「そうだ。ぶっちぎりでな。今日はここまでで解散だ。来週からは今まで以上に厳しく行くからな。特に不甲斐ない2年選抜は肝に銘じておけよ」

いきなり部活終了宣言をした立川先生は何故かいそいそとグラウンドから立ち去っていく。

すると背後から腰のあたりに衝撃を受けよろめき、振り返ると眞鍋先輩が腰に腕を回していてボディーアタックをしてきたらしい。

「眞鍋先輩、危ないですよ」

「やるじゃん、シュンちゃんは」

「ちゃん付けは止めてください」

「もう、この際だから真琴と付き合っちゃえば良いじゃん」

何でそういう話になるのか。まぁ、眞鍋先輩がする話は突飛な事が多いのでスルーしようとして椎奈先輩の方を見ると顔を赤らめモジモジしている。

椎奈先輩の方もスルーしないと大騒ぎになりそうだ。

「これで約束は守りましたからね」

「悪しき呪縛から解き放れたのかしら?」

「少しずつですね。いきなり解放すると体が壊れてしまうかもしれないので」

「あれだけ真琴と闘えれば十分だと思うけどな」

流石にあのテニスの試合後は全身が悲鳴を上げていて回復までに数日を要した。

2度と日本ランカーとやり合うなんて御免こうむりたい。

そして盛り上がっていたカナやん達は……

「シュンなんか走らせなければ良かった」

「これ以上の練習は無理だぞ。カナやんが大丈夫だって言うから選抜で出たのに」

仰向けになり大の字になってる奴から項垂れている奴もいる。練習を積み上げてきた選手がマネージャーに敵わなかったのだから当然かもしれない。

そのマネージャーとしてはそっとしておこうと思う。後の事は本人次第だろう。


3年生を送り出す卒業式も終わり。

学年末テストも滞りなく行われ成績を何とか維持したまま進級できることになり。

そしてこのままの成績なら希望する学部に入る事も可能だと担任の小林に言われた。出会いはどうあれ全て縁と言うものなのだろう。

無事3年に進級してもクラスメイトの面子はほとんど変わらない。それは大学に行けばそれぞれの分野に向かうからと言う学校側の配慮かもしれないが。

桜はとうに葉桜になり暖かくなって過ごしやすい季節になっている。

「シュン、行こうぜ」

「分った」

最近、カナやんは眞鍋先輩とまめに連絡を取り合っていて大学の構内にあるカフェで昼食をとる事が多くなってきた。

何故、俺に連絡が無いのかは恐らく何かと理由をつけて断られるからだろう。

そんなカナやんはクリスマスイブの時とは別人の様に大学生ともフランクな挨拶を交わすようにまでなっている。

「そのうち京立はカナやんに牛耳られるな」

「僕は情報通であって戦略家じゃないよ」

「裏からだよ。闇情報で人を動かして表には決して出てこない」

「酷いなシュンは。親友をそこまで貶めるかな」

実際、カナやんは大学生のデータも着々と収集・蓄積し始め大学生からも重宝がられている。

それは附属の生徒の事を知りたいと言う大学生と京立大の学生の事を知りたいと言う附属の生徒の橋渡し的な存在になっていて。

今までは噂程度の行き来しかなかったから尚更なのだろう。

「遅いぞ。昼休みが勿体ないでしょ」

「まぁ、ここまで来なければもっと有意義に過ごせるんですけどね」

「相変わらずシュン君は生意気ね」

斜に構える性格など直ぐに治る筈もなく眞鍋先輩の視線を掻い潜り席に着き弁当を広げる。

「生意気なのに時々素直になるからキュンとしちゃうのよね。真琴」

「そうかな。シュン君はとても素直だと思うけど。未希と絡むからじゃない」

「へぇ、シュン君は真琴と接する時は態度を変えているんだ」

「ちゃんと人を見て接しているつもりですけど」

斜め前に座っている眞鍋先輩が不敵な笑みをこぼしている。

そんな事に構わずに椎奈先輩が差し出してくれた弁当箱から美味しそうな卵焼きを一つ頂き隣に座っているカナやんの視界に卵焼きを入れた。

鈍い音がしてカナやんと眞鍋先輩がおでこを抑えている。

俺をロックオンした眞鍋先輩と卵焼きを狙ったカナやんが衝突事故を起こしたらしい。

「もう、未希は大丈夫なの?」

「真琴、シュン君がイジメる!」

眞鍋先輩が椎奈先輩に泣きつき頭を撫でてもらっている。

「カナやん、データは飛んだか?」

「シュンは僕じゃなくデータを心配するんだ」

「いや、人に聞かれたくないデータなら飛んでほしいなと」

「ちゃんとバックアップを取ってあるからね」

思わずカナやんをガン見する。どうやってバックアップを、まさかいつも持ち歩いている手帳に?膨大な情報が蓄積されたものが万が一なんて事があれば……

「シュンは何を心配そうな顔をしてるんだよ」

「僕がバックアップを紛失するとでも。そんな事は天変地異でもない限り安心だよ」

「俺の情報さえ洩れなければ問題が無いよ。他の人の情報なんて」

そこまで口にして視線を感じた。眞鍋先輩と椎奈先輩が俺の事を凝視していて。

「シュン君は割と自己中で我が道を行くと」

「少しショックかな」

「それじゃ、シュン君にどこかに連れて行ってもらおうよ。真琴」

「うん、そうだね。動物園とか」

椎奈先輩の『動物園』というキーワードに今度はカナやんと俺が固まった。

大学生なのだからもう少し大人ぽい所をリクエストするかと思っていたのに拍子抜けと言うか突っ込むことさえ出来ずにスルーしてしまう。

「そうだよね。真琴は遊園地とかも苦手だしね」

「動物園、皆と一緒なら楽しいと思うけどな。もう少し考える余地はあるかも」

「シュン君は何処に連れて行ってくれるのかしら?」

「大学のカフェとか」

冗談のつもりだったのにカナやんと眞鍋先輩に瞬殺されしまった。

高校生なりに考えるつもり? 面倒だな。そんな事が頭に浮かぶと立て続けに2発の強烈な突っ込みを叩き込まれ撃沈すると椎奈先輩がお腹を抱えて笑っていた。


「シュン、今度の週末。息抜きに出掛けようぜ」

「別にかまわないけど。どこに行くんだ」

「ちょっと行きたいところがあってね。待ち合わせ場所を後でメールするよ」

約束した週末にカナやんがその場で待ち合わせ場所を言わなかったことを後悔している。

そして俺が久しぶりに走った後の部活と言わず体育をしていても遠くからチェックを欠かさない2人が居た。





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